百花のレビュー・感想・評価
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百花の意味って
認知症という流れを進めながら『純粋な家族の愛』が描かれていたように思います。
ラストで出てくる『半分花火』が、大勢の人で溢れかえる現在の河原での花火ではなく、小さなアパートのベランダから観た、この世で二人だけが共有した記憶であったというシーンは、目頭が熱くなりました。
失礼ながら原作小説を読んでおりませんのでなんとも言えませんが、『百花』とは、劇中何度も形を変えて登場する『一輪挿し』の事ではないかなと思いました。
花一輪一輪が記憶の象徴であり、様々な記憶(花)を束ねて花束にして、子から母へ愛を込めて贈るというメタファーだと勝手に理解しました。純愛物語ですね。
認知症ものと捉えると、それのみで終わってしまいますが、母と子が生きている間にお互いの記憶を手繰りながら理解しあえる事の大切さは美しいと思いました。
とても良い映画なので、是非とも多くの方々に鑑賞していただきたいです。
そのほかの感想…
○原田美枝子さんが美し過ぎる。演技も素晴らしくて、その点だけでも鑑賞の価値ありです!
○震災のシーンはトラウマの人々には刺激が強すぎる。重要なシーンだから仕方がないでしょうけれど…
○映像が全般的にアニメーションっぽい。押井監督や細田監督作品の感じがしました。特に繰り返しや現在と過去が交錯するシーンなど。
○CGキャラクターは必要だったのかな?役者が作品のテーマをさらっと言う点で、ちょっと冷めました。
でも本当にオススメです。普段邦画をご覧にならない方には特に。
以上です。
おもちゃ箱をひっくり返したような映画
なかなかの問題作
自らが犯した衝撃的な過去の記憶に生き、さまよい、そして忘れていく母と、その過去に囚われ、戸惑い、そして無意識にも自分を守るために断片化する記憶を通して母を見る息子の物語。
シンプルな手法ながら、過去にあまり累をみない見せ方で「進行するアルツハイマー型認知症を表現」していて、とても初監督作品とは思えないけど、そこはやはり立場こそ違えど、多くの作品に携わり手がけてきた実績、そして自らが原作し、さらに脚色を手掛けた正に「川村元気の作品」だからこその仕上がりと感じます。
そして、主演の二人。まずは、出演作が多いこともあり最近は必ずしも良作とは思えない作品でガッカリすることも儘ある菅田将暉さんですが、今作では「これぞ真骨頂」と思わせる会心の演技で感心させられます。
さらに輪をかけた「凄み」の演技で圧倒する原田美枝子さん。映画が進むにつれ、正直、「直視できなくなるような気持ち」をも感じさせるほどの居た堪れなさで、自分の「親に対する全て」について身につまされる思いでした。
万人、特に若い人にはちょっと解らないと感じる作品かもしれませんが、それを踏まえてこそ「なかなかの問題作(褒めてます)」である気がします。あっぱれ。
うーん
老いの物語りを美しく撮ると言う神技
いやぁ「神技」ってのは言い過ぎかも知れませんが。そう言いたくなるくらいに良かったです。TVドラマじゃ出来ない、まごう事なき「劇場用映画」。そこが良い。
長回しのオンパレードです。間があります。情報量は最低限。いずみと直接の関わりの無い部分はザックリ削ぎ落とします。無駄に喋りません。劇的な展開は有りません。起承転結の爽快感で映画を観る方には不向きです。
「捨てられた」と言う強烈な体験が、母親との思い出に蓋をしていた男。母親と眺めた「半分の花火」の事も、「ウチが一輪挿しになった理由」も忘れていました。対して。混乱していく記憶の中でも大切な思い出は消えていなかった母。記憶と忘れると言う事、を軸にした母子の物語りは、小さい小さい小噺程度の出し物。劇的な展開も、華々しい感動もないけど、ゆっくりゆっくり染みて来ます。
川村元気が自ら監督したのは、この脚本で受けてくれそうな人が居なかったからなんじゃないかと勘繰ってしまうくらいに地味でしたが。
良かった。
かなり。
と言うか、好き。
まぁ、いずれにしてもですよ。
メイクって魔法だよー!
ってのは思いましたw
言葉足らずですが…
昔しまい込んだ過去を思い出し
…あの時、親に辛い思いさせられた。
フラッシュバックしてみたり?
親になった自分に
自分自身は忘れてしまったけど、子供に辛い思いをさせてしまった事があるんだろうな。など…
言葉が足りず上手く表現できていません、色々自問自答しました。
観た感想は不完全燃焼というのが本音です。
演技も映像も綺麗で懐かしい役者さんもいましたし…見応えはありました。
本心…涙活で観に行きました。^ ^
泣けませんでした。
共感できませんでした。
残念です。
自分自身が、子供を置いて出ていく生活の経験がないため共感が乏しく菅田さん役の泉が、子供の頃に受けた傷、母との関係を修復したところの説明も不足に思え
それが、修復してないままの本編なんかな?
合ってるかな?
大人になった泉が幸せだから、母を愛せたのかな?
親が1年後?自分の元に帰って来たからと言って、子供は何事もなく母と平和に生活できるものなのかな?
私は許せないな、反抗したい。
しっくりこない。
感動した方申し訳ない。
言葉足らずです。
【”罪と罰、そして赦し・・。”母子の複雑な関係性及び息子の母に対する想いの変遷を菅田将暉さんが、抑制した演技で魅せる作品。今作は哀しき物語ではあるが、柵を克服し、人を赦す大切さを描いた作品でもある。】
ー 若年性アルツハイマー型認知症に罹患した母は、僕に”半分の花火が見たい”と言った・・。-
◆感想
・ストーリーは、泉(菅田将暉)と母、百合子(原田美枝子)の現在と泉が小学生時代だった時を交互に、見せながら進む。
ー 今作は、泉と百合子の母子の過去と現在の関係性を8割がたの時間を割いて描いている。
そして、泉の妻、香織(長澤まさみ)と、百合子が一度だけ、生活を共にした浅葉(永瀬正敏)の4名で主要登場人物は構成される。-
・物語のトーンは、抑制されており、又、母、百合子の泉が小学生時代の一年間の”逃避”をどう見るかで、感想は変わって来ると思われる。
百合子に対するどこか、よそよそしい接し方をする泉の姿。
ー 個人的には、百合子の行動は許されるべきものではないと思う。
彼女の行動により、泉は心に深い傷を負ったのであるから・・。
更に言えば、浅葉と出奔した理由が、ピアノ教師と生徒の関係から、”同じ曲が好き”と言う理由だけで、愛息子を独り置いて行くだろうか・・、とも感じた。ー
・泉が母の部屋で見つけてしまった手帳。内容は映されないが、泉は内容を読み、吐瀉するシーン。それ程、泉にとっては衝撃的な事が書かれていたのだ。
ー ここは、百合子が浅葉と暮らしてた時に再会した旧友(神野美鈴)と喫茶店で、話している時の旧友の言葉”離婚なんか出来ない・・。子供がいるから・・。だから心の想いを手帳に書いているの。”という台詞とそれを聞いた百合子の表情が、効いている。ー
・そして、泉が百合子に対して、”あの時、何で俺を置いて行ったの・・”と血を吐くように言う姿。更に”忘れてるんじゃねーよ”と、荒々しく母に涙しながら言うシーン。
ー 菅田将暉という、俳優の凄さを改めて感じたシーンである。-
・ラストシーンも、印象的だ。ほぼ放心状態の母と息子が一緒に花火を見るシーン。
花火の下半分は、前の建物で隠れて見えない。
その前にも、妻が調べてくれた”半分の花火”のシーンがあるが、観る側が真の”半分の花火”が分かるシーンである。そして、泉はそれまで抱いていた柵から解き放たれ、確かに百合子に愛されていた事(一輪挿しのシーンなど・・)を思い出すのである。
そして、既に泉の事が分からない筈の百合子は、施設の近くのバス停で、泉を深く抱きしめるのである・・。
■私は、このシーンは百合子の泉に対する”詫び”と”愛しているんだよ・・”という、無意識のメッセージとして鑑賞した。沁みたシーンである・・。
<人間は”魔が差す”ことが偶にあると思う。それは、”大きな魔”であったり、”小さな魔”であったり・・。
今作は、母の犯した”大きな魔”により、深い傷を心に負いながら育った青年が、”半分の花火”を母と観る事で、確かに母に愛されていた事を思い出し、母を”赦す”切ない物語である。>
静かな展開だからこそ、俳優の力量が試される映画
静かで、光量の少ない映画です。ですが、ポイントでぐっとくるものもある映画です。暗さの中に、はっとするシーンがあります。最後のクライマックスは記憶というあやふやなものの本質をついているような感じもあります。
健康な人間はしっかり物事を記憶していると思っているけれど、記憶というのは自分の置かれた状況によって意味合いが様々に変わり、読み替えられていく。認知症を患った母親と、許せない記憶にすがる息子の対比で、記憶に生きるひとの在り様を描いているんだなって思いました。
こういうアクションの少ないカット、カメラワークの静かなカットは、まさに俳優の演技が映画の出来不出来に直結すると思います。その意味では、原田美枝子ってすばらしい女優だなって思いました。最後の施設でピアノを弾いた後に見せる表情。あれは難しい。誰に向かってはっきりどのような感情を出しているのかさえ、わからないというシチュエーションを演じた見事な表情です。
菅田将暉も、涙のシーンはほんとうに感情移入できるし、最後のシーンはさすがにここぞという締めのシーンを演じ切ってます。この二人の俳優の力を感じる映画でした。尚、長澤まさみの妊婦姿みれるのもレアです。
#66 私には良さがわからなかった
母と息子の記憶と互いに対する想いの違いを描いているんだろうけど、私には良さが全然わからなかった。
子供よりも恋を選んだ母を延々と恨んでる息子も、ひたすら誰かに頼って生きてる母親も全然共感できない。
唯一共感できたのは、人は忘れるから生きていけるってこと。
良いことも悪いことも全部覚えてたら頭がパンパンになって新しいことを覚えられないし、何より嫌なこともずーっと覚えてたら気分悪いもんね。
そういう意味じゃAIに生まれなくて良かった。
ちょっとむずかしい
いろいろ考えさせられる
自分に置き換えたとき 果たして菅田将暉のようにできるのか
辛い記憶が勝るのは当然 その中に思い出があったとしても もう一度みてみようおもう また違う感情になるとおもう
認知症って…居心地わるい
認知症を体験しているかの様な
何とも居心地がわるかった
周りを暈してピントがズレた感覚
何度も同じことを繰り返す映像
感情が入っていく時に
バッサっと場面が変わって
感情の行き場が失くなる
もっと落ちついた気持ちで観たかった
湖面に写る
…半分の花火はとっても綺麗
湖面に写るので大輪の花火に見えた
余談…息子夫婦が会いに来て帰る場面
バス停で母が息子を抱きしめる
シーンは感動
認知症の母は記憶の薄いなかで
息子の小さかった頃の
…泉をさがして
また息子、泉は認知症になった
…母をさがして
さがしたふたりの思い出は
ビルで半分しか見えない
…半分の花火だった
「記憶」を巡るせっかくの仕掛けが機能していない
劇中、記憶を詰め込みすぎたAIの歌手の失敗によって、「忘れることは人間らしさでもある」ということが語られるが、確かに、人というのは、自分にとってインパクトのあること以外は忘れてしまうものなのだろう。
その点、認知症になった母親が、最後までこだわった「半分の花火」と「一輪挿し」が、彼女にとって最も大切な記憶であったということはよく理解できるし、息子がその理由を知って、自分に対する母の愛に気付くという物語の構造にも納得できる。
しかしながら、そこに持っていくまでの物語の流れには、違和感や不自然さを感じざるを得なかった。
例えば、母の日記から、母が愛人と駆け落ちした状況が明かになるが、そこでは、母の心情が語られないし、一人残してきた息子を心配する気配もない。さらに、阪神大震災が起きなければ、母が息子の元に戻ったかどうかすら分からないのである。そんな神戸のエピソードには、本当に必要だったのかという疑問が残る。
物語の核心とも言うべき「半分の花火」にしても、息子が覚えていなかった(忘れていたのを思い出した)というのは不自然だし、「一輪挿し」に至っては、息子が思い出したのかどうかすら明かでない。
こうした語り口から、母が大切な記憶以外を忘れていく一方で、息子が大切な記憶を思い出していくという仕掛けが、十分に機能しているとは思えなかったのは残念だった。
花火も記憶も半分
歳をとった人向け
友人の母親がホームに入所した。
アルツハイマーの症状が出始めた彼女は「早く死ねばいいと思ってるんでしょ」「邪魔なんでしょ」などと返事のしようがない憎まれ口を叩き続けてるらしい…
ちゃんちゃんこが目前となった私もボケるんじゃないかな⁈って思う事が多々ある。
ついさっきの事を失念したり同じ事を繰り返し口にしてみたり…
共に多くの時間を過ごして来た子供としては居た堪れないなと。
大手の代理店に勤めて素敵な同僚と結婚。順風満帆を絵に描いたような菅田くんの役どころだけに苦しさも大きい。
逃げ出したくもなるよね。
原田美枝子の焦点の定まらない視線が上手いなと。
焦点が定まらない故考えが読めない怖さが伝わります。
ただ若い人が観てもつまらないだけの作品だと思います。
エンタ色の薄いドキュメントに振った作品。
原作読んだ方が楽しめたかな?
普段から映画を観ない人には薦めないと。
母と息子が愛を取り戻す物語
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