百花のレビュー・感想・評価
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マーザー
あまり期待はせずに鑑賞。この感じの邦画はあまりハマらないものが多いので。
まぁ案の定、というか予想以上に映画として面白くない作品でした。
個人的に今作との比較対象は昨年公開された「ファーザー」が近いなと思いました。両作品とも親が認知症になり、ファーザーでは認知症になった父親の視点から、「百花」では認知症になった母親を見守る息子の視点から展開されていきます。面白さや怖さで言えば圧倒的「ファーザー」でしたが。
良かった点
・映像が美しい
とにかく人物を映す際の映像が綺麗です。絞った人物のみにフォーカスを当てて映像にしているので、映像に集中してみるととても感動できます。ただ、この映像の美しさには違う問題が付き纏っていました。あと服装や装飾品の色へのこだわりがいいなと思いました。明るい色と暗い色でしっかり対比を演出しており、人に寄り添っていくごとに色が明るくなっていくというのも良い味を出していました。
悪かった点
・とにかく面白くない
内容が薄いです。認知症の母親に振り回される息子の話ではあるんですが、とにかくバックボーンが語られないのが問題です。母親はなぜ子供を置いて男と駆け落ちしたのか、実の父親はどうしているのか、駆け落ちしている間に泉はどう過ごしていたのか、AIシンガーの意味合いとは、震災がなかったら帰ってこなかったのか…。とにかく解決されずにほっぽってる状態のまま終わったので、上映時間104分の割に長く感じてしまいました。
認知症もといアルツハイマーと謳いつつも、行動の繰り返しを見せられており、認知症啓発のための映像を良い映像で見せられているように思いました。認知症の人は決して悪いとは思っておらず、周りもそれは分かっているのですが、やはり第三者の視点から観ると嫌悪感を抱いてしまうシーンが多かったです。謝るよりも先に自身の思いを並べて浸る、この様子が個人的にキツかったです。実際に体験していないというのもありますが、実際に周りの人がこのような感じになったら気を病むだろうなとも思いました。
・俳優の無駄遣い
菅田くんと原田さんは主演という事もあり、悲哀に暮れる演技が光っていました。ただ、周りの登場人物にフォーカスが当たっていないのが気になりました。長澤まさみさん演じる泉の妻はどうにもキャラが薄く、長澤さんの存在感が大きいだけにミスマッチな役柄だったなと思いましたし、河合優実さんや岡山天音さんをモブ扱いしていたのが個人的には許せなかったです。モブといってもしっかり役は与えるべきですし、天音くんに至っては殆ど顔が映ってなかったのも違和感だらけでした。
年間を通してのワースト候補まではいきませんが、ここ最近の邦画でも面白くなかった部類です。しっかりエンタメとしての面白さも重視してほしかったなと思いました。
鑑賞日 9/13
鑑賞時間 10:40〜12:35
座席 N-27
原作の大ファン
お母さんのアルツハイマーといづみの幼少期の記憶の勝負
お母さんの失敗といづみの責める気持ちの葛藤
お母さんのいづみへの想いといづみのお母さんへの想いの対比
お母さんの演技最高でした
あの半分の花火は1番きれいだよね
「半分の花火」に限っては称賛したい
冗長なドキュメンタリー
期待して観に行ったけど、正直全然ダメだった。
いちいちテンポが悪い。
これは俳優ではなくて演出の問題だと思う。
セリフの無い時間が埋まってない。
そもそも脚本も何をしたいのか分からない。
なぜ母親の男との逃避行をあんなにしつこく生々しく描くんだろう。
息子をほったらかしで出て行った理由、息子の元に帰ることにした理由。そこらへんをちゃんと説明してくれないと、母親の心情について行けない。
すごく自分勝手な母親に見えた。
実話の部分なのかもしれないけど、阪神淡路大震災がいきなり挿入されるのも違和感があった。
川村元気さんの小説は映像化をするつもりで書いていると思っています。...
花火が半分…
受け入れ難いし、ピンとこない
認知症の人の心の中を描写した映像というと、アンソニー・ホプキンスが主演した「ファーザー」を思い出す。記憶や今見ているものの危うさを突きつけられるようで、観ているこちらが戸惑い混乱した。
本作で原田美枝子演じる母が見ている風景は「ファーザー」に通じる、認知症の人が感じているあやふやで曖昧な感覚を体験できるものとしてよかったと思う。また、長澤まさみの演技も自然な感じでよかった。ちょっとコメディタッチで若干大げさな演技のイメージが強いので、こんな長澤まさみもいい。
ただ、肝心のお話が今ひとつピンとこない。そもそも母親の過去の行動をどう捉えるかが大きなポイントなのかもしれない。個人的にはそれがどうにも受け入れ難かった。感動的な(はずの)シーンも、だから?と若干冷ややかな気持ちになってしまう。泉くんよ、それで許せるのかい?
いや、もしかしたら人の記憶について考えさせる物語ってことなのか。AIとかバーヂャルアーティストが出てきたのもそのためか?どちらにしてもピンとこなかった。
記憶がなくなっていくのは、なくなってしまえばある意味幸せかもしれない
百花というより百面相と云うべき鬼気迫る原田美枝子の名演。流石の菅田将暉も添え物の感有り。
①舌足らずな部分を想像力で補わなくてはならないので映画としてはまだ未熟だなと思う。「半分の花火」というキーワードの本当の意味がわかるラストも感動が盛り上がらない。②記憶を無くしつつある人が最後まで記憶に残っていたものを、昔の記憶に縛られている人が忘れていたという皮肉。そしてその“もの”が母子の絆を象徴するものであったのに、母が記憶を全く失ってから息子が思い出すという残酷さ。でもそれが人生というものなのかも知れない。③というのは観終わってからあれこれ考えて監督(原作者)はそういう事を言いたかったのだろうと想像(解釈)したまでで、前半の原田美枝子が認知症の症状が出てくるところ(同じことを何度も繰り返す、昔の愛人の幻を見る等)はなかなか上手いと思ったが、後は映画としては表面的な描写に終始した上にやや綺麗事に流れてしまった。認知症が発症するまではリアルさがあったのに、発症してからの描写が喰い足りない。泉が認知症の母の面倒を見る大変さの描写も殆ど無いうえ、24時間ヘルパー(?)を直ぐ雇えたり(というか雇って楽できている?)、海辺の認知症ホームに入れることが出来たり、これから親が認知症になるかもしれない現実に向き合わなければならない者としては、“現実はそんなに甘くないよ、ダブルインカムとはいえあの仕事ってそんなに儲かるの?”、と現実に戻されてしまった。④子供を置いてまで愛人に走った女がまた母親に戻った背景として阪神淡路大震災を持ってきたのは構わないと思う。相手の男は震災で死んだのかもしれないし、死ぬかもしれない目に遭って自分が本当に大切に思っているのが息子だとやっと分かった、という流れも悪くない(息子の名を叫び続ける原田美枝子の演技は確かに素晴らしい)。ただ、地震のあとあんな軽装で瓦礫の街を歩いたり誰もいないのは小説ならヒロイン一人の心象風景として描く分には問題ないが、映画は思いっきり抽象的に描くか或いは具体的な描写を背景にヒロインの行動を描くべきで、中途半端な描写は却って白けてしまう。⑤そんななか、女の部分をさらけ出している若い頃の姿(どうやってシワ隠したのだろう?)も含め演出の足りないところを想像力を喚起させて穴埋めする原田美枝子の演技は素晴らしいと思う(し、映画が成功していないので勿体ないとも思う)。ラスト、どうやってホームから連れてきたのか此れまた?の描写だが完全に呆けてしまった原田美枝子の表情演技は『アリスのままで』のラストのジュリアン・ムーアの演技に勝るとも劣らないと思う。⑥菅田将暉は演技的にはいうことはないが、もうすぐ30台だからか少し顔にオッサンが入ってきているなァ。⑦永瀬正敏はどの映画でも上手いが、ここでも母親が息子を捨ててまで追っかけていった男を、さもあらん、という雰囲気を醸し出している好演。
記憶を失っていく生の中で"忘れられない記憶"と"忘れたくない記憶"こそがその人を形作る... 新たな命を迎える青年が老境の母の生と性に向き合う
菅田将暉さん、原田美枝子さん、そして長澤まさみさんというスターキャストを擁して繰り広げられる親子の愛憎劇・・・原作小説も手掛けられている川村元気監督の長編映画初監督作品です。
プロデューサーや絵本作家としても活躍されているだけあって、登場人物とテーマを極限まで集約した観客に深く染み入り易い構成を取りつつも、過去と現在が瞬時に入れ替わる幻惑的で人を食ったような演出に作家としての自我や初期衝動も注ぎ込み、全体として話題性の高さのみに終わらないエネルギーを孕んだ作品に仕上がっていたように思います。
特に出色なのは、他の映画であれば若い頃の演技は年の若い別の女優さんに演じてもらうこともごく普通でしょうが、本作では泉を置いて恋人と神戸で一年間を過ごした若き愛の日々も原田美枝子さんが演じられています。
その媚態も厭わぬ変わらぬ美しさもまずもって凄いですが、一連の時間を彼女が演じたことによって、百合子という一人の女性の生涯がより強烈に意識されるようになったと思います。
人生は残酷だ
双方の視点
つかみどころがない
映画を観た人の心に残すものとして何を伝えたいのかがよく分からなかった。過去に一度捨てられた子どもの心の奥底に母を憎んでいる感情が残っているところまでは分かる。でもなぜ母が息子を捨ててまで男と逃げたのか?それほど自由奔放な人間だったのかが中途半端でよく分からなかった。もう少し母側の心の奥底に潜む心情を表すシーンがあっても良かったんじゃないだろうか。
結局誰にフォーカスを当てた作品なのだろうか
若くして認知症を患う母と触れ合いながら過去の記憶を辿る息子の物語なのだが、観ていても母(原田美枝子)の息子(菅田将暉)への懺悔か悔恨なのか息子(菅田将暉)の母への恨み節なのかはたまた自分自身が忘れてしまっていた母との記憶、その思念への詫びなのか、どうにも大きな幹が見つけられないまま上映時間が終了してしまった。
過去の母から受けた仕打ちなのだろうか、息子の母に対する接し方はぎこちなく淡泊を通り越して無関心なようにも映り、母は母で、その当時のことを引きずっている風でもないように感じられ、そうすると終盤で母が謝るのはまだしも、何故息子が謝るのかが今一つ共感できないままだった。
できればもう少し長尺になっても良いから母が何故いつも黄色い服(そして一輪挿しの色も)なのか、自分の幼少期の記憶を生まれ来る子供に対してどう変換して行くのか、妻(長澤まさみ)とどう向き合おうとするのかを見せてくれたら入り込めたかもしれないと、やや残念に感じた。
それにしても最近のドラマには国内外を問わず嘔吐シーンを多用するのでしょう?嘔吐する原因も明確では無かったような気がするんだよなぁ。
原田と菅田の、迫真の演技が心を離れません。
次々にヒット作を生み出している映画プロデューサー、脚本家の川村元気が、実体験を基に書いた小説を原作に、初めて長編映画を監督しました。認知症を患った母親とその息子、それぞれの物語を交互に描いていきます。
レコード会社に勤める葛西泉 (菅田将暉)とピアノ教室を営む母・百合子(原田美枝子)は、過去のある「事件」を機に、互いにわだかまりを抱えたまま暮らしていました。 そんな中、百合子が認知症を発症。日に日に記憶を失っていく一方、泉は母親との思い出をよみがえらせていくのです。
物語は、泉が母の日記を通じ、「事件」の真相を初めて知ることで大きく動き出します。百合子が繰り返しつぶやく、「半分の花火が見たい」という言葉の真意を、泉と一緒に観客に探らせながら。
ワンシーンワンカットは序盤はやや無理が目立ちました。なによりも展開が遅く感じられて、認知症を扱った映画をより重く感じさせたのです。ただ終盤に向かうほど結実。いわゆる“認知症の映画”という枠からもいい意味で逸脱し、一人の女性の生々しい生の瞬間と喪失のはかなさに迫っていきます。
母の胸にずっと生き続けてきた目に見えないものを映し撮ろうと真正面から挑み、これまでにない女性映画となりました。
また母への葛藤が和らいでいく泉の心の動きや、記憶を失いながらも息子への愛を貫く百合子の切実さに触れ、親子とは何かを考えさせられました。母と息子の何気ない日常や夫婦の会話からふとした思い出がよみがえり、しまい込んでいた記憶を取り戻したような感覚を味わえることでしょう。それにしても記憶を失う母と、母に向き合うことでかつての記憶を取り戻していく息子の何と皮肉な取り合わせなんでしょうか。
実家の机に置かれた一輪の黄色い花、親子で一緒にビスケットを食べた思い出など、伏線めいた、過去の記憶に関わる場面の差し込み方が巧みです。2人の心境の変化がよく感じとれた上、ラストの感動が増幅されました。
極めつきは、泉のことが判別できなくなり、少女のように駄々をこねる百合子に、泉が「なんで忘れてんだよ、こっちは忘れられないんだよ」と叫ぶシーン。原田と菅田の、迫真の演技が心を離れません。
う〜ん
認知症を絵空事で文学的に幻想的に描いたら、こんな感じといった印象。...
ただ‼️ただ‼️菅田将暉に泣かされた‼️❓ただ‼️それだけ‼️❓
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