ONODA 一万夜を越えてのレビュー・感想・評価
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消えた武士道
小野田さんのことをすっかり忘れていました
1972年というと今からもう50年も前になってしまうのですね
今の若い人達は知らないでしょうし信じられない事実です
映画を見ないにしてもググってもらいたい!
あの時代はみんな狂ってたんだと思います
その命令を忠実に守り抜くのもあの時代までの日本人でしょうね
敗戦後一番変わった(変えられた)のは日本人の生き方のように思います
武士道を重んじて忠義を尽くす事が当たり前だったのでしょうがそれは武士に限っての話だったのに戦争に突入したら国の思想が届いてしまった国民はいつのまにか武士道的な気質になってしまったのでしょうね
アメリカ軍はさぞや恐怖を覚えたことでしょうね
でも、戦後まんまとアメリカにしてやられました
武士道を重んじる日本人って、今NOW見回してもさっぱりいませんよね
彼女や妻の言いなりになる男子の姿しか見えないし強い男子は何ハラくらいに扱われるしまつでしょ
今日本が攻め込まれたらあっちゅう間に降参でしょうよ
自衛隊は負ける直前まで実弾使えないし政治家は欲の塊だし日本男子は(私もふくめて)軟弱だしどことやり合ったって勝てるとは思えないですからね
あっ、ダラダラ愚痴ばかりで読まれてしまった方は許して下さいね
周りの方にも伝えて下さい「この人のレビューはほとんど映画の紹介はしないよ」って
小野田さん、映画を見ていると腹立たしさがほとんどでしたが彼の任務や命令に忠実なゆえの非道
とても彼を責めることも腹を立てることも筋違い
「あなたの戦争はまだ終わっていないのね」的な台詞もどうにも軽すぎる(無いけど)
やはり言葉はない方が伝わりました
とてもとても勉強になる映画を見たなと思います
こんな日本だった頃があったのですね
恥ずかしながらじゃない方
ぼんやりと横井庄一と混じってしまうくらいよく知らない小野田さん。映画は面白かった。長いけど長い潜伏生活を描いてるんだからそらそうなるよね。ただなー士官学校時代の歌のシーンあれ重要でしょ?今どきの日本人若手俳優ではあんな歌歌ってもうわっすべりするわな。あの歌は映画の中のキーアイテムなのに見てるだけで恥ずかしい、それに耐える謎のシーンになってしまったよ。そして事実に文句言っても仕方ないのは百も承知だけど、小野田よーバカ正直もたいがいにしなさいよ。あんたのせいで何てことなく帰ってこれたはずの二人が死んでんだよ。二人の遺族にどの面下げて会えたんだよ。いつの時代も柔軟性のないヤツは困るって大テーマを読み取りました。
やっぱりダメだった
映画祭で評価された作品観て感動した事がない。
分かるよ、小野田さんがどう過ごしてきたのか、なぜフィリピンのジャングル生活をしてきたかを映画にしたいのは。
2時間39分耐えられませんでした😞
戦後の30年間、戦い続けた日本兵・小野田寛郎
フランスから逆輸入された映画です。
小野田寛郎陸軍少佐。
聞いたことはあります。
フィリピン・ルバング島に潜伏し続けていた小野田寛郎さん!!
終戦後30年近くも敗戦を信じずに生き残っていた。
すっかり忘れ去られていた日本兵にスポットを当てた映画が、
若いフランス人監督アルチュール・アラリによって撮影された。
何が面白いかと言って、
雪男・野生のパンダそして小野田寛郎に会いたい・・・
その一心で冒険家の鈴木紀夫(仲野太賀)が、自費で小野田さんを
探して発見、「帰りませんか?日本に」と話しかける。
鈴木紀夫の優しさと繊細な語りかけに、小野田寛郎は答える、
「谷口上官の命令解除がなければ、日本には帰れない」
その望み通り鈴木は谷口少佐(イッセー尾形)を説得し、伴って
ルバング島を再訪して小野田に会わせる。
そのシーンは感動的でした。
小野田寛郎(津田寛治)の凛々しい立ち姿に比して、
緩みきった軽装の谷口。
薄っぺらい書面に書かれた軍隊言葉の任務解除命令書。
やはり形式なのですねー。
兄が迎えに来ようと、敗戦を知らせる投降を促す拡声器の音にも
疑心暗鬼だった小野田の心は一枚の紙切れの命令書きに反応する。
この映画は全編日本語、出演者は90%以上が日本人俳優。
アラリ監督の公正で好意的な日本観と日本愛。
とても和気あいあいで建設的だったと言う撮影現場。
日本人俳優の本気度。
173分の長尺。
小野田寛郎の若い時を遠藤雄弥、壮年期を津田寛治。
2人は80年前そして50年前にタイムスリップした日本兵でした。
そして仲野太賀とイッセー尾形は現代の日本人。
この違いを一目で分からせるって、凄いことです。
仏・独・ベルギー・伊・日の5カ国合作映画。
フランスでセザール賞の脚本賞を受賞。
ちっともタイムリーな題材を描いてる訳では無いのに
新鮮でした。
もっと評価されても良いと感じました。
太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング...
太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉の物語を映画化。
合作で製作されているが、日本人の視点から製作されていたらどんな風になっただろうか。
淡々と進んでいく。空爆などがない時点で不思議に思わないのだろうかとも思うが、当時の軍人のマインドコントロールは恐ろしいと終始感じました。
小野田です。官房長~!
元日本兵がグアム、ルバング島から相次いで発見されたのは
拙が小学生のころ。
戦争が終わって30年弱
人としてどんな時空間をさまよっていたのか。
本作ではあまりそのへんが訴えられなかった気がします。
物語は淡々と進み折角の長上映時間もうまく生かされなかったのでは。
60点
アレックスシネマ大津 20211111
特に若い人に観てほしい
太平洋戦争末期、フィリピンのルパング島に小野田少尉が派遣され、劣勢の日本軍に徹底抗戦を伝える。彼は陸軍中野学校で「君たちに死ぬ権利はない。 何があっても必ず生き延びろ」と訓練されていた。しかし過酷な状況下で次々死者行方不明者がでて、小野田を含め四人だけとなる。
純粋な日本映画と思いきや、フランス・ドイツ・ベルギー・イタリアとの合作。横井さんや小野田さんのようなケースは、海外では自分たち以上に信じられない出来事ではないかと思います。幼い頃、1972年横井さん、1974年小野田さん発見のニュースを見て驚き、こんな人があちこちにまだいるのかと思いました。今の日本の若い人だと、二人のことを知らない人も多くなってきたと思います。
途中帰国できそうなことがあったものの、疑ってそれが叶わなかったことが残念でならないです。また発見した鈴木さんの行動力に感嘆。今どうしてるのかと思ったら、最後の夢のためにヒマヤラで遭難死していたとは。
長い。 長過ぎる。 3時間近く、ひたすら眠気との戦いだった。 29...
長い。
長過ぎる。
3時間近く、ひたすら眠気との戦いだった。
29年間にわたって日本のために戦って下さった小野田氏にはもちろん敬意しかない。
しかし、映画には向いていなかったかな。
映画の意図するものを掴みきれず。。。
小野田さんや横井さんの帰国は、
戦争を忘れかけていた国民にとって衝撃だった。
連日、テレビや新聞はこれらの話で賑わい、
他にも取り残された軍人がいる、という
まるでツチノコや雪男を扱うように
捜索隊が組織されたりもしていた、そんな時代だった。
ニュースや新聞が伝える小野田少尉の印象は
精悍で眼光鋭く、野武士とはこういう人だっただろう、
という風貌だった。
主役の津田寛治は、
実物の小野田少尉がまとっていた殺気を見事に再現。
圧倒的な演技だった。
それをかき消すほどに疑問なのは、
映画に挿入されたいくつかの虚構の存在だ。
個人的に、最も引っかかったものに触れておきたい。
小塚兵士が現地警察との銃撃戦で死亡したことは
当時、日本国内で大々的に報道され
(遺体写真が掲載されたりもした)
小野田少尉が生存している証明となった。
映画では、漁民に惨殺されていた。
なぜ、そのように書き換える必要があったのか?
また、実物の谷口少佐は映画でイッセー尾形が
演じたようなだらしない感じの人物ではなかった。
もちろん、「映画」なので
デフォルメや創作は許されるのだが、
製作者の意図や狙いが見えず
大きめのモヤモヤが残ったままになった。
欺瞞工作
最後の帝国軍人、小野田さんのルバング島に着任から1974年に島を出るまでのことを映画にしています。 撮り方、音響は本当に素晴らしいです。映画館で観られるうちに観ておいた方がいいでしょう。
ただ、ダメなんです。これじゃ。
・小野田さん、結構早いうちに敗戦を認知してましたよね。自分の頑迷さ、意固地で現地人に多大な迷惑をかけ、部下も死なせてしまいました。しかし、この映画では「向こうは武器を持っていた」「向こうから撃ってきた」とか、自己正当化に余念がなく、不必要に現地人を悪役にしちゃっているとこに納得できませんでした。武器持った軍人がゲリラやって民間人を襲っちゃってたわけですよ、ハーグ条約に反しているわけですよ。そこはしっかりやらんとダメでしょ。単純に皇軍の命令の犠牲者だったんだ、ではないのです。予備少尉とはいえ、士官なのです。話にならんのです。
島田、小塚は現地を守るために戦った警察との銃撃戦で死亡したのです。それ、誰のせいですか?
言葉にならない・・
余りに丁寧な描写に前半は見ているのが辛い程重い。しかしそのディティールの描写の凄さが最後の最後の究極的なエンディングのリアリズムへと結実する。史実に寄せた映画をあまり評価しない方だが、この作品、日本で作られたらこれほどの迫真性は持たなかったであろう。ひとりの人間の人生と戦争の関係がこれほどまでに凄味を持って描かれた映画を他に知らない。この上映時間の長さに押し潰されない映画製作の技術と執念に感服する。イッセー尾形がとにかく凄い。
淡々と描く
美化もなく忠実に再現しようとしてるのがよかった 勿論それが全部真実か事実かは自分も知らないが その姿勢は感じられた。日本ではそれは無理なのか?とにかく、それを支える演技がよかった。当時 小野田氏が帰国をTVで見た自分は七歳 何も知らなかったが彼の姿は目に焼き付いている 直立不動で敬礼をした姿は正にタイムスリップして現れた兵士はどの日本人にも当てはまらなかった。これを演じれる俳優など今の日本人にいるだろうか‥と思ったが それを津田は見事に演じた。これは彼しかできない役ではないか 他の役者も見事であった。イッセー尾形も圧巻 そして、陸軍中野学校という場所がその是非は別として 「真剣」に考えている機関が日本にもあったのか‥小野田氏のインタビューでも 中野学校では自由に議論があり 天皇制の是非や敗戦は確実であり
その後のゲリラ戦を命ざれていたと語られていた。そして、そこには谷口中尉の洗脳いや教育も大きかったのだと感じられる尾形の演技であった。
脚本の技巧に唸る
観ながら「戦場のメリークリスマス(戦メリ)
」を思い出していた。
この映画は、出ている俳優こそ日本人だが、監督はフランス人であり、製作にはフランスほかドイツ、ベルギーなどの国名が並ぶ。
本作は「外国から見た視点」で描いている。その点が「戦メリ」に重なるのだ。
「戦メリ」もまた、カンヌを獲るために作られたし(実際に獲ったのは「楢山節考」だったが)、やはり外国資本で製作された。
この映画の主人公は小野田寛郎。太平洋戦争終結から29年間もフィリピンのジャングルに潜み、1人、戦争を続けていたことで知られる人物だ。
小野田は陸軍中野学校二俣分校(旧日本陸軍のゲリラ戦や破壊活動などをおこなう軍人を養成する学校)出身の情報将校だった。
当時、日本軍では「捕虜になるぐらいなら玉砕しろ」と教えていたが、その学校では「何があっても生き延びろ」と指導。彼の教官・谷口(イッセー尾形)は生徒たちに「お前たちに自決する権利はない」とまで言った。
そして谷口は生徒たちに、「自分の指揮官は自分だ」「常に自分で判断して行動しろ」と教え込んだ。
中野学校を出た小野田は、大戦末期のフィリピンに赴任した。米軍の上陸が目前に迫っていた。日本本土攻撃の足がかりとするためである。
小野田に課せられた任務は、遊撃戦をおこなって敵を撹乱し、やがて味方が合流するのを待つ、というものだった。
やがて米軍の上陸部隊が押し寄せ、日本軍は壊滅する。そして小野田は島の内陸部のジャングルに身を隠した。
それから29年。
なぜ小野田は、こんなにも長いあいだジャングルの中で生き延びたのか?生き延びられたのか?
それは、彼が中野学校で「生き延びろ」という教えを叩き込まれたからであろう。
そう、あの学校で教え込まれたことは、彼が生き延びる力となったのである。
だが、29年目に、ついに小野田は日本に帰ることになる。
日本から来た若い旅行者の鈴木(仲野太賀)がジャングルに潜む小野田を探し出し、「日本に帰りましょう」と説得を試みた。
鈴木は戦争がとっくに終わったことを、そして日本は平和になったことを、もちろん小野田に伝えた。
しかし、小野田は納得しない。命令が必要だと言うのだ。
鈴木は帰国して谷口を探し出し、再び彼とともにフィリピンに赴く。
そして谷口から武装解除の命令を聞いて、小野田はようやく銃を下ろすのだった。
谷口は中野学校で、小野田に「自分で判断しろ」と教えた。
小野田は、その教え通りにジャングルの中で工夫を重ね、サバイバルした。
だが、それは小野田にとっては、あくまでも「命令」だった。つまり、「自分で判断しろという命令」に従っていたに過ぎないのだ。
もし、彼が本当に「自分で判断」することができるのなら、最初の鈴木との対面で帰国を決断したはずだ。
「自分の指揮官は自分」のはずではなかったか?
だが小野田は、「戦争をやめる」という、さらに上位の命令を必要とした。
谷口の「必ず生き延びろ」、そして「自分で判断しろ」という教えがあったからこそ、小野田はジャングルの中で生き延びてこられたのだろう。
だが、一方で、小野田は命令に従い続けて、戦争を止めなかった。
これはどういうことか?
この点こそが、本作が作られた動機ではないか。
もちろん、1人の兵がジャングルの中で29年間も残って戦争を続けたという事実だけで、一本の映画を作れるほど特異なことである。
だが、小野田のケースを外国人の目で見たとき、さらに特異に写ったのは、生き延びたのは「生き延びろ」という命令があったからで、そして、「自分で判断しろ」と命令されて「自分で判断した」という点なのだ。
外国の目から見て、日本人における個人(小野田)と組織(軍の命令)という問題を、小野田寛郎という特殊なケースの上に描き出す、これが本作のテーマなのである。
このような本作のテーマ上、極めて重要なのは教官の谷口である。
小野田をジャングルの中で29年間ものあいだ戦争を続けさせ、そして、最後に戦争を止めさせた存在。つまり、この物語の起点でもあり、終点でもある。
そして後述するが、この映画は、小野田と対になる存在として谷口を置いている。
その役に本作はイッセー尾形を配した。このキャストは絶妙だ。
中野学校の教官として、穏やかに話しながらも小野田に絡み、追い詰める酒席のシーンの凄みは出色である。イッセー尾形の登場するシークエンスは限られるが、彼の演技は観る者に強烈な印象を残す。
戦争中の谷口は、当時の国家の価値観を体現するような存在である。特に、教官という立場ゆえ、彼が教える中野学校の生徒たちにとっては、とりわけそうだったろう。
一方、戦後の谷口は、自分を探し当てて訪ねてきた鈴木を相手に、過去の身分を隠そうとしていた。田舎町の古本屋という、どう見ても世間とは距離を置いた小人を演じようとしていた。
そう、小野田に流れた29年間という歳月は、谷口にも流れたのである。
そして、その29年間で谷口は変わったが、小野田は変わらなかった。
だが谷口の変化は望んだものだったのだろうか?こうまで変わった彼の、ほんとうの姿はどちらなのか?
一方の小野田は「命令」があったから変わらなかった。
この対比が示す残酷さが、深く考えさせられる。
ラスト近くになると、長回しで小野田の顔を捉えるクローズアップが多用される。
この映画は長い。長いが、その長尺で積み重ねてきたものが、このクローズアップで生きる。
小野田の顔には、29年間という年月が確かに刻まれている。そのことを表すために、小野田を演じる俳優は交代している(青年期の遠藤雄弥から壮年期の津田寛治)。
一方、「変わった」谷口演じるイッセー尾形は変わらない。これは逆に谷口の変化を際立たせていて、この辺りも実に巧い。
小野田がフィリピンのジャングルの中をさまよっているあいだも、谷口は、小野田の中にずっといた。
つまり、谷口はスクリーンに姿が見えなくても、本作の全編を通じて存在していたのだ。
そして、小野田=個人、変わらないもので、これに対して谷口=組織(国家)、変わるもの、と、この2人を対置させて描いている。
この脚本の技巧に唸る。
谷口の変化とは、日本の変化だ。
小野田の帰国は1974年。日本は戦後の高度成長期による繁栄を謳歌していた時代である。
日本は変わった。その国家の命令に、小野田は29年間も変わらず従い続けたのだ。
その過ごした時間はまったく異なるが、小野田も谷口も、国によって人生を歪められた点では変わりはない。
本作の、「個人と組織」というテーマがずしりと響く。
フランス人監督の情熱に感謝
フランスのアルチュール・アラリ監督が小野田さんの特異な経験に惹かれ、映画化までこぎつけた。 観ていて、その情熱がひしひしと伝わってくる。 小野田さんの帰国をリアルタイムで見た人間としては、大変嬉しい。
ただ、小野田さんの経験を感動のドラマとして見るには、少し完成度が不十分だったかなという印象が残る。 様々な状況下で出演者の感情的なシーンが積み重ねられて物語が進むのだが、 昔の日本人の感情表現として見るには、少々劇的過ぎるかも…と感じるのだ。 率直な感想を言えば、 むしろ思い切ってフィクションのエピソードを加えてでも、 サバイバルドラマの方に重点を置いた方が、メリハリが出来て面白かったかもしれない。
文明生活から隔絶されたジャングル生活は、現代の我々からすれば異常なほどの非日常だ。 しかし、本質的には我々の人生と変わりはなく、近代的な生活のような複雑さは無くとも、多面的であるはずである。 30年間の毎日は、緊張と感情の交差する激しいものばかりではなく、当然ながら、淡々と過ぎる時間が多かったに違いない。
ジャングルでの終わりなき戦闘という現実の中にいながら、目の前を矢のように過ぎて行く時間。 小野田さんと最後まで共闘した小塚氏は、郷愁と時間の重さに耐えきれず心身を消耗し尽くしてしまったようだが、生身の人間なら無理もないことだろう。
作戦遂行の使命を負ったリーダーとして最後まで生き残り、毅然として闘い続けた小野田さんは、過行く時間に何を感じ、何を想ったのだろうか。 人間を老いさせる時間と真正面から対峙したことこそが、実は、小野田さんたちの極めて特異な経験だったのではないか。 などなど、色々な想像を巡らせてしまうのが小野田さんの物語の面白い所なのである。
せっかく様々なエピソードを忠実に描いてくれた監督に対し、少々細か過ぎる評価だったかもしれない。 俳優たちの熱演と丁寧な演出には、大変好感が持てた。 魂も気合も入った、本当に良い演技だった。 天国の小野田さんたちは、この映画の公開をきっと喜んでいると思う。
ちなみに、 「生きる」(PHP研究所刊)という小野田さん最後の書下ろしには、 題名の通り「生きるとは何か」が書かれており、戦争や軍隊について焦点が当てられている内容ではない。 この本の内容こそが、過酷な運命を見事に生き抜いた小野田寛郎という人間の本質と人生を物語っていると思う。 そんな小野田さんを映画で描いてくれたアラリ監督には、小野田さんを尊敬する一日本人として、心からの感謝を表したい。
一体、何と戦っていたのか
フィリピン・ルパング島のジャングルで30年間も潜伏していた小野田少尉の物語を、フランス人監督が、日本人俳優と日本語で映画化。3時間近い作品だが、全く飽きさせない。
小野田少尉が発見されたニュースは、小学生の頃に見たが、そこに至る経緯などは知らなかった。その前にグアムで発見された横井さんに続いて、日本の敗戦を知らずに生き残っている兵士がまだいたのかと驚いたが、特にその時の軍服を着てこわばった表情で敬礼している姿が強く印象に残っている。
映画化にあたって、アラル監督は、史実をベースに物語を再構築したようだが、もし日本人が作ったら、もっとウエットで、大和魂や武士道精神といった色が付きそうなところを、極めて淡々と、冷酷に描いている。
陸軍中野学校での上官からの命令を守り、ゲリラ戦を遂行するためだけに、田畑や家畜を襲い、時には住民を殺害して、とにかく生き延びようとする。父親からの呼びかけも謀略とみなし、逆に、秘密の暗号伝達かと考えて解読しようとする。
彼らは、一体、何と戦っていたのだろうか。
戦争の悲惨さ、不条理さというより、一つのことを信じ切った人間の恐ろしさ、凄まじさ、そして虚しさが、この作品のテーマであるように思う。不寛容、断絶が広がる現代社会に共通するテーマとして、日本人ではなくとも、この稀有な題材に惹かれたのだろう。ラスト、日本人の記憶にある敬礼姿ではなく、茫然自失とした姿で描かれているのも、そのことを強く感じさせる。
小野田少尉役の遠藤雄弥、津田寛治をはじめ、役者陣はみな良い。特に、イッセー尾形、仲野太賀は、他の役者では考えられないほど。
2012年は、MINAMATAとこの作品が公開された年としても記憶されるだろう。
小野田さんを知らない世代にも見て欲しい
当時私は子供だったので、小野田さんと横井さんの区別が曖昧だった。ただ、敬礼姿をTVで見たのは覚えている。
スパイ作戦の重要な任務であると教育された日本兵達が、ひたすらジャングルを歩き回る、何のためか明確な答えを探しながら。戦争とは、勝手な思い込みと一方的な欲望を達成させるための暴力であることがわかる。
孤独な悲しみを乗り越えて生還した小野田さんの話を語り次ぐことで、時代は違えど、戦争を繰り返してはならないという想いは伝えていくべきだと痛感した。
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