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映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
劇場公開日 1984年10月6日
解説
マカロニウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの遺作となった作品で、ハリー・グレイの自伝的小説を原作に、ニューヨークのユダヤ系ギャングたちの栄光と破滅を、少年期、青年期、老年期の3つの時代を行き来しながら描いた傑作ドラマ。1920年代初頭のニューヨーク。ユダヤ系移民の少年ヌードルスは同年代のマックスと出会い、深い友情で結ばれていく。彼らは仲間たちと共に禁酒法を利用して荒稼ぎするようになるが、ヌードルスは殺人を犯し刑務所へ送られてしまう。1931年、出所したヌードルスはマックスらと再会し、裏社会に舞い戻るが……。ヌードルスをロバート・デ・ニーロ、マックスをジェームズ・ウッズが演じた。レオーネ作品には欠かせないエンニオ・モリコーネが音楽を担当。
1984年製作/205分/アメリカ
原題:Once Upon a Time in America
配給:東宝東和
スタッフ・キャスト
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2020年8月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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2020年7月6日、エンニオ・モリコーネが逝去した。イタリアを代表する映画音楽の巨匠である。91歳だった。モリコーネが「荒野の用心棒」の世界的大ヒットでマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の作曲家として欠かせない存在となって以降、コンビを組み続けたセルジオ・レオーネ監督(1989年逝去)の遺作にして代表作が「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)だ。
ハリー・グレイの自伝的小説を原作に、ニューヨークのロウワー・イーストサイドを縄張りとした、ユダヤ系ギャングたちの栄光と挫折を描いた一大叙事詩。1930年代初めの禁酒法時代から幕を開け、60年代後半と20年代初めの3つの時代が交互に描かれる。ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、エリザベス・マクガヴァンに加え、バート・ヤング、ジョー・ペシ、さらに少女だったジェニファー・コネリーまで錚々たる俳優たちが、構想14年、前作から10年以上の沈黙を破ったレオーネ監督の元に集結した。
第37回カンヌ国際映画祭を震撼させた全編を貫く凄絶なバイオレンス描写とともに、レオーネ作品の重要なモチーフである愛と友情、金と記憶、裏切りと悔恨が、二人の主人公を鏡映しにノスタルジックに描かれ、3時間超えの時間の長さは感じない。イタリア人監督レオーネが、憧れていたアメリカへオマージュを捧げたフィルム・ノワールだ。
光と影、クローズアップの多用と遠景を織り込んだ緻密な画面構成、フラッシュバック、長回し、さらに鏡、覗き穴、電話などを効果的に用いて登場人物の心情を表現。そして、名曲「アマポーラ」とともにモリコーネの音楽が物語を語っていると言っても過言ではない。また、当時のマンハッタンを再現した映画美術も素晴らしく、脚本、撮影、衣装など最高のスタッフで作り上げたスケールと豪華さに圧倒される。
2019年2月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
4K映像にて蘇った4時間11分に及ぶこの名作を「午前十時の映画祭」にてスクリーン鑑賞することができた。冒頭から巨匠レオーネの凄まじいバイオレンスが飛び出し、それを抜けると「覗き穴」から景色を望むがごとく、セピア色の昔話が途端に色づいて華やぎ出す。この記憶の紡ぎ方が何とも見事で、圧倒される。まっとうな人生、正義、友情、愛の定義なんて誰からも教わらず、路上で這い上がってきた主人公たち。一心不乱に本能のまま駆け回った子供の頃と、大人になってあまりにも多くのことを知り過ぎた頃とがオーバーラップし、立ち上る埃と汗と阿片窟の煙に思わずむせ返りそうになる。
前に知人から、ウォン・カーワイ監督作『グランドマスター』も本作の影響を多分に受けていると聞かされたことがある。阿片窟や列車ホームでの戦いなどを見ているとそれも深く納得だ。ともあれ、一生に一度、映画ファンならば是非体感しておくべき名作と言えるだろう。
踊るジェニファーコネリーの愛らしさ。天窓のあるこの部屋は聖域。そこが違法酒場と堕とされ、それでも踏み込まれる気配を示さぬ聖女を、勢いに任せて踏みにじる演出。男どもの獣性溢れる世界観。理性や秩序がなく、連帯しなければ生きながらえぬ世界。懐古的でいられるか?それを肯定しえない運転手。窒息しそうで反吐がでる。しかしこの世界しか与えられていない。ゴミ収集車に消え去る男は多くの妥協の末に世を渡ったのだろう。それでも古きものと共に古い者は退場する。狂った世の中で、狂って聖女と戯れたか。
2021年7月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
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名前は有名な作品だし、音楽も有名。
パンフルート、アンデスのケーナに似た音色の笛が印象的な曲も
よくギャングもののパロディーに流れたりするよね〜
上映時間も長いので「午前10時の映画祭」でしか観られない作品。
これ映画館で観た!といえば映画好きの中でもちょっと自慢になるでしょう。
(何なんだ!それ〜笑)
冗談はさておき、観ておいて良かった映画です。
確かに一人の男の60数年に及ぶ歴史を語るのだから
このくらいになるよね〜と思っちゃう上映時間。
その分、各時代のロケシーンやセットが半端なく超贅沢!!
凄いです。「アマデウス」に匹敵する画面の圧!
10代のパートのまだ高い建物の少なかったニューヨークの街並みや
中堅ギャングになって経営する秘密BARや、友達の売春宿の調度品。
憧れの人デボラと食事をする高級レストラン〜
凝りに凝りまくってる!
贅沢な映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ストーリーに関しては、私が女だからかあまりハマれなかった。
憧れの女性をズッと思い続ける感じとか
仲間=ライバル的な空気感ってやはり男の人の心情なのかな〜〜
10代パートで主人公ヌードルスが憧れのデボラと二人っきりになるシーン。
デボラは思わせぶりに詩を朗読する。
「彼は本当に美しい、でも薄汚いゴキブリの様なままでは愛せない」
デボラは少女ながら、とても野心的。
実家のレストランが大繁盛で人手が足りないから手伝え!と言われても
自分のレッスンを平気で優先させる様な意志の強い女性。
だから、本心は好きだけど、仲間のマックスに呼び出されると
自分よりそちらを優先する主人公ヌードルスを
自分の野心の為にはあまり役に立たない男として切り捨てる。
私はデボラの気持ちの方がよく解る。
でも、男って生涯、憧れの女性を追い続けるのよね〜〜
ある意味、哀れかも〜〜
兎に角、ロバート・デ・ニーロ、やっぱ凄い!
そこになってしまいます。
@もう一度観るなら?
「映画館で一回は観ておいた方がいいでしょうね。」
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