落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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【落下する映画】
夫が落下した真相、事が“解剖”されていくことで表出する妻の真相に、妻自身も落下していく。陪審員の目線で裁判の行方に見入る没入感で、見ているこちらも映画の深みに落ちていく。
◆概要
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門パルムドール受賞(女性監督では史上3作目)作品。第96回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門ノミネート。
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ
アルチュール・アラリ(トリエ監督の私生活のパートナーで、戦後約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話「ONODA 一万夜を越えて」を監督した人物でもある)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ(本作が長編4作目)
【出演】
「ありがとう、トニー・エルドマン」ザンドラ・ヒュラー
【公開】2024年2月23日
【上映時間】152分
【製作費】€6,200,000(約10億円)
【英題】「Anatomy of a Fall」
◆ストーリー
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆落下
ボールが階段を落下していき、スヌープがそれを咥えて去っていく冒頭。まさに本作での“落下”を象徴づけるものであり、またスヌープがキーである事もここに記される。サミュエルはまさに落下して死亡。サンドラも、夫婦の不仲はもちろん、バイセクシャルや不倫まで公の面前で暴かれる。夜の車内で泣きじゃくる(苦笑いから大泣きするザンドラ・ヒュラーの演技力!)彼女もまた、学生から取材を受けるほど人気のあった冒頭からは地に堕ちるほどに転落していた。本作で印象的なズームインが2つ。一つは、散歩中のサンドラとダニエルが見た、検察による落下検証。一つは、サミュエルとの口論が法廷で暴かれたサンドラをダニエル越しに捉えた映像。どちらも“落下”で共通するシーンのズームインに、撮影手法からこだわる本作の本気度が伝わってくる。
◆解剖
監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じく、視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていく」と語っている。ダニエルが初めて証言台に立つシーンでは、家のテープの感触を間違えた事を、検察側は悪意を探るように尋問し、弁護側はサンドラの不利にならぬよう解釈する。このシーンのダニエルが象徴的で、見ているこちらも右に左に首を振りながら、検察と弁護の解釈を行き来する感覚に。監督の言葉の通り、見ているこちらもいつの間にかダニエルや陪審員と同じ目線に立っているのが面白い。精神科医の証言も夫婦の口論の録音データすら、検察の陳述でサンドラに非があるように思えて、弁護の陳述でその逆に思えてくる。ダニエルがついにたどり着いた“状況証拠”にも、“過度に主観的だ”と検察は一蹴。“解剖”がなされていく法廷の場は、“証言”が“証拠”になり得ない。そんな特有のもどかしさ、審理の難しさに終始見入る感覚だった。
◆ラスト
無罪を勝ち取るも、“ただ終わっただけ”と虚無感にさいなまれるサンドラ。テレビ番組で“妻が殺していた方が面白い”と言ったように、世間は好奇の目でおそらくその後も彼女を囲む(真実を突くダニエルの証言時にこそ傍観者が皆無、つまり世間の目が向かないというシーンが虚しい)。最後にダニエルがこぼした言葉は“ママが帰ってくるのが怖かった”。父の自害を証言しても、無実の判決が下っても、あの一連の裁判でダニエルもやはり母への疑念を心の奥底に宿した、そんな映画表現だった。ただしサンドラ自身にも心から信頼できるパートナーができたわけで、ダニエルとの長いハグも真の親子のそれに思える。最後にサンドラに寄り添ってきたのはスヌープ(薬で瞬きが止まったあの演技がすごい!)。冒頭で落下したボールを咥えて階段を登る、つまりスヌープはそのボールの落下を止めて元に戻したわけで、本作を通じてもサンドラを救ったキーマン(キードッグ?笑)そのものでもあった。あえて最後まで事の真相こそ明かされていない本作だが、無垢な存在であるスヌープがサンドラに最後に寄り添ったという表現は、本作が彼女に下したあたたかい真の判決、そう解釈してもいいように思えた。
◆関連作品
〇「愛欲のセラピー」('19)
トリエ監督作品で、ザンドラ・ヒュラーも出演。プライムビデオレンタル可。
◆評価(2024年2月23日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.4
映画.com:★×3.6
微妙
法廷物としても家族物としても人間の負の側面についても微妙で物足りなかった
法廷物として、真実が明らかにならないまま終わるのはいいのだが、それで何がどうなったかというと主人公の性根がかなり終わっているという事実と、そんな母親がダニエルとこれからも生活していくという未来だ
見ていてなんの喜びもカタルシスもない
ついでに言うと主人公がこれまでの行いを反省するような描写も無かったので、きっと母親はこれからも精神的安定を言い訳にどっかの男や女と盛り、ダニエルの勉強も見ずに生きていくのだろう(主人公はダニエルの面倒を見ることを自身の時間が削られる行為としか認識していなかった)
この映画で盛り上がったのは法廷で明かされる夫婦喧嘩のシーンで、主人公の性格が前述の通りまあまあ終わっていることが分かるシーンなのだが、それを見てダニエルがどう感じたのか、何を考えて最後の証言に至ったのかが描写が不足しておりイマイチ感情移入できなかった
そこがあやふやなのがいいんだろと言われればそうなのかもしれないが、旦那の死の真相も明かされないまま何から何まで真実は藪の中とされると流石に文句の一つも言いたくなる
こんなことならダニエルを主人公に据えて母親のイメージと実態に苦悩する姿をもっと見せてほしかった
法廷物としてなら「それでも僕はやってない」とか「十二人の怒れる男」の方がよっぽど面白い
何が描きたいのか全く分からなかった映画だったが、他の人がレビューで書いていた「旦那から妻への復讐物」として考えれば色々筋が通るのでこれからはそう考えようと思った
死人に…無し。
冒頭から大音量の音楽が不快な感じ
を受けた
何か嫌~な思いがたちこめる
ここは意味があるのか
わからないけど。
…夫が突然の転落死
事故か自殺かあるいは妻による殺人か
そこから主人公の行動が重要な
ポイントとなる
彼女が質問に答えているところは
なぜかウトウト。
あまり引き込まれない
裁判が始まってからやっと
裁判の行方は彼女が殺したみたいな
展開だったが…
…わたしは殺していない。
と言い切る
ほぼ彼女の心情と言い分を
聞いているだけで
彼の言い分としては残された録画のみ
(ここで彼の不満が爆発している)
そして息子が記憶の中の
父の言葉を思い出す
見えかたが変わる
彼女が殺したのか殺してないのか
自分には分からないけど
息子の証言で判決が決まった
息子としては大好きな父親を亡くし
ショックで辛かっだろうし
その上、母親を失うのはもっと
辛いものがある
彼女も
夫を追い込んでしまったことは
裁判に勝っても気持ちは晴れない
裁判では決着がついたけど
犯人捜しではなかった
もう少しおもしろい展開を
期待していた
人の本性なんて簡単には分からない
不審な墜落死を巡るミステリーだが、誰が犯人かを推理する話ではなく、殺人の嫌疑をかけられた妻が、本当に夫を殺したのかどうかが物語の焦点となる。
「やったことを証明するよりも、やっていないことを証明する方が難しい」と言われるが、裁判における妻側の弁護は、当然、難航することになる。
決定的な証拠がないため、検察側も憶測でしか妻を追求できない中で、夫が死亡する前日に、彼が録音していた夫婦喧嘩の音声により、妻と夫の真の関係性が明らかになる過程は圧巻である。
夫婦喧嘩のやり取りだけを聞けば、自分が小説を書けないことを妻のせいにする夫の言い分よりも、それが言いがかりであることを論破する妻の主張の方が筋が通っているのだが、妻が夫に暴力を振るったことや腕のあざの原因を法廷で偽証したこと、あるいは、彼女が過去に女性と浮気をしていたことなどが明るみに出て、それまで間延びしていた感のあった法廷劇が、俄然、面白くなる。
そうした、妻にとって不利な状況を覆すのは、新たに追加された息子の証言なのだが、彼には、勘違いだったと証言を修正した過去があるし、「真実が分からないなら、自分で真実を選ぶしかない」みたいなアドバイスも受けていたので、彼が本当のことを言っているのかどうかは、最後まで分からない。
そもそも、彼の視覚に障害があるという設定が、ミステリーとしての面白さにほとんど活かされていないのは、物足りないとしか言いようがない。
ラストで、実は息子は真実を知っており、裁判での判決とは異なる結末が示されるのかもしれないと期待したのだが、結局、そうした「ドンデン返し」はなく、その分、深い余韻を味わうことになる。
どこか釈然としないモヤモヤは残るものの、変にウケを狙わないところには、作り手の誠実さが感じられて、決して落胆させられるエンディングではなかった。
終わってみれば、小説家として成功した妻を妬んだ夫の惨めさと、そんな夫の原案を基に小説を書いて成功してしまった妻の神経の図太さばかりが印象に残るのだが、そうした妻の本性が白日の下にさらされたのだから、ある意味、夫の復讐は達成されたのかもしれない。
裁判に勝っても素直に喜べない妻の姿を見ると、そう思えるのである。
証拠が無い場合、どう裁くのか。主役より子供と犬の名演が印象的。
証言や、録音など、次々に提示される中、なかなか真相がわからない展開に、150分の長さを感じませんでした。
最近、「結末は観客に委ねる的な」真相の直前でブラックアウトしてエンドロールという映画が多い気がしていて、本作もそうなるのではという予感がしていました。
個人的には、それでは、意見を提示せず観客のせいにする作品、脚本、監督が無責任だと思っています。
結局、本作では、裁判の結果は描かれますが、「真実」は描かれません。
劇中でも証言や録音の映像化はあっても、回想シーンはありません。
仮にラストで回想シーンで、本当は・・・と明かされても興ざめするだけなので、この結末には納得します。
真相は、本人しか知らないわけで、観客は劇中の被告人以外の人々と同様に、それまでに提示された情報、息子の証言を元に想像するしかない。
本編のセリフにもあった、有罪か無罪か判断が難しい場合でも、明確な証拠がない場合は、それまでの状況から、判断するしかない、というのと同じ状態に、観客も置かれることになって終わるのが素晴らしい。
主人公の妻の熱演よりも、目の見えない息子の名演に注目。
さらに、飼い犬のスヌープの名演技に見入ってしまった。
プレゼン・コンペティション「落下の解剖学」
予告編を観た限りでは、サスペンスミステリーの様相だった「落下の解剖学」だが、もし一言で表現しなければならないとしたら、タイトルに書いた通り「プレゼン・コンペティション」になると思う。
数々の映画賞で脚本賞も受賞しているこの作品の最大のオリジナリティは、「立証不可能な変死事件」をどう解釈するか?という話しかしていないことだ。
頭脳明晰な名探偵も出てこなければ、観客にそのポジションを与えることも許さない。人物の表情を捉え続け、背景は申し訳程度にしか映されない。この作品に謎解きは不要で、我々が可能な事といえば「誰の話に最も心動かされたのか」を選択することだけなのである。
思えば人生はたった一つの真実で出来上がっているものではない。ある点では自分は恵まれていると感じ、ある点では不幸だと感じる。
性格だって、長所と短所は紙一重で、結局はどう感じるか・どう思ったかの違いでしかなく、全ては結局受け手の「好き嫌い」をフィルターに審査された「その場限りの真実」なのだ。
話を映画に戻すと、作家サンドラの夫・サミュエルの死を巡り、様々な人物が様々な角度から持論を展開する。他殺を疑うもの、自殺を疑うもの、事故だと考えるもの、全員の主張が入り乱れ、家族の過去や秘密が暴露されていくが、全ては事件と「関係があるかもしれない」出来事の列挙でしかない。
しかも実は序盤から裁判までにかけて、全ての可能性がやんわりと否定されているのだ。
事故だとするなら、夫サミュエルは内部に断熱材を貼る作業中、何故か内開きの窓を開けて外に身を乗り出した事になる。
サンドラがサミュエルを殺した場合、凶器で彼を殴りつけた後、体格の良い夫を突き落とす必要があるが、彼女は高い所が苦手で屋根裏では常に梁を掴んでいるくらいなので、例えバルコニーが現場だったとしても実行は恐らく無理だろう。薬物によるオーバードーズなど、彼女が実行可能な殺し方は別に存在する。
自殺については衝動的な飛び降りの可能性は否定できないが、3階程度の高さから雪の積もった地面への飛び降りで死ねるかどうかは疑問だ。首を吊るなり、手首を切るなり、屋外で睡眠薬を服用して凍死するなり、もっと確実と思える方法があの山小屋には存在する。
つまり、この事件は最初から「有り得ない事件」なのだ。
だからこそ、証人たちは僅かな記憶や感覚や事象を頼りに、自分の知る限りの「印象」で事件にストーリーを与え、自分や周囲を納得させようとしているのだ。
むしろ一番「事実」にこだわっているのは、最も不利な立場に追い込まれたサンドラであると言えよう。
もう一つ、この脚本で興味深いのはあらゆる現代社会の要素が盛り込まれていることだ。性的指向、障害、共働き家庭の分担率、国際結婚。どれをとっても正解などなく、当事者にとって暮らしやすいスタイルは常に自分で模索していくしかないものだ。
傍聴席にはアジア系やアフリカ系がさり気なく配置され、彼らの目に映るこの事件は彼らのアイデンティティを通して考えた時、どの説にどんな説得力を与えるのだろうか。
裁判の最後に再び証言したのは、サンドラの息子・ダニエルである。今まで自分が知らなかった両親の姿や、壮絶な夫婦喧嘩、テレビやインターネットが事件を娯楽化していく様は、彼を著しく傷つけるとともに大きな選択を迫ってもいた。
大人たちが喧々諤々の議論を展開する事件で、少年が「事実」を見つけるのは不可能である。どれも不確かでどれも尤もらしいと思える世界に放り出された時、決めることが出来るのは「自分の心」だけだ。だから彼は選んだ。自分が最も確実だと思うストーリーを。
そして、彼が語った見解が最も参審員や観客である我々の心を動かしたのである。
我々は正解を探しがちだ。正解や真実が最も客観的で最も公平だと思うからだ。しかし実際の世界はそんなに甘くない。正解の無い問い・正解が複数の問いは無数に存在し、そのたびに曖昧な中にも折り合いをつけ続けなければ人生を前に運べない。
エンディング、サンドラは夫の書斎のベッドに横たわる。「今夜は親子2人で」、とダニエルを見ていたベルジェに気遣われるが、ダニエルと会話した後彼女が選んだのは、愛する夫の残り香と共に眠ることだったのだ。
真相はわからない。わかるのは彼がもうこの世にいないことと、彼とサンドラの間にはかつて幸せや愛や絆が確かに存在していたことだけ。
そんな彼女に夫と重なる存在であるスヌープが寄り添ってくる。いつかスヌープも夫サミュエルと同じように、サンドラとダニエルの前からいなくなってしまうのだろう。けれど、彼らが家族であった事はいつまでも変わらない「真実」だ。
【ベストセラー作家の女性が夫の殺害疑惑により、法廷に立った時に次々に明らかになる真実。今作は被告の人間性を暴く法廷劇であり、相手の立場や心を理解する大切さ、寛容さを鑑賞側に問いかけて来る作品である。】
■ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が自宅で女子大生からインタビューを受けている。すると上の階で民宿にするために自宅を改造していた夫、ヴィンセントは大音量で音楽を掛け始め、インタビューは中止になる。
その後、散歩に出ていた事故により目が不自由になったダニエルが父の遺体を発見する。
自殺か、他殺か、様々な捜査が行われ、サンドラは被告人として法廷に立つ。
◆感想
・被告人席に座ったサンドラは涙を流すことなく、毅然とした態度を取っている。そして次々に判明する事実。
1.ダニエルはヴィンセントが付き添うはずだった時に、世話役に夫は仕事を委ね車に撥ねられて、視力を失った事。サンドラはそれを恨んでいた事。(最初は数日・・、と言っているが、そんなことはないだろう。)
2.ヴィンセントはロンドンでサンドラと出会ってから作家を目指していたが、芽が出なかった事。そして、サンドラがそれを詰り、経済的にも追い詰められた二人が、彼の故郷の山奥の仏蘭西の家に越してきた事。
更に、サンドラのヴィンセントの小説のアイディアを自分の本のネタにしたのでは、と言う疑惑。
ー ドイツ生まれのサンドラとフランス生まれのヴィンセントとの言語の溝が、彼ら夫婦の溝に繋がっている事も良く分かる。-
3.ヴィンセントの死の前日の二人の間に、激しい喧嘩があった事。(彼がUSBに記録していた。)
ー サンドラはヴィンセントが作家として芽が出ないのは、努力が不足している事を激しく詰る。サンドラがヴィンセントに対し、如何に不寛容で冷酷だったかが分かるシーンである。ー
4.サンドラがバイセクシュアルであり、過去に浮気をしていた事。(回数はサンドラに寄れば一回。)
- これだけ、新事実が出てくれば有罪が有力視されるが、検察も決定的な証拠が出せない。-
・膠着状態の中、裁判は長引く。
そんな中、ダニエルは裁判官から出廷しない回(夫婦の喧嘩が、暴露される回。)を申し渡されるが、ダニエルはその回にも敢えて出廷し、両親の間に何があったかを聞こうとする姿が、健気である。
■サンドラは、ダニエルの最終心理の前、裁判官から息子と家の中で出来るだけ会わないように言われて、初めて車の中で大粒の涙を流すのである。
サンドラは確かに様々な事実を隠して来たが、それは息子を思っての事が多かったからであろう。
<最終心理の日、ダニエルは2度目の証言台に立つ。
そして、ダニエルの視力喪失を自分のミスと思い、妻からも常に詰られ、悩んでいた父から車の中で言われた言葉を喋るのである。
”人間は、いつか死ぬんだ。”と運転しながら、淡々としゃべる父の横顔。
ダニエルの言葉を聞き、静かになる法廷の人々。
そして、無罪を言い渡されたサンドラ。
【だが、本当に彼女は無罪なのか?夫を死に至るまで追い詰めたのは、誰であったか!!】
今作は、夫婦間の溝を描きながら、観る側に相手の立場や心を理解する大切さや、寛容さを問いかけて来る作品である。
主演したザンドラ・ヒュラーの名演も忘れ難い、見応え深き作品でなのである。>
恐ろしい映画だった
この手の作品でよく見られる“真実はこうです ”が一切描かれていない。
被告からの視線すら描かれていない。
それは
劇中に語られたように、“真実なんかどうでも良い”のかもしれない。
静かな映画
軒並みそれぞれ登場人物の人生観を深掘りして、高評価がやたら多いようですが、淡々と静かに進行するこの手の映画(フランス映画は、たしかにみんなこんな感じ)は、オイラはちょいと苦手。確かに後半のたたみかける展開の裁判劇は迫力あるはあるが、なんかブツギレ気味の演出になかなかついていけない。ラストも真相は分からず見る側に委ねるわけだが、サスペンスのどんでん返し好きのオイラには期待
外れになるのは致し方ないところ
邦題も秀逸
落下の解剖学ーは起きた事から浮かび上がる人間関係や内面、そして踏み外したら落ちて上がれない人生も表している秀逸な邦題と思います。
ミステリー仕立てではあるものの、裁判で結局有罪か無罪かを判明させるものではありません。
セリフに「真実は重要じゃない」「はっきりさせるなら心がどっちを選ぶか」とありましたが、そこに集約されています。
客観的事実はあれど真実は各個々人ごとに存在する。自身がどの説を信じたいか、なのだと、生きるとはつまり、そういう事なのだと言ってるように思えます。
明かされない謎はいくつかあり、果たしてテープというのは単に間違えたのか夫が妻の細工なのか。当日の口論の内容とはなんなのか。などありますが、夫のベッドで寝る事から私は愛はあるのだと思うことにしました。
録音の口論は、例えれば不登校の息子がいる、仕事を辞めて専業主婦になった妻と夫の会話の如きです。そこまではよくあることと思います。しかしメンタルなのか薬のせいなのか夫はおそらく不能であり、にもかかわらず妻は婚外恋愛を繰り返す。そして明らかな才能の差。かろうじて妻を支えるために家庭に入ってやってるのに!という己への言い訳もこともなく論破されてしまいます。才能のある者からしたら「じゃあ書けば?」でかけない気持ちはわからない。そして小説ともなれば小説=アイデンティティにも近いものがあるでしょう。アイデンティティに対して理解不能だし伴侶としても無能と言われたに等しい。傷つきやすい夫は死んじゃうかもなあと思いました。とはいえそれも観たわたしの憶測にすぎません。
真実は分からない
冒頭、何の情報もない中、妻が若い女性からインタビューを受けている。夫が大音量で音楽を流していて、聴いているだろう本人もけして心地良いとは思えない。
視覚障害のある子供が1人で飼い犬を洗う。すぐに散歩に出る。
違和感が多い。
妻は女性の質問には答えず何か落ち着きがない。
落ち着かない大音量の音楽
犬を洗ったばかりで外に散歩に連れ出す子供
突然の夫の死により、妻が疑われ、検事と弁護士、第三者の目線から、この事件の真相が語られていく
最後にダニエルのベビーシッターが、「最後は自分で決めるのよ」と言い、ダニエルが信じた信実に事件も終止符を打つのだが、観客には結局どっちなんだと疑問が残る
どんなに状況証拠を並べてみても、結局本当の事は分からない。夫婦の関係も同じ
ダニエルがそうした様に、私も、自分が感じ、選択した信実を信じるしかないのだと感じさせられました。
それにしても、サンドラとダニエルの演技は、ドキュメンタリーを観ているように自然で魅力的でした。
判決の解剖学だった
おおっと!真実の再現はナシか~
そう来たか。
これによって、印象的な台詞、、
「勝訴したら何か見返りがあると思っていた。でも、何もなく、ただ終わったというだけ」
ということを事実確認として、実に!見事に表現していたと感じた。
法廷サスペンスの枠に当てはめきれない。
心の傷や、痛み、感情の動きが生々しく刺さってくる。
法廷モノで面白い作品は多々あるが、、、何かが違う。
いや、凄いぞこの作品。
脚本から、配役も演技もすべて素晴らしいのもあるだろう。
白々しさが無く、人の動き、表情が気になって仕方ない。
のめり込んでしまう。
気がつけば、美しいアルプスの風景もほとんど目に入ってこないほど。
私的アカデミー賞、受賞作品だ。うん、もう正式に受賞でいいよ。
見るあいだ、劇場の観客席はまさしく裁判所の傍聴席だ。
人によっては陪審員にもなるだろうか。
もしかしたらワイドショーの視聴者かもしれない。
いずれにしても殺人なのか、自殺なのか?謎・謎・謎。
わからない。どちらにも思えてくる。
判決とは「そうおもったら、決めること」。
お姉さん、、そうか。でも難しいよな…。これが解剖学の答えなのか。
そんなふうに、観客を物語に入れ込む空気の仕立てが凄かった!
本当の真実はどっち?
見終わった後の疑念が今なお、追いかけてくる私は、
ワイドショーの視聴者だったのかも…
最後まで推理できる映画
事前情報がほぼない状態で見た私
ストーリーの中で、少年が目が不自由であるとか
母が小説家
など背景を少しずつ知る
亡くなった父のことも
ストーリーの中で色んな視点で知っていく
話題性として小説家の旦那さんが亡くなり、
世間は小説家である母を疑う
弁護士が冒頭に言う
真実ではなく、
人にどう見られているか
裁判って改めてそうなのかもしれないと思った
亡くなった父は1人しか存在しないが、
妻から見た旦那
息子から見た父
世間から見た被害者
立場や情報によりその見え方は大きく変わる
裁判としての結末を最後は知って終わるのだが
私は個人的に事実の結末は誰も分からないって感じがした
映画の先の世界を想像したり
帰り道も楽しめた
そして、自分という人間の見え方も考えた。
観てよかった
結局、事件の核心にふれる証言や出来事がないまま終わってしまい驚きました。確かに「やってない」ことの決定的な証明は、現場に居合わせた以上不可能に近いし、途中にテレビのコメンテーターが言っていたとおり、「夫を殺した(かもしれない)小説家」の話の方が世間は食いつき、記憶に残る。無罪判決になったところで、そんなイメージがこびりついた人として、そしてそんな人を親に持つ子どもとして、2人は生きていかねばならない。晴れて無罪を勝ち取ったとは思えない、暗いエンディングが頭から離れません。なんだかわからないけれどとても満足感のある作品でした。
サスペンス……?
ドンデン返し! みたいなものもありふれた昨今だけど
ここまで何も起こらないのも笑
全然ハラハラドキドキもしなかったし
色々面白そうな設定も活かされきれてない気がした。
最後の展開までビックリすることも無く
「まあ、そうでしょうね」という、感想……
法廷シーンが長くて
見応えあるけど、流石に長すぎる
法廷ドキュメントって感じでした。
こういうの、ダメじゃない?
本筋というかドラマのすり替えだろ?
●冒頭は緻密にミステリーを展開させて良かった…が、謎を回収しないのはダメだろ。
あそこまで謎で引っ張っといて、あれはない。
目に障害がある息子の証言がキーになるようにふられて、あっと驚く展開を期待してしまうのだ。
ところがドラマの本筋はそこにはないと言わんばかり映画は終わる。そこに注視していたことがバカみたいだ。観客は意外なオチを期待していたのに。
●誰の成長譚かもわからない。母親の無罪になった理由もわからない。
最初に謎を提示されたから、登場人物の葛藤が本物か虚偽かわからないからだ。
母親の葛藤は本物か?父親の葛藤が本物か?息子の苦悩は?
最後まで心情的な葛藤が虚偽の可能性を残し、真実の心の葛藤とは思えない。
●ラストに謎が明確になってそれらが回収されると思ったが、グレーのままだ。
例えば息子が父を殺して、母がかばったとか明確にオチをつけてくれるなら、登場人物の葛藤も理解できるのだが。
めでたしめでたし風に終わっているが、母が殺人者の疑惑は消えないし、息子も父の自殺の確信を得てない。結局最後まで真実の心情は見えていない。誰一人。
引っ張るだけ引っ張って、本筋が何だったのかわからない映画だった。
思ってたんと違かった。
なかなかインパクトあるイメージ画像(横たわる夫と傍らに佇む母子)に惹かれて、事前情報を入れずに見てみました。もっと何か激しい展開があって、事件の真相を解明して『そうだったのか!』ってなるのかと思ったらさにあらず…。
とりあえず妻が手を下したのではないという審判こそ下ったものの、夫がどうしてああなったかは明言されず、非常にスッキリしない結末。結局事故か自殺の転落ということなのだろうけど…。
法廷でのシーンを中心に、『何がどうなるんだ?』という緊迫感ある展開はするのだが、一番インパクトあるのが終盤での過去回想の夫婦喧嘩シーンという。
冒頭部分で一瞬感じた嫌な予感がある意味あたってしまったと言うか、つまらないとは言わないが、劇的な展開がなく終わって、母子(及び関係者)的には良かったねというお話。無論無罪とされただけであり、それで主人公が何かを勝ち取ったかといえばそんなこともなく、ある意味では2時間半かけて何の成果も得られませんでした、なんですよね。強いて言うなら『夫の居ない、母子だけの静かな生活』が手に入ったのですかね。
序盤に結構な睡魔に襲われたということは、正直そこら辺は特に退屈に感じてたんでしょうね。とりあえず、ある意味頭抜けた演技を見せていたのは飼い犬君でしたかね。
疑ってかかると
冒頭から妙な違和感が漂い、最後までどうなるのかと目が離せませんでした。
いろいろな証言や鑑定から検察や弁護士がそれぞれの主張をする法廷劇としても面白かったですし、心理ドラマとしても考えさせられました。
夫婦の関係性については、経済的に優位な妻が家事負担する夫の意見をまともに取り合わないという、家父長制が逆転しているような状況が印象深いです。
日本では家父長制の意識がまだ根強くあると思うので、この男女逆転した構図は皮肉にも感じますが、フランスでもそういう意識なのかというところはよく分かりません。
そういう男女差を置いておいても、夫婦間でのパワーバランス、相手を理解しようとする姿勢について考えさせられます。
録音や証言も人物のある一面を示すもので全てではない、写真や動画の表情もその場での一面を切り取ったものに過ぎないという気もします。
テレビでの報道の様子も、疑ってかかる目線で見ていた自分には身につまされる部分も。
真実はともかく、家族の死に対してどう向き合うか、周囲や世間がどう想像するか、という部分を描いているとも感じます。
何度か出てきた、真実は問題ではない、といった意味合いのセリフも印象的でした。
実際、個人的には事件の真実は分かりませんでした。
個人的には、妻の犯行ではと思っていましたが…。
妻が通報する時に倒れている夫には触れていないと言っていたので、怪我の状況や生死の確認をしないのだろうか?と思い、息子の最初の証言との矛盾もあり、疑っていたものです。
息子が悩んだ末に行った最後の証言は母を救うための偽証かも、判決後の場面も罪悪感を抱いている様子なのかも、などと考えてしまいましたが。
とは言え、疑ってかかるからそう見えるだけで、妻は冷静な判断で倒れている夫をむやみに動かさずに通報した、息子は父の言葉の意味を認めたくなくて悩んでいた、手にかけてはいないものの妻は夫の死に罪悪感を抱いて息子に対しても後ろめたい、というようにも考えられます。
自分が気付かなかっただけで真実が分かる部分があったのかもしれませんが…、結局最後まで明確には分からず。
現実的な事件報道や裁判なども、証拠から推察するもので真実は分からないと言えると思いますが、そういう点も考えさせられました。
妻の演技もリアルな存在感があり良かったですし、息子と犬も好感が持てますし、どうやって撮ったのか、やはり犬にはハラハラさせられました。
妻と息子そして犬
自殺ならなぜ遺書を残さなかったのか。
妻の犯行ならなぜ凶器を探さないのか。
大きな疑問符が残る。
法廷劇にしては設定が緩いし、どんでん返しを期待すれば裏切られる。
それでも最後まで目を離せないしラストもそれなりに納得させられる。
それは理性と人間味にあふれた妻ザンドラや悲しみを乗り越え成長する息子ダニエルのみごとな人物造形に依るが、傍で家族を見守る犬の存在も大きい。
クレジットに犬の名前があった気もするのだが、たしかに重要な登場人物のひとりだった。
脚本、役者、演出どれもよい。
言うまでもないがあの夫、いくら時間があっても小説なんか書けないね。
「寸止め」映画
延々と裁判を傍聴しているような感じ。
その割には明確な死因や判決の決定的な理由も語られず(推定無罪とか疑わしきは罰せずと言うのはわかるけど)でモヤモヤが残ってしまった。
裁判も終盤になり旦那さんが録音した音声が出て来た時や判決が出た後で、やっとこれから展開が動き出すぞと思わせてからの何も無しでストレスが溜まったままで終わってしまった。
友達の弁護士との関係もいろいろと思わせたままで何も無し。
検察官は荒川良々に似ていた。
犬は2度もアスピリンを飲まされてかわいそ過ぎ。(あれは演技だそうですw)
子供の目の色少し怖かった。
鑑賞者に委ねるタイプの脚本というのは理解できるし、数々の名誉ある賞を獲った(獲りそう)というのもわかるが、楽しく見る事ができたかと考えた場合に決してそうでもなかったので、自分の好みからは大きく逸れていた作品であったという事に尽きる。
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