母と暮せば
劇場公開日:2015年12月12日
解説
小説家・劇作家の井上ひさしが、広島を舞台にした自身の戯曲「父と暮せば」と対になる作品として実現を願いながらもかなわなかった物語を、日本映画界を代表する名匠・山田洋次監督が映画化。主人公の福原伸子役を「おとうと」「母べえ」でも山田監督とタッグを組んだ吉永小百合が演じ、その息子・浩二役で二宮和也が山田組に初参加。「小さいおうち」でベルリン国際映画祭銀獅子賞(女優賞)を受賞した黒木華が、浩二の恋人・町子に扮する。1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。その幸せな時間は永遠に続くと思われたが……。
2015年製作/130分/G/日本
配給:松竹
スタッフ・キャスト
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2023年1月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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まずは批判も多いラストですが、あれは原爆で亡くなった方々への鎮魂と、祈りだと強く感じた。レクイエムを歌う老若男女、お母さんと手を繋いだ子供、一瞬で失われた沢山の、普通の方々の魂だと思えて涙が溢れた。戦争と原爆というものを書くからには、祈りと鎮魂が込められなくてはいけないと、思うので、ラストの特撮の出来の問題は置いておいて、あれで良かったと思う。あのラストは戦争と原爆で亡くならなくてはならなかった方々へ送られたものであり、「オチ」では無いのだ。天国へ行って欲しいと祈る祈りと共に私は泣きながら見た。
二宮さんは独特の哀愁がある役者だ。黙って見つめただけで悲しみを表す。泣く演技をしなくとも悲しいのだと感じさせる。セリフで説明するわけではない悲しみを内在した存在を演じさせたらピカイチだと私は思っている。
本当はどうなのかはわからないが、母は息子を探して、投下翌日から長い間被爆地を彷徨った時に被爆したのではないかと推察した。
母は無意識に自分の死期が近いことを感じ取っていたのではないだろうか。だからマチコにしつこいくらいに息子を忘れて幸せになって欲しいと言い出し、おじさんに世話になる関係も清算しようとしたのではなかろうかと感じた。息子が未練で亡霊となって近づいてきたのではなく、母があの世に近づいていたから息子が見えるようになったのではないだろうか。ラストで息子がおやすみという時の、悲しいような怖いような表情。息子は母の死が近いことを知っていた。母を心配しながら、たくさんの話の中で息子は、母にこれからの幸せのことや、長生きしてねというような未来の話を一度も言わないのである。
リアルで、老健施設に勤めている家族から聞いた話。気難しい利用者が、「〇〇丁目の角まで、亡くなった息子と旦那が迎えに来ているので、タンスの中のものを風呂敷に全部詰めて欲しい」と訴えるようになったそうだ。その数週間後にその方は亡くなった。私には、風呂敷にぎっしり身の回りのものを詰めて背負ったその方の魂が、旦那さんと息子さんの待つ〇〇丁目の角まで、歩いて行く姿が想像された。全部持って行こうとして、旦那さんと息子に、あの世には持っていけないよと言われたりしなかったであろうかと、想いをはせた。
その話を聞いた後のこの映画である。
なので、息子がお母さんを迎えに来たんだなと、即思えた。お母さんが亡くなる前にマチコが決心できるように誘い、母子共に心の整理もして、何も心配することを残さず行けるような作業を共に行なった。母と暮らした大事な時間だ。
2人芝居の舞台を見ているように進む、淡々と積み重ねる時間は、別れの言葉も言いにこれず、自らの死で母に大きな悲しみを与えてしまった息子の、親孝行の時間であったと思えた。亡くなる前に、息子と想い出を語り合い、ひとときの喜びを感じ、小さなずるさを清算し、立派な母が、悲しさに心の奥も吐露した。マチコへの愛情と複雑な想い。マチコの罪悪感と、そうして確かにある愛情。その時間の切なさ。それを退屈だと感じる人には、死はまだまだ遠いのだろう。
なぜあなたが生きてて自分の子供が死んだのか。と言われた人を実際に知っている。なぜうちの子だけが。と考えてしまうほどに子供を失うということは悲しい。世の中で、それ以上に悲しいことはないのではないかと思えるほどに悲しい。そう言った実際の悲しみを知っているかどうかで、この映画への感じ方は変わり、評価も変わるのかも知れない。
この映画には戦争という大きな悲しみを産み出したものと同時に、「悲しみを抱いた普通の人」の人生。〇〇人と、数字で語られる被害者一人一人の生きた時間に対する想いがあり、祈りがある。ずっと心に残るであろう良い映画であった。
また、現実時間軸では息子が出てくる時の唐突さ。家の暗闇にスッと消えて行く様は実にリアル。お化けってこういうふうに出るよね〜と面白く見た。
比してあの世の家ではライトアップされる舞台的非現実感で差別化されているのも(そっちの演出はあまり好みでは無いが)面白い。
映像として戦争を描いていないけれども、戦争について伝えている。
家族、恋人、残された人々の気持ちが伝わってきました。
過去にあった事などを会話であんな事あったよねーと説明されても、レストランで隣の席の人の話が聞こえちゃったくらいの興味しか湧かない。
ただのマザコン君のお話にしか感じられなかった。
2020年10月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
自然と感動の涙が溢れ出ました
降り積もるようにいろいろな想いが積み重なって、いつの間にか胸が一杯になっていました
元々舞台の為の原作なのだから舞台劇ぽいのは当たり前のこと
それをここまで映画にしたのはやはり山田洋次監督の力でしょう
山田洋次監督作品だから、人情もの、笑い声のあがるユーモアを期待する向きもあるのでしょうがそのような作品では有りません
劇中、劇伴の音楽が要所ごとに鳴っているのですが、それと気付かない程に自然なものです
それ故に浩二のかけるレコードなど、劇中で実際に流れているものだけがクッキリと浮かび上がって記憶に刻まれます
劇的に盛り上げることなく、淡々と静かな日常生活を描いていきます
私達はその日常生活の中で一緒に暮らしている印象を受けるほど
それだから冒頭の坂本龍一の格調高いタイトル曲と、それが展開されたラストシーンの葬送曲とエンドロールに流れる賛美歌のようなコーラスが圧倒的な感動を呼び起こすのだと思います
吉永小百合は、少女時代の彼女自身の性質と彼女の役が一致していた頃のように、役と自身が久々に高いところで入り混じり折り重なった演技を見せています
彼女の作品で初めてその演技を素晴らしいと思えました
長崎ぶらぶら節に続いての長崎弁がとても彼女に似合います
もう70歳
なのにそれでも美しさが失われてはいません
十分、二人目がもう医大を卒業しようかという歳になった子を持つ、50代半ばぐらいの母親に見えます
彼女の役は、家族を全て失い、健康状態も悪く、栄養も取れずに孤独に生きている女性なのですから、実際なら彼女以上に老けていてもおかしくないのです
だからちょうど良いぐらいです
二宮和也も、黒木華も素晴らしい演技だったと思います
良い映画を観れた幸せを感じました