やがて海へと届く : インタビュー
岸井ゆきの×浜辺美波、人に優しく寄り添う物語に込めた願い 映画初共演を振り返る
「親友」という言葉に触れた時、脳裏をよぎる存在はいるだろうか。心を許し合い、会えない時間が長くとも、時の隔たりを感じることがない。そんな対象と巡り合うことは難しい。だからこそ、かけがえのない存在になっていく。
では「親友の“全て”を知っている」と言い切ることは可能だろうか。それは親友という存在に巡り合うことよりも困難なことかもしれない。固い絆、そして深い愛情で結ばれていようとも、「見える部分」と「見えない部分」は生じてしまうものだ。
1990年生まれの中川龍太郎監督が“20代最後の集大成”として取り組んだのは、彩瀬まる氏の小説「やがて海へと届く」の実写映画化。同作は、壮大なスケール、幻想的な描写から「映像化困難」とも囁かれていた作品だ。主人公は、突然消息を絶った親友・すみれの不在を受け入れられずにいる真奈。彼女が赴くことになった“本当のすみれ”を探す旅が描き出されていく。
あなたのことを、私はどれだけ知っているのだろう――。
真奈は、旅を通じて自覚していく。親友の「片面」しか見えていなかったことを。
中川監督の過去作には「喪失」というテーマが紐づいている。「愛の小さな歴史」では家族、「走れ、絶望に追いつかれない速さで」では青春時代を共有した友人、「四月の永い夢」では恋人、「わたしは光をにぎっている」では居場所、「静かな雨」では記憶。それらを失った者たちが、どのように「再生」への1歩を踏み出すのかという点を描いてきたように思える。
作品を生み出す原点となっているのは「自分を導いてくれるような存在が突然に暴力的に消えてしまう」ということ。新作「やがて海へと届く」では、東日本大震災という要素を織り込んだ12年間の物語によって、このテーマを貫いてみせた。
中川監督「憧れの存在がなくなったとき、人は少し自立しなくてはならなくなります。その人がいない世界で、残された人は新しい人生が始まる。それを真奈とすみれという、これまでとは違う視点で描いてみたかったんです」
映画初共演となった岸井ゆきのと浜辺美波は、その思いを託された。主演の岸井は、突然いなくなった親友を想い続ける真奈の心の機微を繊細に体現。浜辺は自由奔放で不思議な魅力を放ちながらも、秘密を抱えるすみれに息吹を注いでみせた。
中川監督が生み出した唯一無二の世界で、岸井と浜辺はどのように生きたのか。2人の言葉から、その旅路を紐解いていこう。(取材・文/編集部 岡田寛司)
――ドラマ「私たちはどうかしている」で既に共演されていますが、映画としては初タッグの機会となりました。今回の共演、改めていがかでしたでしょうか? また、お互いに対しての“発見”がありましたら、教えていただけますでしょうか。
岸井:「私たちはどうかしている」で共演していた頃は、毎日一緒にいるわけではなかったんです。それに対立するような関係の役どころだったので、仲良くお話するような雰囲気でもありませんでした。だからこそ、改めて“初共演”のような気持ちで臨まさせていただきました。意外だったのは……思ったよりもサバサバしているところ(笑)?
――浜辺さんはいかがでしたでしょうか?
浜辺:前回の共演時は、あまりお話する機会がなかったので気がつけなかったのですが、皆が目で追ってしまうような存在です。お菓子をひとつ食べるにしても、その食べ方がすごく可愛らしい。
岸井:(笑)。
浜辺:皆がかまいたくなっちゃうような存在なんです。強い女性でいらっしゃるのですが、何かをしてあげたい、話してみたいとなってしまう。求心力のある方だなと思いました。
岸井:お菓子は、皆から渡されていましたね。「こっちもあるよ」「こんなのもあるよ」って(笑)。
――ありがとうございます。では、作品の話に移っていきましょう。真奈は多くを語らず、その内側には、誰にも伝えていない感情が渦巻いています。「セリフや目線で真奈の気持ちを伝えようとは考えていなかった」「監督にも『真奈はこういう気持ちですよね?』と確認はしなかった」のことですが、「初日から色々と話し合いながら役を作らせてもらったのですが、真奈が客観的にどう見えているかを教えてもらいながら、主観と客観、両側から見ることを実践していた気がします」と仰っています。これは役を作るうえで、どのような効果をもたらしたのでしょうか?
岸井:まず“真奈の気持ち”という点に関してですが、その感情は抱え込んでいた方がいいと思っていたので、あえて言わなかったんです。でも、その一方で抱え込みすぎてしまうと、実際はどう見えているのかというのがわからなくなります。だからこそ「外からは、どう見えていますか?」というのを確認していました。例えば、シーンにおけるセリフには“ここからここまで”という決まりがありますが、そのシーンの前後にも、真奈には生活が存在しています。そのことを示したかったんです。初日は、かなりバタバタしている状況だったのですが、(中川監督と面と向かって)お話がしたいという感じだったのかもしれません。いきなり「モニターを見ながら……」というよりも、もう少し近い距離感で話し合ってから、撮影に臨みたいなと思ったんです。
――中川監督は、話し合うなかで、キーワードのような抽象的表現を用いる方だそうですね。例えば「壁」です。「壁」というものは、真奈に限らず、全ての人が持っているもの。「壁」を越えられるから仲良くなるわけではなく、「壁」があるからこそ人は親密になれる。岸井さんは「監督からキーだけを受けとって、どこのドアかなって探すような瞬間」と表現されています。
岸井:“中川語”のようなものがあったんです。他にもいくつかあったと思うんですが……。一番びっくりしたことは、台本なんです。読んでいたら、問いかけられたんですよ。
浜辺:あれは、私もびっくりしました(笑)。
――「問いかけられた」とは、どういうことでしょう?
岸井:ビデオカメラに向かって語りかけるというシーンがあるのですが、台本を読んでいたら「ここで真奈は何を言うのだろうか?」と書いてあったんです。「何だ、この台本は……? え? 私に言ってるの?」と(笑)。小説であれば見かける表現ですよね。文中に書いてある「あなた」が「私(=読者)」というもの。でも、台本に語り掛けられたことなんて、これまで一度もありませんでした。(中川監督は)面白い方ですよね。
――仰る通り、質問調のト書きは珍しいですね。浜辺さんは「すみれは秘密を抱えていて、抽象的な表現も多く、彼女の考えを脚本から読み取るのが難しい役でした」と仰っていますね。改めて、中川監督とのタッグはいかがでしたか?
浜辺:確かに脚本のト書きは多かった印象です。美しい言葉でシーンの説明がなされていたのですが、実際にどうなるのかというのはあまりわからなかったんです。私自身「一対一の人を描く」というような作品にあまり出演したことがなかったので、撮影が始まった頃は、作り方や撮影のスピード感に驚きました。
――撮影現場での話し合いによって、役への理解を深めていった形でしょうか?
浜辺:私というよりも、岸井さんがそうされていたと思います。(本作は)岸井さんが主軸ですから、どういう表情をするかによって、セリフ、動きも変わってきます。真奈ちゃんの部屋で30~40分程、岸井さんと一緒に(作品に)馴染む時間というものがありました。そういう時間を通じて「一緒に作品を作る」という形だったと思います。中川監督も「こうだよ」という風に決めつけませんでしたし、色々なものをパッと差し出され、その流れに身を任せるような感じでした。
――特徴のひとつとなっているのが、冒頭とクライマックスに差し込まれるアニメーションパート(WIT STUDIO制作/監督:久保雄太郎、米谷聡美)。すみれを取り巻く幻想的な世界が、水彩タッチによって、繊細に描かれています。浜辺さんは「私にとってあのアニメーションがあったことは役を考える救いになりました」と仰っていますが、アニメーションパートからは、どのようなものを受け取ったのでしょうか?
浜辺:特に“海へと届く”ラストが印象的です。アニメーションで描かれていたすみれの表情は、すごく穏やかでした。彼女はずっと何かを探し続けている女の子だったのですが、そこへ“届く”ということが、すみれにとっては、悲しすぎたり、苦しすぎることではなかった。苦しみから解放されるという側面の方が強く、むしろ「救われた」「見つけた」というものが際立った、朗らかな気持ちだったんだなと思ったんです。苦しみ続けたわけではないことを知って救われた気持ちになりましたし、この表情に向かっていけばいいんだということがわかりました。それと、すみれは、このラストへと至るまでに、色々なものを捨てていくような感じの子でした。それらを捨てきった時の表情は、こんなにもすっきりしたものだったんだなということもわかったんです。
――アニメーションパートは、浜辺さんにとっての“道しるべ”のようなものだったんですね。お答えいただき、ありがとうございました。岸井さんは、いかがでしょうか?
岸井:冒頭のアニメーションは、映画が完成する前に拝見させていただく機会があったのですが、後半のパートは、試写室で初めて見ました。台本上では抽象的な言葉で書かれていたのですが、実写では絶対に表現できないものだなと思っていました。実写で描いてしまうと攻撃力が強すぎる表現と言えるのかもしれません。アニメにすることによって、一歩引いたところから見ることができる。アニメだからこそ、心にすっと入っていく感覚です。「やがて海へと届く」は、わかりやすく構成された作品ではないと思っているのですが、このアニメによって補完できる情報が増えたような感じがしました。(アニメの効果で)皆の物語になった――そんな気がしています。
――お答えいただきありがとうございます。では、最後の質問とさせていただきます。封切り日、本作は観客のもとへと巣立っていきます。鑑賞された方々の間で、どのような作品に成長していってほしいでしょうか?
岸井:この作品は、観客の皆さんへどういう風に“届く”んでしょうね。真奈は、受け入れることができたかどうかはわかりませんが、すみれへの思いに対して、1歩踏み出すことができました。でも、それが「答え」ではないと思っているんです。人それぞれ、色々な出会いと別れを経験してきていると思います。そして、その出来事に対しての答えや思い、考え方は、それぞれで異なると思います。例えば「忘れないといけない」と考える人もいれば、「忘れたくない」と思う人もいますよね。無くしてしまったものを、無理に切り離さなくてもいいと思うんです。「そうしなければいけない」と決めつけたくはありません。この映画も「こうですよ」と言い切ってはいません。出会いと別れに対しての思いが、見た方々にどう芽生えるのかというのも気になりますし、(作品が)届いた先で「それぞれの物語」と繋がればいいなと思っています。
浜辺:“決めつけていない”作品なんです。「こういう風に思ってほしい」ということも、中川監督の“別れ”についての答えも示されている訳ではありません。そういう意味では、人にとても優しく寄り添っている作品だと思っています。心のキャパシティを少し広げてくれる。そんな作品になってくれればいいなと思っています。そういう存在になれたら、いつか思い出してもらえるような作品になるのかなと考えていました。「答え」がないからこそ、どんな感想を聞くことができるんだろうと、私自身今からとても楽しみです。