セルジオ・レオーネ
伊ローマ出身。父は初期イタリア映画界を牽引した監督ビンチェンゾ・レオーネで、母も女優。10代後半から映画の世界に入り、助監督としてイタリア映画や同国内で撮影されるアメリカ映画に携わる。1950年代終盤から脚本の執筆を始め、「ポンペイ最後の日」(60)の共同脚本を経て「ロード島の要塞」(61)で長編映画監督デビュー。
ブレイク前のクリント・イーストウッドを主演に迎え、黒澤明監督の「用心棒」をベースにした監督第2作「荒野の用心棒」(64)、続く「夕陽のガンマン」(66)、「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」(67)は3年連続イタリア年間興収1位を記録して「ドル箱3部作」(または主人公の名無しの男にちなみ「名無し3部作」)と呼ばれ、マカロニウエスタンのジャンルを興隆に導いた。以降の監督作に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」(68)、「夕陽のギャングたち」(71)など。
89年4月、心臓発作のためローマで死去した。「ゴッドファーザー」の監督オファーを断り10年の歳月をかけて製作した、ロバート・デ・ニーロ主演の大作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(84)が遺作となった。