クレイジー・キラー 悪魔の焼却炉
1969年製作/89分/イタリア
原題または英題:Il rosso segno della follia
1969年製作/89分/イタリア
原題または英題:Il rosso segno della follia
「夏のホラー秘宝まつり2021」今年は4都市開催 伊ホラーの巨匠ルチオ・フルチ、マリオ・バーバ特集など旧作上映作34本発表
2021年5月27日マリオ・バーバ監督のブルーレイBOX第3弾、12月発売 「モデル連続殺人事件!」など収録
2020年9月16日マリオ・バーヴァは、ダリオ・アルジェントの師匠筋にあたる監督で、かねてより偏愛している。
とくに『サイコ』と同じ年に撮られた『血塗られた墓標』は、圧倒的な画格を誇る、ホラーどころか全映画史上に残る大傑作である。『白い肌に狂う鞭』『ブラック・サバス』も立派なマスターピース。一方で、何度見なおしても胸クソ悪い(誉め言葉)『血みどろの入江』は、スプラッタ映画の端緒ともなった作品だ。
DVDもそれなりには(10本以上)持っているが、このたびキングさんがマニアックな非ホラー作まで含めてずらっと復刻&初パッケージ化してくださったばかりか、未見だった本作や『新エクソシスト』がなんと劇場公開されることに。ありがたい話だ。
タイトルからして、スプラッタ・ホラーに近い映画かとばかり思っていた。
系統としては『血みどろの入江』寄りの、デオダードやドーソンやフルチのような吐き気のするようなえげつないやつかと。
いざ観たら、違った。……全然違った。
前半はジャッロ・テイストで殺人鬼の狩りの様子を描き、後半はバーヴァ映画で言えば『呪われた少女』のようなオカルト・テイストで、殺された妻による復讐劇を描きだす。
若干スラッシャーの風味はあるが、ホラーと呼ぶにはあまりに古式ゆかしいオカルト・スリラーであり、むしろヒッチコック調のサスペンスや、50年代のサイコ・ノワールに味わいは近い。
少なくとも、こんなスカム・ホラーみたいな屑邦題を日本で勝手につけられていいような映画では、断じてない(笑)。
ちなみに原題は『Il rosso segno della follia』(狂気の赤い兆し)、
英題は『Hatchet for the Honeymoon』(撮影開始当初の原題がこれだったらしい。Hatchetは「手斧」のことだけど、実際に殺人鬼が使ってるのって俗にいう中華包丁だよね……)。
いかに日本のビデオ発売元が根っからバカにしてかかってるかってことだよなあ。
朱とシアンに彩られたタイトルデザインからして、いかにもアーティスティック。
メロウなマカロニっぽい音楽が、期待をいや増しに高める。
冒頭の列車内殺害シーンから、いきなりバーヴァの流麗な映像美に魅了される。
ああ、アルジェントが『スリープレス』の冒頭を列車シーンで始めたのは、これへのオマージュだったのかと。
美しい色彩。凝ったショットの連続。現実と幻想が混淆するビジュアル。
少なくともこのテイストはホラーではない。正調のヒッチコック系スリラーの撮り方だ。
近づいてくる過去からの跫音。幼き日の自分に導かれて、忘れてしまった「何か」を思い出すために、花嫁姿の女性を殺し続けるファッションデザイナーの青年社長(天才ピアニスト、ニコライ・ルガンスキーの若いころにそっくり)。
一方で、彼には資金援助者である大資産家の妻がいる。
二人の仲は冷え切っていて、夫は離婚を申し出ているが、妻は意地でも別れないという。
そんななか、旅行に行ったはずの奥さんが突然戻ってきて、「一生粘着」宣言。我慢の限界に達した男は、ついに妻を殺してしまう。いったんは温室に死体を埋めた男だったが、「他人には見えて自分には見えない」妻の亡霊が現れだして、恐れをなした彼は死体を掘り起こして巨大焼却炉で灰にするのだが……。
映像はさすが御大バーヴァ、まったく申し分ない。スペインの貴族の別荘を用いた舞台・美術も豪奢だ。
役者連中はちょっと貧乏くさいが、まあ見られないことはない。
だが、プロットと展開、セリフといった「文字回り」の要素は、正直かなりダサいとしかいいようがない(笑)。
そもそも婚姻の処女性にこだわるシリアルキラーものに、よりによって「悪妻もの」のシナリオを(懇意の女優に役を振り当てるために)「後から掛け合わせる」ってのが、食い合わせが悪すぎる。
こういうことをすると、結局はどちらもギャグとして扱うしかなくなるのだが、主人公の殺人鬼は至極大真面目なので、ダサさと陳腐さが閾値を超えてしまう。
独り語りや会話のセンスの無さも辛い。平易な英語なのでだいたい聞き取れるんだが、もう少し気の利いたことを言わせてもバチは当たらないのではないかと……。
後半の「主人公には見えず、周囲の人にしか見えない幽霊」という怪談ネタは、僕にとっては新鮮だったが、シリアルキラーを落とそうと頑張る刑事の捜査パートとの兼ね合いで、途中で理由もなくいなくなってしまうのが実にもったいない。
あと、明かされる「トラウマ」の真相も、そのまんま過ぎて、延々引っ張っていたのがバカみたい。
演出上の見どころはあちこちあるんだけど、このストーリーラインの映画を諸手を上げて褒めるのは難しいよなあ(心情的には褒めたいけど)。
とはいえ、ロバート・シオドマクの『らせん階段』を思わせるような邸宅の上下構造を用いた、二階の回廊から血がしたたる「爆弾理論」調のサスペンス描写とか、包丁に映りこむ被害者の凝った映像とか、実にナチュラルに挿入される幼少期の主人公の幻影とか、この監督らしいクセのあるキャメラ・ワークは健在であり、マリオ・バーヴァ好きには充分楽しめる映画であることもまた確かだろう。
個人的には、何度もサイコキラーの大邸宅に乗り込んでくる警部が、そのまんま刑事コロンボ過ぎて笑った。68年がコロンボのデビューだから、間違いなく影響を受けてるでしょう。
あと、あんまり誰も指摘してないけど、犯人が嫁さん殺す夜に観てて「叫んでたのは映画のなかだ」と偽証に使うボリス・カーロフの出てるホラー映画って、マリオ・バーヴァ自身が撮った『ブラック・サバス』の第2話「ヴルドラク」だよね。
撮影の行われた1968年秋というと、カーロフが亡くなる半年前で、すでに長く呼吸器の病で入院していて余命いくばくもなかった時期。
こういう形で、死にゆく畏友に敬意を捧げたのかもしれない、と思うとちょっとセンチな気分になる。