空白のレビュー・感想・評価
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何処にでもある普通の日常は危ういバランスの上に成り立っている
物語の切っ掛けの描写はかなりの衝撃を受ける。
ハリウッド映画に慣らされている人ならばそこに衝撃を受けるだろう。
登場する人物達は皆、どこかに問題を抱えているが過ぎゆく日常の中でそれを直視せずにやり過ごす。それが、ある事が切欠となって明るみに晒され絡み合う。時がそれらを解決することは出来るのか。
かなり重い内容だか手練れの出演者が演じきる。劇場でじっくりと鑑賞いただきたい傑作。
楽しい作品ではないが、心に刺さるものがあった
本作品を観て思い出したのが、川崎市の万引き中学生の死亡事故である。簡単に説明すると、店主は防犯カメラで万引きを確認、名前を聞いたが何も言わないので警察に通報、警官が連行しようとしたところ、逃げて踏切をくぐり、電車に跳ねられて死亡した。世間はネットや電話、貼り紙等で店主と中学生の双方を非難、中にはチンピラ風の男たちが店を訪れて店主を面罵したという。店主は店を閉めた。
この事件は法律的な側面と倫理的な側面を区別して別々に考察する必要がある。それに加えて、関わった人々がどのような選択(アンガジュマン)をしたかということが問題になる。
法的に言えば、加害者は万引きをした中学生だけである。被害者は店主と鉄道会社、事故のおかげで予定を狂わされた乗客である。被害者の数の方が圧倒的に多い。万引きとは即ち窃盗であり、簡単に言うと泥棒だ。泥棒が責められるのは当然だが、被害者が責められることは普通はない。泥棒を見つけて居直り強盗になったところをバットで殴り殺したところで、正当防衛が認められるはずだ。
倫理的なことを言えば、加害者が中学生であったということで、将来のことを考慮して説諭で済ませられたのではないかという見方がある。それはその場で自分の違法行為を反省して謝罪した場合に限られると思う。店主もそのために説諭の場面を用意した。しかし名前を言うのを拒否された。つまり反省はしない、謝罪もしないという態度である。ならば説諭の機会は断たれたものと店主が判断し、警察に通報したのは実に理にかなった行動である。非難される謂れはひとつもない。しかし店主は世間や中学生の親に謝罪し、閉店してしまった。
中学生にはいくつも選択肢があった。万引きをするかしないか、発覚したときに逃げるか、素直に謝って許してもらおうとするか、警察が来たら逃げるか、踏切が降りたところで諦めるか、下をくぐって逃げるか。中学生にも事情があったのだろう。考えられる最悪の選択をしてしまった。
実際に逃げた中学生を追いかけたのは警察官だ。しかし警察官は非難されない。警察官にとって犯人が逃げたら追いかける選択しかないからだろう。
中学生の親は自分の子供が万引きをした証拠を確認したら、店主に謝罪するという選択はあった。親の動向は報道されていないから不明である。ただ父親は、店が閉店したことを受けて、閉店してくれてよかった、前を通るたびにつらい思いをするからと言ったそうだ。
被害者意識と加害者意識がある。万引事件では被害者意識を持つはずの店主が加害者意識に悩まされ、万引する子供を育てたという加害者意識を持たねばならないはずの中学生の親が被害者意識を持ってしまった訳である。
加害者意識とは即ち罪悪感である。本作品では急に車の前に飛び出された女性運転手が加害者意識を持ってしまい、最終的に轢き殺したトラック運転手は、不可抗力であるとして加害者意識を持たなかった。
被害者意識を持った人間ほど厄介なものはない。怒りに直結するからであり、その怒りは簡単には収まらない。モンスタークレーマー、モンスターペアレントなどは、被害者意識に怒りを燃え上がらせた存在であり、加害者に大打撃を与えるか、莫大な補償をされるかしなければ胸のつかえがおりない。
本作品は事故や事件に関わった人たちの被害者意識と加害者意識を上手に描いてみせた。加えてネット社会の本質も暴く。人間が日頃は巧く隠している悪意が、インターネットではストレートに出現する。現実では常識人で温厚な人と思われている人が、ネットでは冷酷で悪質な書き込みをしたりするのだ。世の中から寛容な精神性が失われていっている証左である。
楽しい作品ではないが、心に刺さるものがあった。古田新太も松坂桃李も名演だったと思う。田畑智子が演じた別れた妻は、常識的で公平で寛容な精神性を代表していて、言いたいことを代弁してくれた気がした。こちらも好演だったと思う。
性格が問題を大きくしていく
古田新太はいつもは強面だけどそれを逆手に取ったユーモラスな役が多いと思うのですが、今回は顔の印象通りの性格の役で、結果周りを萎縮させていき、どんどん問題がこじれていきます。多分ああいった性格でなければそもそもの事件が起きなかったのでしょうし。
この映画は心が弱っている時、特に自分ではどうしようもなかったけど責められているような状況にある人は心が持っていかれてしまうかもしれません。松坂桃李の最後のシーンは泣いてしまいました。
1時間45分と、最近の邦画では短い方ですが、嫌な気持ちになるには十分な時間でした。それで終わらないのがもっと良かった。
マスコミの情報操作というのはほんとにあるのでしょうか。もしあれば大問題なので、隠しカメラを仕掛けておいて真実を暴いてすっきりする展開を見てみたいです。なかったらこの映画が情報操作していることになりますけどね。
オリジナル脚本なんだ…
吉田恵輔監督だった
本作のテーマは邦画に良くあるテーマだと思ったのですが、作品は吉田恵輔監督の個性が溢れていました。狭い空間の中での狭い人間関係を、結構気持ち悪く撮るからなあ。
家父長の名残なのか、家族だから分かり合える、家族だから仲良く、家族だから○○いうのはもう無理なのでは?と思います。シャッター通りになった地域も衰退していて、栄光を知るおじさんはついていけないですね。
父親は娘を理解する為にアルバムを見たり漫画を読んだりしているうちに、人への接し方が変わりましたよね。店長もお客さんに何気ない励ましをかけられていました。そんな些細なことに人は支えられているのだし、本作の良いところはこういうところではないかと思います。今回は、監督が余り意地悪じゃなかったです。
#77 正しいって何?
登場人物のうち自分に投影できる人が1人はいるのではないか。
添田と草加部は一見真逆に見えるがどちらも自分のやることが正しいと信じて疑わないタイプ。
花音と青柳は万引きして逃げる側と追う側になったがどちらも自分に自身がなく自己否定型。
正しいという言葉が何度も出てくるが、悪いことの基準はあっても正しいことの基準はどこにもない。
ほとんどの登場人物は私の嫌いなタイプだが、中でも1番嫌い苦手なのはボランティアを押し付ける草加部。
まじめに現実的に考えちゃうくらいとっても良い作品でした。
少しは救われる?
どの登場人物にも感情移入出来る作品
出演者みんな現実にいそうな人間だしやりそうな行動。 マスコミもあん...
行き過ぎた大義が生む非寛容世界
誤解されやすい人は損をする
赦しとは。。。
【「空白」の意味】
取り返しのつかないところまで行きつかないとダメな人って結構いるなと常々思っているのだけれど、改めて映画作品として見ると、悲哀というか、悲しい気持ちになる。
この映画の救いは、花音を最初に車でひいてしまった女性の母親と、添田の船で働く野木、花音の母親の存在なのだが、それでも、このハッピーエンドになろうはずもないストーリーを考えると、辛くなってしまう。
この映画タイトルの意味はなんだろうか。
映画のストーリーの中で言えば、スーパーの事務所での短時間に、青柳と花音に何があったのか。
どんな会話があったのか。
あれだけ、必死で追いかけなくてはならない理由が隠されているのかだ。
映画を見る限りは、青柳が花音の腕を強く引いたから道路の反対側に飛び出して逃げようとしたように見えた。
これは、青柳が添田にしていた説明とは食い違うのではないのか。
また、この作品に登場する人物達の間にある隙間、つまり、相手を理解しようとしないことによって生まれる縮まることのない距離感も、埋める合わせることの出来ない空白みたいなものかもしれない。
自分の善意だけ押しつけ、周りから人が去ってしまう虚無感も空白なのかもしれない。
教師や学校と花音、
教師達、
添田と元妻、
そして、
添田と花音にも決して埋められない空白のようなものはある。
だが、本当の空白は、自分自身と向き合わないことによって生まれる、人間らしい感情の不在なのではないのか。
元妻の幸せを羨ましく感じたと正直に認める気持ち。
花音は万引きしていたに違いないが、それは何故かと考えようとする気持ち。
加害者の自殺と残された母親の悲しみに向き合おうとする気持ち。
野木を認めたい気持ちなど…。
実は、こうしたことが本当は大切なのではないのか、空白を埋め合わせることは出来なくても、空白のヒントにはなるのではないのか。
添田と花音のイルカの雲が救いになれば良い。
この映画のストーリーは、ある意味、あれこれ考えずに、エンパシーを抱くことなくやり過ごせるのが一番良いと考えている僕達の世界のようでもある。
世相を斬る作品
単純で複雑
海辺の大きくはない漁港の町が舞台。言葉にあまり特徴を感じず、どこかなと思っていたら、故郷に近い愛知県蒲郡市。竹島も映り込んでいたし、三河湾のベタ凪も美しく寂しく映画的に撮られていた。
事前情報はそれほど入れてなかったので古田新太が松坂桃李を責め立てる所までしか想像がつかなかったが、後半戦何とも言えない展開に。
古田新太も松坂桃李も流石にいそうな人間を見せ、序盤から古田新太との関係性が絶妙な藤原季節と後半へのきっかけの一つとなる片岡礼子と趣里にも存在感があった。
ただ寺島しのぶについてはそもそも役柄が大変損な役回りで見ていられなくなるほどイライラさせられたのだが、演技が上手いということなのか、演技過剰だったのか判断がつかない。個人的にはもう少し抑えてほしかった。
人のエゴに怒り人の優しさに泣く
なんか古田新太が性格悪い猫みたいでちょっと可愛かった
松坂桃李を執拗に追いかけてるあたりも懐かないボス猫があと付いてきてるように見えて笑った
それに監督がさすが
人の汚さ、醜さを浮き彫りにして気持ちを大いに凹ませたあとに、最後に人間で捨てたもんじゃないと泣かせる。
人を殺すのも人間、人を救うのも人間
万引きした中学生が轢かれて亡くなる所から始まる映画
まずね、マスゴミがねほんとね、言いようのない怒りが湧くような報道をしやがる
それに群がる野次馬ね
古田新太も松坂桃李も被害者である
イタ電や書き込み、人間は本当に汚い生き物だ。
個人間での出来事であり、第三者が介入するのはおかしい。今までの事故や事件でもマスコミの煽動で無関係の群衆が騒ぎ当事者の自殺など問題になっていた。
日本のジャーナリズムに異議を唱えたい。
本当に心が苦しくなる。でも、観てほしい
人は優しい
あるシーンから人間の悪の部分から前の部分にフォーカスが当たる。
救われた気持ちになる。
松坂桃李さんの凄さ
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