パラレル・マザーズ
劇場公開日:2022年11月3日
解説
スペインの名匠ペドロ・アルモドバル監督が、「オール・アバウト・マイ・マザー」「ボルベール 帰郷」など数々の作品でタッグを組んできたペネロペ・クルスを主演に迎え、同じ日に出産を迎えた2人の母親の物語を描いた人間ドラマ。
写真家として成功しているジャニスと17歳の少女アナは、同じ病院の産科病棟で偶然出会い、同じ日に女の子を出産。ともにシングルマザーとして生きていくことを決意していた2人は、再会を誓って退院する。ところが、ジャニスがセシリアと名付けた娘は、父親であるはずの元恋人から「自分の子どもとは思えない」と言われてしまう。それをきっかけにジャニスがDNA検査をしたところ、セシリアが実の子でないことが判明。アナの娘と取り違えられたのではないかと疑うジャニスは、悩んだ末にこの事実を封印し、アナとも連絡を絶つ。しかし1年後、偶然アナと再会し、アナの娘が亡くなったことを知る。
ジャニス役を演じたペネロペ・クルスが、2021年・第78回ベネチア国際映画祭でボルピ杯(最優秀女優賞)を受賞。2022年・第94回アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされた。アナ役はこれが長編映画出演2作目のミレナ・スミット。
2021年製作/123分/R15+/スペイン・フランス合作
原題:Madres paralelas
配給:キノフィルムズ
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スペインには情熱の国というわりとステレオタイプなイメージがあって、さりとてアルモドバルやビガス・ルナのスペイン映画を観る限りどれも情熱がほとばしっているので、あながち間違ってもいないのでは、と思ってきた。この映画でも、主人公たちが何かを決断する基準は、やはりロジックよりエモーションで、だからこそおかしな状況に陥ったり、ぶつかり合ったりするのだが、この映画のジャニスやアナには、お互いが感情的な生き物だと認めた上で、ちゃんと話し合って解決を見出す理性が備わっていることが、この映画の美点だと思う。物語の背景にスペイン内戦の悲劇があるからこそ、連帯するスキルの大切さを描いているのだと受け止めた。
2022年11月13日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
ともに意図しない妊娠だがシングルマザーとして出産することを決意した写真家のジャニス(ペネロペ・クルス)と17歳のアナ(ミレナ・スミット)。2人は産院で出会い、同じ日に女の子を出産する。
パラレル(スペイン語ではparalelas)は「並行の、同時進行の、相似の」といった意味。出産時のシーンでは、2人がそれぞれ分娩台で産科医らに囲まれ痛みに耐えながら無事に産んで赤子を抱くところまで、ショットが交互に切り替わりながら同時進行で提示される。同じ産院で同時刻に生まれた同性の赤ちゃん2人、という状況でたいていの観客が予想する展開が、まさにその後のストーリーの肝になる。とはいえ、脚本も兼ねた名匠ペドロ・アルモドバル監督は、サスペンスの味付けも添えつつ、母2人の葛藤、連帯、愛憎、喪失といった複雑な感情と関係性を魅力たっぷりに描いていく。
さらに、アルモドバル監督が長年温めてきたテーマだとする、1930年代後半のスペイン内戦時の“共同墓地”をめぐるサイドストーリーが絡んでいく。主義主張の違いだけで罪なき市民が大勢処刑され、まとめて埋められたが、近年その孫やひ孫が墓を開いて遺骨の身元調査などを行うよう働きかける運動を続けているという。こちらは市民同士が憎み合い血を流した痛ましい記憶であり、また血を受け継いだ子孫らが先祖に敬意を表する行いでもある。母と子をつなぐ血、かつて流された血が、衣装やインテリアなどで多用された鮮烈な赤によって強調されている。
非常に面白いものを観た。『オール・アバウト・マイ・マザー』から23年。我々はアルモドバルにしか描くことのできない愛の形をどれだけ目にしてきたことか。この映画に関して言えば、写真家と被写体が冒頭5分で内戦の記憶について話をし始め、かと思えば続く数分のうちにセックス、妊娠、出産と豪速球で進む。つまり10分で本作に必要な条件の全てを俎板の上に揃えてみせる。まさにアルモドバルならではの強靭な語り口だ。それらを彩るパステルカラーの壁紙、室内の草花、主人公が着こなす真っ赤な衣服。これらを観ているだけで視覚的な生命力がみなぎってくるかのよう。さらに展開部で明かされる子供の取り違いと、歳の離れた二人の”マザーズ”の間で育まれる絆は決してありきたりの方向には進まず、いつしか内戦の記憶というある種のDNAを絡め、回収するところこそ本作の真骨頂。過去が現在を照らし、現在もまた過去を照らし出す構造がそこにはある。
たまたま同じ日に出産を迎えた2人のシングルマザー、ジャニス(ペネロペ・クルス)とアナ(ミレナ・スミット)。けっして交わるはずのなかった2本の平行線が、2人の赤ちゃんにおきたある悲劇によってクロスする時、スペイン内戦の犠牲となった先祖たちの霊が成仏する、といった幾何学的人間ドラマである。
「ジャニスは、劇中の大部分において2つの大きな意図を持って行動している。内なる葛藤と恐怖を胸に秘めているのさ。アナが彼女の新しい役割として適応する反面、罪悪感を増幅する存在にもなる」監督アルモドバルが語っているジャニスの恐怖と罪悪感については、映画を見れば自然と観客に伝わってくる単純明快なストーリー。が、アルモドバルが映画の最後にさらっと忍ばせた、スペイン内戦の悲劇とジャニスの葛藤とが心理的には直接結びつかないのである。
自らゲイであることをカミングアウトしているのにも関わらず、女性を讃歌する作品が非常に多いアルモドバル。部屋のインテリアや衣装、そして登場するガジェットの色使いも相も変わらずビビットであり、70歳を過ぎても依然創造力は衰えていないようだ。タイトルが示唆している平行線とクロス(十字架)の意味に気づけないと映画の真意にたどり着けないという意味では、人間の内面よりもむしろ外面=行動に重きをおいた作品といえるのかもしれない。
シングルマザーであるジャニスとアナの実父も、2人が小さい頃にすでに生き別れており、女手一つで育てられたという共通点を持っている。薬中の母ちゃんが20代で死んだジャニスと、女優業の妨げになるため実母に放置されて育ったアナ。通常ならば自分の母親と同等に赤ちゃんを扱ってしまうところだが、ジャニスとアナは(映画を見ておわかりのとおり)娘たちに無償の愛を注ぎ続けるのである。思っているだけではなくちゃんと“行動”にうって出たのだ。
もしも2人が、妊娠後途中で中絶したり、仕事優先で育児放棄したり、はたまた怠け者のベビーシッターに赤ちゃんをまかせっきりにしたりすれば、ジャニスとアナの人生は平行線のままでけっして交わることはなかっただろうし、先祖の遺骨も共同墓地に埋められたまま、永久に無縁仏となったことだろう。女の出産育児に対する執念とも言うべき強い思いをちゃんと行動で示したからこそ、2人の運命が引き寄せられようにクロスした。そうだそうにちがいない。