俵万智さんの推薦コメントにこの映画の魅力のほとんどが詰まっていると思います。そのまま引用します。
『大のアボカド好きから言わせてもらうと、アボカドの食べごろを見極めるのは、とても難しい。熟れぐあいは、そっと触れて想像するしかない。人と人との関係も、またそうだ。
前原君は、まだ固い実を前のめりに味わおうとしたり、せっかくのタイミングを逃したり、熟れすぎの危うさに無頓着だったりする。イタくて愛おしい数々のエピソード。でも、はじめからの達人なんて、いないのだ。人類がどんなに進化しても、アボカドは(つまり恋愛は)、食べて失敗してみないとわからない。
もどかしさや切なさを感じながらも、ラストの超ささやかな笑顔から、私は温かなものを受け取った。』
自分からすると、この主人公は結構子どもなんですよね。彼女の家に上がって、彼女の母親からコーヒーをもらうシーン。母親にも堂々と嘘をつこうと画策してみたり、家を出る際椅子を出しっぱなしにしてみたり、道中気の効いた会話のひとつもできなかったり。スタッフに対する態度、友達に対する態度、ホテヘル?の女性に対する態度、どれを取っても自己中心的なんですよ。
でも、三大欲求である「性欲」を満たすべく行われる恋愛は、本来もっと自己中心的で我が儘で周りが見えていなくて当たり前なんだという示唆を得ることができる作品だと思いました。主人公に対しても周りの登場人物に対しても、演出の一つ一つが優しくて切り捨てられてない。主演の方の実質再現ドラマとはいえ、「こりゃダメでしょ!」とか「つまらない!」とならないのは、登場人物への温かい眼差しが窺えるからかなと思いました。
とはいえ、主人公が「しみちゃん」と呼ぶ元カノに固執する理由を描いた方が感情移入しやすかったかな…と思いました。作品の最後の方にしみちゃんのどこが好きなのかを伝えるシーンがあるのですが、序盤や中盤にでも二人の出会いや幸せだった日々を回想でもう少しあると良かったかなと。見る側にとっては初見から嫌なというか、もう主人公には全く興味がないんだな…と思わされる演出だったので。
今年「僕の好きな女の子」という好きという気持ちを伝えられないもどかしさを描いた傑作を観たのですが、清々しい恋愛の散り様も迷走する様も結局恋愛はどう転んでももどかしさからは逃れられないんだなと思いました。監督と主演の方の舞台挨拶も拝見できて良かったです。