「敗者を描くとき、やっぱり僕は自分を描いている」アキ・カウリスマキ6年ぶり新作「枯れ葉」フィンランドで語ったインタビューを入手
2023年12月15日 10:00
カウリスマキ監督は2017年、「希望のかなた」のプロモーション中に監督引退を宣言。本作はそれから6年を経ての復帰作となる。ぎりぎりの生活を送り、孤独を抱えて生きる女と男が、不器用ながらもかけがえのないパートナーを見つけようとする心温まるラブストーリーだ。
本作での取材をほぼ受けていないカウリスマキ監督だが、本国フィンランドのカンサン・ウーティセット誌に「日雇いばかりの工事現場のようなヘルシンキ」(インタビュワー:カイス・テルボネン)と題されたインタビューを映画.comが入手した。
アキ・カウリスマキ監督「枯れ葉」は、おそらく彼の映画で初めて携帯電話が使われた作品ではないだろうか。主役の一人がインターネットカフェにも立ち寄るシーンさえ登場する。
「私は長いことかたくなに、NO コンピューター、NO ケータイを守ってきたんだ。理由は機器のデザインだね」映画監督アキ・カウリスマキはこう説明する。
「この歳になって、現代の実社会との関係性を少し妥協しないといけなくなったんだ、少しだけ」
美しいモノ、古い音楽、1950-70年頃の雰囲気を持つ衣装、そして時代を超越した空間。カウリスマキ監督はそんな世界を生み出すことで知られている。同様のノスタルジックな感覚は最新作「枯れ葉」にも見てとることができる。携帯電話が出てくるもののスマートフォンではなく、昔ながらのアナログ固定電話も登場する。
監督は自身のことを、ピュアで心の美しい唯美主義者だと言い、審美的に心地よい生活を送れるように心掛けている。取材の場所もそのコンセプトに沿うもので、首都ヘルシンキから北東に50キロほど離れたカルッキラという町にある、カウリスマキ監督が共同経営者に名を連ねる映画館「キノ・ライカ」のテラスだ。そこは町を流れるカルヤー川のほとりに建つ、古い工場地区のど真ん中にある。
カウリスマキは自身の映画を、そんな“朽ち果てたおんぼろのノスタルジー”で満たしている。
「美的なバランスをとるために努力するってことなんだ。そこにはいつも矛盾がなきゃいけない」
終わりの見えないシリア、そしてイエメン――矛盾は、監督の最新作にかつてないほどはっきりと描かれている。「枯れ葉」では、その摩擦は審美とさまざまなテーマとの間に存在する。
この映画は、独特の美的スタイルを持つ、ポーカーフェイスなジョークにあふれたラブストーリーだ。主人公の背後には、温暖化・気候変動に関するごく最近の市民運動「エクスティンクション・レベリオン」のポスターが貼られ、ラジオからはウクライナの戦争のニュースが流れ、映画館ではゾンビが襲いかかる。
監督は言う。「ウクライナの戦争だけが理由じゃない。シリアとかイエメンとか、あちこちで全く終わりが見えない。もうたくさんだ」
とはいえ戦争は映画の本来の主題ではない。ラブストーリーは、カウリスマキの頭の中ではるか以前から長い時間をかけて熟成されてきたものだ。
「物語はごく自然に生まれたね。潜在意識のどこかでずっと考えていたから。脚本は潜在意識が書いてくれるよ。少なくとも僕の場合は」
潜在意識はたぶんのろい、けれど指先の動きは速い。以前カンヌ国際映画祭でのプレスインタビューで、カウリスマキ本人が脚本を30時間で仕上げたと明かしている。
「あの脚本はまだこんな感じのデスクトップ・コンピュータで執筆していて、かなりミスタイプが多かった。30時間のうち15時間はその修正作業だよ」と監督は言う。
誤字脱字があろうが、その執筆プロセスの成果は順調そのもの。作品はカンヌ国際映画祭の審査員賞に輝き、批評も作品を賞賛するものばかりだ。さらには国際映画批評家連盟 FIPRESCI賞の年間グランプリにも選出された。
「枯れ葉」はホラッパ(ユッシ・バタネン)とアンサ(アルマ・ポウスティ)のふたりがお互いに惹かれ合っていくシンプルなストーリーだ。
「脚本を描くときにひとつセオリーがあって、まずは「誰」かとか、「誰と誰」かを決める。だいたいふたりで、男と女、あるいは犬とヤギ。まあなんでもいいんだ。キャラクターを作り、彼らが持つ問題や悩みを考える」
その問題や悩みが映画の骨格を形作る。ホラッパとアンサの場合、それはそれぞれのシャイな性格であるが、もちろんそれが人生唯一の問題や悩みではない。
ホルッパはサンドブラスト職人で、酒瓶を作業現場に持ち込んでは隠し、飯場の部屋の戸棚にも隠している。週末も独りで、社交的な同僚(ヤンネ・ヒューティアイネン)がレストランにでも連れ出さない限り、漫画を読んだり、ちびちびと飲んだくれて過ごすような人だ。
アンサは、実働時間しか給料をもらえない「ゼロ時間雇用契約」でスーパーで働いている。スーパーには、賞味期限切れの商品を従業員が持ち出したりゴミ箱漁りの連中に渡したりしないかを血眼になって見張っている警備員がいる。ある晩、アンサは同僚(ヌップ・コイブ)と一緒に、ホラッパがいるレストランに偶然行くことになる。
ふたりは恐る恐る目線を交わすが、ホラッパはグラス越しに見るだけ。シャイなふたりに会話を切り出す勇気などない。
主演のバタネンとポウスティは、国内で大きな役を数多く演じるフィンランドの観客なら誰もが知る俳優だが、カウリスマキ映画には共に初出演となる。
「偶然、ヴァタネンが主演するシリーズ映画『ラップランド・オデッセイ』の第一作を観たんだけど、その時にこの男は何かを持っている、と思った。そして映画『TOVE/トーベ』を観てやはり、この女にも何かある、と感じた。それで、このふたりをカップル、あるいはカップルになりそうな男女に据えたらどうなるだろう、と考えたんだ」と監督は言う。
監督によると、キャスティングにあたって特別難しいことはなかったそうだ。俳優に撮影の時期を知らせ、それぞれと出演料を交渉する。「俳優連盟の標準報酬額表に準拠、でも主役だから少し上乗せ」といった具合だ。
俳優らはシンプルな役柄に、郷愁から後悔までさまざまな感情を絡ませていく。監督はというと、同じことを食器を使って描いていく。作品の中で最も心を動かされ、かつ可笑しなシーンの一つは、アンサがスーパーに行ってお皿とカトラリーを買うくだり。彼女はどれも一人分しか持っていなかったのだ。
「そのお皿のエピソードは、もちろんアンサが本当に孤独な人だと言うことを示すんだ」
このシーンはまた、希望も描いている。もう一枚のお皿が象徴するのは、愛の芽生えるチャンス。ホラッパがディナーに来てくれるかもしれないと言う「可能性」だ。
「私にはよく知られたスタイルがある」
カウリスマキのファンにとっての鉄板は、監督が動きの少ないスタイルに忠実という指摘だ。「枯れ葉」はこれぞカウリスマキと認識できる作品に仕上がっている。
「私が映画監督だということは否定できない。私にはひとつ、あるいはいくつかの“よく知られたスタイル”があって、それをかたくなに40年かそれ以上守り続けてきたから」監督自身もそう語る。
「枯れ葉」には「パラダイスの夕暮れ 2.0」と言う別名がついた。それは1986年にカウリスマキが発表した作品に因んでいる。監督が国際的な人気を獲得しただけでなく「労働者三部作」として知られる三作品の最初の映画でもある。あとの二作は「真夜中の虹」(1988年)と「マッチ工場の少女」(1990年)だ。
「それは良いパラドックスでもあってね。三部作の四作目なんだ」監督は冗談めかして言う。しかし以前の三作品と同じテーマが新作ここでも物語を動かしている。しかしこれまでの6作品が、同じテーマを描いていると言うこともできる。
最新作「枯れ葉」はカウリスマキの「敗者三部作」の続きと見ることもできる。「浮き雲」(1996年)、「過去のない男」(2002年)、「街のあかり」(2006年)は労働者というテーマの他に、失業、ホームレス、社会からの疎外といったテーマを扱っている。新作に登場する酒に溺れる職人とゼロ時間雇用契約の女性の人生をおびやかす脅威は、6作品の中で描かれたそれと通底するものがある。
カウリスマキ自身もサンドブラスト職人として働いた経験があり、その日々の思い出は今も彼の腕に残る小さなハート型の傷跡に刻まれている。機械がズレて外れ、作業着の袖の中に入り込んだことでできた傷だという。似たような事故が映画の中でホラッパの身にも起こる。
カウリスマキにはアンサのようなレストランの皿洗いの経験もある。中流階級の人々が「実労働」をすることにロマンチシズムのようなものを抱くのに対し、「枯れ葉」ではそういった仕事へのノスタルジーはなく、社会の現実を無きものとして扱うような真似はしない。
この映画の中では、仕事は生きるための条件である。アンサがクビになった時、すぐに飢えがやってくる。ホラッパは職と一緒に住まいも失い、公園のベンチで寝ることになる。
今回の作品ではカウリスマキのロマンチックなビジョンが、世界の終末の風景に例外的に多くの余地を与えている。照明が消えた街の映画館のポスターケースや、陰鬱なバー、薄暗いトラムの停留所だけがヘルシンキではない。街が引き裂かれているのだ。次から次へと続く工事現場は、まるで廃墟のように見える。
「ヘルシンキはパートタイム労働で埋め尽くされた工事現場のようだ」と監督が言うように。
外国で発表された映画評の多くが、1960年代初頭の物語といっても成立する。と指摘している。監督自身はさらにもっと遠く昔、チャップリンの方向に目を向けている。「枯れ葉」のインスピレーションは、デヴィッド・リーン監督の「逢びき」、ひいてはビリー・ワイルダー監督の「失われた週末」に触発されていて、これらはいずれも1945年の作品だ。
監督は自身をノスタルジックな人間だと認めている。ニヤリとしながらも。
「恥ずかしさを感じなければ、毎日毎日泣いては過去を懐かしんでいると思うな」
ノスタルジーはもちろん、シネフィルのDNAに刻まれたものだ。カウリスマキは、映画サークルや映画アーカイブに育てられた。作品をフィルムで撮影しているだけでな く、自ら映画館も経営している。アメリカの映画監督マーティン・スコセッシがマーヴェルのスーパーヒーロー映画について「あれは映画じゃない、テーマパークだ」と発言したとき、カウリスマキは満足げにこう言った。
「少なくとも俺のために作られた映画じゃない」
それでも彼は、映画文化に起こりつつある変革をそのまま手放しで受け入れているわけではない。
「理解するのは難しい。時々ついに映画は死んだと思うことがあるが、そうするとアフガニスタンかどこかから出てきた映画が再び希望を持たせてくれる」
アートハウスという名で流通する上質な映画作品は、予算規模はさておきなんとか生き延びている。
「私の製作上の大きな秘密は、自分が常にかなりの倹約家であること。お金が全くない状況になったとしても、それでもとにかく作るんだ」
映画を製作するということは予算についても責任を持つということだ。動きの少ないスタイルは、結果的に経済的にも合理的な解決方法になっている。
「12枚もの皿を使うのは、たった1枚しか使わないよりも遥かに高くつくのは自明だしね」
昔は全てが良かった、というわけではない。ノスタルジーは、カウリスマキにとって物事をみる自然な方法であるだけではない。それは私たちの全ての文化にも当てはまる。
ポップカルチャーと広告は、過去のポップカルチャーと広告からの引用や比喩にあふれている。そして一目でわかる時代のランドマークで埋め尽くされる。
カウリスマキはその影響力をもすくい上げる。小道具のタバコひとつとっても単なるタバコではない。フィンランドで1930年代から売っている老舗銘柄North Stateを選んでいる。
ノスタルジーの種類として、政治は危険な部類に入るテーマである。ましてやポピュリスト政党や極右は、衰退した現代と比して「昔は良かった」という成功のアナザーストーリーを好むものだ。
カウリスマキは過去に憧れてはいるが、昔の全てが良かったとは考えていない。1950年代の農耕中心時代のフィンランドや牛の放牧風景を描こうとすると、彼の頭には子供の頃に牛を追った唯一の記憶が即座に蘇る。
「牛が全然言うことを聞かないんだよ。怖かった。やつらの体重は500kgもあったろうに、自分は15kgとかそんなもんだ」
第三のノスタルジーにもチャンスはある。文化理論研究家・芸術家のスヴェトラーナ・ボイムは、ノスタルジーには矛盾、皮肉、さらには批判を含むと指摘している。それは個人的なノスタルジーだけでなく文化全体のそれにも当てはまると言えるだろう。
カウリスマキ映画のノスタルジーはこの定義によく合うように思える。陰鬱な現代性と美化された過去が同時に存在するように、いくらでも代わりのきく労働者の経験もまた時代から切り離されたラブストーリーと共存している。そしてそこにも自伝的な要素が含まれている。
「そう、映画というものは、若い時代の自伝のようなものなんだ。敗者を描くとき、やっぱり僕は自分を描いている。恥ずかしがることなく」そう監督は言葉を続ける。
「愛を、もう一度勝たせてやろう」
過去を顧みることは、いつもソフトな郷愁だけを意味する訳ではない。カウリスマキの場合、そこには悲観の種も関係する。
「自分は過去を見つめなくてはならないんだ。自分には未来なんて何も見えないから」
監督とのインタビューの話題は、思慮に欠ける消費、 気候変動、そして戦争にまで及んだ。「枯れ葉」はそれら全てが共鳴しあったものだ。しかも美しい映像とドライなユーモアで包み込んで。
映画研究者のヘンリー・ベーコンは、20年前にすでに、カウリスマキの作品とノスタルジーとの関係性に潜むある種の本質について指摘している。ベーコンは、選集「銀幕への意識」(2003)の中で「ノスタルジーとはカウリスマキにとって、社会的な存在として耐えられるものにするための経験方法のように思える」と書いている。
監督の作品では、愛と連帯をもノスタルジーの視点から見つめている。それは埃をかぶったような記憶ではなく、可能性として見えるものだ。悲観論者曰く、楽観論は全て映画作品から充電するのだと。
ひとりがクビになるとひとつに連帯するスーパーの従業員。上着を貸してくれる簡易宿の客。住む家を得た野良犬。
「愛を、もう一度勝たせてやろう。主役のふたりはとにかくいい人たちだ。殺してしまうなんてできない」
カウリスマキは過去の作品で何度も、映画のラストに主人公のどちらかが死んでしまうような選択肢を作ってきたという。
「でも結局、心の繊細な部分が決めるんだ。やっぱりこの、別の結末にしよう、と」
Kansan Uusiset KU(https://www.ku.fi/artikkeli/4914540-aki-kaurismaen-helsinki-on-patkatoiden-tayttama-rakennustyomaa)
「枯れ葉」は東京・ユーロスペースほか全国公開中。
関連ニュース
映画.com注目特集をチェック
ライオン・キング ムファサ NEW
【ディズニー史上最も温かく切ない“兄弟の絆”】この物語で本当の「ライオン・キング」が完成する
提供:ディズニー
中毒性200%の特殊な“刺激”作 NEW
【人生の楽しみが一個、増えた】ほかでは絶対に味わえない、尖りに尖った映画体験
提供:ローソンエンタテインメント
大人気マンガを実写化…大丈夫か!? NEW
ファンを失望させないか…? 不安な原作ファンが“企画した人”に忖度なしでインタビューしてきた
提供:東映
ラスト5分、涙腺崩壊――
【珠玉の傑作】いじめで退学になった少年の、再生と希望の物語。2024年の最後を優しい涙で包む感動作
提供:キノフィルムズ
映画を500円で観る“裏ワザ”
【「2000円は高い」というあなたに…】知らないと損する“超安くなる裏ワザ”、こっそり教えます
提供:KDDI
モアナと伝説の海2
【モアナが歴代No.1の人が観てきた】神曲揃いで超刺さった!!超オススメだからぜひ、ぜひ観て!!
提供:ディズニー
【眠れなくなる衝撃作】
ショッキングな展開に沼落ち確定…映画.comユーザーに熱烈にオススメしたい圧巻作
提供:hulu
関連コンテンツをチェック
シネマ映画.comで今すぐ見る
内容のあまりの過激さに世界各国で上映の際に多くのシーンがカット、ないしは上映そのものが禁止されるなど物議をかもしたセルビア製ゴアスリラー。元ポルノ男優のミロシュは、怪しげな大作ポルノ映画への出演を依頼され、高額なギャラにひかれて話を引き受ける。ある豪邸につれていかれ、そこに現れたビクミルと名乗る謎の男から「大金持ちのクライアントの嗜好を満たす芸術的なポルノ映画が撮りたい」と諭されたミロシュは、具体的な内容の説明も聞かぬうちに契約書にサインしてしまうが……。日本では2012年にノーカット版で劇場公開。2022年には4Kデジタルリマスター化&無修正の「4Kリマスター完全版」で公開。※本作品はHD画質での配信となります。予め、ご了承くださいませ。
父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。 11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。 テレビドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクしたポール・メスカルが愛情深くも繊細な父親カラムを演じ、第95回アカデミー主演男優賞にノミネート。ソフィ役はオーディションで選ばれた新人フランキー・コリオ。監督・脚本はこれが長編デビューとなる、スコットランド出身の新星シャーロット・ウェルズ。
ギリシャ・クレタ島のリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みをいきいきと描いた青春ドラマ。 タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせるが、スカイとエムはお節介な混乱を招いてばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが……。 主人公タラ役に、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」のミア・マッケンナ=ブルース。「SCRAPPER スクラッパー」などの作品で撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカーが長編初監督・脚本を手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリをはじめ世界各地の映画祭で高く評価された。
「苦役列車」「まなみ100%」の脚本や「れいこいるか」などの監督作で知られるいまおかしんじ監督が、突然体が入れ替わってしまった男女を主人公に、セックスもジェンダーも超えた恋の形をユーモラスにつづった奇想天外なラブストーリー。 39歳の小説家・辺見たかしと24歳の美容師・横澤サトミは、街で衝突して一緒に階段から転げ落ちたことをきっかけに、体が入れ替わってしまう。お互いになりきってそれぞれの生活を送り始める2人だったが、たかしの妻・由莉奈には別の男の影があり、レズビアンのサトミは同棲中の真紀から男の恋人ができたことを理由に別れを告げられる。たかしとサトミはお互いの人生を好転させるため、周囲の人々を巻き込みながら奮闘を続けるが……。 小説家たかしを小出恵介、たかしと体が入れ替わってしまう美容師サトミをグラビアアイドルの風吹ケイ、たかしの妻・由莉奈を新藤まなみ、たかしとサトミを見守るゲイのバー店主を田中幸太朗が演じた。
奔放な美少女に翻弄される男の姿をつづった谷崎潤一郎の長編小説「痴人の愛」を、現代に舞台を置き換えて主人公ふたりの性別を逆転させるなど大胆なアレンジを加えて映画化。 教師のなおみは、捨て猫のように道端に座り込んでいた青年ゆずるを放っておくことができず、広い家に引っ越して一緒に暮らし始める。ゆずるとの間に体の関係はなく、なおみは彼の成長を見守るだけのはずだった。しかし、ゆずるの自由奔放な行動に振り回されるうちに、その蠱惑的な魅力の虜になっていき……。 2022年の映画「鍵」でも谷崎作品のヒロインを務めた桝田幸希が主人公なおみ、「ロストサマー」「ブルーイマジン」の林裕太がゆずるを演じ、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の碧木愛莉、「きのう生まれたわけじゃない」の守屋文雄が共演。「家政夫のミタゾノ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭が監督・脚本を担当。
文豪・谷崎潤一郎が同性愛や不倫に溺れる男女の破滅的な情愛を赤裸々につづった長編小説「卍」を、現代に舞台を置き換えて登場人物の性別を逆にするなど大胆なアレンジを加えて映画化。 画家になる夢を諦めきれず、サラリーマンを辞めて美術学校に通う園田。家庭では弁護士の妻・弥生が生計を支えていた。そんな中、園田は学校で見かけた美しい青年・光を目で追うようになり、デッサンのモデルとして自宅に招く。園田と光は自然に体を重ね、その後も逢瀬を繰り返していく。弥生からの誘いを断って光との情事に溺れる園田だったが、光には香織という婚約者がいることが発覚し……。 「クロガラス0」の中﨑絵梨奈が弥生役を体当たりで演じ、「ヘタな二人の恋の話」の鈴木志遠、「モダンかアナーキー」の門間航が共演。監督・脚本は「家政夫のミタゾノ」「孤独のグルメ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭。