落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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真相は「藪の中」、最後に勝つものは…
だらだら長い法廷劇。現実なのか、想像なのか、みわけがつかないところが多い。真相は「藪の中」という感じ。検察側証人から、妻に不利な証拠が提示されるが、妻と懇意な弁護士が巧みに躱していた。裁判官は、息子の証言に最後の決め手を求めた。愛犬「スヌープ」が瀕死の状態になり、スマートフォンの検索で救命法が発見され、解決されていた。母親との協議を回避するように裁判官は世話係に求めたが、世話係は、息子にどちらか選択するように求め、「愛」を選択したようである。視覚障がいという息子は、判決映像がみえていたのだろうか。晴れ晴れとした表情であった。
後味は悪い
でも面白かった・・・
犬すごい、演技・・・?
冒頭のインタビューから、法廷でのそれぞれの人物の喋りや、録音された夫婦喧嘩など、台詞や話し方に引き込まれる。裁判としての決着はついたけれど真相は?子どもはまだ1人では生きていけないという打算から、あの選択をしたのかなぁ、お父さんは弱いところがあったかもしれないけど、子どもにとってはいいお父さんだったのかなぁ、と考えると悲しい。夫婦喧嘩で、自分の時間を持てないと訴える夫の言い分は、男女を逆にするとすごいあるある・・・あーうちもあるなと・・・あそこまでの泥沼にはまる前に、妥協点を見つけていかないと、子どもが可哀想だなぁ。
オスカー脚本賞は納得!2人でトロフィーを掲げていたのが良かった😀
最優秀アニマル演技賞/カンヌにはパルム・ドッグ賞なんてものがあるんだにゃ~
この監督の映画ははじめて。女性監督。本日、3月11日に米国アカデミー賞での脚本賞受賞が決まった。脚本は小野田さんの映画ONODAの男性監督との共作。
共犯に仕立て上げられた❓
一言でいえば、イヤ〜な映画だった。
サンドラ·ヒューの主演女優賞の演技目当てで鑑賞。
不審死だから司法解剖するのははわかるけど、検察は物証がなく状況証拠も曖昧なのに殺人の容疑でよく起訴したものだ。これ、男女(夫婦)逆だったら、男は陪審員たちに有罪にされて、全然つまらない設定。
女は強しをサンドラ·ヒューがその存在感でぶっちぎる。
しかし冷静すぎやしないか?
売れっ子小説家でバイセクシャル。
弁護士の男ともデキてるに決まってる。
息子のサポート役の彼女とのレズビアンシーンぐらいサービスしてくれ!
男はつらいよ。
殺されるほど悪いかねぇ。
そりゃ女々しいだめな奴だけど、それが大抵の男の本質なんじゃないの?
厳しい時代になったもんだ。
ミステリー映画という触れ込みだったので、タネ明かしの映像をずっと待っていたのにまるでなし。これじゃラジオドラマでいいじゃん。
映画なんだから映像でみせてくれなきゃ。
子供の気持ちを思うととても残酷な話。
愛犬に過剰な薬物を摂取させて実証する展開も冷酷で異常すぎやしないか?
やっぱり、息子と母親と弁護士は共犯だな❗
だいたいお利口な犬が主人の吐いた吐瀉物を食べるかねぇ?
最優秀アニマル演技賞あげなきゃ。
たぶん、ドギーマン1年分もらったな。
解熱剤のアスピリンを大量に飲むなんて馬鹿げている。
瀕死の演技のお犬様の演技は外国の映画動物会社のレベルの高さを実感することに。でもオレが求めているところはそこじゃない。
前半1時間ぐらいは退屈で眠くなった。鼻毛を抜いていたら、風邪をひいてしまったよ。後半の夫婦間の確執のリアリティがすごくて眠気がぶっ飛んだ。
でも深夜に運転しながらラジオドラマで聴いたほうが怖い内容だ。
法廷でのやり取りもほとんど却下すべき不適切なゴシップ内容。
このアホ裁判長が❗
あの頭のキズはトンカチで殴りれたような感じで、警察も他殺を疑うに充分だったから起訴したんでしょ。
カミさんが物置買おうと言い出したら、3階以上の自宅に住んでる人は注意しないとね。
ぶるっ。
なぜ私たちはこの映画を見て疲労感しか感じないのか?
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たくさんの疑問を抱えたまま152分を見終えました
自分には何の関係もない長く退屈な裁判を目の前にした参審員が想像する世界?が映像化される
他人の真実はエンタメではなくうんざりするような事実にしか過ぎない
夫の願いは妻を道連れに落下することだったのか?
妻の願いは夫を落下させて自分が浮上することだったのか?
人は自分に理解できる形でしか他人の真実を解釈することはできない
子どもの目が見えないのは私たちや参審員も同じ
目に見えない真実は見ることができない
残された録音と検察と弁護人と証人が語る言葉だけが手がかりだ
朗読劇としての裁判で真実に辿り着くとはどういうことなのか?
それぞれの脳内で映像化されたストーリーを真実と信じるしかない
そこに都合よく真相を解釈するマスコミや野次馬の声が重なり真実のような何かが広がっていく
(本当の真実を知っている?)子どもは自分に都合のよい真実を選択したのか?
裁判で辿り着く真実とはどういうことなのか?
真実のような何かを本当に真実と呼べるのか?
ラストで犬と眠る母親は何者なのか?
犬には人間にない嗅覚が備わっている
次に落下する何かを暗示しているのか?
善悪の境で多義的な解釈を放り投げる映画は正直疲れます…笑
でもそれが現実を映しているからカンヌで評価されたのか?
不思議な設定の法廷劇
予告編を観た時から、フランスが舞台なのになぜ英語喋ってるんじゃ?と思った。主人公が外国人だからとは思ったが、現地のフランス人弁護士との会話もほぼ英語。裁判は大丈夫なのか?と余計な事を考えた。笑。被告人はドイツ人、被害者の夫はフランス人、ロンドンで知り合って結婚、家庭の中では不公平の無いよう英語で会話?なるほど、被告人の妻はドイツ人らしく非常に論理的で弁も立つ。作家だから当然か。対する被害者である夫は情緒的。議論してもオサレ気味。妻は作家として成功したが、夫はある理由で鬱気味であり執筆が出来ない。それでも家事や子供の教育など妻や息子に献身的に尽す。夫や息子は妻・母をモンスターと呼んでいる。モンスターというより情緒が欠落したPSYCHO-PASSに近い様な、、、。
法廷で公開される夫婦間の強烈な口論の録音が一つの山場。日常的に追い詰められた人が発作的に自傷行為に及ぶのはよくある話。
夫が夫婦喧嘩をUSBに録音していた理由は危険を察知していたからか?或いは妻に嫌疑かかかるよう諍いの証拠として記録していたとは考えられないか?そうであれば、結構怖いリベンジだが。
弁護士と妻との親密さも気になった。食事の後、二人に気遣うように他の人が席を立つのも思わせぶり。
「裁判で勝てば何か見返りがあると思ったが、何も無かった。」という妻。裁判を通してして自分の行き過ぎた言動が相手を追い詰めていた事に気付いたのか?
最後に犬が母親にすり寄って行くが、これは何を意味するのか?この犬は盲導犬の役目もあり、何時も主人である少年の側で寝ていた。まるで逃げる様に母親の側にやってきて眠るのは何故?
ほぼ法廷での対話劇のため単調過ぎるかな
直前のランチで食べ過ぎてしまったこともあり、何回か記憶が途切れてしまい……気づいたら妻が訴えられていました。
後半もほぼ場面が法廷での会話劇なので、流れが単調で数回寝落ち。長くて単調という印象。朝イチで見れば、もう少し良い印象だったかもしれません。
夫の小説の案を盗んで自作を出すわ、家事育児をやってる旦那が、自分にも時間が欲しいと言ったら、誰も頼んでないわよ、好きにすれば?とのたまうわ、じゃあ、誰が目の見えない息子を見るの?とあまりに妻がモンスター過ぎて、背筋が凍る。でも、これ男女逆転だと、割と日本ではあるよねーと友達と話しました。
息子が無理矢理、母親を救うけど、物凄いトラウマになって、高校生くらいになったら病んじゃいそう。
法廷劇は見ごたえがあるが、長くダレるところも
雪山の山荘で夫が転落死
妻による殺人か、自殺か、事故か
第1発見者(目撃者では無い)は目が不自由な息子で、真相はどこに・・・
というお話
正直、真相は最後までわかりません
証言や証拠が出るたびに夫婦の関係が明るみになっていくという緊迫の法廷劇
妻と息子役の人の演技が素晴らしく引き込まれる
が、ちょっと長いです
途中でダレちゃったかな
そこまで集中力を続けられる内容ではなかったです
パルムドール受賞は納得の作品
『落下の解剖学』のタイトルの通り、夫婦の愛や信頼関係が下向していく様を、落下による死が妻による殺人なのか自殺なのかを切り開いて明らかにしていく。この2つの落下を掛け合わせたタイトルはあっぱれ。結末が観る人によって解釈が違うだろうと思われるこの映画は、見応えがあったし、久々にあれこれ考えさせられた。
冒頭の、学生がサンドラのインタビュー中に流れる大音量の音楽。たまに音量が小さくなったり止まったかと思えばまた大音量。最初理由がわからなかったが観ている私がイラッとした。サンドラは顔を顰める事も無く、話題を変え、逆に学生にパーソナルな質問をしていく。後にそれがバイセクシャルを理由に誘惑したのではと検察官に詰め寄られてしまうのだが…
私はあのインタビュー中に、サンドラは夫の殺害を決心したんだと思う。顔色も変えず、下から怒鳴って上にいる夫に音量を下げさせようともしなかった。蓄積された被害妄想のダメ夫への怒りが、リミットの線を超えた瞬間だったのではないか。
息子が犬にアスピリンを飲ませて検証しようとしたが、あれは母親が父親を殺そうとしたのではないかと疑っていたのではないか。犬が死にかけた事で、母親の父親に対する殺意を確信したんだと思う…
…てな具合に、ついついあれこれ考えてしまう映画なのである。まだまだあるがキリがないのでここまでにしておく。
印象に残ったのは、父親が車の中で死について息子に諭すシーン。父親の口パクに息子の声がアテレコ(?)されている。見事にズレもなく完璧だった。何度もやり直したのかなーなんて思いながら観てしまった。
役者一人一人が素晴らしい。犬も含め。裁判中のハゲの検察官の憎たらしさもこの映画にスパイスを効かせている。あと雪景色。最高。『シャイニング』には劣るが。
ショパンとアルベニスに象徴される母と父の不和と対立の物語。そこで息子の選んだ道とは?
雪の山荘に、お父さんとお母さんと息子の核家族、といえば、僕くらいの世代の大半は『シャイニング』をなんとなく思い浮かべるはずだ(笑)。
『落下の解剖学』の監督夫妻(夫が脚本)も、そのことには自覚的だと思う。
お父さんの作家という職業もそうだし、より正確に言えば「作家志望だけど作家になれずに教員をしている」ところまで一緒だ。さらに言えば、作家としてうまくいかないのを「家族のせいにしている」ところまで。
僕は、映画が始まってしばらくして、階段からボールが転がって来るシーンを見て確信した。ああ、これ『シャイニング』へのオマージュだ、絶対わざとやってる、と。
『シャイニング』もまた、作家への夢をかなえられない男の挫折と苦悩の物語であると同時に、夫と妻の苛烈な闘争の物語でもあった(そこにきわめて聡明な子供がからむ)。
『落下の解剖学』では、お父さんは妻と息子を斧で襲うほど頭がおかしくなるまえに、なんらかの理由で墜落死を遂げる。
常人とは異なる鋭い感覚を有する少年、クラシック音楽の印象的な使用、最終的に起きた出来事の全てが解明されるわけではないまま終わる宙ぶらりんの感覚など、ジュスティーヌ・トリエ監督が『シャイニング』を意識しているのは、まあまあ間違いないと思う。
なお、パンフでは本作の元ネタとして、オットー・プレミンジャーの『或る殺人』と某ミステリー映画(結末とかかわるので伏せる)が挙げられていて、さすがは映画評論家さんだと感心した。言われてみれば確かにそうだよな。
(ちなみに、ポスターアートは絶対『ファーゴ』を意識してると思うw みんなもそう思うよね??)
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それにしても、『落下の解剖学』とは面白いタイトルを付けたものだ。
僕はこのタイトルを見た瞬間、「これはそのうち観に行かなきゃ」と思わされたものだが、ここでの感想を見ると、意外に否定的な人もいるんだね(笑)。
個人的には、ちょっと意外な単語の組み合わせが、とても新鮮で良いと思う。
「落下」という物理っぽい単語に、「解剖」という生体的・動物的な単語を重ねてくるのはじつに詩的だし、邦題を敢えて直訳にしたのもセンスが良い。
ここで「解剖」される「Fall」とは、夫の「墜死」であると同時に、夫の権威の「失墜」であり、妻の成功からの「転落」であり、家族の「没落」でもある(『アッシャー家の崩壊』の「崩壊」も、原題では「Fall」だ)。
さまざまなフェイズで絡み合う「落下」の分析を通じて、現代の家族の在り方を照射するのが監督の意図ということになろう。
映画としては、正直前半は結構うとうとしてしまってよく覚えていない部分も多々あるのだが、裁判が始まってからは緊迫度も増し、最後まで集中して観ることができた。
多少睡眠不足でも、あんなヒリついたヤバい夫婦喧嘩につきあわされたら、眠気も吹っ飛ぶというものだ(笑)。
法廷ミステリー仕立てではあるが、謎解きの要素は想像以上に希薄だ。
そこを期待して観に行くと拍子抜けするのは確かだけれど、観ていればすぐに「そこがキモでない」ことはわかってくる。
要するに、監督は「家族」の関係性をとことん「腑分け(解剖)」して、誰もが感じながらも敢えて目をそらしているような暗部にまで踏み込んで、それを明るみに出したいのだ。
家族とは、畢竟、赤の他人同士にすぎない夫婦が、血縁のある子供を介してつながったユニットである。そこには常に「愛情」と呼ばれる得体の知れない何か(夢であり、希望であり、欺瞞であり、呪いでもある何か)があると同時に、意見の相違があり、感情の対立があり、マウントの取り合いがあり、主導権の争奪戦がある。
監督の意図としては、幸せだった(幸せだとそれぞれが信じていた)家族が崩壊(転落)していく様をつまびらかにするのがあくまで主眼で、法廷劇というフォーマットはそのために選ばれた最適の「手段」にすぎないのだろう。
なので、妙なトリックだとかどんでん返しなどは出てこないし、法廷での思いがけない証言で意想外な真相が明らかになるようなギミック重視の作りにもなっていない。
代わりに、裁判を通じて問いかけられる「家族とは何か」という問いには、深い洞察と思慮をもって、きちんと応えてくれる映画には仕上がっていると思う。
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この映画を観ていて僕がいちばん気になっていたのは、実は「言語」だったりする。
お母さんは外の人とはフランス語を話す。ここはフランスの田舎町であり、フランス語以外通じない。だが、家族と話すときは英語だ(かなり日本人にとっても聴き取りやすい)。夫に通じる共通の話せる言葉が英語だからだ。
でも彼女の母国語は英語でもフランス語でもない。ドイツ語だ。
彼女はドイツ人なのだ(言われてみればいかにもゲルマン的な風貌だ)。
お父さんはフランス語話者のフランス人だが、妻と話すときは英語で話す。これはイギリスで出会ったときからのルールであり、英語での会話が(ドイツ人とフランス人がフェアネスを守る上での)ふたりの妥協点なのだという。
息子はフランス語を話すが、お母さんは英語で話しかけ、時と場合によっては息子も英語で答える。ちなみに法廷はフランス語で進行し、被告としてのお母さんは当初フランス語を強要されるが、途中から自ら要求して英語に切り換える(ドイツ語には切り換えないのがミソ)。
要するに、この映画でお母さんは、ほとんど「本当の自分の母国語」を話さない。
相手に合わせずに自分らしくあろうとするときですら、英語という共通語で話し、何かしら「本当の自分」はさらけ出さないようにしている。
この映画で、お母さんの正体が最後の最後まで得体が知れないのは、ポーカーフェイスだけが理由ではない。彼女は言語においても、常にヴェール越しに自分を「制御」して発言しつづけているのだ(あの盛大な口喧嘩の際であっても、彼女はずっと英語のままであり、理性を喪い切ってはいない。小説家としても、彼女は英語で書いているらしい描写がある)。
グローバルな出自の一家として多言語が飛び交う環境は、そのままこの家庭の抱える「無理」と「不具合」にも直結している。
フランスは父親のホーム。母親にとってはアウェイだ。
母親側には、夫の希望を汲んで敢えてアウェイに身を投じたという「貸し」の感覚がある。
さらには、単純に雑談するだけでも自分の一番気楽に話せる母国語を話せない窮屈さが、この夫婦にはある。もともとが「無理に無理を重ねて」「理性で制御して」なんとか保ってきた家族なのである。
「仮面家族」とは言うまい。彼らは本気で愛し合い、このルールのもとで幸せになろうと努力してきたのだから。しかし、結果的には重ねた無理がほころんで、こんなことになってしまった。作家志望どうしの国際結婚は悲劇に終わった。
ともあれここで強調しておきたいのは、「言語のストレス」がそのまま「家族のすれ違い」のアナロジーとして用いられているという点だ。
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以下、箇条書きにて。
●終盤に再現される、長大な夫婦喧嘩のやりとりはなかなかの衝撃度だった。
最近だと、ブラッドリー・クーパーの『マエストロ その音楽と愛と』での、バーンスタイン夫妻の交わす激烈な口論シーンもインパクトがあったが、今回はあれと匹敵するかそれ以上にえげつなかったような(少なくとも長さと粘着度は倍くらいあったしw)。
この二つの映画には、よく似たところがある。
まずは両作とも「夫婦ともに創作者としての優れた能力がありながら、片方が巨大な成功を収めたがためにもう片方が一歩引かざるを得なかった」話である。
それから、愛情あふれる表面的には幸せな生活の水面下で、嫉妬とマウントの「澱」がどんどんと夫婦間で溜まっていった結果、やがてぎくしゃくとぶつかり合うことになる流れも同じだ。
なにより、浮気したほうが浮気したことを大っぴらに正当化していて、あまり意に介していないらしいところもよく似ている。
ただ『マエストロ』の場合は、成功者であるレニーを妻がやりこめるという流れなので、まだ旦那のほうにも立つ瀬があるが、『落下の解剖学』の場合は、成功していない夫が成功者である妻に喧嘩をねちねち吹っかけた挙句に徹底的に撃退されコテンパンにされる流れなので、余計に報われないし、やりきれない(笑)。
劇中でも示唆されているとおり、旦那は事前に録音を仕掛けていることから考えても、敢えて妻を「挑発して」「怒らせて」それを記録しようとしている。
実にいやらしいやり口だ。女々しくて、根性のさもしい夫である。
でも、これだけ性根が捻じ曲がるまでには、夫サイドにも大変な苦労があったのだろうことは察するに余りある。息子の視覚障害に関する後悔の念(さして旦那が悪いとも思わないが)や、家族に対する責任感、いつまでも形をとるに至らない小説群、焦るほどにうまくいかない家内分担、気づくとどんどん引き離されている妻との格差。人間、病めば病むほど後ろ向きになるし、性格も暗くひねくれていくものだ。
僕もこういう思考回路に陥らないように、頑張って生きていかないと……。
●メインの夫婦以外でいうと、僕は細面のイケメン弁護士以上に、やたらねちっこく責めてくるスポーツ刈りの少壮検事のほうが印象に残った。やなヤツだけど、この俳優さんうまいよね!
映画ならではのフィクション仕様なのか、フランスの法廷のリアルなのかは知らないが、これだけ検事も弁護士も感情剥き出しでスタンドプレイに徹していて、判事も時々の気分を隠さずに恣意的に進行してるのって、どうなんだろう? そういえば昔、ガストン・ルルー原作の『黄色い部屋』やサッシャ・ギトリの『毒薬』を観たときも法廷シーンの恣意的な展開にびっくりしたものだけど、フランスだとこれが普通なのか。
法曹家の「個人的な技量」で有罪・無罪の結果がころころ変わりそうな裁判とか、実際には結構ヤバいんじゃないのか?? ちっとも事実と証拠だけに基づいて審理されてる気配がしないんだけど……。こんな裁判なら、訥々とした弁護士と検事が事務的に型どおりの審理をやる裁判のほうがなんぼかマシな気がするなあ。
●お母さんが得体の知れない人で、お父さんがダメ人間で、じゃあ息子にシンパシーを集めて来るのかと思ったら、犬を毒殺しかけるろくでもないDQN児童で(サイコパスかよ)、誰にも感情移入させてくれないトリエ監督の鉄壁のツン仕様に驚嘆。
●このワンちゃんがホントに芸達者でびっくり。どういう指示を出したらあんな動きが出来るのか。顔までなんか演技してるように見えるんだけど……。
●母親の性格描写や終盤の展開、息子のキャラクターと証言内容などから、個人的に「真相はこうだったのではないか」という推測はあるのだが、敢えて書きません。
●最初にかかるうるさい曲については全く知らないが、少年とお母さんが連弾で弾いているのはショパンのプレリュード第4番。このときは母親が主旋律を片手で弾いて、息子が和声をつけているのだが(もちろん本来は一人が二手で弾くピアノ曲)、法廷に出廷する前に少年が一人で弾くシーンでは、少年自身が主旋律のほうを弾いている。ここには「主従関係の逆転」を見て取ることが可能であり、これは母と息子の「頭をなでるシーンの逆転劇」とも呼応している。
ショパンが母親を象徴する曲とするなら、少年がしきりに練習しているアルベニスの「アストゥリアス」は、彼と父親との想い出のこめられた楽曲だ(タイトルクレジットでも練習中の音が流れ、のちに父の死を悼みながら少年が弾くシーンも出てくる)。
結果として、映画のラストでは、ショパンのプレリュード4番を変奏した映画用の編曲が延々と流れる。最後の最後で少年が結局「誰を選び、誰を守ることにしたのか」を、冒頭の音楽との対比で明らかにする、じつに面白い選曲だと思う。
リズム重視で攻撃的だがどこか繊細で神経質なアルベニスと、美しく静謐ながら手の込んだ半音階進行に毒をひめるショパンの対比。それはそのまま、この映画で対立せざるを得なかった二人の心的世界を象徴しているのかもしれない。
「推定無罪」感覚のリトマス試験紙映画
配偶者を殺したという容疑をかけられた主人公の女性。
価値観や人生観、性癖などをあげつらう、検察側のありとあらゆる印象操作で有罪風に映し出されますが、結局は決定的な証拠がなく無罪となります。
2時間半のこの作品で、どれだけ主人公を有罪だと感じたか、そして結末に納得できたかは、疑わしきは罰せずという刑事裁判の原理原則が身についているかを自分自身で確認するのに有効な映画だと思いました。
裁判ってめっちゃ疲れるんだね
裁判ってめっちゃ疲れるんだなってことがよくわかる映画。長きにわたり法的紛争が続くが、勝訴しても特に何か達成感があるわけでもなく、得るものがない結末がとてもリアルだった。
あとワンコの演技がすごい。
フランス、冬のリゾート地グルノーブルの町から離れた雪山中にある山荘...
フランス、冬のリゾート地グルノーブルの町から離れた雪山中にある山荘。
暮らしているのは、ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)と教師で作家志望の夫、それに視覚障害のある11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)。
あと、スヌープと名付けられた犬が一匹。
ある日、文学専攻の女子学生がサンドラを訪問、論文執筆のためのインタビューのためだ。
山荘の屋根裏部屋では改装作業中の夫が大音量で音楽を鳴らしはじめ、「いつものこと」とサンドラは気にしないが、インタビューは続けられない。
女子学生は帰り、ダニエルも犬を連れて散歩に出た。
ほどなくして、散歩を終えたダニエルは犬のただならぬ気配に怯え、近づいてみると、果たして転落した父親の姿が・・・
大声で助けを呼ぶと、サンドラが自室の窓から顔を出した。
昼寝をしていて気づかなかったという。
慌てて救急車を呼ぶが、すでに死亡していた。
警察がやって来、事件/事故の両面から捜査を開始する・・・
といったところからはじまる物語は、言ってみれば、2時間サスペンスなどでおなじみの導入部。
物的証拠はないが、殺人の可能性あり、状況的にはかなり疑わしい、ということでサンドラは起訴される。
まぁ、疑わしい状況でこいつが犯人!と決めつけるのは、日本映画『疑惑』を思い出しました。
で、裁判の行方がどうなるのかが焦点なのだが、大体予想は付くよねって感じで観ていました。
といっても、裁判でのやりとりはかなり面白い。
米国以上に、証人への検察側の質問に対して何度も何度も弁護士が反対意見を言い、またその逆もあるが、日本の法廷ドラマのように「意義あり」なんて言わない。
で、裁判では隠されていた秘密の事柄があきらかになり・・・と展開するわけですが、映画の焦点が事件の顛末から、親子の関係、夫婦の関係へと移されていくあたりが本作の見どころ。
終わってみれば、死んだ夫があまり好ましくない人物なのだが、こういうタイプはどこにでもいるわけで、そこいらあたりがフランス的ミステリという感じがします。
かなり面白かったです。
日が経つと、面白さが増幅される類の作品かもしれません。
主役のザンドラ・ヒュラー、ドイツ出身の女優さんのようですが、フランス語と英語を使い分け、どちらの台詞にも感情を乗せての見事な演技。
個人的には、アカデミー賞主演女優賞は、このひとへ贈りたいです。
映画が伝えたかった事とは無関係なのですが、欧米人は、裁判で自分の考えをハッキリ伝えることが出来るんだなと思って感銘を受けた。
疑惑を向けられた妻のサンドラが、裁判で検察官の追求にひるまずキチンと自分の意見を主張し述べる。
11才の息子ダニエルも例外ではない。証言台で自分の意見、考えをシッカリ述べ、検察官の問いにもキチンと答える。
「さすが欧米人、小さい頃からの教育のタマモノだな」と思った。
うろ覚えだが、ヨーロッパとアメリカでは小学校の頃から、授業で自分の考えをまとめ発表したり、議論、討論を行ったりするらしい。
だからサンドラとダニエルが自分の主張を堂々と述べ、検察官にも思ったことをシッカリ反論する場面に違和感がなかった。
以上、映画の主題とは関係ないけど、「さすが欧米人、自分の考えをシッカリ言えるんだな」というのがこの映画を見て1番印象に残ったという話でした。
あと、サンドラが無罪で良かったと思った。だってサンドラが刑務所入っちゃたらダニエル坊や可哀そ過ぎね?
広報が悪いのかな…
「あの日、あの場所で、いったい何があったのか?」
これが広告としてのアオリではなく見た人間の中に残る疑問になるなんて予想していなかった…
もしかしたら色んな瞬間に意味があったのかも知れないけど、やっぱりサスペンスだと思って最後の最後まで見ていたから、正直あの素晴らしい役者犬が主人公の隣に添い寝して、クレジットが出始めた時にえっっっ……と思ってしまった。
息子が視覚障害という設定も重要だと思ったから、現場検証のシーンで記憶に間違いがあった時、誰かがあの時テープを貼り替えていた?などと考えてワクワクしたが特にそういうわけでもなかった。
帰宅して50セントのPIMPを聴いたら、「音楽が一度止まってまた鳴り始めた」というのはPIMPインストバージョン自体の構成だった。
でも現場検証の時にずっと流してるはずだし気がつかないわけないよな?とも思うし。
とにかく、出て来る設定がことごとくあんまり活かされないまま気持ち悪いまま事態は終息を迎える。
しかしそれはある意味でリアル。映画の中で誰もが知り得ないことを、観客である私たちも知ることが出来ずに終わるだけ。
考えれば考えるほど湧いて来る違和感も、これは制作上の意図?あるいは天然でこんなことに?という不快感も、重要になりそうな設定が特に意味を帯びないリアルさも、
「そういう映画」だと思って見てみたらよく出来ているのかも知れない。
でもこれはチラシ見たら「ある男の不可解な死、その真実のカギを握るのは視覚障害のある息子ただ1人ーーー」という、東野圭吾的な最終的にパーッとスッキリ全部が解明されるサスペンスドラマだと思って見てしまうのもしょうがない…
「落下の解剖学」というタイトルもあんまりピンと来ない(原題直訳ですが)。
犬の演技は本当に凄かった。
夫婦とは(2024年8作目)
フランス映画らしい。
盛り上がりはなくて、あとはご自由にお考え下さい?的な?
結局主人公が黒なのか白なのか分からない。分からないけど皆が各自、自分が真実だと思うことを真実だと思って生きてくしかないのよね……。
これ男女逆だとさー、家の中で子供の世話だけしてる奥さんが浮気する旦那さんにあなたも少しは協力してよ!!!みたいに怒ってさ、旦那さんがウジウジうるせえ!なら稼いでみろや!って言ってさ、旦那さん感じ悪くない??でもよくあるパターンだね。って。
奥さんが稼いで旦那さんがウジウジしてるからなんか奥さんが可愛げ無いな、とか奥さんが浮気してるから奔放な女性だとか、そういう言われ方するけど、いや、実際にそうなんだけど、それとこれ(殺人を犯すか)は違うんだけど、そういう部分だけで見ると彼女黒なの……?みたいな。
夫婦喧嘩は犬も食わないってか?真実は神のみぞ?
結局どっちなの………
ワンコと息子さんの演技に感動。
息子さんのどっちか。選ばなければならないならママ。と決めた葛藤。辛いな
ちょっと期待外れ…
予告を観ておもしろそうだなと思っていたのとあらゆる映画賞の評価もあるので期待値が高かっただけに少し期待外れだった。
終わり方がもう一捻りあるのかと思っていた。
フランスの裁判の仕方などは単純に面白かったけれど証人として登場する人物が1人の人生を大きく左右する問題にも関わらず客観的証拠もなくそんな軽はずみに主観で話すのかと驚いた。
また、途中で夫婦喧嘩の様子が出てくるが妻(母の身でありながら)があまりにも自己中心的で妻や母としての自分よりも1人の人間としての自分を優先しすぎているし夫はあまりにも被害者意識が強すぎてどちらの主張も納得も共感もできなかった。
唯一11歳の息子が可哀想と思っていたが終盤の犬のくだりでこのクソガキ!という気持ちになってしまい登場人物の誰も好きになれない後味のあまりよくない映画だった。
「落下の解剖学」というタイトルにもっとフィーチャーした内容かと思えばそれもあまり…
主演のザンドラヒュラーの演技は良かった。
もやもやする
仮に夫の自殺であったとしても妻が殺していたとしても、結婚を継続することそのものの大変さを描いている様に感じました。脚本が作り込まれていてパルムドールも納得。
本当のことは誰にもわからない?から、もやもやしましたが、世の中なんてこんなことの連続ですね。家族関係含めて、推理小説より身近な人間関係の方が難しいわ。
152分を感じない
人里離れた山小屋で、作家の男性が転落した。
家には、妻と視覚障害の息子の3人だけ。
殺しか?事故か?はたまた自殺?
裁判になっていき
サスペンスになっていく。
嘘をついている?事実は?
なかなか面白い作品だった。
脚本が秀逸すぎる、、
つまらなく感じた私たちは、まんまと製作陣の思惑にハマっているのだろう。
本作はスクリーンを通り越して「私たちの感情の動きも含めて一つの作品になっている。」から。
作中で主人公サンドラが見ているTVの中の人たちが言ってくれています。
「彼女が(事実を元にした作品を書く)小説家だから、今回の事件が単なる自殺だとつまんないよね」って。それに加えて、視覚障害を持つ息子に夫婦の不仲。
この事件をドラマティックにする材料なんていくらでもある。なんならわざと観客がミスリーディングしてしまう要素をふんだんに詰め込んだハッピーセットのような作品だから。
要するに、これは「事実より自分達が解釈したいように事実を捻じ曲げる「私たち」に対するアンチテーゼ」であり、そのミスリーディングを楽しむ作品。それこそがこの作品の伝えたいこと。だから脚本賞を獲ったんだと思う。もう一回観たい。
事実はどうでもいい 人からどう思われるかが重要
タイトルは映画の序盤にあった弁護士のヴィンサン(スワンアルローさん)のセリフを引用させて頂きました。
(すいません、一言一句は覚えてなかったのでこんな様な事を言っていた、という感覚で捉えてくれると幸いです)
本作は、このレビューのタイトル通り真実を映すものではなくて、ヒロインのサンドラ(ザンドラヒュラーさん)への「印象の変化」を楽しむ映画だと思いました。
一つの事件を巡って起こる法廷ミステリーものと思っていましたが、
実際は精神的に少し余裕のない(どこの家庭にもありそうな、仕事、お金、子育て、性、不運な事故、等々の生活に多少の問題を抱えた) 2人の夫婦とその息子という、単純明快にはいかない人間関係の感情の機微や認識のズレから、軋轢、衝突、を夫の死という事件と法廷を建前にして、サスペンスモノに重点を置き、それらの人間模様を個々人の証言、会話、解釈から暴き、サンドラというより、人間なら誰しもが持っている人間の奥深くにある多面的で利己的な部分をうまい具合にあぶり出し、見事に描き切っている、非常に見応えのある面白い映画でした。
上記の様に推理モノではないため、いわゆる映画的などんでん返しや犯人の確定、犯行の瞬間などの決定的で客観的な事実が判明する事は無く、それぞの発言から憶測が飛び交い、真相は誰にも分からない作りになっています。
神的、第三者的視点が入っておらず、観客は検察側も弁護側も両者の証言と状況からでしか判断できないため、見てる側はただの観客に留まらず、娯楽性を求めるコメンテーターやテレビ番組、裁判の傍聴人、陪審員さながらサンドラへの印象が翻弄され、一気に映画の世界に引き摺り込まれる作品でした。
全体的に良かったのですが特筆すべきは、母親のサンドラとその息子ダニエル(ミロマシャドグラネールさん)の圧倒される演技では無いでしょうか。
夫に見せる狂気的な表情から一転、法廷から息子を不安気に見つめる表情まで見事に演じきっていました。
ダニエルも最後の証言の意思の強さを全面的に感じる凛とした顔、母親が無罪だと下された事を知った時の安堵の表情、もう脱帽です。最高です。
パンフにあった「対立はあれど、矛盾はない」という一言が言い得て妙でした。
どちらの言い分も分かる、本当に振り回されました。
喧嘩の音声のシーンで暴力シーンを映さなかったのは憎たらしいほど上手い演出でしたね。
この映画は明らかにミステリーでは無いため、ミステリーであるかの様な宣伝やあまりに主観的な証拠の言い合いへの批判は確かに否めません。
ただ個人的にはそれらより、家族の有り様のリアリティーや会話や設定で十分楽しめたので、高評価という軍配を上げさせて頂きました。
公開から一週間以上も経過していて、恐らくこの映画を高評価している方達と同じ様な感想だと思い、今更レビューするのもどうかと思ったのですが、評価が意外にも低いので堪らずレビューをあげさせて頂きました。
最後にこの映画を表したかの様なニーチェの文言がありましたので、その言葉で締めさせていただきます。
事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。
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