リチャード・ギア、アカデミー賞授賞式から「出禁」だった過去を告白
2025年12月9日 20:00

「愛と青春の旅だち」や「プリティ・ウーマン」などで知られる俳優リチャード・ギアが、アカデミー賞の舞台から20年間出入り禁止になっていたことを明かした。1993年の授賞式で政治的な発言をしたことが原因だったが、現在は「個人的には受け止めていない」と振り返っている。
1949年生まれのギアは、「天国の日々」(1978)で注目を集め、「アメリカン・ジゴロ」(1980)を経て、「愛と青春の旅だち」(1982)で一躍トップスターの仲間入りを果たした。一時低迷もあったが、「プリティ・ウーマン」(1990)で完全復活を遂げ、セクシー・スターとしての地位を確立。その一方で、長年にわたりチベット独立を支援する活動家としても知られ、ダライ・ラマとは友人関係にある。
チベットは1950年に中国人民解放軍が進駐して以降、中国の統治下に置かれている。チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世は1959年にインドへ亡命し、以降チベットの自治権拡大や人権状況の改善を訴え続けている。国際社会では、チベットにおける宗教の自由や文化保護、人権問題への懸念が長年指摘されてきた。ギアは1980年代後半からチベット支援活動に積極的に関わっている。
問題となったのは、1993年のアカデミー賞授賞式だった。美術賞のプレゼンターとして登壇したギアは、突然中国とチベットの人権問題について語り始めた。「鄧小平が今これを、彼の子供たちや孫たちと一緒に見ているかもしれないと考えると、中国における恐ろしい人権状況について考えます。自国民に対してだけでなく、チベットに対してもです」
この発言は会場から拍手を受けたものの、当時のアカデミー会長は批判した。「授賞式は映画について、映画での人々の仕事について、エンタテインメントについてです。世界中の政治活動についてではありません。個人的にどれだけそうした活動を支持していたとしても」と米ロサンゼルス・タイムズ紙に語った。その結果、ギアは20年間アカデミー賞のプレゼンターを務めることができなくなった。
米バラエティの最近のインタビューで、ギアはこの出来事を振り返った。「特に個人的には受け止めませんでした。この状況に悪者はいなかったと思います。私は自分のすることをしますし、誰にも害を与えるつもりは確かにありません」
ただし、ギアは自分が「害を与えたい」対象については明確にした。「私が害を与えたいのは怒りです。排除に害を与えたい。人権侵害に害を与えたい」と述べ、ダライ・ラマの哲学に従い「誰もが救済可能で、最終的には全員が救済されなければならない、さもなくば誰も救済されない」という考え方を示した。
ギアはその後、アカデミー賞でプレゼンターを務めることはなかった。ただし2003年には、「シカゴ」の関係者として授賞式に出席している。同作は作品賞を含む6部門で受賞し、ギアも出演者の一人だった。そして2013年、「シカゴ」の勝利から10周年を記念して、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、レネー・ゼルウィガー、クイーン・ラティファとともにプレゼンターとして舞台に復帰した。ギアは「どうやら、私は更生が認められたようです。十分長く生きていれば、追放されたことを忘れてもらえるようですね」と話している。
なお、ギアはダライ・ラマに関する新ドキュメンタリー「Wisdom of Happiness(原題)」のエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。
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