ONODA 一万夜を越えてのレビュー・感想・評価
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喜劇であり悲劇
小野田氏が日本会議のメンバーであり、亡くなるまでずっと右翼的な考えを持ち続けた事に非常に興味がありました。あの惨たらしい戦争に対する怒りや贖罪は最期まで持つことはなかったのかと。 劇中、小野田氏と小塚氏は日本のラジオを聴いていました。捜索にきた小野田氏の父親と兄は戦争は終わった事を訴えていました。彼らはルバング島での雰囲気からも戦争が終わったことを理解していたと思います。 しかし、彼らは自分達が創作した物語から出ることはありませんでした。自分達が創作した物語から出られなかったという方が近いかもしれません。小野田氏は谷口上官の命令が無いとこの物語から出られないと言いました。彼の主体性の無さ、私には実に滑稽に映りました。 彼らが創作した物語は、実に勇ましい物語です。しかし、現実は違いました。第二次世界大戦で亡くなった日本人は310万人で、兵隊の8割は餓死で亡くなっています。アメリカが原爆を作っている時に、日本は竹槍訓練をしていました。それが、現実です。 この愚かな物語を初めに書いたのは、大日本帝国です。つまり、小野田氏は大日本帝国が創作した物語に敗戦後も更に物語を付け足していったに過ぎません。だから本作は喜劇であり、悲劇でもあるのです。 今の自民党の議員にも大日本帝国が創作した物語から出られない人間が散見されます。どうやったら日本がこの物語から出られるのか?まさか、上官からの命令がないと出られないのか?だから、この物語が誤りだった事に主体的に日本が気がついた時に、初めて日本の民主主義が始まるのではないでしょうか。 私はクストリッツァ監督のファンなので、クストリッツァだったら小野田氏をどうやって滑稽に、日本の戦争をどうやって悲しく撮るんだろうと思ってしまいました。観てみたいです。
戦争という呪い
フランス人の監督がとったからだろうか。
美談になりすぎていない。
それがいい。
どうしても敗残兵というと終戦を知らされず知らない土地で戦い続けた英雄をイメージしてしまう。
僕も今までそうだった。
しかし、この映画は小野田が現地住民に対して行ったことが淡々と客観的に描かれる。
非難するわけでもなく弁護するわけでもない。
見る人にただただ委ねられている。
そう感じる。
物語の見どころはやはり仲野太賀さん演じる鈴木が島にやってきて小野田と対峙する場面。
戦時中を生きてるものと平和な世の中を生きてるものの対峙が戦争というものがどういうものかを浮き彫りにする。
久々に面白いと思った日本人主演の映画
新宿の歌舞伎町TOHOシネマで見てきました。 劇場は小さいところで、それでも人がたくさん入っていてました。 劇場で見た久々に面白い日本人主演の映画でした。最近の邦画はお金がかけられないことやあまりいい監督が出てこないこともあり低迷しています。しかし、本作はフランスの監督が撮影し国際共同制作ということでとても面白い映画に仕上がっていると思いました。3時間弱の映画で長いですが、小野田少尉の30年を3時間に詰め込んだ分濃度が高いと思いました。 以前から小野田少尉の体験を映画化したら面白いだろうなと思っていました。実際に制作されて大変嬉しく思っています。 小野田少尉は30年の戦争生活のなかで、ルパング島の現地人を30人ほど殺害しているらしいですが、本作で現地人との戦闘シーンは隊員の生死がかかったところでしか描かれていないために少なめです。そして、劇中で小屋を立てて生活するシーンが続きますが史実だと横穴を掘っていたそうです。少々脚色はありましたがそれでもドキュメンタリー、人間ドラマとしての映画であるため人物の心情描写は文句無しに良かったと思います。 今の日本で小野田少尉の体験だけでなく戦争の記憶は薄くなってきています。だからこそこのような映画を作って後世に伝えていく必要があると思います。私はまだ学生ですか多くの戦争映画を見てきて学びがあるばかりです。 戦争を知らない子供たちにこそ見て欲しい映画作品だと思います。
3時間ドラマ的なドキュメタリーの様な作品
事実を知ってるのは生き証人の小野田本人だけなのでどこまで現実に近い話なのか横井さんとよく比較されるが彼はもっと下級の一般兵で自給自足の生活村荒らしや現地人に危害を加えたことは無かったらしい今でもアジアを日本が解放したと言ってる人が多いが現状は欧州から植民地を攻略しただけ一般人が日本兵を殺すのは合法?小野田が村荒らしや現地人を殺害したことも罪には問われず法的にどうなのであろうか?
過去の記録だけではない
この物語は、戦争という状況下での小野田さんという稀有な人物の特異な行動である。 個人の判断を捨て軍という組織の命に盲目的に従い、行動・善悪・情報の解釈、それら全てが歪む。 その有様は今の我々も同じではないだろうか。 自分の中に脈々と流れる、日本人の性を見せられているように感じた。
見逃したくない力作
封切り2週目の週末。新宿・歌舞伎町で鑑賞。都内でも上映館はそれほど多くなく、シネコンで回すのも時間が早かったり遅かったりで、あまり恵まれていない作品。近くのシネコンではいい時間帯がないため、新宿まで足を延ばして行った。僕以外もそういう人たちなのか、こういう作品が好きな人で9割方狭い館内が埋まっていた。 47年前、「小野田さん」の帰国を憶えているとしたら、ほとんどは50代半ば以上だろうか。 当時生まれていない人からすれば、どんな感じで報道がされたか想像できないかもしれない。 1974年(昭和49年)3月12日に彼は帰国。その時期に僕は小学校6年。中学に入る前の卒業式間近というころだったか。テレビで延々とそれが生中継された一部を見た記憶がある。たしか、郷里の和歌山に戻った際(つまり帰国当日ではない)、関係者とトラブルがあってか、小野田さんがちょっと怒り出して走り出す…という場面がテレビで中継されるハプニングがあったような記憶がある。Wikipediaにはそんな記載はないが、あれだけの生き方をした人だから、帰国しても結構長い期間は本人はもちろん、周囲も緊張し続けたんだろうな…。 さて、作品だが、彼が軍人になったエピソードや、ルバング島でどう生き、最後はどうやって「投降」したのかが過不足なく描かれている。 彼が現地民と「戦闘」し、何件かの殺傷事件や略奪…それも彼にとっては戦争、戦闘行為だが…を起こしていたのは知っているので、そのあたりも、まあ演出の範囲で案外抑制されていたように感じた。 監督、制作陣の中心がフランスらの外国人でありながら、ほとんどのキャストが日本人俳優であるのに、うまく演出している、と感じた。 つい先日見た「MINAMATA」での、アメリカ人目線で描く日本人について抱いたその違和感とは大きな差がある。こちらのほうが、ずっとよい、ということだ。 映画好きなら、四の五の言わずにぜひ見てほしい。 アクション映画でも、ロマンス映画でもないけど。
「負の連鎖」が生み出した、人間の愚かさと不幸を鮮明に描き出した作品
小野田さんのことは本やテレビで聞いたことがあった。 「1974年まで戦争を続けた兵隊がいる」 という事実がどうしても私の記憶から離れなかった。 なぜ? 戦争は1945年で終わったはずなのに… 私からみてもそう遠くない時代に、 太平洋戦争が続いていたという衝撃。 正直いうと、よく知りもしなかったから、 「マヌケな兵隊がいたものだ」 くらいに思っていた^^; この映画を観て、その事情を知り、 ものすごい寒気がした。 ところで、この映画はフランスの映画制作チームが主体 (キャストは日本人) 批判的でも擁護するでもない、 客観的な視点で1人の男の生き方を鑑賞できる。 また、フランス映画らしいアーティステックな描写が観ていて気持ちいい。 小野田さんが29年間、ジャングルに潜んだのは、 「とうの昔に意味を失った命令」 のせいだったかのように語られているが、 それは多分そのとおりなのだけど、 おそらくは、残った仲間同士での 「集団心理」も働いたのだろうと想像できる。 状況を冷静に考えれば、 戦争が終わっていることは分かっていたはずだが、 自分自身に嘘をつき続けるしか無かったのだろう。 そんな微妙な人間心理も興味深い。 たった1つの勇気や行動が、 その後の彼らの生と死を変えることになる。 ところでこの 「頭では分かっているのに、引くに引けない」 という、まさにコンコルドの誤謬ともいうべき状況、 この状況は現代の日本においても、 「コロナ」「ワクチン」「SNS」「メディア」「フェイクニュース」 … 様々なかたちで我々の身近に存在するのではないだろうか? しかし、忘れてはいけないと思う、 「命令を出した上官すら忘れた命令」 のために、 小野田さんらは罪もないフィリピンの人々を恐怖に陥れ、 たくさんの人を殺害したことを。 (映画では語られてないが、小野田さんだけでも30人殺しているそうだ) その事実にも目を背けてはいけないと思う^^; この1人の男の人生から、貴重な教訓を学び、 似たようなことを繰り返さないためにどうすべきか、 ひとりひとりが考えるべきだと感じた。 最後にこれから観る方へのアドバイスを。 3時間はたしかに長かったが、「長い」と感じたら、 「小野田さんはこの状況で 、10000日を 過ごしたのだ」 と思うと良い。 苦痛も和らぎます(笑)
有事二備ヘ「ゆであずき」ヲ備蓄シテヲリマス
最後の皇国の兵士、小野田寛郎少尉のルバング島のジャングルでの30年間を中心に描いた映画。
ウキペディアの記述と映画の内容で異なると思われたのは、①島田伍長が眉間を撃ち抜かれた場面での相手は民間人ではなく、フィリピン警察隊。②小塚金七一等兵が川で殺害された場面も相手は民間人ではなく、フィリピン警察隊の銃撃。映画の太いロープに繋がれたボーガンのようなごつい弓矢で2度串刺しにされるシーンはかなりむごかった。これに対し、小野田が小塚のライフルとピストルで対抗し、逃れたというのはウキペディアどおりだった。
30年間に30人の民間人や軍人、警察官を殺したとある。しかし、ほとんどは民間人であり、略奪の際に反撃されたために殺害したものと思われる。小野田自身、民間人の恨みを買っていることには非常に敏感になり、報復を畏れていた。日本政府はフィリピン政府に対して、当時のお金で三億円の賠償金を払っている。
フランス人の監督は島田、小塚の死の場面を描くに当たって、敢えて民間人に対する略奪の報いとして描きたかったのかもしれない。
小野田が1974年に日本に帰ってこられたのは鈴木紀夫(役:仲野太賀)の行動の賜物。
赤津二等兵が投降した1950年に残り3人の生存を知った日本政府。
その後、何回かは帰還捜索隊を派遣している。しかし、1954年に島田、1972年に小塚がフィリピン警察官に射殺される。
鈴木紀夫は国とは関係なく自らの意思で行動する冒険家だった。
ゆであずき。
小さい頃、かき氷に乗せて食べさせて貰った。我が家では贅沢品だったなぁ。
小塚金七一等兵の遺族を思うと胸が痛む。グァム島の横井さんも帰って来たのに。
あと、3年早かったらと悔やんでも悔やみ切れない。
海岸での小野田と小塚のフンドシ姿。小野田が幻を見る海岸のシーン。20年近く、二人きりで過ごしてきたわけだ。ラジオの競馬放送を聞きながら、二人で賭けもして暇潰しをしていた。
皇国の兵士が任務中に賭博行為をするのはセーフ?
何度も捜索隊が赴いており、父親や兄や家族の姿も見たにもかかわらず、アメリカによる傀儡政権の罠だとして、投降しなかった二人。二人とも、自分から投降したいとは言い出せなかったのではないかと思う。それだけ、バティの仲になっていたんだと思った。戦争はとっくに終わっていることを知っていながら・・・・
寛郎の兄二人は東大の陸軍医学校と陸軍経理学校に進み、卒業時点ですでにそれぞれ中佐、大尉となっている。弟は陸軍士官学校航空部隊将校で少尉になっていた。寛郎だけが中学(現高校)卒業後、貿易会社に就職している。県会議員の父親とは昔から不仲であったのは、兄弟となにかと比べられて、嫌な思い出しかなかったからではないだろうか。昭和42年12月に二十歳で徴収され、二等兵から始めることになる。幹部候補試験、士官学校(軍曹)を経て、中野学校二俣分校(ゲリラ戦に特化した秘密戦専門学校)で2ヶ月間の訓練をうけて、少尉としてフィリピンに派遣されている。他の兄弟が軍医や職業軍人を志願したのに比べ、寛郎は元々、そんなに気の強い性格ではなかったのではないかと思った。しかし、兄弟と違い、二等兵から昇級していった寛郎は負けず嫌いで、頑固者。なんとか武功をあげたかったのかもしれない。引くに引けなくなって、29年。
日本とフィリピン政府の間での調整。 なんとか小野田の格好(体裁)がつく形で旧日本兵の救出を行うための一連の儀式はどうしても必要だったと思う。
ひとりだけでジャングルに入って来た民間人の青年に元上官の命令があればそれに応じるとした交換条件を出す対応もなかなかしたたかだ。
小野田寛郎が墓場まで持っていった事実は沢山あると思う。それが小野田の美学であり、生き方だから。上官の命令だけでは説明できないものがたくさんあるはずである。
キャスト。
字幕の最後には故吉武美知子氏に捧ぐと。日本人プロデューサーがフランス人監督にキャストを推薦した。完成、公開を待たないで2019年に亡くなっている。残念。
小野田寛郎(遠藤雄弥、津田寛治)
小塚金七(松浦祐也、千葉哲也)
島田庄一(カトウシンスケ)
赤津勇一(井之脇海)
谷口義美(イッセー尾形)
他
いずれも素晴らしいキャストだった。
命令の責任
戦争が終わって28年、フィリピンのルバング島で最後は1人になり生き延びた小野田さんを、日本だけでなくフランスほかの共同制作で映画化しているいう部分を考えさせられた。
戦争は悲劇であるが、その中での命令の持つ重み、そこに忠実になり、忠誠をちかえば、小野田さんは結果的にあのようにしか生きられなかったのかなと思う。戦争が終わったかどうかではなく、自分に命じられた役割をどこまでも全うし続けたのだ。
それに比べ、時が経ち、命令した側の「軽さ」の対比、それは、もはや時代に翻弄された部分があるとはいえ、もう自分は関係ない、自分が命じたわけではないという他者をも介在させているように感じた。命じた側に命令が残っておらず、何のためのミッションだったのか、その虚しさ。
上官がルバング島に来た時の服装、小野田さんが現れた時に慌ててシャツをズボンに入れる仕草、上官にとって形式的な命令の解除でしか無かったが、小野田さんは、今や遂行する必要がなくなった命令を1人忠実に続けていた状況を感じた時、どう感じただろうか。
長い
全体的にはいいと思うのだけどさすがに長過ぎて途中ダレる。 もうちょっとコンパクトに纏めてもよかったのでは。 あとこれはもうどうしようもないのかもしれないが小声でボソボソ喋るセリフなどが聞き取れない できれば日本語でも字幕有りみたいな上映があるといいなと思う。
サバイバル小野田少尉
思い出しましたよ、TVのニュースで昔 観たのを。どこかの空港に着いた飛行機のタラップから昔の兵隊さんが敬礼して降りてくるのを。あれは小野田さんじゃなかったのかなぁ❓。それとも横井しょういちさんだったのかなぁ❓。お名前間違ってたらすんませんですけど。しかし感動でした。本も読んでみたいですわ。
三時間の上映時間 小野田さんの一万夜
予備知識のない者にとって不親切とも言えるほど説明がない。いや、余分な情報は必要ないのだろう。
フランス人の監督によって作られた作品、この作品を観る大多数の観客は小野田さんのこと、帰国してからブラジルへ渡ったこと、小野田塾を主宰していたこと、陸軍中野学校のことなど知らないであろう。
私たちもただこの映画の中で描かれている小野田少尉と向き合わなくてはならないのだ。
ジャングルから出てきてヘリへ乗り込み、ルバング島の地から足を離すまで、ヘリが飛び立ってからも、ナレーションも字幕も何も入らない。ただ、小野田少尉の真っ直ぐに伸ばした背筋と眼だけがすべてを語っている。
(プラトーンの饒舌なラストを思い出した、今作では何も語らず観る者に委ねている。津田寛治の眼が勝っている)
テレビドラマなどで見る軽いイメージがあったので、津田寛治が小野田さん?と思っていたが、津田寛治は正しく小野田少尉だった。俳優って凄いな。
三時間の上映時間は長いようでも、小野田さんの一万夜を想像するにはこれより短くはならないだろう。
ミナマタと共に日本人は必見すべき作品だと思う。
【今の若い奴はダメ】
賛辞も、批判も抑えたフラットな視点で制作された作品だと思う。 朝日新聞が制作サイドの主要なメンバーだったので、実は批判的な視線が多いのかと思っていた。 ただ、右寄りの人たちからは、小野田寛郎さんに対する賛辞が少ないと批判はあるようだ。 小野田寛郎さんは、帰還後に現地に対して寄付などしていたが、そのかなり極右的な言動や、右翼政治団体の顧問に就任したことがあって、どんな事情があったにしろ、かなりの現地の人間を殺害したことに本当に謝罪の意があったのか疑問が残るとの批判も多くなっていた。 この作品は、極力そうしたことを想起させる凄惨な場面は避けて、戦争の洗脳が、戦後もどのように残っていたのか、仲間とのやり取り、どのようなモチベーションでサバイバルしたのか、帰還を説得しようと島を訪れた人達に疑念の目を向けたり、時には滑稽にさえ見える(仮想)敵の作戦や日本の戦術行動の妄想、それでも日本語が流れるラジオを楽しみに聞いてみたり、孤独にさいなまれるようになると旅行家・鈴木紀夫さんの前に比較的簡単に姿を現したり、洗脳の不条理と人間性とは何なのかを考えさせられるように構成されているように思う。 批判する対象は戦争や洗脳で、それ以外は、この作品はフラットな視線で見つめる映画ではないかと思うのだ。 帰還後の小野田寛郎さんと風呂をともにしたルポライターに「今の若い奴はダメだな」と言っていたエピソードを読んだことがある。 いつの時代も、同じセリフなんだなと思って苦笑したと同時に、小野田寛郎さんが「今」と比較したのは、いつの時代のことだろうと考えて、ちょっと背筋が寒くなったことも思い出した。 鈴木紀夫さんは、その後、雪男に会うためだろうか、海外の雪山登山に何度かチャレンジして、その途中、遭難、命を落とされている。 小野田寛郎さんは、彼は友人だとして、非常に悲しんでいたと伝わっている。
戦争ほど無意味な物はない
小野田さんが帰還した歳と同じ年齢の私は 20歳から今までの生い立ちを考えると なんと長い時間を辛く過ごしたのだろうと 青年期から津田寛治に変わって 津田寛治の顔に滲む年月を感じた。 戦争映画では お国の為に散ると言う教育を受けてる印象だけど こんな風に死ぬ事も許されない部隊もあったんだな。 上官のイッセー尾形さんが迎えにきた時。 シャツをふわっと着用し、三十年平和の中で過ごした上官と過酷に生きてきた小野田の並んでる姿の違いが 心を揺さぶった。 どんな三十年だったのだろうと思うとともに なぜ、途中で違う道を選択しなかったのか。 隊長として、別の道を選んでいたら兵隊をなくす事もなかっただろうに、 と、思ってしまうのだが そんな選択も選ぶ余地がないほどに 任務遂行が最大優先だったのか フィリピンの島の人達も巻き添えになり いい事ひとつもない。 映画ではまだ綺麗に描かれていたが もっと酷い状態だったんだろなぁ 恥ずかしながらと帰ってきた横井さんの事は知っていたがこちらの小野田さんの事は今回の映画で知りました。 この映画もたまたま上映してるのを知ってから みなさんのレビューみたり、Wikipediaで調べたりで 興味が出たので観たのですが こんな映画こそ戦争を知らない者たちが見るべきだと思いました。 津田寛治さん、すごい役者さんだけど 仮面ライダー龍騎出身って知らんかったなー 龍騎むちゃくちゃみてたのに。 青年期の役してた人も良かったな 仲野太賀くんは本当にいい味やわ 170分映画、約3時間ですが全く飽きる事なく 一気に最後まで観れました 途中一番の心配だったおトイレ事情も、 話しに集中してたので行くのも忘れるぐらいでした
小野田寛郎さんは「強い人間」「負けず嫌い」「過去を振り返らない」を描いて欲しかった
本映画はフィクションとして観ることをオススメします。実際の小野田さんたちの生活とはかけ離れている描写があると思います。小野田さんは誇り高い軍人です。彼の29年間のジャングル生活はとても充実していたようです。「負けず嫌い」「妥協しない」「過去を振り返らない」「目的があれば挫折しない」などの名言がNHK番組で語られています。投降しなかった理由に「現地住民に殺される」ことを恐れてとありますが、小野田さんはそんな恐怖心は持っていなかったようです。「戦争とは殺し合うもの」との理由です。そして実際に投降する時は「殺される覚悟」で、軍刀を握りしめての決意だったそうです。本映画はフランス人監督が作っています。ですから人間・小野田さんについての深い造詣描写はありません。逆に日本人監督が海外の戦争映画を撮ると、逆の印象を与えてしまう可能性があると痛切に感じました。この映画を機に、小野田さんの著作を読んで、「答え合わせ」することをおすすめします。 『運だぜ!アート』のluckygenderでした
日本題材の外国映画への思い
小野田さんの映画ですが、監督はフランス人でフランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本合作ということらしいです。 先月観た『MINAMATA』に続き、何故今更という題材での外国映画なのですが、とりあえず思うことは「何故これらの題材が(劇映画として)日本では作らなかったのだう?」若しくは「作れなかったのだう?」ということですね。 今ならこの疑問も国民レベルで風化している題材なので致し方なしって感じですが、過去にも作られなかったのが不思議であり、この辺りに日本映画の課題がありそうです。 そういえば、この映画にも出ていたイッセー尾形主演の『太陽』もソークロフ作品だったし、これらの題材は日本では腫れ物に触る様な題材になってしまっているのかも知れませんね。 本来は、だからこそ誤解を生まない様な作品を自国で作らなければならないと思うのだけれど、それが今の日本映画界(というより日本)の限界の様な気がします。 まあ、上記した3作品はどれも真面目に真摯な姿勢で映画を作って頂いているので有難いですが、これがもっと政治的な意味を持たせたり、悪意を含んだ作品であったならどうでしょう? そういう意味で、他国に先に作って貰うのではなく、自国でも扱わなければならない題材ばかりだし、既にちゃんと作られていて良かった作品だと思うのですが… 日本の映画人にそういう気概のある人がいなかったのか、ちょっと残念です。
どうかしているフランス人の情熱
異国のそれも四世代も前の戦争に於けるある逸話
これを映画にしたいと思い実現するのはもはや狂気の沙汰
「緑と同化している小野田」が最初と最後で見え方が一変
多用される雨の場面 ジャングルロケの為、本当の雨?
仲野太賀の奇跡 1 . がぶ飲みしてからカナブンを払う場面 2. 二週間後の約束して河原から去るときスーっと日が陰る場面
イッセー尾形 戦後の2シーンで本領発揮
捜索に来た父親の俳句を縦読み(横読み)で珍解読
その後おじさんが二人、越中褌で海水浴する萌え場面
ペーソスと時にユーモアを交え、かの"事件"を描く心に迫る力作 おもしろい!
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