戸田恵梨香&大原櫻子「あの日のオルガン」監督演出に“衝撃”「ドキッとしました」

2019年2月22日 19:30


「あの日のオルガン」撮影の日々を振り返った
「あの日のオルガン」撮影の日々を振り返った

[映画.com ニュース] 太平洋戦争末期、日本で初めて園児を連れて集団疎開を敢行した保母(保育士)たちがいた。“疎開保育園”の知られざる実話を映画化した「あの日のオルガン」(公開中)で主演を務めた戸田恵梨香大原櫻子が撮影の日々を振り返り、本作への思いを語った。

1944年、東京・品川の戸越保育所では、園児たちの安全を確保するため、保母たちが保育所の疎開を模索していた。ようやく受け入れ先として見つかった埼玉県の荒れ寺で疎開生活を開始した保母たちと園児たちは、日々噴出するさまざまな問題に直面しながらも、互いに励ましあいながら奮闘していく。

保母たちのリーダーで責任感の強い楓を演じた戸田は、撮影前に「二十四の瞳(1954)」などの作品を見てイメージをふくらませたという。「役者さんのお芝居を取り入れられるところは取り入れながら、現代に生きる私たちにできることは何か考えながら作品に臨みました。私は阪神・淡路大震災を経験しているので、そのときに目で見たこと、聞いたことも思い返しました」と述懐。「戦争を題材にしてはいますが、若い世代にも見てほしいですし、現代にもつながる時代を超えて伝えられる作品だと思います。日常が突然なくなる瞬間は現代にも平等にあって、幅広い世代に共感してもらえる作品だと思います」と熱い思いを伝える。

天真爛漫で音楽好きな光枝を演じた大原は、役作りについて「戸田さんと一緒に保育園の実習に行って、どうしたら子どもたちの目線に立てるのか考えていました。時代は違いますが、光枝だけは現代でもいそうな感じがします」と語る。撮影中は子どもたちの笑顔を引き出す方法に悩んだというが、「ただシンプルに“愛せばいい”っていう答えが見つかったんです。それが正解とは限らないですが、自分なりに子どもが好きという気持ちを持てばいいんだなって気づきました」と笑みを浮かべる。子どもたちと深く関わり、「この笑顔を守りたいなって思いました」と初めての感情が生まれたという。

メガホンをとった平松恵美子監督は、「小さいおうち」「母と暮せば」「家族はつらいよ」シリーズをはじめ、長年にわたり山田洋次監督の創作活動を共同脚本&助監督として支えてきた“右腕”的存在だ。2人は平松監督ならではの演出に驚いたときもあったようで、特に戸田はあるシーンを「衝撃でした」と振り返る。「東京の状況を疎開保育園の子どもたちに伝えるシーンだったのですが、2日前に平松監督から『歌舞伎みたいに話して』『違和感がほしい』と言われて、私は『はい』と言ってしまったんです。歌舞伎の動画を見て勉強しているときに、違和感というのは言葉の区切りのことだとなんとなく感じたので、セリフの句読点の位置を変える作業をして、話すスピードにも変化をつけました。現場で平松監督からは何も言われなかったので、それで正解だったのかなと思っています」と達成感をにじませ、「役者にすごい課題を与える監督さんだなと思います。試されているって思って、ドキッとしました」と、うれしそうに話す。

大原も「わかります」と戸田の言葉に同調し、「リハーサルで100%を出さないと本番にいけない感覚がありました。スタッフの方に『たくさんリハーサルやりますね』という話をしたら、『山田組がそうなんだよ』と教えていただいて、山田組の空気感はこういう感じなんだろうなって思いました」と貴重な経験を明かす。

役者としての“挑戦”も楽しんだ様子の2人。子どもたちと一緒のシーンでは、リハーサルや本番に臨む前に役柄さながらに声をかけあい、さらには空き時間にも子どもたちの面倒を見ていたそう。劇中と同じく全員で苦楽を共にし、「みんなで支え合うことができて、本当に保育園のようでした」と声をそろえた。

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