落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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助演犬優賞はスヌープ!
「コット、はじまりの夏」を観ようとしたらシネマカリテはビルの設備点検で本日休館!予定を変更して新宿ピカデリーで「落下の解剖学」を。
雪山の山荘で転落死した父親は、事故か、自殺か、殺人か?
犬と散歩から帰って死体の第一発見者は、視覚障害者の息子(いや犬か?)、山荘にいたのは母親のみ。目撃者はなく、当然、殺人が疑われ、母親は起訴され裁判に…。
裁判で真実が明らかになるのかと思えば、明らかになるのは意外な事実ばかり。息子が視覚障害になった原因が父親にあったり、母親はバイセクシャルで女性と不倫した事があったり、二人とも作家だが夫の諦めた原案をまとめて妻が出版していたり、二人は死の前日にもそれらの事で激しく口論していて夫がそれを録音していたり。
彼らの口論の中で、フランス人の夫とドイツ人の妻は中間言語の英語で会話し(以前はイギリスに住んでいた)、フランスの雪山に来て彼女はフランス語も話さなければならず(裁判中も途中からフランス語に不慣れで英語で話す)言語も二人に溝を作っていた。
二人とも作家で、夫は書けず、妻は書いて何冊も出版している。夫婦が同じ職業と言うのも難儀である。
しかも本作の監督ジュスティーヌ・トリエは、この夫婦が溝を作って崩壊する脚本をパートナーで監督のアルチュール・アラリと共同で執筆しているというのがなんともいえない。
結局、この映画が描いているのは事件の真実ではなく、夫婦のあり方と、母親と成長する息子(事件の後はショックで母親に抱きしめられていた息子がラストでは母親を抱きしめている)の姿と、二人に優しい犬の姿である。
映画は、落ちて来るボールを受け止めるスヌープで始まり、いつも世話をしている息子ではなく帰って来た母親に静かに寄り添い眠るスヌープで終わるのだ。
裁判の結果、得られるもの
もう少しミステリやサスペンスの要素がある作品かと思ってましたが、法廷を舞台にした人間劇でした。
「疑わしきは被告人の利益に」に忠実な判決で、外形的に見れば無罪放免のハッピーエンドとなる作品でしょうが、裁判後のダニエルの反応やサンドラの振る舞いや戸惑いから、2人のこれからが決して簡単にいかないことがわかります。
サンドラの無罪の決め手になる証言を導き出したのが、父親の息子への愛が故の言葉であるのも、この家族の関係性を表してもいます。
裁判の過程で明らかになった家族内のさまざまな事実や言葉をどう乗り越えていくのかは、この映画を見た人たち一人ひとりの心の中に描かれていくのでしょう。
落下したのは
カクカクした硬いタイトルだなーと思いながら映画館へGO。
舞台は、雪の山荘(居宅)での事件。
焦点は夫の死の真相。
裁判が進むうち、夫婦の様々な面が浮き彫りになってくる。
日々、色々な事が積み重なって、二人はうまくいかなくなっていく。
それ故、息子が目が見えないのにも経緯があるだけに、11歳の彼が証言しなくてはならない状況が悲しい。
妻サンドラの方が、意外な面が多かったなと思った。
物理的なものだけでなく 、夫婦関係も落ちて行ったのかもしれない。
キャストは皆さん初見。
サンドラはクールに見えたが、夫との諍いの場面ではそれが翻り、素晴らしい演技。
犬のスヌープも頑張っていた。
息子役の子も上手でかわいかった。いつも目の見えない役を演じる俳優さんて上手でかつ大変なんだろうなと思う。
起伏やどんでん返し的なものはなく、ミステリーを期待してしまって やや好みではなかったため星3つ。
2時間半がちょっと長く感じたかな。。
音だけ聴いていた人と、視覚情報も交えた人との認識の違いとは何か
2024.2.26 字幕 京都シネマ
2023年のフランス映画(152分、G)
夫殺しを疑われる女流作家の裁判を描く法廷劇
監督はジュスティーヌ・トリエ
脚本はジュスティーヌ・トリエ
原題は『Anatomie d'une chute』、英題は『Anatomy of a Fall』で、ともに「落下の解剖学」という意味
物語の舞台は、フランス山岳地帯のとあるコテージ
そこにはフランス人作家のサンドラ(サンドラ・ヒューラー)と夫のサミュエル(サミュエル・タイス)、そして11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド=グラネール)が住んでいた
また、多忙な二人の代わりに週2階ほど代母としてモニカ(ソフィ・フィリエール)が手伝いに来ていたが、
その日、サンドラを訪ねて学生のゾーイ(カミーユ・ラザフィールド)がやってきた
ゾーイは作家として成功しているサンドラのことを聞きたいと思っていたが、サンドラは質問をはぐらかしながら、ゾーイと「おしゃべり」をしたいと言い出す
だが、3階の屋根裏部屋から突如大音響が流れ出し、それによって、二人の会話は中断せざるを得なくなった
やむを得ずにゾーイを帰したサンドラは寝室の作業場に戻り、ダニエルは愛犬スヌープ(メッシ)とともに散歩に出かけた
物語は、散歩から帰ってきたダニエルが、玄関先で父が倒れているのを発見するところから動き出す
司法解剖の結果、頭部の外傷が事故以外を否定できず、また警察の捜査途上でのサンドラとダニエルの証言の揺らぎを感じた検察は起訴に踏み切ることになった
サンドラは旧友のヴァンサン(スワン・アルロー)に助けを求め、「夫殺し裁判」に向かうことになったのである
映画は、夫転落死の顛末を追う中で、夫婦関係が徐々に暴かれて、崩壊していく様子を描いていく
検察側の状況から導き出された創作と、サンドラが見てきたものが対立する構造になっていて、殺人を断定する凶器も見つかっていないのに、検察はやけに強気で「有罪に思えそうな材料」を突きつけてくる
この裁判をダニエルが傍聴し、時には証言台に立つのだが、映画のメインは後半における「追加の証言」ということになっていた
映画が導き出すのは、落下事件によって解剖されていくものであり、「夫婦関係」「司法」「事件を取り巻く社会」などの「解剖」が同時に行われていくように見えてくる
その中で、「事実と思われるもの」を導き出すことになるのだが、それが真実かどうかはわからない
ヴァンサンがサンドラに忠告するのは「真実よりも人がどう思うか」であり、検察側は陪審員の心証を誘導することに傾倒しているように見える
また、ラストの追加証言では司法からの要請でダニエルの付き人になったベルジェ(ジェニー・ベス)が「どちらかに決めなければならない」という趣旨のことをダニエルに告げる
その言葉が決定機となって、「ダニエルが理解できる物語」というものが紡がれていくという構図になっていた
いずれにせよ、火曜サスペンス的なオチを期待していたら肩透かしを喰らう内容になっていて、有能な探偵も出て来はしない
検察も有罪ありきで動き、家庭内秩序を暴露していくのだが、それらを全て「耳で聴いていたダニエル」が、総合的に「理解できる物語を紡いだ」と言えるだろう
この瞬間の検事(アントワーヌ・レナルツ)の表情が全てを語っていて、ダニエルの理解を超える物語を紡げなかったことが敗因となっている
ダニエルが話し声を聞いたエピソードは、おそらくは前日に録音された時のケンカだと思われ、記憶の混在が起こったというよりは、ダニエルの意図がそこに介在していたようにも思える
ダニエルは積極的に何が起こったかを理解しようとしていて、その着地点が見えない仲で、家族を守るためのエピソードを紡いだという感じになっていて、その反証ができない検察が敗北した、という流れを汲んでいる
オチとして弱いと思えるが、サンドラとダニエルがともに「再会を怖がった」ということを話していたので、裁判では登場しない二人だけが知る物語があるのだと思う
それを守るためにダニエルが言葉を選んだように見えるのだが、映画の主題でもある「真実よりも印象」というものを如実に表した結末になっていたのではないだろうか
ミステリーではない
法廷ミステリーかと思ったら全然違った。
法廷パートは淡々と進み、メインは関わる人達のドラマかな。
ミステリーと思って見ていたので、若干の肩透かしを食らったけど、展開と演技に引き込まれました。
これは視点や考え方で色んな捉え方が出来る。
結末がどうとかではなく、それぞれのキャラクターがどうかんがえているのか、何を思っているのかを、考えながら観るのが楽しい。
この映画から何を得るのかは人それぞれ。
群像劇として楽しむのもよし、今の時代と照らし合わせて見るのもよし。
想像とは違ったけど楽しめました。
まぁ会話の間が独特なのでちょっと長さは感じるんだけどw
法廷モノと思ったら
夫の死にかけられた殺人疑惑を争う法廷モノ。と思って観たら、子供や周囲を巻き込んでの、法廷を通して、家庭崩壊を時間をかけて、じわじわと解き明かしていく、ドロっとした心理サスペンスだった。みんな色々な事情があるんだよね、きっと。潔白を訴えてるのにグレーな印象を与えた主人公の人の名演と脚本が良かったなあ。子役の子も良かったよね。
そして主人公が犯人か事故かもわからない、モヤっとした展開がなんとも言えない余韻です。(主人公が犯人かも?という想像の余白がある)
スカッとした逆転劇などないので、え?終わり?な人もたぶんいる。
裁判が淡々と
日本のメジャーどころの配給作品なら二転三転しそうな題材で、ある意味で淡々と裁判が進む。
でも退屈ではなく、息子さんが健気で、犬も助演賞ばりに良い芝居、表情をしてるように見えた。
真相はわからないけど、あの小説家先生は好きにはなれない。からか、ひっくり返りを期待してしまった。
巧みな演出とキャスティング
ミステリーではないので、盛り上がりやドンデンを期待すると残念に終わるかも。
夫婦の内面を殆ど描いていないのと、サンドラが悪そうに見えない。よくこんな女優さん探して来ましたね。そしてあの坊主検事のあの憎たらしさでサンドラに肩入れしたくなるように誘導された。で、弁護士とのいい感じの仲の違和感や、どんどん後出しでサンドラ不利になる上で、「おや?」という感情が湧き上がる。で、序盤は証言がぐらぐらのダニエルが不憫で感情移入するようにできていて巧みでした。最初はサンドラがダニエルをハグしてましたが、ラストは逆にハグされてましたね。成長したということか。
最後は勝訴しても何も得るものが無く、むしろ失った物の方が多い裁判の虚しさがすごくリアルだった。裁判後のシークエンスにヒントがあるのかも。もう一回見て自分なりの考えを固めたくなった。
それでも彼女の心の奥底に積もる雪解けは程遠いだろうと感じた!
雨、そして雨。レイン&レイン。
ほんのちょっぴり御日様射してきて~ウレピ-(*´ω`*)
でも洗濯物がぁ 乾かへんやないかぃ・・・
あ、そうだ! そんな気分が凹む時は 映画を観よう!
という言い訳の流れで、
今日は「落下の解剖学」観に行きますた。
このタイトル、きっと難しそう そう思った貴方、 正解です。
まんまと パルム・ドール受賞、アカデミー賞ノミネ-トの文字に踊らされましたね。大丈夫、私もその一人。
原題からすると 翻訳は”転倒の解剖学”、転倒なんですね。
でもワザワザ ”落下”に変えてます。その時点で少しネタバレなんですね~キット。
正直な気持ち 想定してた内容とは異なってましたわ。(。´・ω・)?
もっと深い雪山の山荘サスペンスなんかと思ってたが・・・違った。
人の見えない深層心理に迫る ダレトクでもない裁判の話でしたゎ。
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とある人里離れた雪積もるフランス山荘に住む夫婦と息子、3人家族に起こる心の葛藤と引き起こされる悲劇。
ある日、夫(サミュエル)が家の屋根裏窓から落ちて死亡。果たして事故か?自殺か?他殺か?
それを巡って、妻(サンドラ)に疑いをかける検察側と、無実無根を訴える妻側。それの裁判の行方をゆっくりと話展開してゆきます。
一番心揺れ動くのは 夫婦の息子(ダニエル)、事故で視覚障害になった事で学校にも行きづらく、家でも両親の些細な喧嘩(言い合い)に堪えている。彼の唯一の味方盲導犬役(スヌープ)だけであった。
果たして、彼女(母)は無実なのか。
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まぁ良くもこんな 無味無臭な夫婦に良く起こる 些細な出来事を
穿って話立てして展開広げたなと感じました。
凄く静かに、そして山荘に漂う空気感がそのまま 場内に流れているのを感じます。裁判所での息子の最後の証言に 息を飲みます。
それは きっちりとした感情の裏付けがあり、紛れもない証だったであろうと感じました。
映画中に出てくる、”俺にも時間が欲しいんだよ~”・・・夫の訴え。共感した方も多いのでは。この一見不平等と思える訴えが 総てを現わしていそうです。
映画館で映画を良く鑑賞されるアナタは、パートナ-や家族に”また映画かぁ~”って言われてませんかw。
ちょっとネ、映画観て自己嫌悪になったりしそうです。
昨今、子育ては夫婦でとか推進派が多い中 本当にそうなるとどうなるの?
ちょっと未来はこうなる事も有りそうな・・・。
夫も部長、妻も課長とか。晩婚で子供が出来たら同じような事が勃発しそうな展開を垣間見た次第。
最後に裁判で無罪判決を受けた彼女が、”勝ったら何かご褒美が貰えるのかと。”
この言葉の意味。 きっと心の何処かに愛される思いを描いていたんでしょう。そう成らなくて、犬の傍で寝る淋しい彼女。いたたまれない思い。
あと少し、ほんの少しだけでも夫に対して丁寧に向き合って心の会話が出来ていたら、きっともっと夫婦の絆は切れずに繋がっていたと思います。
久し振りのフランス映画、寝そうで寝ないで観て下さい!
コレわっと、思った方は劇場へ。
モヤっとしました
ここ最近不作続きでした。「DUNE」のリバイバル、「ボーはおそれている」、「君たちはどう生きるか」どれも残念な出来で、私の感覚が一般的な評価と大幅にズレてしまっているみたいです。とは言え今後も感じたままを恐れずにレビューしていこうと思います。
で今作もパルムドール等で高評価を受けた話題作という事で、今作こそ私ののぼせ上がった頭をガツンと目覚めさせてくれるのではないかと期待して鑑賞しました。結果、裁判の場面は中々に引き込まれるものがありましたが、裁判の勝ち方も明確な勝訴ポイントが示される事も無く何となく勝った感じでしたし、真相が明らかになる事も無くモヤっとしたままで終着してしまい消化不良でした。「必ずもう一捻りあるはず!」と期待しておりましたが、敢えなくエンドロールが始まってしまいました。
母親が無罪を勝ち取って帰宅した際に、息子から「ママは何故パパを殺しちゃったの?」的は発言があり、息子による謎解きが展開されて・・・みたいのを観たかったなぁ。
【落下する映画】
夫が落下した真相、事が“解剖”されていくことで表出する妻の真相に、妻自身も落下していく。陪審員の目線で裁判の行方に見入る没入感で、見ているこちらも映画の深みに落ちていく。
◆概要
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門パルムドール受賞(女性監督では史上3作目)作品。第96回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門ノミネート。
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ
アルチュール・アラリ(トリエ監督の私生活のパートナーで、戦後約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話「ONODA 一万夜を越えて」を監督した人物でもある)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ(本作が長編4作目)
【出演】
「ありがとう、トニー・エルドマン」ザンドラ・ヒュラー
【公開】2024年2月23日
【上映時間】152分
【製作費】€6,200,000(約10億円)
【英題】「Anatomy of a Fall」
◆ストーリー
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆落下
ボールが階段を落下していき、スヌープがそれを咥えて去っていく冒頭。まさに本作での“落下”を象徴づけるものであり、またスヌープがキーである事もここに記される。サミュエルはまさに落下して死亡。サンドラも、夫婦の不仲はもちろん、バイセクシャルや不倫まで公の面前で暴かれる。夜の車内で泣きじゃくる(苦笑いから大泣きするザンドラ・ヒュラーの演技力!)彼女もまた、学生から取材を受けるほど人気のあった冒頭からは地に堕ちるほどに転落していた。本作で印象的なズームインが2つ。一つは、散歩中のサンドラとダニエルが見た、検察による落下検証。一つは、サミュエルとの口論が法廷で暴かれたサンドラをダニエル越しに捉えた映像。どちらも“落下”で共通するシーンのズームインに、撮影手法からこだわる本作の本気度が伝わってくる。
◆解剖
監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じく、視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていく」と語っている。ダニエルが初めて証言台に立つシーンでは、家のテープの感触を間違えた事を、検察側は悪意を探るように尋問し、弁護側はサンドラの不利にならぬよう解釈する。このシーンのダニエルが象徴的で、見ているこちらも右に左に首を振りながら、検察と弁護の解釈を行き来する感覚に。監督の言葉の通り、見ているこちらもいつの間にかダニエルや陪審員と同じ目線に立っているのが面白い。精神科医の証言も夫婦の口論の録音データすら、検察の陳述でサンドラに非があるように思えて、弁護の陳述でその逆に思えてくる。ダニエルがついにたどり着いた“状況証拠”にも、“過度に主観的だ”と検察は一蹴。“解剖”がなされていく法廷の場は、“証言”が“証拠”になり得ない。そんな特有のもどかしさ、審理の難しさに終始見入る感覚だった。
◆ラスト
無罪を勝ち取るも、“ただ終わっただけ”と虚無感にさいなまれるサンドラ。テレビ番組で“妻が殺していた方が面白い”と言ったように、世間は好奇の目でおそらくその後も彼女を囲む(真実を突くダニエルの証言時にこそ傍観者が皆無、つまり世間の目が向かないというシーンが虚しい)。最後にダニエルがこぼした言葉は“ママが帰ってくるのが怖かった”。父の自害を証言しても、無実の判決が下っても、あの一連の裁判でダニエルもやはり母への疑念を心の奥底に宿した、そんな映画表現だった。ただしサンドラ自身にも心から信頼できるパートナーができたわけで、ダニエルとの長いハグも真の親子のそれに思える。最後にサンドラに寄り添ってきたのはスヌープ(薬で瞬きが止まったあの演技がすごい!)。冒頭で落下したボールを咥えて階段を登る、つまりスヌープはそのボールの落下を止めて元に戻したわけで、本作を通じてもサンドラを救ったキーマン(キードッグ?笑)そのものでもあった。あえて最後まで事の真相こそ明かされていない本作だが、無垢な存在であるスヌープがサンドラに最後に寄り添ったという表現は、本作が彼女に下したあたたかい真の判決、そう解釈してもいいように思えた。
◆関連作品
〇「愛欲のセラピー」('19)
トリエ監督作品で、ザンドラ・ヒュラーも出演。プライムビデオレンタル可。
◆評価(2024年2月23日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.4
映画.com:★×3.6
微妙
法廷物としても家族物としても人間の負の側面についても微妙で物足りなかった
法廷物として、真実が明らかにならないまま終わるのはいいのだが、それで何がどうなったかというと主人公の性根がかなり終わっているという事実と、そんな母親がダニエルとこれからも生活していくという未来だ
見ていてなんの喜びもカタルシスもない
ついでに言うと主人公がこれまでの行いを反省するような描写も無かったので、きっと母親はこれからも精神的安定を言い訳にどっかの男や女と盛り、ダニエルの勉強も見ずに生きていくのだろう(主人公はダニエルの面倒を見ることを自身の時間が削られる行為としか認識していなかった)
この映画で盛り上がったのは法廷で明かされる夫婦喧嘩のシーンで、主人公の性格が前述の通りまあまあ終わっていることが分かるシーンなのだが、それを見てダニエルがどう感じたのか、何を考えて最後の証言に至ったのかが描写が不足しておりイマイチ感情移入できなかった
そこがあやふやなのがいいんだろと言われればそうなのかもしれないが、旦那の死の真相も明かされないまま何から何まで真実は藪の中とされると流石に文句の一つも言いたくなる
こんなことならダニエルを主人公に据えて母親のイメージと実態に苦悩する姿をもっと見せてほしかった
法廷物としてなら「それでも僕はやってない」とか「十二人の怒れる男」の方がよっぽど面白い
何が描きたいのか全く分からなかった映画だったが、他の人がレビューで書いていた「旦那から妻への復讐物」として考えれば色々筋が通るのでこれからはそう考えようと思った
死人に…無し。
冒頭から大音量の音楽が不快な感じ
を受けた
何か嫌~な思いがたちこめる
ここは意味があるのか
わからないけど。
…夫が突然の転落死
事故か自殺かあるいは妻による殺人か
そこから主人公の行動が重要な
ポイントとなる
彼女が質問に答えているところは
なぜかウトウト。
あまり引き込まれない
裁判が始まってからやっと
裁判の行方は彼女が殺したみたいな
展開だったが…
…わたしは殺していない。
と言い切る
ほぼ彼女の心情と言い分を
聞いているだけで
彼の言い分としては残された録画のみ
(ここで彼の不満が爆発している)
そして息子が記憶の中の
父の言葉を思い出す
見えかたが変わる
彼女が殺したのか殺してないのか
自分には分からないけど
息子の証言で判決が決まった
息子としては大好きな父親を亡くし
ショックで辛かっだろうし
その上、母親を失うのはもっと
辛いものがある
彼女も
夫を追い込んでしまったことは
裁判に勝っても気持ちは晴れない
裁判では決着がついたけど
犯人捜しではなかった
もう少しおもしろい展開を
期待していた
人の本性なんて簡単には分からない
不審な墜落死を巡るミステリーだが、誰が犯人かを推理する話ではなく、殺人の嫌疑をかけられた妻が、本当に夫を殺したのかどうかが物語の焦点となる。
「やったことを証明するよりも、やっていないことを証明する方が難しい」と言われるが、裁判における妻側の弁護は、当然、難航することになる。
決定的な証拠がないため、検察側も憶測でしか妻を追求できない中で、夫が死亡する前日に、彼が録音していた夫婦喧嘩の音声により、妻と夫の真の関係性が明らかになる過程は圧巻である。
夫婦喧嘩のやり取りだけを聞けば、自分が小説を書けないことを妻のせいにする夫の言い分よりも、それが言いがかりであることを論破する妻の主張の方が筋が通っているのだが、妻が夫に暴力を振るったことや腕のあざの原因を法廷で偽証したこと、あるいは、彼女が過去に女性と浮気をしていたことなどが明るみに出て、それまで間延びしていた感のあった法廷劇が、俄然、面白くなる。
そうした、妻にとって不利な状況を覆すのは、新たに追加された息子の証言なのだが、彼には、勘違いだったと証言を修正した過去があるし、「真実が分からないなら、自分で真実を選ぶしかない」みたいなアドバイスも受けていたので、彼が本当のことを言っているのかどうかは、最後まで分からない。
そもそも、彼の視覚に障害があるという設定が、ミステリーとしての面白さにほとんど活かされていないのは、物足りないとしか言いようがない。
ラストで、実は息子は真実を知っており、裁判での判決とは異なる結末が示されるのかもしれないと期待したのだが、結局、そうした「ドンデン返し」はなく、その分、深い余韻を味わうことになる。
どこか釈然としないモヤモヤは残るものの、変にウケを狙わないところには、作り手の誠実さが感じられて、決して落胆させられるエンディングではなかった。
終わってみれば、小説家として成功した妻を妬んだ夫の惨めさと、そんな夫の原案を基に小説を書いて成功してしまった妻の神経の図太さばかりが印象に残るのだが、そうした妻の本性が白日の下にさらされたのだから、ある意味、夫の復讐は達成されたのかもしれない。
裁判に勝っても素直に喜べない妻の姿を見ると、そう思えるのである。
証拠が無い場合、どう裁くのか。主役より子供と犬の名演が印象的。
証言や、録音など、次々に提示される中、なかなか真相がわからない展開に、150分の長さを感じませんでした。
最近、「結末は観客に委ねる的な」真相の直前でブラックアウトしてエンドロールという映画が多い気がしていて、本作もそうなるのではという予感がしていました。
個人的には、それでは、意見を提示せず観客のせいにする作品、脚本、監督が無責任だと思っています。
結局、本作では、裁判の結果は描かれますが、「真実」は描かれません。
劇中でも証言や録音の映像化はあっても、回想シーンはありません。
仮にラストで回想シーンで、本当は・・・と明かされても興ざめするだけなので、この結末には納得します。
真相は、本人しか知らないわけで、観客は劇中の被告人以外の人々と同様に、それまでに提示された情報、息子の証言を元に想像するしかない。
本編のセリフにもあった、有罪か無罪か判断が難しい場合でも、明確な証拠がない場合は、それまでの状況から、判断するしかない、というのと同じ状態に、観客も置かれることになって終わるのが素晴らしい。
主人公の妻の熱演よりも、目の見えない息子の名演に注目。
さらに、飼い犬のスヌープの名演技に見入ってしまった。
プレゼン・コンペティション「落下の解剖学」
予告編を観た限りでは、サスペンスミステリーの様相だった「落下の解剖学」だが、もし一言で表現しなければならないとしたら、タイトルに書いた通り「プレゼン・コンペティション」になると思う。
数々の映画賞で脚本賞も受賞しているこの作品の最大のオリジナリティは、「立証不可能な変死事件」をどう解釈するか?という話しかしていないことだ。
頭脳明晰な名探偵も出てこなければ、観客にそのポジションを与えることも許さない。人物の表情を捉え続け、背景は申し訳程度にしか映されない。この作品に謎解きは不要で、我々が可能な事といえば「誰の話に最も心動かされたのか」を選択することだけなのである。
思えば人生はたった一つの真実で出来上がっているものではない。ある点では自分は恵まれていると感じ、ある点では不幸だと感じる。
性格だって、長所と短所は紙一重で、結局はどう感じるか・どう思ったかの違いでしかなく、全ては結局受け手の「好き嫌い」をフィルターに審査された「その場限りの真実」なのだ。
話を映画に戻すと、作家サンドラの夫・サミュエルの死を巡り、様々な人物が様々な角度から持論を展開する。他殺を疑うもの、自殺を疑うもの、事故だと考えるもの、全員の主張が入り乱れ、家族の過去や秘密が暴露されていくが、全ては事件と「関係があるかもしれない」出来事の列挙でしかない。
しかも実は序盤から裁判までにかけて、全ての可能性がやんわりと否定されているのだ。
事故だとするなら、夫サミュエルは内部に断熱材を貼る作業中、何故か内開きの窓を開けて外に身を乗り出した事になる。
サンドラがサミュエルを殺した場合、凶器で彼を殴りつけた後、体格の良い夫を突き落とす必要があるが、彼女は高い所が苦手で屋根裏では常に梁を掴んでいるくらいなので、例えバルコニーが現場だったとしても実行は恐らく無理だろう。薬物によるオーバードーズなど、彼女が実行可能な殺し方は別に存在する。
自殺については衝動的な飛び降りの可能性は否定できないが、3階程度の高さから雪の積もった地面への飛び降りで死ねるかどうかは疑問だ。首を吊るなり、手首を切るなり、屋外で睡眠薬を服用して凍死するなり、もっと確実と思える方法があの山小屋には存在する。
つまり、この事件は最初から「有り得ない事件」なのだ。
だからこそ、証人たちは僅かな記憶や感覚や事象を頼りに、自分の知る限りの「印象」で事件にストーリーを与え、自分や周囲を納得させようとしているのだ。
むしろ一番「事実」にこだわっているのは、最も不利な立場に追い込まれたサンドラであると言えよう。
もう一つ、この脚本で興味深いのはあらゆる現代社会の要素が盛り込まれていることだ。性的指向、障害、共働き家庭の分担率、国際結婚。どれをとっても正解などなく、当事者にとって暮らしやすいスタイルは常に自分で模索していくしかないものだ。
傍聴席にはアジア系やアフリカ系がさり気なく配置され、彼らの目に映るこの事件は彼らのアイデンティティを通して考えた時、どの説にどんな説得力を与えるのだろうか。
裁判の最後に再び証言したのは、サンドラの息子・ダニエルである。今まで自分が知らなかった両親の姿や、壮絶な夫婦喧嘩、テレビやインターネットが事件を娯楽化していく様は、彼を著しく傷つけるとともに大きな選択を迫ってもいた。
大人たちが喧々諤々の議論を展開する事件で、少年が「事実」を見つけるのは不可能である。どれも不確かでどれも尤もらしいと思える世界に放り出された時、決めることが出来るのは「自分の心」だけだ。だから彼は選んだ。自分が最も確実だと思うストーリーを。
そして、彼が語った見解が最も参審員や観客である我々の心を動かしたのである。
我々は正解を探しがちだ。正解や真実が最も客観的で最も公平だと思うからだ。しかし実際の世界はそんなに甘くない。正解の無い問い・正解が複数の問いは無数に存在し、そのたびに曖昧な中にも折り合いをつけ続けなければ人生を前に運べない。
エンディング、サンドラは夫の書斎のベッドに横たわる。「今夜は親子2人で」、とダニエルを見ていたベルジェに気遣われるが、ダニエルと会話した後彼女が選んだのは、愛する夫の残り香と共に眠ることだったのだ。
真相はわからない。わかるのは彼がもうこの世にいないことと、彼とサンドラの間にはかつて幸せや愛や絆が確かに存在していたことだけ。
そんな彼女に夫と重なる存在であるスヌープが寄り添ってくる。いつかスヌープも夫サミュエルと同じように、サンドラとダニエルの前からいなくなってしまうのだろう。けれど、彼らが家族であった事はいつまでも変わらない「真実」だ。
【ベストセラー作家の女性が夫の殺害疑惑により、法廷に立った時に次々に明らかになる真実。今作は被告の人間性を暴く法廷劇であり、相手の立場や心を理解する大切さ、寛容さを鑑賞側に問いかけて来る作品である。】
■ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が自宅で女子大生からインタビューを受けている。すると上の階で民宿にするために自宅を改造していた夫、ヴィンセントは大音量で音楽を掛け始め、インタビューは中止になる。
その後、散歩に出ていた事故により目が不自由になったダニエルが父の遺体を発見する。
自殺か、他殺か、様々な捜査が行われ、サンドラは被告人として法廷に立つ。
◆感想
・被告人席に座ったサンドラは涙を流すことなく、毅然とした態度を取っている。そして次々に判明する事実。
1.ダニエルはヴィンセントが付き添うはずだった時に、世話役に夫は仕事を委ね車に撥ねられて、視力を失った事。サンドラはそれを恨んでいた事。(最初は数日・・、と言っているが、そんなことはないだろう。)
2.ヴィンセントはロンドンでサンドラと出会ってから作家を目指していたが、芽が出なかった事。そして、サンドラがそれを詰り、経済的にも追い詰められた二人が、彼の故郷の山奥の仏蘭西の家に越してきた事。
更に、サンドラのヴィンセントの小説のアイディアを自分の本のネタにしたのでは、と言う疑惑。
ー ドイツ生まれのサンドラとフランス生まれのヴィンセントとの言語の溝が、彼ら夫婦の溝に繋がっている事も良く分かる。-
3.ヴィンセントの死の前日の二人の間に、激しい喧嘩があった事。(彼がUSBに記録していた。)
ー サンドラはヴィンセントが作家として芽が出ないのは、努力が不足している事を激しく詰る。サンドラがヴィンセントに対し、如何に不寛容で冷酷だったかが分かるシーンである。ー
4.サンドラがバイセクシュアルであり、過去に浮気をしていた事。(回数はサンドラに寄れば一回。)
- これだけ、新事実が出てくれば有罪が有力視されるが、検察も決定的な証拠が出せない。-
・膠着状態の中、裁判は長引く。
そんな中、ダニエルは裁判官から出廷しない回(夫婦の喧嘩が、暴露される回。)を申し渡されるが、ダニエルはその回にも敢えて出廷し、両親の間に何があったかを聞こうとする姿が、健気である。
■サンドラは、ダニエルの最終心理の前、裁判官から息子と家の中で出来るだけ会わないように言われて、初めて車の中で大粒の涙を流すのである。
サンドラは確かに様々な事実を隠して来たが、それは息子を思っての事が多かったからであろう。
<最終心理の日、ダニエルは2度目の証言台に立つ。
そして、ダニエルの視力喪失を自分のミスと思い、妻からも常に詰られ、悩んでいた父から車の中で言われた言葉を喋るのである。
”人間は、いつか死ぬんだ。”と運転しながら、淡々としゃべる父の横顔。
ダニエルの言葉を聞き、静かになる法廷の人々。
そして、無罪を言い渡されたサンドラ。
【だが、本当に彼女は無罪なのか?夫を死に至るまで追い詰めたのは、誰であったか!!】
今作は、夫婦間の溝を描きながら、観る側に相手の立場や心を理解する大切さや、寛容さを問いかけて来る作品である。
主演したザンドラ・ヒュラーの名演も忘れ難い、見応え深き作品でなのである。>
恐ろしい映画だった
この手の作品でよく見られる“真実はこうです ”が一切描かれていない。
被告からの視線すら描かれていない。
それは
劇中に語られたように、“真実なんかどうでも良い”のかもしれない。
静かな映画
軒並みそれぞれ登場人物の人生観を深掘りして、高評価がやたら多いようですが、淡々と静かに進行するこの手の映画(フランス映画は、たしかにみんなこんな感じ)は、オイラはちょいと苦手。確かに後半のたたみかける展開の裁判劇は迫力あるはあるが、なんかブツギレ気味の演出になかなかついていけない。ラストも真相は分からず見る側に委ねるわけだが、サスペンスのどんでん返し好きのオイラには期待
外れになるのは致し方ないところ
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