ハッチング 孵化 : インタビュー
【ネタバレあり】「ハッチング 孵化」監督が語る、母に愛されない少女の闇が生んだ“何か”の正体
北欧発のホラー「ハッチング 孵化」(公開中)のポスターには、柔らかな光の下、フェミニンな柄の壁紙を背にした、ある不穏な家族写真が切り取られている。父、母、息子は、目の部分だけ穴が開いた不気味な仮面をつけている。唯一素顔が見える娘が大切そうに撫でる巨大な卵からは、荒々しく殻を突き破り、血だらけの“何か”が生まれようとしている――。
物語の中心となるのは、フィンランドに住む4人家族。母(ソフィア・ヘイッキラ)は、誰もが羨む“幸せな家庭”を自らのブログで発信することに夢中になっている。そんな母を喜ばせるため、12歳の娘ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)は本心を抑え、体操の大会優勝を目指し、厳しい練習に打ち込む日々を送っていた。ある夜、森で奇妙な卵を見つけたティンヤ。彼女がこっそりと子ども部屋のベッドで温めた卵は、瞬く間に巨大化していき、遂に孵化する。
本作で長編監督デビューを果たしたのは、フィンランドの新鋭ハンナ・ベルイホルム。北欧らしく洗練された世界観で、ティンヤの血や涙などの“痛み”を吸った卵から生まれた“何か”が、一見幸福だが空虚な家族の仮面をはぎとるさまを、抜群のビジュアルセンスで描き出した。ベルイホルム監督に、おぞましい物語の背景にある母娘の歪んだ関係、SNSが家族の在り方に与える影響、プロダクションデザインや美術のこだわりについて、話を聞いた。(取材・文/編集部)
※本記事には、映画のネタバレとなりうる箇所があります。未見の方は、十分にご注意ください。
――企画の始まりは、ベルイホルム監督と、脚本家のイリヤ・ラウチさんとの出会い。ラウチさんは当初、「少年が鳥の卵から自分の悪い分身を孵化させる」というアイデアを持っていたそうですね。少女に変更した理由や、どのように物語を膨らませていったのか、教えてください。
イリヤが出してくれたその1行のアイデアから全てが始まり、本作のテーマも生まれてきたんです。アイデアを聞いたとき、母と娘の物語や、成長するときに感じる痛みなどを描きたいと思いました。
少女にした理由は、映画全体のなかで、女性の視点や女性そのものを描く物語がまだまだ足りないし、自分自身がもっと見たいという気持ちがあったからです。少女に設定した瞬間から、物語として全て合点がいったように感じました。というのも、社会から課される「常にベターでなければいけない、まだ足りない、行動という意味でもルックスという意味でもある程度の基準を満たさなければならない」というプレッシャーを、女の子の方が男の子よりも、より大きく受けていると思っているからです。
作業としては、イリヤと一緒に長めのあらすじを作り、そこから脚本の段階でも、全てのバージョンを話しながら作っていきました。脚本の第一稿ではSNSの要素は入っていなかったんですが、「自分の体面を保つ」という設定を考えたとときに、今日、その場所はまずSNSであると感じたんです。追加したSNSの要素で、物語が大きく広がっていきました。
――母は見せかけだけの幸福な生活を、SNSを通して世界に発信しています。SNSや、SNSに紐付く自己承認欲求は、家族の在り方や人間関係に、どのような影響を与えると考えますか。
実際に、SNSで自分の生活を発信している人がたくさんいますよね。多くの人がやっているから、別に悪いことではないと感じるかもしれないけれど、私は、特に子どもの写真を撮ってシェアしている人を見ると、子どもの個人的な瞬間、人生の瞬間における権利を侵害しているんじゃないか、どこにそんなことをする権利があるんだろうと思うのです。撮ったものを一度アップロードすると、ある意味では永遠に残ってしまうものになる。大人が勝手にそういう写真を撮る権利があるのか、世界中に発信して見せてしまっていいのかと思うことがあります。
誰かがブログなどで完璧な生活を発信しているのを見ると、色彩なども完璧にマッチしすぎていて、私は逆に笑ってしまうんです。それはブログのスタイルなのかもしれないし、悪気はないのかもしれないけれど……、もしかしたら発信することで、何かのグループに帰属できる、帰属している気持ちになれるのかもしれないですね。(SNS上で)誰もが見せている完璧な世界観は、どこか似通っていると感じることが多いので……。
――母の高すぎる期待にこたえようとする少女ティンヤ。娘を自分の承認欲求を満たすための所有物、もしくは果たせなかった夢を託す存在として扱い、己の幸せだけを追い求める母。このような歪んだ母娘関係をテーマに据えた理由を教えてください。
子どもであれ大人であれ、自分のありのままの姿を見せても愛されないのは恐ろしいことで、それこそがホラーではないかと思っています。だからこの題材は、ホラーとして描くのがぴったりだと思いました。常に愛されるにはいまの自分では足りなくて、もっと頑張らなければならないと思わされることもホラーだし、受け入れられるためには自分の全てを見せられず、ある側面を隠すのも恐ろしいことだと思います。
――劇中では母がティンヤに向けるもの、ティンヤが卵から生まれたアッリに向けるものという、ふたつの母性が描かれています。異なるふたつの母性を、それぞれどのように描きましたか。
母は、ティンヤが自分に帰属しているという意識があり、娘は自分の夢を叶えるための存在と考えていますが、彼女の全てを受け入れているわけではないんです。一方、ティンヤがモンスター(アッリ)に持っているのは、その全てを受け入れるという感情です。
それらを通して見せたかったのは、母がティンヤのことを愛そうとしていないということです。だからこそモンスターが生まれる。でもティンヤはモンスターを愛し、外見が醜く、短所があるかもしれないけれど、彼女はそこに美しさを見出す。その愛で、モンスターは全ての面を備えた人間になっていく。愛されないことからモンスターが生まれるけれど、ありのままの誰かを受け入れれば、その人を癒すことができる。誰もが、ありのままで存在できるようになるということを描きたかったのです。
――アッリのビジュアルやキャラクターは、どのように作り上げていきましたか。
フィンランドでコンセプトアートを扱っている方たちに、「一緒に開発してほしい」とお願いしました。もともと彼らに実在の鳥やカラスの画像を渡していて、それから「摂食障害で、拒食症で、すごく痩せている体」というインスピレーションを伝えました。なぜならこの映画は、摂食障害がひとつのテーマだからです。
ティンヤは体操選手として完璧な体つきをしているので、その真逆を表現する体にしたかったんです。だから、四肢のサイズもばらばらになっています。外見も醜くいびつでヌルヌルしていて、うまく歩くこともできないし、何事も満足にできないような体をしている。サイズは、ティーンエイジャーの少女くらいにしたいと当初から考えていました。卵から生まれてくるものは、ある意味で怒れるティーンエイジャーの体を、いびつに表現したような造形になっている。親に反抗しながら、同時に愛されたいとも思っている、そんなイメージです。全てが邪悪なのではなく、目はイノセントさを持っていることを表現したかったので、大きな目にしてもらいました。
――アッリの造形として、鳥を選ばれた理由を教えてください。母鳥が巣のなかで、弱いヒナにはエサを与えないという生態、刷り込み(生まれて初めて見たものを親だと思うこと)など、物語と重なる部分が多いと感じました。
もともと脚本家のイリヤが出してくれたアイデアが鳥だったということもありますが、鳥がぴったりだと思ったのは、すごく細くて脆い骨が、体操選手であるティンヤ自身の脆さとすごくフィットするからです。母鳥は食べ物をヒナにあげるときに、自分がかみ砕いて吐いたものを与えます。本作に摂食障害というテーマがあることも、鳥が良いと思った理由です。
――社会問題を描くという観点で、ホラーというジャンルはどのように機能すると考えますか。
ホラーは、社会的な問題、人間の関係性や感情といったものを掘り下げるうえで、すごく良い表現なのではないかと思っています。ジャンル映画のなかには、社会的な問題をアーティスティックな形で扱っているものも多いし、新しいやり方で描く方法を見出すことができると思います。考えてみると、ジャンル映画自体がおとぎ話のようなものであり、おとぎ話は普遍的で誰もが共感できる、昔からある物語ですよね。だからこそジャンル映画、ホラー映画を通して社会問題を描くことは、自然なマッチングなのではないでしょうか。
――「美しく明るい環境で起こる恐怖を表現したかった」と語っていらっしゃいますが、家族が暮らす洗練された家やティンヤの部屋など、プロダクションデザインや美術のこだわりを教えてください。
観客に、落ち着かない感覚を抱かせるビジュアルを意識しました。完璧に見えるけれど、どこか違和感があり、恐怖を抱かせる造形を考えていました。本作で表現しているのは、母が作り上げたいパーフェクトな世界なんです。彼女は暗い秘密のようなものは許容しないので、影やダークな要素は、このデザインには一切入っていない。光もちょっとソフトな感じ。素敵でラブリーでフェミニンなものがたくさん使われていて、色彩も同様です。洋服や背景など全てが色も含めてマッチしていて、マッチしすぎて逆に怖いような造形です。完璧な家をコントロールしすぎている母が怖いと感じてもらえるようにしました。
バラもたくさん登場しますが、実は全てドライフラワーです。バラの数も多すぎて、逆に息が詰まるような感覚。反対に醜いモンスターという秘密は、家のなかで隠された影の部分になります。ギャップを意識して、光溢れるラブリーな世界観を見せることで、ホラーの要素を感じさせたかった。伝統的なホラー映画では、邪悪なものは影の溢れるところに潜んでいることが多いですが、本作では必ずしもそうではなく、この光溢れる場所に、ものすごい怖さを感じるようにしたかったんです。
――ティンヤ役のソラリンナさんは、1200人のオーディションで選ばれました。彼女を抜てきした理由と、演技の感想を教えてください。
最初のオーディションでは、自分で撮影した2分の動画を送ってもらったんですが、演技はもちろんのこと、体操選手の役ということで、運動神経も重視しました。それから、ものすごく大きな怒りの表現として、大声で叫んでもらったんです。子どもが演じるにはすごく難しい表現だなと思ったんですが、シーリは動画の段階から、演技がすごく自然でした。心から叫んでいるように見えましたし、カメラに向かって強烈な視線を向けてきて、そのときに「すごい、この子だ」と思ったんです。オーディションとしては3段階あり、そのどれを見ても彼女は、キャラクターのそのときの感情に飛び込んでいて本当に素晴らしいと思ったし、自然に備わった才能だと思いました。
シーリとは、動きの面でいつも自分の感情を全て見せない、閉じた身体表現についてよく話しました。ティンヤは、自分の感情をうまく表現できないので、逆にアッリを演じているときは、いろいろといびつな動きを通して、ティンヤが表現できない感情を全て解き放つ演技をしてほしいと話しました。
シーリは本当に、常に素晴らしかったです。彼女を演出することは本当に喜ばしいことでした。ティンヤというキャラクターはすごく感受性豊かで、他人の感情を読み取ることに長けた、知性ある女の子。特に母親の感情を、ちょっとした表情の動きだけで捉えられてしまうので、愛されたい、受け入れられたいと思っているティンヤはすぐに影響を受けてしまう。そのことは、シーリだけではなくイリヤ、衣装デザイナーとも話しました。ティンヤの衣装は、彼女が選んだものではないと明らかに分かるような、ちょっと脆いというか、お人形っぽい服装をイメージしています。
――これまでに影響を受けた映画監督や作品があれば、教えてください。
本作を作るうえで参考にしたものは特にありません。自分が映画をデザインしているときは、何かのものまねはしたくないので、あえてほかの映画のことは考えないようにしていました。
自分自身がいろんな意味で影響を受けた映画作家は、黒澤明です。好きな作品は、その時々によって変わるんですが、やっぱり「乱」です。ほかにも「どですかでん」「七人の侍」はもちろんのこと、「デルス・ウザーラ」も好きですね。黒澤好きだからといって、彼と同じ映画を作りたいわけではありませんが(笑)。
最近見て良かったのは「アザーズ」で、ホラーとドラマの美しいコンビネーションがすごいと思いました。人を怖がらせることよりも、ホラーを通して物語を綴りたい、語りたいと思っているので、そうした意味で良い作品だと思いました。また、フィジカルな形で女性のキャラクターを表現した「RAW 少女のめざめ」も、すごく好きでした。
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