落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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脳の訓練とスリリングなメロドラマの融合
よくもわからない他人ごとなのに、すぐに答えを欲して雑な解釈に飛びついてしまう人間の勝手さ、愚かを「法廷劇」という体裁に置き換えた監督の手腕がみごと。劇中のできごとや登場人物の思惑について、細部を読み取って推理をしたり仮説を立てたりする作業はミステリーの醍醐味だし、その意味でも楽しめる作品になっていると思う。しかしこの映画の場合、どれだけ考えて「◯◯のように見える」「◯◯に違いない」と思ったとしても、結局は監督の手のひらでいいように転がされているともいえる。いずれにせよ、確たる結論が導き出せるわけではない状況に大切なのは、どこまで自分自身が対象を距離を取って、先入観に目を曇らされることなく思考ができるか。これは一種の脳の訓練であり、その訓練がスリリングなメロドラマを兼ねているという、刺激的でとても優れたエンタメだと思っています。
解剖され露出したはらわたは戻らない
カンヌとアカデミーで評判のサスペンス映画で、山荘で男性が転落死した事件で妻が殺人容疑で逮捕、起訴されるお話しだけど、なんとも後味の悪い作品でした。美しい雪山の風景の中、夫の謎の死で始まる出だしはいいけど、警察の調査や弁護士とのやり取りなどダラダラと続き、お話しのテンポが悪いです。後半の裁判になってやっと持ち直すけど、検察も弁護側も状況証拠と臆測だけで決め手がなく、夫婦の生活の暴露合戦になってきます。ここで、この作品はいわゆる法廷サスペンスでなく、審理の過程で夫婦関係を解剖していき、性的嗜好や不倫、鬱屈、暴力、病気など、他人には見せられない夫婦の内臓を曝け出していくことがテーマであることに気づきます。しかし、裁判が被告側の勝利に終わっても、一度晒された内臓を元には戻せず、息子や関係者との間の埋めようにも埋められない断絶が残るのも苦い結末です。脚本の着想は面白いけど、枝葉末節が多くて上映時間は長過ぎですね。役者では、サンドラ・ヒュラーが渾身の演技。ハリウッドでリメイクするなら、主演はケイト・ブランシェット、弁護士は伊勢谷友介かな。
複雑なものを複雑なまま丁寧に描く映画
ファクトというのがいかに曖昧かというのは羅城門を彷彿とさせ、言葉とコミュニケーションが夫婦の軋轢になるのは、ドライブマイカーと似ている。
他国が舞台だが、人間の描写がとてもリアリティーがある。たぶん、それぞれの人間が法廷では真実を語っているのに、完全には信用ができない。しかし、演技の迫真さにより、それぞれの感情はスクリーンを通じて伝わってきて、それぞれの立場に感情移入はできる。だけど、完全に信じることもできない。見ているものに複雑な気持ちを常に突きつける。
すっきりしないもやもやは2時間半続く。証言を裏付けるものはとても曖昧で、証言そのものが発言者の立場や気持ちにより、バイアスがある。よく考えたら当たり前の話なんだけれど、緻密な脚本と演出により、胡散臭さく人間臭い人たちのまるで人狼ゲームのように虚偽を言っているのではないかと見ている側は感じてしまう。
いちおうの結末は決してワーストな結末ではないが、ベターなものでもなく、ハッピーなものでもない。真実はなんであれ、悲しみを感じる結末だ。
こんなカタルシスもミステリーが解決するともなく、正義に酔えるものでもない、ただ不安定な気持ちを鑑賞後に突きつける作品は珍しく貴重だ。
夫婦のコミュニケーションをテーマにしたドライブマイカーの方が救いがある。
夫婦はお互い母国語で会話するとも出来ずに、自分は我慢していて、お互いの犠牲になっていると感じていて、家庭のために生きていて、相手を思い遣ってると思っているが、それが苦しみや歪みを産んでいる。傍目からみたらうまく行っている家庭もこのような苦しみがあるのかもしれない。言葉さえお互い不自由なく使えたら問題は解決するのかと言えばそうでもない。
しかし、不幸な家族なわけでもなく、ありふれた家庭に起こりうるミスコミュニケーション。
全くすっきりしない。何も解決しない。だけど、2時間半の長丁場を飽きさせることなく見せれる映画。人を選ぶだろうが、見て良かったと思える映画だった。
フライヤーの一文で顛末が見えていた
フライヤーには下記の内容が記されている。
雪山の山荘で男が転落死した
男の妻に殺人容疑がかかり
唯一の証人は視覚障がいのある11歳の息子
これは事故か自殺か殺人か
このフライヤー、実はもう答えが載っているんだよねΣ(´∀`;)
見る前からだいたい分かっていた。
自殺が答えだ、ってね。
案の定だったよ(;´Д`)
何で自殺だと分かったかと云うと、フライヤーを作った人が文章構成を考える際に、自殺だと顛末が分かっていたから殺人と匂わせながらも最初の段階で事故か自殺と切り出している点で殺人じゃない、事故に見える自殺だと云いたいことが読めた。
本編では、警察が詮索しすぎた結果、単純に考えて事故か自殺で処理するべき事案を血痕に不審点がある理由から殺人の可能性もあると考えられてしまい裁判になってしまったのだが、裁判のシーンがまあ長いこと。息子のダニエルが父親が亡くなるまでに自らの死を仄めかす発言をしていたことが立証され妻は無実を勝ち取るのだが、そこまでの長い長い裁判は本当にあそこまで尺が必要なのか?
もっとカットして余計な部分は割愛すべきなのに夫婦喧嘩をしていたことも何回も紹介するべきシーンなのか、重要だと意味づけるシーンだけで良いのにダラダラと話が続くから眠くてしょうがない。
結論、妻の才能に負けたと思った夫が焦った末に精神的にも追い詰められた結果が自死だった。息子の事故を夫のせいだと責任転嫁で追い詰める妻もどうかと思うが、一方的に責められ更に妻との収入面においても格差が生まれたという点で負けを認めたくないプライドの高さが動機となったのだろう。
心地の良いモヤモヤ感
「犯人はお前だ!」とか「これが真実だ!」みたいな結末のしっかりしたミステリーが好きな人には、もしかしたら刺さらないかもしれない。最初に抱いたモヤモヤ感は観進めるにつれて増幅し、結局最後まで観ても全く解消されない。そして観終わった後も残り続ける後味の悪さ。これは間違いなく観る人を選ぶ作品ですね。
私個人の感想としては、「冗長で退屈に感じる場面も多かったけど、最終的には面白かった」という感じ。大絶賛しているレビュアーさんの気持ちも、批判しているレビュアーさんの気持ちも両方理解できます。
決してエンタメ映画ではないのでデートムービーや家族で観る映画としては不適当だと思います。しかし、映画好きが一人で鑑賞後に色んな人のレビューを読み漁って、「こんな解釈もあるのか」と楽しむには最高の映画だと思いますね。
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人気小説家として活躍するサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と息子と共にフランスの片田舎にある山荘に住んでいた。一見幸せそうな家族だったが、ある日夫が家の目の前で死亡しているのが発見された。現場に居合わせたのは、視覚障害を持つ息子のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)だけ。窓から転落死したと思われていた彼の遺体や現場の状況にはいくつか不自然な点があり、検察は妻のサンドラに疑いの目を向けることになる。彼女は起訴されて裁判にかけられることになるが、その裁判の中で夫婦間の様々な問題が浮き彫りになっていく。
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本作の最大の特徴は、最後まで観ても結論が分からないことです。
そして本作最大の魅力も、最後まで観ても結論が分からないことです。
私は本作を観て、𠮷田恵輔監督の名作『空白』を思い出しました。万引きをした女子高生を捕まえたスーパーの店長。女子高生が逃走し、それを追いかけている途中で、女子高生が車に轢かれて絶命してしまう。本当に彼女は万引きをしたのか、果たして自分のやったことが正しかったのか。誰も分からないまま、事件の関係者が悩み苦しむという内容の映画です。事件の当事者である人たちでさえ、事件の真相については何も分からないまま物語が進むのに、テレビのコメンテーターや世論は聞きかじった程度の知識で事件の真相を決めつけ、女子高生やスーパーの店長を糾弾し、中には実際に嫌がらせなどを行う過激な者も現れる。これが『空白』の大まかなストーリーです。
本作『落下の解剖学』もまた、事件当事者であるはずのダニエルは真相が分からないまま物語が進むのに、テレビのコメンテーターが「自殺よりも殺人だった方が面白い」と無責任な発言をする。外野の人間ほど、まるで真相を知っているかのように事件を語る。これが本当に印象的でした。
「これは 事故か、自殺か、殺人か―――。」というポスターのキャッチコピーを見ると、てっきり夫の死の真相を探る女性の話かと思ってしまいますが、この映画は最後まで真相は分からないまま進みます。最終的には裁判でサンドラの無罪判決が出ますが、検察側が裁判で話していたように、いくつかサンドラの言動には不自然な点があることは否めません。この映画ではサンドラは所謂「信頼できない語り手」というポジションにおり、観客は完全な傍観者として、確証の薄い証拠と当事者の主観的な証言のみを根拠に、事件の概要を推測することになります。
監督のジュスティーヌ・トリエ氏はインタビューで「この映画に回想シーンは一つもない」と語っています。裁判中にこっそり録音していた音声を聴くシーンで、夫婦喧嘩のシーンが描写されていましたが、あれも回想ではなく録音を聴いた傍聴人が空想したシーンでしかないみたいです。
誰も決定的な証拠を持たない状態で迎えた最後の裁判シーン。最後の最後に、ダニエルが重要な証言を行い、それが決定打となってサンドラは無罪を勝ち取ります。これはこの映画の肝となる素晴らしいシーンで、ダニエルが父を殺したかもしれない母親と共に生きる覚悟をしたという、幼い子供に強いるのはあまりに厳しい判断です。
ラストに飼い犬がサンドラの傍に来て寛ぐというシーンも意味深でしたね。人間より鼻も耳も効く彼は、もしかしたら事件の真相を「知っていた」のかもしれませんし、アスピリンを自分に飲ませたダニエルではなくサンドラを「選んだ」のかもしれない。しかしこれも根拠の薄い妄想にしかすぎません。
この映画を観た方とぜひ語り合いたくなる映画です。難解なところや退屈に感じるシーンがあるのは否めませんが、それでも観る価値のある作品だと思います。オススメです。
ミステリーではないな
藪の中な感じ。藪の中読んだことないけど。
人間なんてどうせみんなちょっとずつ嘘つきなんだから、そんなの映画でわざわざ見たくないというのが正直なところ。
息子が凄く成長して行く(サスペンスと勘違いして鑑賞)
亡き父のことを思うと初めは悲しくてベッドから出られない息子が成長して行く物語。お父さんが亡くなったことを理解しなきゃという風な言葉を発し実行。最後は証言台に立って、自分の考えをまとめ結論づける。母は推定無罪なのだろう。弁護士には殺していないとは言っている。勝訴しても、夫は居ない。勝った!というより虚しいだけ。
良くできたサスペンスドラマ!
描きたいのは事件の真相ではなくて、真相はある程度明示されているもののその真相≒事実を各自はどこまでいっても触れることができないという事実だと思う。それは結局、事件だけの話ではなくて、相手の本音についてもそうだ。いくら家族でも語り合っても議論しあっても本音≒事実に触れられるとは限らない。夫の苦しみに妻は冷淡だし、妻の指摘を夫は拒絶する。家族だからといって常に寄り添えるとは限らないし、理解できるどころか、利害関係が最も対立する相手にすらなりうる。
事件のほうはといえば、息子がどれだけ真実に迫ろうとしていたかは愛犬への行為ではっきりわかる。そして、ラストのあの犬が寄り添う先が示すのは、この作品で間違いなく無辜の存在であることからして、サンドラも手は下してないのだと思う。真相としては、夫の激昂、復讐、俺がこんな死に方をしたら困るだろうという行為だと考えるのが妥当だと思う。
諍う夫婦、そしてその片方の変死という比較的よくあるテーマでもこの作品が新鮮さを感じさせるのは、夫の怒りが一昔前なら顧みられないよくある妻の嘆きと似ていることかもしれない。不貞も、バイセクシャルも男の特権ではないという男女逆転的構図。そして、ザンドラ・ヒュラー演じるサンドラが、ありきたりなファム・ファタルでもなく煙に巻こうとするわざとらしさもなく、淡々としていてそこがよりこの作品を複雑なものに感じさせていると思う。
ラストシーンの息子と母は、判決がどうであろうとそれはあくまで法的処分でしかなく、彼らはこれから疑念と悔恨とわだかまりを抱いて生きていくことを示しているように思えた。そういう後味の悪さが、この作品で最もサスペンスフルだと思った。
ただのサスペンスではない‥くらいの前知識で観に行ったけれど、とても...
ただのサスペンスではない‥くらいの前知識で観に行ったけれど、とても良かった。
この曖昧な現実を、我々はいかに思い込みでジャッジしているか、考えさせられた。
主人公が有罪なのか無罪なのか、気づいたら惹き込まれていて、最後にはぐらんぐらん揺さぶられた。
最初は、まぁ無罪なのだろうな雰囲気だけど、主人公の微妙な性格やネガティブな本性が見えてくると有罪かもと思い、そして夫婦喧嘩のシーンは圧巻でどちらの言い分も理解できるし、回想と現在の切り替えも秀逸だと思ったりしながら、裁判で無罪の判決が出てもなお、やっぱり殺ってるんじゃないかと思わされたり、最後に犬が寄り添うシーンでは、やっぱりいい人だったんだ、無罪なのか‥と思ったり。
友人弁護士といい雰囲気だったのに、じっと目を見つめたあと離れたのは、彼に有罪だと思われていることを主人公が気付いたからなのではとか。
結局、真実はどうでも良く、どう思われているかが我々の現実には威力を持つということがとてもリアルだったし、面白いと思った。
息子くんの供述がお父さんの口パクとピッタリ合っていたのも面白い演出だったけど、あれで息子は、今後の生きていく未来を考えて、お母さんを無罪にしたんだと思ったりした。
最終的に、誰も真実などどうでも良くなったのかもしれない。
謎解きではなかった
冒頭からカメラワークと音楽に引き込まれました。緊張感を持って、謎解きのつもりでずーっと観ていたから、エンドロールに「あれ?」となりました。
なんだったんだろう、真実はどこ?と疑問符のまま終了。うーん、最後にスッキリ解決すると思ってた私が違ってたのかな。
サンドラとイケオジ弁護士がどうも怪しく描かれていて、特に夜で寒い中、外で煙草を吸いながら話す二人の顔にあたる照明が不穏でした。
後半にダニエルが法廷で話すというので、解決への期待感が高まったものの、状況証拠なく肩透かしな内容。それにしても犬の扱い、大丈夫なの?演技なの?とドキドキしました。ダニエルの付き添いの女性が冷静で頼りになって良かった。
真実は解明せずのミステリー、長丁場を飽きさせずに見せてくれました。
非常にモヤる。結末に疑問?最大の弱点はカタルシス不足。
映画鑑賞を120%楽しみたいので事前情報収集はゼロ、レビューも一切確認せずに映画を見に行くのでハズレに出くわすこともよくあるワタクシ。
これは大ハズレでした。
フランス料理のフルコースを楽しみでお店に行ったら、全く口に合わず美味しくなかった、みたいな感じで期待を大きく裏切られました。
後で監督のインタビュー読んだらMeTooへの共感やらウンタラカンタラ語ってたけど、
あ、フランスのインテリの人ね、だから駄作なのかと僕は納得しましたね。
フランス人哲学者は小難しい理屈をこねるけど結局が大したことは言っていないことが多い。
これはソーカル事件で歴史が証明している事実です。
さながらフランス哲学の悪い面が映画になったかのような出来の悪さを感じました。
この映画の1番の欠点はオチがなくカタルシスに欠けることですね。
この手のサスペンス物ってどうしてもメタ的に誰が犯人だったら意外性が高く面白いかとか考えたり動機を推理したり犯人探しが楽しみじゃないですか?
しかしこの映画は早々に母親犯人説一本に絞り込みサスペンス的楽しみを否定します。
また見所である法廷劇ですが、
私に言わせればここが一番陳腐でした。
検察は母親が父親を殺害した嫌疑で烈しく追究しますが、肝心の殺害に使われた凶器が特定出来ていない時点で不首尾に終わるのは目に見えてました。フランスの司法がわかりませんが、物証無く犯人の自白待ち頼りでは、いくら状況証拠固めても犯人が鉄面皮で自白しない限り有罪にならないですよね。展開が読めてました。
私のなかで法廷劇は一切盛り上がりませんでしたね。
2番目の弱点は
個々の人物像に好感が持てない上に、ストーリに沿った適切な感情表現が見受けられず
キャラクターや゙ストーリーが非常に陳腐に見えてしまったことですね。
劇中で裁判の結果を無罪としましたけど、
これって裁判によって父親の自殺が認定されたってことでしょう。
それ即ち母親からのDVで父親側が自殺に追い込まれた事実の追認が行われたということです。
その割に息子も母親も反応が薄いんですよね。
浮気を開き直ったうえに他殺でも自殺でもどっちでもいいけど父親を殺した母親に対しての、悪感情が息子から表現されないのは本来おかしいんですよ。
また母親も余り悔恨の念を抱いているように見えないんですよね。ただ裁判長引いて疲れたわーみたいな感じしかない。
ちょっと不自然ですよね。
このアンリアルさがずっと引っ掛かって最後まで物語にのめりこめませんでしたね。
まあ、タイトルが少し謎めいているので惹かれたけどこれは裏切られたパターンでした。
結局謎なんか無かった。他殺であれ自殺であれ、どっちにしても殺したのは母親で確定、これが結論なんですよ。
たかだかその程度の結論に至るまでのウジウジしたやり取りが楽しめるかどうかですね、
私は無理でした。
真実と嘘を混濁した演出に翻弄される
父サミュエルの転落死は自殺か、母サンドラの手によるものか?緊張感が持続する法廷劇で最後まで面白く観ることが出来た。
ただ、コトの真相は観客の解釈に委ねられる部分が多く、観終わった後にモヤモヤも残った。むしろ、そうした余韻を楽しみながら、色々と考察すべき映画なのかもしれない。
そもそも決定的な物的証拠、例えば凶器などは一切見つかっていない。検察側は動機や状況証拠だけで有罪に持ち込もうとしており、流石にこれでは無理があるように感じた。結局、こういうケースは参審員個々の裁量で判断するしかないのだろう。人が人を裁くというのは非常に危険であり、また難しくもある。
それにしても、本作は観てるこちらを惑わせるような演出が各所に施されていて実にイヤらしい。
例えば、法廷に流れるサンドラとサミュエルの口論の音声記録は、途中まで再現映像で表現されるが、肝心のヒートアップした場面では音声しか流れない。そこは観客が想像してくれということなのだろう。
あるいは、最後のダニエルの証言も然り。一つ目はともかく、二つ目の証言は極めて主観的であり、おそらく偽証でないかと思われる。ここもわざわざ再現映像よろしく、あたかも事実のように描いて見せているが、真実かどうかは定かではない。
そもそもダニエルはこれ以前にも嘘をついている。彼は転落死直前の両親の会話を屋外で聞いたと言うが、その後の現場検証で屋内で聞いたと訂正した。本人は勘違いなどと言っていたが、そうではないだろう。もし二人が口論していたとなれば母親は益々不利な立場に立たされてしまう。おそらくダニエルは母親を守るために嘘をついたのだと思う。
このように本作は各所に後に繋がるような伏線や、解釈を迷わせるような演出が施されているので中々一筋縄ではいかない作品となっている。
そして、真実の行方も気になる所であるが、それ以上に自分はこのような事態に巻き込まれてしまったダニエルに不憫さを覚えてしまった。
サンドラとサミュエルは共に小説家である。キャリアという点ではサンドラの方が恵まれていて、サミュエルはそれにコンプレックスを感じている。更に、過去の事故でダニエルに視覚障がいを負わせてしまったという責任も感じている。環境を変えて心機一転、仕切り直しを図るがそれも失敗に終わり、今や完全に夫婦仲は冷め切っている。そんな二人に挟まれてダニエルはさぞ寂しい思いをしたに違いない。唯一心を癒してくれるのは愛犬のスヌープだけである。
判決が出た夜、サンドラはかつての恋人で弁護士のヴィンセントと祝杯をあげていた。自分はこれに大変違和感を持った。本来であれば、真っ先に帰宅してダニエルと喜びを分かち合うのが母親ではないだろうか。きっとサンドラにとって一番大切なのは自分自身であり、家族は二の次なのだと思う。これではダニエルが余りにも不憫である。
本作で一番の犠牲者は亡くなったサミュエルでもなく、裁判にかけられたサンドラでもなく、実はダニエルだったのではないか…。そんな風に思えてならなかった。
総じて完成度が高い作品であるが、唯一、不自然さを覚えるカメラワークが幾つかあったのは惜しまれる。法廷シーンの一部で過剰なズーミングやパンが見られて興が削がれてしまった。
キャスト陣ではサンドラを演じたサンドラ・ヒュラーの好演が素晴らしかった。実話の悪魔憑き映画「レクイエム~ミカエラの肖像」の薄幸な少女から、「ありがとう、トニ・エルドマン」ではバリバリのキャリアウーマン、「希望の灯り」ではやさぐれたハイミス等、抜群の存在感を示してきた女優である。ここにきて一段と懐の深い演技を見せつけ改めて良い役者だと再確認できた。
弁護士ヴィンセントを演じたスワン・アルローのイケメンぶりも印象に残った。フランソワ・オゾン監督の実話の映画化「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」では神父による性的被害者の一人を演じていた。劇中で最もインパクトのある演技を見せていたことが思い起こされる。
鑑賞後、語り合いたくなる良作
まさに。
1人で観に行ったけど、誰か私と語り合いませんか〜!と鑑賞者に声をお掛けしたかったです。
即、この映画レビューを読ませていただきました。いろいろな見方があって、興奮するレビュー読み。最初のダニエルの証言で、夫婦の会話が聞こえたのは外だったという証言から、いや中だったかも、と自分の勘違いだったという証言に変えたのは母を守るためについた都合のよいウソだった?
私の考えは妻サンドラがインタビューを邪魔された腹いせに何かで殴り、旦那サミュエルが三階窓から誤って落ちたのか?とか。だから頭の血があそこについていたのか?とか。
ダニエルは母がやったのかも、と考えていたが、離れて頭を整理して一生懸命、母を守る策を考えていたのか?今度は失敗できない、もう信用されていないんだから飼い犬を使い、より説得力のある状況説明をしなければ…と1人で実行にうつしたのか?
ラスト、割と長い尺で取っていた中にサンドラの友人弁護士と2人だけで飲み交わし、見つめ合った時に旧知の弁護士の顔が疑うような冷たい表情だった気がする。サンドラの右手が震えていたし、それを隠そうとしていた。
他にいろいろ言いたい事がたくさんある映画だった。おもしろかったー!
あとはnoteでもっと語ってみたいです。
ヨーロッパのガチ夫婦ケンカは怖すぎる!
ベストセラー作家の主人公と小説家志望の夫との互いの主張の応酬は、聴いててしんどかった。
日本人同士なら、ここまで相手を追い詰めないけどなー。
このシーンを観て、改めて傾聴って大事だと実感した。
しかし、ここまでもめても、浮気してもされても、それがバレても離婚しないという不思議。
この二人が夫婦という形態をとり続けていることが、この映画で一番ミステリー。
法廷シーンでは、少々間延びしたところもあったけれど、物語は総じて面白かった。
主人公がドイツ人で、フランス語が不自由なので英語を使うシーンに、ヨーロッパを感じた。
確かに、ヨーロッパの人って、2、3か国語(母国語と英語、プラス母国語と言語的に近い言語)話せる人が多い。
少なくとも、街中で英語で質問しても、問題なく会話は成立する。
日本では、駅やホテルの観光施設でも、スタッフが突然の英会話にワタワタしちゃうことありますもんね。
ラスト、主人公は裁判で無罪となる。
息子の証言は、裁判官の心証に大きな影響を与えたように感じた。
私も、主人公は、殺人罪で収監されるリスクを冒してまで、夫を殺さないと思う。
経済力もあるし、夫に本当に愛想が尽きたら、面倒でも合法的な離婚手続きを取るタイプ。
母親なら、障害の有無にかかわらず、11歳の息子と離れる可能性がある選択はしない。
夫の死因は、自殺か過失かは不明だけど、転落死だと思う。
主人公には、あと5年くらいは、息子中心でしっかり子育てして欲しい。
と言いつつ、すぐ恋人とかセフレを作りそう。
恋愛よりは、子育ての方が、私は奥が深くて面白いけどなー。
ちょっと長かった🐶
寝不足だったせいもあり、途中、ちょっと居眠りしてしまいました。
死んだお父さんが、それほどいい人に思えないから、犯人、わからなくても、もうええやん、という気になってしまいました。
ダニエル、愛犬にあんな実験するなんてよくわかりません。
お母さんも、勝訴したんならさっさと帰ってダニエルと晩ごはん食べればいいのに、弁護士と食事して、寄りかかったりしてちょっと意味不明。
結局、お母さんが殺してたんでしょうか。
冒頭、やかましい音楽をタイマーで鳴らす設定にして、すでに殺めていたのかな🤔
じゃあ、冒頭で話終わってたか。
ちょっと長かったな😅
犬の演技が光っていました🐶
荒川良々みたいな検事
いつもの映画館②で
今月で閉館と 寂しい
この間はここでコットを観て落涙寸前だったんだな
今日は陽気につられて電車で来て昼にビールでも飲るかと
期待に違わぬ濃密で重層的な満足映画だった
テイストは怪物に近い気がするが
羅生門的な手法ではなく単一の視点で物語が進む
しかし観終わった後の気持ちは近い
あぁいろんな人のレビューを読みたい
20年くらい前のオラだったら
ん 結局どっちなのよ 気持ち悪いなぁ
とか もっと単純に意味を解せずハッピーエンドでよかった
なんて思っていたかもしれない
年間100本以上の鑑賞と55年の人生経験によって
こういう作品がいいと思える境地に達したことが嬉しい
あとからいろいろ思い出しそうだ いい映画の共通項
【本筋と関係ない話】
・荒川良々みたいな検事
・元ジャニーズのアイドル顔の弁護士
・フランスでは検事がサンタみたいな服とか
弁護士も奇妙な服を着ているのか 日本は取り入れなくてよかった
裁判員は取り入れたな
・イギリスは議会でカツラみたいのを被るんだっけか
もの凄い言葉の応酬に圧倒
観終わったて数時間。
まだ「落下の解剖学」というタイトルと観てきた話とを
整理している最中。
裁判劇ゆえにもの凄い言葉が出てくる。もの凄い量の言葉!
思考の切り替えとか、物事の見方、見る方向で全く違う
見解になるし、全部納得できそうだけど、全て受け入れられないし、結局は
誰も見てないから本当のことは誰も分からない
に着地するんだけど。本当のことじゃなくて、本当のこと「っぽい」のはどれか?なんだよなー。
昔宮部みゆきさんの「誰か」に書いてあった
“人は本当はどうだったか?よりどう見えたのか?に心を寄せてしまう気まぐれなもの”という言葉を思い出した。
そして今思うのはやはり子供は偉大だな、と。
法廷で明らかにされる同業夫婦の対立と内心
う〜む、これがパルムドールですかぁ、、
その上、アカデミー脚本賞まで、、
ちょっと、レビューサイトの平均スコア含めて、評価高すぎやしませんか?
いや、駄作とか、失敗作とかまでは思わないです。
ですが、いちばんのテーマは、法廷シーンの後半になって、夫婦喧嘩の録音と回想シーンによって明らかにされる、作家同士のカップルの複雑な心理的対立ですよね。
日本で夫婦ともに作家ってぇと、文化庁長官もつとめた三浦朱門(1926-2017)と曽野綾子(1931- )が一番有名ですかねぇ、少なくとも片方が存命の方だと。
学者、研究者だと多いですけどね、夫婦で教授とか。でも、その場合、微妙に専門分野を変えたりして、直接ぶつかり合わないように配慮(?)している場合がほとんどでさぁね。
大変ですよ、日常起居をともにするパートナーが同業、それもクリエイター稼業の場合。
書けたら書けたで、お互い能力ぐるみで比較されるライバルになってしまうのだし、いざ書けなくなったら(それが本作の不幸の原因)本業に関するジェラシーや焦燥感や苛立ちは全部相方に向かってしまうんですからね。
まぁ喧嘩の一部始終を聴いてて、観てて、明らかに妻のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)の言ってることの方がまともで、夫サミュエル(役名もキャストも公式に表示がないってどうよ?)の方は夏休みの自由研究の課題が休み明けになっても決まらない小学生が、必死に駄々をこねてる感じの混乱ぶり。
どう見ても、妻の方に正義がありましたよね。
視覚障がいのある息子ダニエル(ミロ・マジャド・グラネール)が、トラウマで爆発するとか、法廷で思いもよらぬ爆弾発言でもするのかと思いきや、上記の判断に基づく、まぁよく言って最も冷静な一証言者ってだけで、それ以上の役割は果たしていなかったですよね。
法廷で、サンドラが勝訴したあと、なにかドンデン返しがあるのかと、冷や冷やしながら見守りましたが、結局何事もなく母子が抱き合って、車でどっかお出かけして終わりなんで拍子抜け。
法廷も、年長の女性裁判長はちょっと怖くて威厳があったけど、それにサンドラ側の弁護士ヴィンセント(スワン・アルロー)の被告女性への接近ぶりもどうかとは思うけど、アントワーヌ・レナルツ演ずる検察官、相手側の証言を主観だと糾弾するくせに、自分こそ主観による決めつけ丸出しで実証能力あかん感じでレベル低かったですしね。
これだけ双方の言い分聴いて、勝ち負け明々白々なんだから、これを羅生門スタイルとか言うのは、モノのたとえとして間違ってますしね。
要は、ダニエルくんの知性に、あなた負けちゃってますよ、ってジュスティーヌ・トリエ監督に言われちゃってるよ、っていう‥‥
*裁判で親の嫌なところを聴かされたダニエルくんの今後を心配するレビューがやたら多くて、あれれ、と首を捻りました。あれだけ冷静な証言ができた彼です。むしろこの裁判を経験することで成長した。そして父親よりも男性として尊敬できる大人になるに違いない、というのが監督の伝えたかったメッセージだったはずなので。
何だか、クライムミステリーなのか、わくわく法廷劇なのか(まぁ比重的にはこっちですが)、視角障がい者の少年がキーなのか、何やら不気味なワンちゃんスヌープ(メッシ)が鍵を握っているのか、etc.‥いささか焦点を絞りきれず、とっ散らかってしまっている印象を受けました。
それら引っくるめて、「作品世界の作り込みでして」ってんなら、是枝さんの『怪物』の方がよっぽど作り込んでるし、スマートだし、ロマンチックだし、エモいですからね。
ところどころ間延びしてたから、40分短くして2時間に納めても同じプロットで、充分できるでしょうに、って感じ。
久々に、無駄に長い映画だなって思いましたもん。
あと、時々カメラ移動とかズームとかが手ブレしたりピンぼけになったりとか、あれ最近流行りの何とかですか?
ウェルメイドを避けるつもりかも知れないけど、今やありきたりの手法で、かえって「またか」と思うだけでした。
まぁ、妻の側が女性と不倫していたとかのところは『TAR』を思わせなくもなかったけれど、ともに自らのキャリアで生きている男女の夫婦の話としてはレナード・バーンスタインと妻のフェリシアの関係を描いた『マエストロ』に案外近いと思いました。
『マエストロ』のレビューは、私パングロスのFilmarks初投稿(2023.12.24)。
再見もして、バイの夫との夫婦関係を詳しく分析もしましたので、ご関心の向きは是非ご覧くださいませ(一部省略版を映画.comにも2024.2.11投稿)。
おっと、自己宣伝で終わるのも何ですんで、もいっかい『TAR』との比較だけ片付けときましょうか。
『TAR』の場合、クラシック界に取材して、本当は、バイだけど家族愛も強くてオシドリ夫婦をまっとうした、アメリカ出身にして世界の指揮界のトップに初めて躍り出たレナード・バーンスタイン(LB)だとか、全米クラシック界の頂点たるメトロポリタン歌劇場音楽監督の座で長期政権を維持しながら任期満了直前に昔の少年加害(ジャニー喜多川と同じ。ちなみにLBにはそうした噂は聞かないので味噌とクソを一緒にしないように)を訴えられて業界から追放されたジェームズ・レヴァインとかをモデルに作劇しようと、はじめ考えたらしいんですね。
ところが、それだと、そもそもクラシック界に少ない女性を排除する結果になって女性蔑視の批判を浴びるだろうから、指揮者をレズビアンの女性に替えて、ケイト・ブランシェットに演じさせたところ、キャンセル・カルチャーを見事に風刺した上に、ある種のフェミニズム批判にもなっているとか、大方の好評を博したわけですね。
要は、トッド・フィールド監督は、頭いいってか、まぁズルいやっちゃ、なんですが。
それに対して、本作のジュスティーヌ・トリエ監督、自身が女性じゃないですか。
だから、夫婦のうち、女性作家の方が仕事ができて、夫婦喧嘩しても言うことがいちいち正しくて、おまけに裁判でも勝ってしまうって、どうよ、男性蔑視なんちゃうのん、って批判は当然あり得ると思いますね。
だって、夫の方は、仕事が手につかなくて、うつ病になって医者にはかかるわ、夫婦喧嘩すれば正論でやり込められるわ、自殺して死んだら死んだで、法廷で恥ずかしい録音流されて、裁判でも女房には勝ち誇られるわ、‥これじゃ文字通り、踏んだり蹴ったりですよね。
なんか、「弱者男性は死んで良し」みたいな感じで。
まぁ、これは、小ずるいフィールド監督に対して、トリエ監督が、
「頑張ろうとする女に対して、男ってやつは、これだけ無理解で理不尽なんですぅ。
みんなぁ、わかってぇ!」
って、悪気なく、純粋に思っているだけなんだと思いますけれど。
だけど、自殺しても、妻からは一向に謝ってもらえない、ってのも、死んでも死に切れない、ってやつかも知れませんな。
本作、ありていに言えば、女性側の言い分が認められれば良し、弱者男性のことは(死んだって)知ったこっちゃない、ってゆう、割と原始的なフェミニズムに立脚した作品だと思いますね。
ちょっと乱暴に要約すると、自殺した死人(それも夫)に鞭打ってみましたって話だし、ね。
そうゆうとこ含めて、よくカンヌが賞を与えたな、という感想に戻ります。
《参考》
【前編】宇多丸『落下の解剖学』を語る!【映画評書き起こし 2024.3.7放送】
アフター6ジャンクション2 2024.3.6
※後編へのリンク、文中にあり
町山智浩の映画特電『落下の解剖学』を解剖する。ミステリと言うなかれ。
2024.3.2 ※YouTubeで検索してください
※以上、Filmarks 投稿を一部修正して投稿
父も母も大好きなダニエル
心安らぐ大自然の中での暮らしなのにざわつく。
犬の演技は素晴らしい。ここまでできるのか。
父は自殺なのか、事故なのか、母が殺したのか。
あまりにも辛い選択をしなければなかったダニエル。
母が殺したと思っているからこそあの選択だったのだろう。
これからのダニエルの人生について考えると辛すぎる。
20世紀は
米国が世界の中心だった
その米国の背後には英国がいた。
その彼らが世界に提唱し普及システムは
ビジネスとコンプライアンスの徹底だったかと思う。
本作はその中でも特に
コンプライアンスが幅を効かせる法廷での裁判を軸に
描かれている。
しかも扱う判例は人の死
そこにはその死を取り巻く様々要素、人心が紛れ込む
一筋縄ではない
絡みに絡みまくった要素
それを不確かで時には創作の可能性もある要素で
断じて行こうとする
そこに真実はあるのか?
その時限りの陪審員やその時代の価値観が
正確に裁くなんてできようがない。
そう言いたげな内容だな。と僕は思った。
が、最後のオチは、これからの時代のシステムの変化を
示唆しているようで面白くもあり恐ろしくもあり◎
pimpな気分だわw
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