護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
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原作よし、俳優陣よし、そして考えさせられます。
震災が起こした人々の心の問題、生活保護の社会的問題、そして家族を思う気持ちや、色々な事を考えさせられました。
俳優陣も最高で、演技派揃い!
桑田さんのエンディング映画にピッタリ。
あっという間にの2時間でした。
3.5にしたのは、真犯人が誰かがかなり早い時点でわかってしまう演出かな。
きっと中山七里さんの原作だと、この辺の演出はもっと面白いんだろうな。
ただ、最後の結末は、やっぱり中山七里さんぽくて、個人的には好きです。
うん、予想以上に深いテーマです。
流石は、瀬々監督です♪この映像がどう繋がるのか?って毎回、監督の映像の積み上げ方に感服します。単なる、ミステリーに留まらない。皆が目を背ける社会の影を浮き彫りにしながら、事件の関係者の心を救う内容に涙します。
またしても共感性はない
生活保護
日本国憲法第25条や生活保護法の理念に基き
生活に困窮する国民に対して資力調査を行い
その困窮の程度によって要保護者に必要な扶助を行い
最低限度の生活を保障するとともに自立を促すことを目的とする
今作は東日本大震災を経験した東北の海沿いの街を背景に
生活保護のあり方を巡って起こった人々の絆と悲劇を描いた
社会派作品を発表している中村七里原作の映画化
前作「ドクター・デスの遺産」では安楽死問題を
テーマにしていました
…いやしていたんですがそのドクターデスも
ものすごくテーマを大雑把にまとめて
ものすごいエゴな結論を出そうとして出来ておらず
映画自体のお粗末な完成度も手伝って
この人の原作のは観に行くのやめようと思って
いたんですが
気が付いたのはスタッフロールで名前を見た
時でした
でどうだっかたというと
コレもまあ酷かった…
東日本大震災の避難所で知り合った
老婆の「けい」と家族を亡くした少女の幹子「かんちゃん」
そして水産加工場で働いていた元々孤独な「利根泰久」
3人は惹かれ合うように暮らしていましたが
互いに養子に行ったり出稼ぎし始めた5年後
一番励ましてくれたけいが蓄えが尽きて
セルフネグレクト状態になっていたところで
かんちゃんと泰久は生活保護の申請を薦めます
けいは誰の世話にもなりたくないと最初は拒否します
が二人に言われて申請をしますが
生活保護には扶養照会というものがあり血縁者を
探られるのを嫌がって申請を取り下げたけいは
結局孤独死状態で見つかり泰久は激高して
役所に詰め寄ると原理原則や死ぬときは最後は
独りだとかとんでもない事を返してきます
泰久は怒りで役所に火炎瓶を投げつけ逮捕されて
しまい数年服役する事になります
そんな震災から9年後(けいの死からは5年後くらい?
このへんがこの映画ヘタクソすぎてわからない)
東日本大震災で妻子を亡くした宮城県警の刑事
笘篠誠一郎はほぼ無人のアパートの2階で
生活支援課の公務員・三雲が拘束されたまま
餓死した事件を蓮田と追うことになり
「恨まれるようなことはなかった」と妻が言う
三雲の職場から可能性を探ると生保の申請に来る
市民と相対する立場を知るために生活保護の調査員
円山「幹子」の仕事に同行することにします
モブのように登場してきますがかんちゃんです
幹子は生活保護が本当に困っている人に支給
されるべきであることを強く訴えます
「声を上げないと伝わらない」とも言います
調べるうちに三雲は生保支給の是非をめぐって
断られた人からはそれなりに恨まれている事が
わかりましたがそんな中今度は同じような職員
城之内が同じように監禁死されているのが見つかり
三雲も城之内も前述のけいの生保申請に関わった
役所の人間であることを突き止めそこで放火事件を行った
利根泰久にも突き当り容疑者に特定します
その生保申請に関わった職員はもう一人
上崎と言う今は国会議員の男が狙われると思い
警備を強化すると案の定利根が現れそこで拘束
利根は犯行を自供しこれで解決かと思いきや
その後上崎が行方不明になり利根を同行し
けいの家まで行くとそこで上崎を拘束して
殺そうとしていたのは幹子でした
泰久は事件を知ってからやめるように
説得しようとしたり
罪を自分がかぶろうとしていたのでした
屋外ステージで会うシーンで突然
ダンスする人が出てくるとこは
屈指の謎シーンです
どうも原作ではかんちゃんは男だったそうで
アミューズのごり押しで清原果耶になった
関係で女性になってしまったようですが
女手で気絶した成人男性をアパートの2階に運んで
グルグル拘束するとかムチャクチャな話に
なっております
生活保護で全員は救えないのは自分も
仕事してるからわかっているが
けいを殺したこいつらは許せないという
動機だったようです
…ならなんでこんな数年後経ってから急に
やり始めたのでしょう?
ぶっちゃけ復讐を成し遂げるのに
公務員になる必要もあったでしょうか?
また幹子は逮捕前にSNSに辞職の意と
生活保護の需給に声を上げろみたいな事を
書き残します
これだと生活保護を断ってくる公務員は
殺せみたいなメッセージになってしまいます
健康のためなら死んでもいいみたいな
この映画は結局
震災のどうしようもなさと貧困のどうしようもなさ
を何故かくっつけてミステリーをさせたいのか
社会問題をやりたいのか中途半端でそれぞれ
別でやった方がいいようなものにしかなっていません
ドクター・デスと同じです
そしてそのどうしようもなさを役所の人にぶつけて
殺してしまうという逆恨みを救われない
人々が声を上げるよう訴えるという
とんでもなく共感性の低い代物になっています
そもそも幹子は震災時に11歳でその9年後に
生活保護課の職員になってますが一体いくつで
公務員試験受かったのかは知りませんが
この子の産まれる前は生活保護受給なんて
恥だという通念が強く高齢者はとりわけそういう
先入観から敬遠しがちになっています
現状は認知症やの要介護認定も重なって
生活支援は多様化せざるを得ずより合議的に
色々な人が関わって困難事例は対応するように
変わってきていると聞きます
扶養照会もそもそもそこで支援できるなら
別居したりしてないわけで法改正で
拒否できるようになっています
制度は報告と実績によって見直しを受け
年次変わっていっています
それをこうした映画の極端な表現で
特定の公務員のイメージを悪くする映画の
存在意義については非常に疑問です
あと本当の不正受給は同一地区の同一世帯が
全員受給とか外国人永住者とかぶ…
いやなんでもないもっと闇が深いものです
社会派言うならそこ切り込んでみろよって思います
回想録の順番やエピソードの重ね合わせも
大してうまくなく突然説明セリフが入ったり
役者は豪華なのに残念な完成度でした
ポスターに社会派って書いちゃう映画は地雷だね
怖がらずに正直に
特にここ数年の作品について評価が高い瀬々監督、今作についても「PRO」がお三方揃って4.5と満点に近い評価ですが、怖がらずに正直に書くと、私は瀬々監督の作品が少々苦手です。
社会派寄りの作品が多く、特に弱者を題材に「きちんと目を向けなければ知らないままにされてしまうそうな、小さいけど根深い問題」を丁寧に取り扱う部分は素晴らしいと思いますし、だからこそ毎回鑑賞するのですが、、
どうも作品としてはエンターテインメント性が強く、社会的な問題部分はあくまで感動のための「ネタ」になってしまっているように見えるし、さらに「悪(側)」の描き方に必要以上の悪意を感じ、反って白けてしまいます。なんなら、もっと淡々とした感じの方がリアリティがあっていいような気がするのですが、、それじゃ「殺人」事件にまでの動機づけに弱すぎるんでしょうね。
まぁ、映画っぽいと言えばそうなのだと思いますし、同様の感じの監督は他にも思い当たりますし、否定を前提にするつもりはないのですが、観終わって「ああ、やはり今回もこんな感じか」と思ってしまうのです。
うどんが食べたくなります
途中でなんとなく展開がわかっていきますが、ちょっと納得できませんでした😅
カンちゃん一人で大の男を二人も、しかも、あんな凝った縛り方で💧現場に、カンちゃんの髪の毛やなんか、落ちていなかったんだろうか?
優しい里親の元で育ったようなのに、あんな猟奇殺人できるんでしょうか?愛に飢えていたヤスヒサ兄ちゃんの方が、こんなに優しいだなんて💧
人物の描き方に納得がいきませんでしたが、社会問題を描いているのはよいと思います。
カンちゃんとヤスヒサ兄ちゃんが、やたらうどんを食べていました。
今夜はうどんにしようかな〜♪
(ToT) 涙量MAX 決壊必須!
犯人は前半ですぐ分かり、佐藤健は明らかに誰かをかばっているのはコナン君じゃなくてもわかります。ですが本作のテーマはコロナ禍の我々にとっては超絶重要だと思います。声を上げる事、、、、、〝それおかしいじゃないですか?〟とか〝助けてくれませんか?〟とかってどうも先頭切って言える事ではなく日本人の弱さなんでしょうね。小生もこの世で一番勇気がいることって〝助けて〟の一言を言えるか?なのだと思っています。発するメッセージを聞くものはいるのか?いそうでいない?いなさそうでいる?この映画お見て答えがあるのだと思います。
涙量が半端なかった、、、、。前席のおばちゃま2人の涙をすする音が凄まじかったが、途中 小生のものと共鳴。心が一つになった気がする。
コロナ禍四部作
『空白』『ミナマタ』『由宇子の天秤』そして本作『護られなかったもの達へ』
真実の受け入れは人を救う。世の中は捨てたもんじゃないのだ、、、静かにそう思える事ができます。
胸が締め付けられる。
「震災と貧困問題は別なのでは?」と考える向きもあると思いますが、間違いなくこの震災で貧困に陥った人たちはいると思います。
その後の仮設住宅問題、「復興五輪」なんて耳心地の良い囁きで被災地を含めた弱者をうやむやにする国。
「太陽の子」でも書きましたが、一方的な描きをするストーリーがとても嫌いです。
実際に何度も被災地に出向きましたが、「強盗」、「火事場泥棒」、「痴漢」数々の事を耳にしました。
それでも報道で流れるのは「こんな時でもキチンと並ぶ日本人」や「皆で分け合っている素敵な人たち」など、綺麗事ばかり。
この映画は架空のお話しかもしれませんが、「もしかしたら、どこかの誰かの実際の物語かも?」と思わせる説得力のようなものを感じました。
被害者にもそうした理由があり、加害者にもそうしたい理由がある。
最後に健が言う「死んでいい人間なんていないんだ」ってセリフは深く深く突き刺さりました。
原作は未読なので、かんちゃんが大の大人の男性を一人で2階に運べるのか?など、違和感がないわけではありませんが、それを含んでもなお、評価5です。
社会派ドラマとしてなら見れます。
高評価レビューも多く、予告編も良さそうなので期待して見てきました。
悲惨な震災と生活保護という現実的な舞台の中での殺人ミステリーです。
社会派ドラマとしても見れますが連続殺人の動機が個人的には共感しにくかったです。
ネタバレになるので詳しくはいえませんが生活保護担当者が次々と犠牲になる理由が弱く感じました。
しかし生活保護が生活困窮者の最後の砦になる重要性、詐欺行為の実態や生活保護辞退者の現実が理解できる構成は興味深かったです。
出演者は皆さん熱演で見ごたえはあり特に佐藤健の演技はリアルで特に眼力が凄かったです。
社会派ドラマとしては見る価値はある良心的な作品ですが猟奇ミステリーとしては少し微妙でした。
もうそろそろ
個人的には3・11を素材にした商業映画は終わりにした方がいいのではと思っている。
確かに風化させてはならないのだろうし、今後の教訓とすべき事も多く残したのだろうが、そういったものは今後は報道やドキュメンタリーを通じてで良いと思う。
当事者達もいつまでも立ち止まっていられないだろう。
さて、本作についてだが、まず清原果耶の配役に疑問符。製作のアミューズの現在イチオシなのは分かるが、一方で朝ドラのヒロインを務めながら連続殺人犯を演じさせるというのはどうなのか? しかも、まだ19歳なんだから、まだしばらくは汚れ役はさせる必要はないのでは? 少し、焦り過ぎなのでは?
この作品、主役は佐藤健なのだが、真の主役は倍賞美津子。
実際、全ての出来事が彼女をきっかけにして展開する。
大ベテランには失礼ながら、華を打ち消して生活困窮者の役など務まるのかと思っていたがしっかりと表現出来ていた。
もう一つの作品テーマである生活保護の申請実態についての描き方は丁寧で良かったと思う。言わば、タブーの題材の実相を伝えるというのはなかなか難しいとは思うが、ありのままを伝えようという感じが見えて好評価。
サスペンスの面とヒューマンドラマの側面が今一つ上手く絡み合っていない印象があったのは、原作というより脚本の問題なのかな? という感想を抱いた一本。
貧困と震災をテーマに!
今の時期にこのテーマ❗
売り出し中の清原初の◯◯役??過去と現代とその間が同時進行するので観づらい震災時あの子は何歳 男の子に見えたけど子供だけが変化して佐藤や倍賞 阿部は変化が無いので違和感も薬物や格闘家ならともかく大の男を一人で3人やれるものか疑問 今は監視カメラや科学捜査の進歩で松本清張や横溝正史の様な絶妙なトリックみたいな話は困難なのかな?
原作の欠点・弱点を上手くカバーして問題提起を含む骨太な娯楽作品として仕立て上げた力作。ただここで提起されている問題が解決される日は果たして来るだろうか。
(原作既読)①生活保護を受けられなかった事で一々逆恨みされていたら生活保護課や関連部課の担当者はたまらない。(私の場合、病気の弟が生活保護を受けられるように市役所の関連部署の人が大変親切に対応・処理してくれたので悪感情ありません。)そこで、東北大地震という未曾有の災害を絡めた事で、役所側もやむを得ぬ状況であったことを描いて、やや無理目な設定であるプロットの不自然さを薄めようとしている。原作の場合は小説であり叙述のやり方次第で読者の想像に任せられるので如何様にも書けるが、映画の場合は目で見る映像で描く為もっと具体的なリアルさが求められる。従い不自然さが目立つと映画として成功しない。その辺り上手く脚色している。②役所側も根っからの悪人はいないだろうし、業務上やむを得ぬところがあったのは同じ宮仕えとして理解できる。善人とは言い切れないような表情を見せる瑛大の演技は三好というキャラクターに真実味を与えている。③クライマックスに幹子が訴えたように、震災のような自然災害の場合、怒りの向け先がない。海や山に怒っても仕方ないからだ。だが、人間のしたことなら怒りの向け先として相手(その人間)がある。今回はそれが残念ながら殺人にまで発展してしまった。原作はケイさんの死に様を克明に語ることで殺人の方法に餓死させることを選んだことに説得力を持たせたが、映画では視覚的にケイさんの死に様を写さない。その為殺害方法の蓋然性が薄れてしまったが、あとは死を待つだけの被害者の二人の眼のアップを撮すことで(意外と衝撃的だった)観客の気持ちを別の方に向けた。幹子から生前に何故自分達は死なねばならないか聞かされたかどうかわからないが、死ぬ前に彼らは何を思ったのだろう。文章でそれを書くと原作を違う方向に持っていくからその記述はないが、眼のアップの映像だけでそれを観客に想像させるのが映画の力。④自然災害について自然界に怒っても仕方ないのと同様、この映画の中核となる生活保護の問題も本来は怒りの持っていく場がない、going nowhereだ。窓口の担当者を恨んでも何の解決にもならない。福祉制度を変えれば良いと簡単には言えるが、実際は予算の問題とか生活保護申請者の調査から漏れる人や反対に不正を働く者(恥知らずな不正受給者がいるという現実。私の近所にも長屋に住んでいながら高級車を乗り回している輩がいた)、生活保護を受けることに恥ずかしさを感じる人、生活保護を受けている人に対する世間の偏見等、問題は山積しており、何よりも全ての人を救うことは事実上無理である。それでも仕事に使命を感じている役所の人は頑張っている。⑤本作は一応ミステリー(私に言わすとミステリーと呼べる次元の小説ではないが)なので、犯人がわかり事件が解決した事で終わりだが、現実の問題はそうすっきりと解決できるものではない。だから映画としては安易に解決策を語れない(語り方によっては綺麗事に終わってしまう)。従い、問題意識のある観客は宙ぶらりんなまま放り出されざるを得ない。⑥そこで映画としてはそれぞれのキャラクターを深掘りすることで映画としてのリアリティーを確立させるという手をとることになる。先ずは阿部寛の力演、かっての男前と長身だけが売り物だった人が顔の表情だけで内面を表せる俳優になるとは。そして、清原果耶。原作では男性であった犯人を女性に変えたのは、女性であればあのような残酷な犯罪は犯さないだろうという心理的目隠しを狙ってか、この女優の演技力を頼ってか。前者であるとしたら原作にはなかったショックガンを使っての犯行という方法で説得力を持たせているがやはり彼女のように小柄な女性が大の男三人を拉致(というか運搬)するのはやや無理がある。しかし、後者であるとすれば彼女はその期待に十分応えている。いつも通り彼女は幹子という女性の様々を面を見事に描き分ける。津波に母を奪われた過去をもちながら屈託なく育ったような女子高生の顔、しかし多感なこの時期に彼女は第二の悲劇に立ち会わなければならなくなる。長じてある時は社会的弱者や貧困に喘ぐ人に寄り添い、ある時は不正支給を受けている者(千原せいじが、短い出番ながら“いるいるこんなおっさん”を好演して印象的)には毅然と立ち向かう生活保護課員の顔、自分達の出来ることは福祉行政のルールによって制限されているけれども声をあげてほしい・現状を変えたいと願う真面目な生活保護課員の顔、そしてクライマックスの殺人者の顔、津波に母を奪われて行き届かなかった福祉行政に第二の母を奪われてその怒りを殺人という形でしかぶつけられなかった或る意味でこの話の負の部分を1人で背負うことになった人間のラストの暗い表情。全てを演じ分けて並みでない若手演技派として相変わらず印象的。朝ドラでは同じ震災のその後を生きるヒロインを演じていることを思うとこの女優の幅の広さが分かろうというもの。原作では“被害者たちの酷薄な本性が変わっていないことを知った”ことが犯行の動機として語られていたが動機としては少し弱い。映画の方は、ケイさんが死んでしまったことへの抗議に役所に乗り込んだ佐藤健に対して懐柔するようなまた居丈高な対応に終始した瑛大・緒形直人に向けられた殺意を込めた目、ケイさんの焼場に駆けつけてその死の原因に荷担しながら“死んだら最後じゃないか”と一見寄り添うような発言をして善人面をした吉岡秀隆に向けられた非難と殺意とを込めた目、その目の演技だけで動機を語り尽くしている。⑦倍賞美津子は、70~80年代はバイタリティーがあって奔放な大人の女を演じて邦画界の一翼を担っていた女優だが、歳を取っても老醜を晒すことを厭わず多くの作品で老婆役を演じるその女優魂に感心する。
地域住民の訴え
東日本大震災と生活困窮を絡めたストーリー。
生活保護世帯って結構な数がいると聞いた事があります。
その上で東日本大震災という超イレギュラー。
現在も新型コロナウイルスという脅威が行政を混乱させてますが、その当時の東北地方は忙しいという言葉では片付けられなかったのでは。
その上で地域住民一人一人に親身な対応はまず無理だが、だからといって今作の様な対応もおかしい。
母子世帯の母がケースワーカーに訴えるシーンなんかは考えさせられますね。
生活困窮者自立支援事業というものが市の必須事業でありますが、そういったものがあってもどういうものか地域住民が知ってなくちゃ意味がない。
こういう地域住民の声を聞きながら、市役所関係課と社会福祉協議会は連携し皆が必要なものを具現化していかなければいけないのです。
宮城の過去と現在
地元、宮城の至るところでロケを行った映画。観ていて、これは〇〇だなぁとロケ場所を考えながら、佐藤健、阿部寛、清野伽耶らの演技の上手さにスクリーンに惹きつけられた
普段善人を演じている役者達が、悪役を演じていることが物語に深みを与えている
しかし、いくつかの残念な点も…
2011年と2020年を行き来しながら物語が進んでいくが、この場面はどちらの話かが、佐藤健の髪型も服も変化があまりないのでわからない
何年かとあえて表示しないことにしたのが監督の意図かも知れないが、佐藤健の外見でわかる様に髪型や服装に変化を加えれば、もっと良い映画になっただろうに
例えば、韓国ドラマ「ジキルとハイドに恋した私」で主演がひとりで二役を演じ分けているが、佐藤健にも9年という時の流れを演じ分けて欲しかった
東日本大地震を体験し、今、生活が困窮して生活保護受給をしている方やしようと思っている人達に観てもらいたい話だが、実際には映画を観る余裕はないのだろうと考えさせられてしまった
絵空事でもいいから護りたかった
護られなかったと感じていた側と
守ろうとしなかった側のどちらの側面
理解出来るからつらい。
守ろうとしなかった方は人間としてどうなんだ
って思うかもしれないが
組織の中にいて色んな圧力の中で
震災という相当異常なイレギュラーの中での
業務が異常なほど仕事量に異常だったはず。
だからといって人が死んでいいわけはない
そこから生まれる恨みが
また護られなかった者とか物をつくり出すわけだが
人間平等は絵空事
そんなことはわかっているけど
大切な人を護りたかった
それができなかったからいま護りたかった
誰よりも何よりも家族だった
魂が泣く 大袈裟でもなんでもなかった
予想通り+気持ちよく裏切られた
まずは役者陣が素晴らしい。
それぞれ、さすがの一言。
阿部寛、佐藤健、倍賞美津子はもちろんですが、やっぱり清原果耶が凄い。
良い映画に巡り会ってるのか、清原果耶が出ると良い映画になるのか。
あとカンちゃん役の子役もよかった。
ストーリーもとても引き込まれて、ある程度予想しながら観ていて、予想通りと裏切りととてもバランスが良かった。
伏線の回収も。
切ない。
善悪では割り切れない。
予想してたセリフがと違ったのが2回。どちらも涙。
無音部分ごとても良くて引き込まれる。
誰かのスマホのバイブが鳴り続けてたけど。
タイミング悪。
浜の朝日の、、、
と、2つ続けて震災関連の映画。切り口が全く逆で、映画は良いと思えた。
生活保護問題というより3.11で出来た心の傷
《あらすじ》
児童養護施設で育った利根、寡婦のけいさん、3.11でお母さんを亡くした小学生のカンちゃんの3人が3.11の避難所で出会う。
けいさんの温かさに母の姿を見、心救われた2人は、生活に困窮するけいさんに生活保護の申請させるが、後日餓死しているのが発見される。
申請取下げがあったと役所の回答。産まれてすぐに養子に出したため自分の存在を知らない娘に迷惑をかけたくないというのがその理由だった。取り下げれば餓死するのがわかっているにもかかわらず、それを受け取る役所に腹を立てた利根は役所の入口に火を放って逮捕される。
出所し再就職した頃、けいさんの生活保護を担当した課長とその上司が相次ぎ餓死の状態で殺される事件が発生し、警察は利根をマークする。
利根は生活保護課の職員になっていたカンちゃんを訪ね、「なぜ生活保護課の職員なんかになってるんだ」「死んでいい命なんてないんだ」と哀しげに言う。
後日、カンちゃんのもとに警察が来ると「お兄ちゃんは優しい人なんです」と言う。
警察はけいさんの生活保護保護担当者で今は議員となっている男が次に狙われるとみて張り付き、利根が講演会場出口で飛び出してきて「謝罪会見してくれ」と懇願するところを逮捕する。
…ここまでの繊細な若者の悲しい復讐劇という話でお終いだったら、☆5はつけません。
この後、利根が逮捕されているというのに、議員が行方不明になるのである。
こうなって初めて、先程の2人の言葉の意味が全く違うことがわかる。
「職員にまでなって、けいさんの担当者だった奴等に近づいて、復讐の機会を狙ったのか」「例えけいさんを殺した奴等だとしても、純粋な悪人というわけではないし、命を奪ってはいけない」
自分の保身のためではなく、けいさんのためでもなく、ひたすらにカンちゃんを止めようとしていた利根。それを理解しているカンちゃん。
「お兄ちゃんは、自分が殺人犯と誤解されることより、私の身を案じてくれるような心優しい人なんです」
利根はもうこれ以上殺人を犯させたくない一心で、最後の現場であると確信するけいさん宅へ警官と赴く。
「お母さんが死んだときは怒りの遣り場がなかった、でも、けいさんは違う、人災だ」と犯行を成し遂げようとするカンちゃんに、利根は襖に書かれたけいさんの辿々しい文字を見せる。
「おかえりなさい」
けいさんは2人が再び訪れるのを信じ、この温かな言葉をかけようと思っていたのだ。そして、自分もかつてお兄ちゃんに投げた言葉。
事件が終わって、ラストで利根が3.11の津波から救えなかった子供のことを告白し、「護れなかった」と呟く。
《あらすじ ここまで》
大号泣ですよ!!
不安定な思春期に、唯一の家族である最愛の母を3.11で亡くし、震災時に知り合ったもう1人の母といえる人も亡くしたカンちゃん。同時に心の兄たる利根も傍にいなくなってしまったカンちゃん。養親は彼女を立派に育ててくれているので悪い人たちではなさそうですが、彼女にとって大切な人である利根の存在を知らないということから、心通える存在ではなかったのでしょう。もしかしたら、けいさんと利根を失った時点で、カンちゃんの心はもう閉ざされてしまっていたのかもしれませんが。
気持ち良く泣けましたわー
原作を切り落として、利根を純化させたストーリー構成もシンプルで好感をもてました。
ただ、私はこの映画を利根・カンちゃん・けいさんの3人の話だと思いましたので、警官が3.11で亡くした息子=利根が助けられなかった子供であると思われることとか、議員が謝罪会見開くシーン、田舎に来た若い刑事の存在は、蛇足だった気がします。加えて、カンちゃんが精神のバランスを崩す端緒かもしれませんが、不正受給者の当てつけ自殺未遂の話は、殺人事件とは関係ないのでこんな長いシーンとしては不要だったかなと思いました。
そもそも、生活保護問題をクローズアップしたいのなら、殺人事件など不要で、もっとそちらに純粋にウエイトをかけるべきだと思います。様々な問題点をさらっと触れられても、心に残りません。
どうせなら、3.11当時の疲弊しきった生活保護課の担当者たちの人間性について厚みを持たせた方がやるせなさが出て良かったのになぁと思ったくらいです。
あと、変なバレエのシーン、要りますか?誰?
また、海で話し合いさせたいからだとは思いますが、手錠だかの拘束を海岸付近で外すのも違和感ありました。
号泣したい方、オススメです!
護るべきものは
主演の阿部寛さん、佐藤健さんお二人が、巧みな演技で魅せる。
清原果耶さん、石井心咲さんお二人の熱演も素晴らしい。
慈愛に満ちた眼差しの倍賞美津子さんの演技が秀逸で、全てのシーンで魅了された。
福祉に携わっている方々の苦悩、生活保護申請者となる苦悩、それぞれの苦しみ、辛さがリアルに描かれており、根が深い問題だと感じた。
真の優しさに救われた人間が、人を殺める事が出来るのか、犯罪に手を染める事が出来るのか…今も納得出来ていない。
エンドロールで流れる桑田佳祐さんの優しい歌声が沁みた。
映画館での鑑賞
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