ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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俳優さんの力量が凄い作品
綾野剛の荒くれた感じ、くたびれた感じ、全部違いを感じて、凄いなあと思った。舘さんの組長は全てを持って行く存在感。素敵でした。磯村くんの演技、世代交代感の中に愛や家族を感じられて、切なくなりました。見るべき作品。
時代の流れと、ヤクザ
暴力団とその家族には、絶対になるもんじゃない!!
非情なようですが、
その思いを強くする映画でした。
2021年。監督と脚本は『新聞記者』の藤井道人。
暴力団構成員と呼ばれる人が、この30年間で7割も減ったそうです。
その背景を1人のヤクザ・山本賢治を通して浮き彫りにしました。
暴力団の核心に迫る社会派作品です。
主人公・山本賢治役の綾野剛は、
ケンちゃんと呼ばれるチンピラの20代前半、
ヤクザの幹部となった20代後半、
そして14年後の40代半ば・・・。
すっかり牙を抜かれて弱った賢治の、
勢いの違いを絶妙に演じ分けて《凄み》さえ感じる熱演でした。
1999年(平成11年)
手の付けられない暴れん坊であり、殺されたヤクザの息子であった賢治。
やがて親父と慕う柴崎親分(舘ひろし)の命を救ったことから盃を貰い、
正式な暴力団構成員となる。
2005年(平成17年)
激しさを増す対抗組織の暴力団との抗争としがらみ、裏切りに合い、
賢治も人生の転機に沈む(この辺りは、是非映画をご覧ください)
そして賢治がただ1人愛した女性・工藤由香(尾野真千子)の存在。
彼女は出会った時、組で経営するクラブのホステスでした。
(学生と掛け持ちのアルバイト・ホステスでした)
2019年(令和元年)
由香は、市役所で働いている。
しかも14歳の娘のシングルマザーでした。
一方の山本賢治は出所して、ヤクザを取り巻く環境が激変していることに驚く。
(暴力団排除条例で、すっかりヤクザのシノギは減っていた)
もう既に柴崎は現役ではなく、組に賢治の居場所はない。
それでも、世話になった恩人そして愛する人のためにすること。
賢治にできることは、たったひとつ。
暴力でしか決着をつける事を知らない《山本賢治》
副題につけられた、
『The F amily』
天涯孤独だった賢治が喉から手が出るほどほしかったもの【家族】
一度は手に入れたとも思った【家族】
遠ざかるその言葉が、
虚しく悲しい。
心揺さぶる映画でした。
ヤクザの世界を理解はできないが
柴咲組の事情としてみれば極悪非道なことをするわけでなく組が衰退していく様や組から抜けたあとの社会での扱いを気の毒にも思うが、一般の人々に対して行ってきたことや社会に対する迷惑な行動のためにこのような制裁を受けることになった背景を考えると複雑な気持ちにもなる。とは言え綾野剛、舘ひろしをはじめ俳優陣の凄まじい気迫ある演技は素晴らしい。暗さ惨めさもひしひしと伝わってきた。いい映画だったと思う。
ヤクザという組織が家族のようなものであり、さらにヤクザの本当の家族...
ヤクザという組織が家族のようなものであり、さらにヤクザの本当の家族も描かれている。 ヤクザが社会的に生きずらくなり、ヤクザの家族も肩身の狭い思いをする。 必死に生きるヤクザたちを応援したくなる。 親分役の舘ひろしの優しさに心が温まった。 綾野剛が元弟分の市原隼人に刺されながらも「ごめんな」と謝罪して海に転落していくところは、存在自体が悪となってしまった自分への罰を甘んじて受け入れているようで泣けた。
緊急事態宣言下の封切りでしたが、いろんなコンディションが調った時に...
緊急事態宣言下の封切りでしたが、いろんなコンディションが調った時に映画館で絶対観ようと思ってました。 時代は変わり、憲法の外に追いやられた人たちの話。 あの生き様が道なりに進んだ結果だったのかと哀しく辛い気持ちです。 でも彼には家族を、愛する人たちを大事にしたい守りたいという揺るぎない信念がありました。 肯定も否定もできないけれど、間違いなく家族の愛をみました。 この世の中、本当は光も影も表も裏もないんだな‥。 それらが混ざり合ってないかのように不可視にしてきたのは一体誰なんだろうと綺麗事じゃない世界を目にして、社会の不条理さに少々落ち込みました。 役者さんたちのお芝居はもう圧巻です。 舘ひろしさんがめっちゃくちゃかっこいい! ほんとに痺れました。 ケン坊の頭クシャッとするシーンとセリフ。 いま思い出しても心引っ張られます。 綾野剛さんどんな身の削り方してそんなお芝居ができるのかなと心配になるぐらい。超人的でした。 この時期でしたが、映画館で観て本当に良かったと思える作品でした。
ヤクザと家族
若い頃チンピラで街で暴れていた。それでも麻薬にだけは、手を出さない。そんなある日街で襲われている組長を助けた事によりヤクザとして道を歩み始める。
この映画では、ヤクザがかっこいいとかそんな風ではなく、時代の流れと共に暴力団である事、暴力団であった事が問いかけられる作品でした。
抗争の末に自ら出頭して、代わりに刑を全うして変わった時代に再び戻った主人公。
そこでは、今まで関わってきた人達が人生の中でどういう歩みを踏んできたか。
ヤクザ者としての道を踏み入れてしまってからは、世間からの目は、とてつもなく苦しいものになっている。
それでも女の子が最後に言った「お父さんの事を教えて!」これは、とても深いと感じた。
外側と内側
近いところにいる人が感じているものがある。
世間では、間違った人だと言われる。
本質は、もっと近くにあったりするのかも
ヤクザと家族 The Family
ヤクザ映画は興味はなかったのですが、 最後まで魅入ってしまった。 加害者、被害者、視点を変えたらどちらも被害者になりうる。SNSの脅威、現代の問題をとりあげながら、血の繋がりがなくとも契りを交わしたヤクザの家族という人情の世界もえがく、現代版ヤクザ映画という印象。 素晴らしい映画でした!
やたらCMで推されてたのですが
父親に反発して調子に乗ってた悪ガキがヤクザにボコられてたところをヤクザの親父(前から目をつけてた)にケツもたれて、盃交わして、舎弟殺された仇を討って若頭の代わりに14年お勤めして戻ってきたら浦島太郎って話。
とにかく長い。邦画独特の間がふんだんにあります。
個人的には前半もっと破茶滅茶やってクズっぷり発揮してからの方が後半反省しても人権など無いと実感させられる展開の方が面白かったかも?なんか綺麗にまとめ過ぎ。
ラストの展開も刺した理由が頭悪過ぎて「???」だが、まぁ、だからダメなんだよな…って変に納得して苦笑い。
すごい人生を見させてもらった。
すごい人生を見させてもらった。
綾野剛さんに圧倒される136分だった。
綾野さん演じる山本賢治の生き方全てを感じたいと思い、ひとときも見逃したくないという気持ちに。
3つの時代を生きた山本賢治をしっかり見届けることが出来たのは、綾野さんの演技力あってこそだと感じた。見た目もその時代の年齢にしか見えなかった。
柴咲組 組長を演じる舘ひろしさんの登場シーンの貫禄に圧倒される。
2019年からのシーンは、山本、市原隼人さん演じる細野、尾野真千子さん演じる由香、柴咲組の者、それぞれ時代に応じて、もがきながら生きていこうとするも、結局叶わない現実を突きつけられ、胸がえぐられる気持ちに。
翼役は、磯村勇斗くんが本当にハマり役だったと思う。ヤンチャで可愛らしい、今どきな雰囲気がありつつも、時にその目に狂気が宿る、父親の血を引いているその目。自分がヤクザにならなくても、家族からは逃げられない。ラストシーンの翼の目の演技にも引き込まれた。
エンドロールで流れる「FAMILIA」で、この映画が完結するのを体感し、更に感動。こんな感覚は初めてで、エンドロールに映し出される歌詞を追いながら、涙が溢れるのを止められなかった。
何度も見て、自分なりにしっかり感じ取りたいと思う映画だった。
ラスト、細野が山本を刺す場面を見て、瞬間的に「ちがうだろー」って、...
ラスト、細野が山本を刺す場面を見て、瞬間的に「ちがうだろー」って、違和感ありあり。
ストーリー的に恨むのはSNSにあげた男であって、山本ではない。
映画的に衝撃的なストーリーにしたかったのか、違和感がのこる。
全員が不幸になり、なんとも暗く救いようがない。
それを描こうとしているのかもしれないが、本当に全員が不幸になりすぎ。
反社会的過去と過酷な更生の現実
従来のヤクザ映画とは一線を画した作品である。あるヤクザ一家の歴史を辿りながら、前半は義理と人情の世界に生きる男達の姿を描いていく。後半は、ヤクザ視点で更生しようと藻掻くヤクザ達の苦悩をリアルに哀切感溢れる展開で描いていく。反社会的な過去を持つ者達の苦悩を赤裸々に描いていく。更生の壁に苦悩する彼らの姿に熱いものが込み上げてくる。但し、前半の抗争描写が後半の更生描写による感動を抑制している感は否めない。 本作の主人公は、柴咲組組員の山本賢治(綾野剛)。彼は、柴咲組組長(舘ひろし)を救った縁でヤクザの世界に足を踏み入れ、次第に頭角を現していく。やがて、対立する組との抗争が激化し、主人公は14年間服役することになる。その後、主人公が社会に復帰した時、反社会的勢力に対する規制が強化され、柴咲組は衰退していた・・・。 前半の血で血を洗う抗争は、舘ひろしを始めとして、強面の演者達がドスの効いた台詞の応酬で凄味がある。勢いがある。綾野剛が迷いのない何かに憑りつかれたような鋭い眼差しと落ち着いた有無を言わせぬ雰囲気で、愚直で義理人情に厚い主人公に成り切っている。 それに対して、主人公の服役後の後半は、反社会的勢力規制強化という時代背景を受け、ヤクザ達の更生の物語に一変する。反社会的勢力にいたという過去を持つ主人公達の過酷で非情な更生の現実を描いていく。主人公達ばかりでなく、周りへの影響も容赦なく描いていく。観るのが切なく辛くなる。 本作は、前半で主人公達の過去、後半で主人公達の更生の厳しい現実を描いている。しかし、前半で過去を見せつけられると、前半の記憶が強烈すぎて、素直に後半の更生物語に浸れず複雑な気持ちになる。 彼らには、こういう過去があります。それでも、更生して生きる権利を認められますか?彼らとその家族の幸福を願えますか? 本作は、犯罪と更生という普遍的テーマに切り込んだ意欲作である。
あっぱれ
ネトフリにて鑑賞
正直日本映画だとたかを括っていた
結論、とても良い映画だった
序盤はなんだかありがちな展開で、なんだこんなもんかと思っていたが、出所後の展開から目が離せなくなった。ヤクザとしての立場や権威が昔とは全然違い、時代の移り変わりを感じさせる。その後も元組員の仲間にも反社だと蔑まれ、途方に暮れてしまう。そんな中知らぬ間に出来ていた家族と出会い、人生に一寸の光が射す。車の中での娘との会話の中で、娘に何故母の元に来たのかと問われる。その答えは有耶無耶にされていたが、義理と人情であろう。どんなに時代が変わろうともヤクザとしての心は変わっていなかったのだ。あの時子供だった翼も立派に成長し、町はまだ完全に光を失ってはいなかった。そう思ったのも束の間、ネットやTwitterという、まさに新しい時代の象徴であるものに人生をめちゃくちゃにされてしまう。そんな中、老衰した親父に言われた「家族を幸せにしろ」は主人公の心に重くのしかかる。雷雨という重く暗い天気の中、家の電気(光)を消し、逃げる家族。しかし完全に主人公の人生の光は失われたわけではなかった。翼だ。だが、主人公は翼の力は借りようとはしなかった。おそらくもう生きるのに疲れたのだろう。柴崎組という1時代が完全に終わった。両方ともの家族を失った主人公は最後、海のなかで太陽の光に差されながら、暗い暗い、光の無い海の底へ沈んでいくーーーーー
その後、新しい時代の存在である翼と娘が海で出会い、時代が完全に移り変わった。
何より特筆すべきは、綾野剛と堤真一の演技であろう。綾野剛は3時代の主人公を見事に演じた。
主題歌も本当に映画の余韻に浸るにはぴったりな曲で、あっぱれだった。
みんな歳をとった!すごい!
よく映画で見るヤクザは、 「義理、人情」で、 すぐ復讐みたいな勝手なイメージがあるのですが、 それは、メディアで作られたものなのか本当にあんな感じなのか…。と思ってしまいます。 SNSであんなにすぐに広まって、 生活できなくなることなんてあるのでしょうか? 私には遠いからこそ、 疑問に思ってしまう世界。 ただ、グサリとくるものはそこにありました。 親子のような絆。 老い、時代から取り残された戸惑い。 人間として生きることは許されないのだろうか? どうすることもなくヤクザを選んだのに、 世間はそこを見ずに排除する… 犯罪者が刑務所から出てきたら? 確かに私は怖いと思うし、付き合いたくないと思うかもしれません。 でも、その人を信じて社会復帰できるような社会になることこそ、求められているのかもしれません。 人は変わることができると私は信じたいです。 でも実は、一度、相手に悪い印象を持ったらそれはなかなか払拭できない人は多くいて、 その人の本当の善を信じることはなかなか難しいのだと思います。
この映画はヤクザ映画+家族映画ではなくて、時代の移り変わりみたいなものがテーマだったのかな?と思った。
すごく感動したり、気持ちがよくなって元気が出るような映画ではないけど、日本映画らしい、破滅の美学というか、ネガティブな方のいい映画だと思う。 最初は普通のヤクザ映画だったので、面白いけど普通のヤクザ映画なのかな?思っていた。 でも後半全く違った映画になって、盛り上がったというか、盛り下がったというか妙な感じだった。 『ヤクザと家族』という題名だから、前半はヤクザの話で、後半は家族の物語にしたかったのかもしれないけど、そうだとしたらうまくいいっていなかったかもしれない。 暴力団が家族ということならちょっと違うような感じだし、他にあまり家族らしい家族は出てこなかった。 だいたいヤクザってそんなに家族を大事にするものなのか疑問だった。 人によるのかもしれないけど、ヤクザは”飲む打つ買う”の三拍子で、家族をないがしろにしていて、ドメスティックバイオレンスのイメージもある。 嫁は逃げ出す寸前で、息子や娘はぐれて、あんなヤクザな父親は知らないということになるというのが定番ではないのかな? それを時代が変わったとはいえ、後半から急に家族の絆みたいな話にされてもついていけないような感じがしたので、この映画はヤクザ映画+家族映画ではなくて、時代の移り変わりみたいなものがテーマだったのだろうと思った。 画面の横の長さ(幅)がやたら短いのが気になったけど、あれは昭和や平成の初めのころのテレビ画面みたいなサイズで、その頃の人々を見ている感じを出したかったのかもしれない。 確かに昭和から平成の初めの頃までは、戦争ですべての価値観が崩壊したのを引きずっていたせいか、何でもありのやったもん勝ちだったような気がする。 今となっては信じられないようなことが、いろいろまかり通っていた。 ヤクザなどはその最たるもので、昔は職業の一つみたいな感じで、世間にも非合法ながら認められていたような気がする。 それが変わってきたのはこの映画のとおり、平成の後半頃だったと思う。 法律ができて規制が強化されたたこともあったけど、やっぱりヤクザが大手を振って歩いているのはおかしいということになり、付き合っている人も世間的に責められるようないなった。 それにその頃の人って、ヤクザでなくてもかなり暴力的で、世間にバレなければ何をやってもいい、弱いやつ、騙されるやつが悪いんだという考え方の人が多かったような気がする。 今でもそういう人は多いと思うけど、これもネットやSNSの登場で「世間にバレなければ」というところがかなりやりにくくなった。 なんでもかんでもネットに載せられて、悪い面も多いけど、こういう考え方の抑止力にはなっていると思う。 そういう世の中の移り変わりを、ヤクザとその家族を使って表現したかったのであれば、かなり成功しているような気がする。 ちょっと残念だったのは少し笑いがほしかったということ。 前半がフリで、後半がオチと考えれば、かなりいろいろできたはずで、逆にリアルな感じが出たと思う。 もし監督がたけしさんだったら、絶対かなり入っているはずだと思った。
前半は「ヤクザ映画入門」です
前情報を目にすることなく、連休中にNetflixにて観覧。誰が主演なのかも曖昧な状態で観はじめたため、冒頭、脱色された髪色で登場する主人公が、綾野剛なのか笠松将なのか、それともスピードワゴンの小沢さんなのかが分からない。
お、今回は綾野剛のターンなのね…と分かる頃には、何とも怪しく漂うステレオタイプの任侠映画感。シャブを扱う悪いヤクザと、渋い親分が率いる正義のヤクザ。シマのクラブに敵対する組のモンがやってきて場を荒らしたり、抗争のきっかけになったりと、本当に分かりやすい。呆れるほどに分かりやすい。
だがしかし、ここまで「ヤクザ」という生き物を手取り足取り観客にイントロダクションしてきたからこそ生々しく描けたのであろう、令和ヤクザ凋落の空気感。ヤクザらへの情けが正しいかどうかは知らないが、綾野剛の枯れた演技に宿る切れ味と、現代の半グレを演じる磯村勇斗は見もの。
残念なのは、ラストの悪いヤクザと悪いマル暴の癒着によるぐちゃぐちゃ感。前半のエンタメヤクザ感を後半でお漏らししちゃった。主題がずっしり重い社会派要素だから、また最後に任侠エンタメ要素をぶっ込んできちゃったのかしら。ちょっと欲張っちゃった感じが否めない。
時代と共に。
素晴らしくまとまった映画に出会えた! 世代による生き様の違い。 その時代への対応。 ヤクザの世界も御多分に洩れず。 これを大好きな実力派の俳優たちが魅せてくれます。 綾野剛さん、磯村優斗さん。 どハマり役だけで無く、この2人が上手い! 細かく語り出すとキリがないのでとにかく観ていただければと思います。
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