望みのレビュー・感想・評価
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感情が爆発・整理中・無 清原果耶ちゃんの涙の使い分けに感服!でも物語は…
予告編の時点で「息子が加害者か?被害者か?」と煽っているので、そういう映画だろうな…と想定した域からははみ出ることがない、2時間のテレビドラマ的な作品でした。
とにかく演者が良かったです。父親の堤真一と母親の石田ゆり子の、息子に対する想いが共通している部分と異なっている部分を「そこまでセリフで説明しなくても…」と思わせられるくらい素晴らしい演技をしていたと思います。特に前半は繊細な演出も相まって、「息子はどっちなんだろう?」とスリリングでした。
何と言っても清原果耶ちゃん。これまでも褒め続けてきて、このサイトのレビューでは「宇宙でいちばんあかるい屋根」で褒めまくっているのですが、今回もお見事でした。感情の表出の仕方に、ここまでバリエーションを付けられるのか…という感じ。今回も何回か涙を流すシーンがあるのですが、その設定に応じて「感情を爆発させる涙」「感情の整理に追い付いていない涙」「感情が無の涙」を巧みに使い分けているのが凄いと思いました。あと、ポニーテールが似合うので、引き続き取り入れて欲しいです。
あと、マネージャー役として出てくる女の子が、非常に志田未来さんに似ていて…(笑)物語の設定と相まって『誰も守ってくれない』を連想させました。
繰り返しますが、演者が非常に良くて最後まで楽しめましたが、脚本&演出はテレビの2時間ドラマ的で残念な部分も多くありました。
たとえば、すでに動画サイトでシーンが公開されていますが、建築士の父親が我が家をマイルームとして紹介するシーン。いくらなんでも、思春期の息子と娘の部屋にずけずけと他人を入れるのはどうなの?これがいわゆる普通の幸せな家族なの?と思ったり。
あんなにマスコミが家の前に張り付いている割には、家に落書きされまくってたり。
相変わらずこういう時の警察は感情が伴っていない悪のもので、ライターや雑誌の記者の方が誠実に向き合っているという「まだそんな設定やってるの?」ってとことか。
「はい!ここは泣くところです!泣いてください!!」とバカにされてるかのようにスローモーションや賑やかな音楽を多用するところとか。
まあこの演出家さんはパワーで理屈を押し退けて行くタイプなので少々の粗は目を瞑れということなんでしょうが、手放しで絶賛はできないですよねーって感じです。「○月○日」と毎回日が変わるごとに数秒の暗幕のあと表示されるので、じゃあそこにCM入れて2時間ドラマにしたらもっと良かったかもしれません。過剰な音楽も、ドラマのような集中しなくても見られる環境だからこそ活きるのであって、映像に集中できる映画館という環境だと過保護的に思えてしまいます。映像的にも映画である意味はあまり見出だせませんでした。
ただ、最終的に「実は主人公は被害者でもなく加害者でもなくただの家出として灰色決着」にしなかったのは良かったと思います。結末に合わせた森山直太朗の歌も良かったです。
相反する2つの可能性しかない前提で話は進むが・・・
①家族が殺されて2度と会えないよりは、犯罪者として再び現れることを望むか、
②人殺しの家族として社会的制裁を受けるよりはむしろ、殺されていることを望むか
なんか、極端に相反する可能性しかない前提で話が進むなあ、と見ていました。
これ以外の可能性もあるだろうに、そこらへんを潰していないので少し違和感が残った。
あとは、社会的制裁というか嫌がらせによって家族が精神的に追い込まれていく描写が少ないような。嫌がらせ場面自体はあったけど、妹さん割と薄情じゃないですかね。
ついでにいえば、マスコミをステレオタイプのクズ扱いするのはわかるとして、松田翔太演じるフリー記者を良い人に描きすぎ(良い人がフリーでは食っていけないでしょ)
出演の皆さん演技上手なので点数は少し甘めです
自分だったらどっちを望む...か
凄くつらく、感動した...自分が家族なら...どっちを望むのか...なんとも言えない...ただ凄く考えさせられ、引き込まれる内容だった。最後はこれで良かったと思える...辛いけど...
何に「望み」をかけるのか
昨今、少年犯罪を取り上げた映画が多いなか、あ〜、そういう?と予想をたてながらも、最後、観た人に答えを託すような終わり方でしたね。
親の願いって、何なのか?
信じるって、どういうことなのか。
親は本当に、子どもの姿を見ているのか。
いろんな角度から、事件を見ることで、何が真実かが、あぶり出されていきます。
それすら、真実なのかわからない。
何を信じるのか?
真実がどうであっても、受け入れることができるのか?
非常に決断を迫られるテーマです。
加害者であっても、被害者だとしても苦しみは変わらない。
ただ、その意味を自分たちがどう解釈するのかで、その後の家族の生き方に変化が出るのでしょうね。
「今までと、同じ生活はもうできないってことでしょ」
たしかに、そうなんだろうな。
どう、形が変わるのか。
そこを問いかけているようにも感じ。
家族の微妙なズレ
事件に巻き込まれて葛藤する家族の心情の描写。
加害者か被害者か、なんて選択不能なものに迷う親族の気持ちを踏みにじるマスコミの理不尽さが際立つ。
このテーマにはつきものの報道の自由との境界線が悩ましい。身勝手に押しかけるマスコミに「知る権利だとふざけるな」と恫喝したくなるのは私だけでしょうか?
名優揃いで見応え十分です。スッキリ感を得られないテーマでも?
是非映画館で🎦
親にとっては重いテーマ
子供を持つ身としては、父の気持ちがよくわかる。犯人なのか、被害者なのか、どちらかの可能性があると知ったら、犯人ではあってほしくない。そう思う。
長男の規士が、加害者かもしれないってわかってからの家族の殺伐とした重苦しい感じはよく描けていたと思う。犯人でないことを祈る父、加害者であったとしても生きていてほしい母、自分の将来を不安に思う妹。気持ちの不協和音が鳴り響いて、見ているこっちがいたたまれなくなる。
ただ、マスコミの描き方がステレオタイプというか一時代前のイメージのままというか、ちょっと首をひねる。被疑者でもなく、事件の重要参考人の少年の父親の声をそのまま報道するなんてありえない。それに、卵の投げつけやスプレーでのいたずらの演出もちょっと時代錯誤してる。SNSでリンチされたり、ネットで情報さらされることが、被害者や加害者の家族にはこたえているのに。
松田翔太演じる雑誌記者の内藤の立ち位置も釈然としないな。ハイエナのような雑誌記者として最後まであって欲しかったな。原作は、未読だけど、そのへんはどうなんだろう。
望みの対義語とは
上映が終わった後何もできなくなるくらいの衝撃的な作品だった。
母は息子が「加害者」であることを望み、父は息子が「被害者」であることを望む。
この、望みというタイトルの意味に気づいた時、かなりの衝撃を受けた。
加えて特筆したいのが演出のうまさ。
演じる役者さんの超一流の演技を100倍にも千倍にも膨れ上がらせるカメラワーク。
そして、照明。
母が望みを見出す瞬間、光が差し込む。
そういった陰と陽の対比がとても素晴らしかった。
正直中盤までは色々なところから酷い仕打ちをたくさん受けるため(本当はやってはいけないのだが)思わず前の座席を蹴りたくなるくらい、かなりストレスを溜める映画であることは添えておく。
そして、家。
最初に家の紹介から入る。
明るくて誰もが憧れるような素晴らしいデザインの家。
これが序盤で解説されるため、徐々に徐々に家族の状況の変化によってアットホームな空間からとんでもない魔界の城のように変貌を遂げるのがとてもよくわかった。
最後に、この映画を見て感じたことを一つ。
望みの対義語とはなんだろう。
母は息子が「加害者」であることを望んだが、それは裏を返せば息子は「被害者」であると信じていたからこその望みではなかったのだろうか。
父は「被害者」であることを望んだが、それは息子が「加害者」である可能性を考えていたからこそ望んだのではないのだろうか。
息子がいるいないで、見方も感想も変わる。
金曜日レイトショーは、この秋楽しみにしてた邦画『望み』
私的高感度の高い各世代の俳優さんが、親子4人を演じる。
いやぁ〜ハズさない演技に引き込まれました。
加害者なら生きてる。被害者なら死んでる可能性大・・・
夫婦の思いが違うって描写が、秀悦でした。
男目線の意見ですが、息子さんがいる人は観る価値あると思いますし・・・
そうじゃない人は、思春期の息子だった頃を思い出して是非!
親に言えない事を、消化しながら人は、成長する。。。。
高校時代、父親と接した記憶は全くない感じだったので、2人の息子とは出来るだけ接して来たつもりですが・・・
私には見せない顔や話さない事があるのは当然だと思うし、嫁には話してたんやろね。
子供がいるなしで、180度感想は違うと思いますが・・・
その向き合い方は、家族それぞれという事で、オススメです。
選択
133本目。
パークスで9時20分の作品を観ようとマックで時間を潰してたら、なんか9時40分だと思い込み、大分お疲れモード。
で予定変更。
究極の選択、正解か間違いが分からない。
あと男親、女親ってのもあるんだろう。
昨今のネット問題もあるんだろうけど、内藤は別として、こういう事件の後に頭を下げなければならないなは、マスコミだろうと。
興味なくなりゃ、次に鞍替えだから。
で、マスク着用をお願いしてるのに、近くのジジイがマスクをしてない。
スタッフも注意してるのに、どこ吹く風。
先週も別の映画館でもいた。
上映中は喋らないから、って事なんだろうけど、腹立つ。
一言、言ってやりたいけど揉めて、出禁になりなくないから我慢。
でも、何とかして欲しい。
何度も涙しました。
見ているうちに感情移入してしまう映画でした。
途中で自分がどんな結末を望むかを見ている人まで究極の選択をさせられている感じで、
いくつかのシーンで、堤さんと石田さんの繊細の演技で、涙をしてしまました。
この映画限っているわけではないが、
仮に息子が犯罪者としても、被害者としても、
その家族に卵を投げたり、落書きをするのは、立派な犯罪です。
それなのに、裏でやればバレないからとか、みんながやっているから大丈夫とかというのは、日本社会というか、日本人の国民性の中の諸悪の根源かもしれません。だからいじめが生じるし、村八分が起きるんです。全ての人には見るべき映画だなと思いました。
父親目線で観ました
最初から心臓がきゅーっと締めつけられるような、辛い、苦しい作品でした。
ラストは自分の好みではありますが、やや説明が過ぎた感じ。それより、相手の親の存在を少しだけ加えると、より真実味が増していたかもしれません。
少年犯罪の捜査でもっとも心が痛むのは、お子さんの気持ちを知った時です
たとえ犯人であろうが、生きてさえいてくれればいいと望む母。事件の関与はあるにしても、加害者であってほしくないと望む父。子を思う気持ちは同じでも、望むことは真逆。信じてあげられるのは家族だけだから、「何もやってない」と断言する気持ちもわかるが、信じたい気持ちが強すぎると真実をみおとすのでは?との危惧が止まない。
それよりも増して、どこか心に不穏な筋書きを心配する感情がくすぶっていた。それはこの映画がミステリーだということではなく、堤監督であるということがそうさせる。「人魚の眠る家」の気味悪さや、他のTVシリーズのケッタイな映画化作品など、あまり好みではないからだ。だから正直どこか斜に構えて見てた。でも、この映画はそうではなかった。展開は意外であったが、奇抜ではなかったし、最後に母が記者に言った言葉も、すっと胸に収まった。あんな結末なのに僕の気持ちにやわらかな空気が流れた。それは、父も母もタダシを誇りに思う、優しい眼差しがあったからだ。そして僕がその感情を理解できたから。その時、ふと思い返した。祖母の言ってくれた「何かあっても受け止めてあげなさい。覚悟さえあれば怖いことはないから」という言葉の強さを。
自分だったらどっちだろう
我が子が、逃亡中の加害者(殺人犯)か、まだ発見されてない被害者(死亡者)なのかがわからない時、親としてどちらを望むのか、考えさせられた。
殺人犯でも生きてて欲しいという気持ちもわかるし、加害者じゃなくて被害者の方がいいと思う気持ちもわかる。凄く悩ましい。
石田ゆり子が子思いの母親を好演してる。
いわゆる謎解き物の映画では無い
本作品は主人公が犯人を探すようないわゆる謎解き物の映画では無いので、そういう映画だと期待して観るとおそらくがっかりするだろう。
タイトルの名前の通り、被害者なのか加害者なのかどちらも望みたくは無いがどちらを望むべきかの葛藤を描いた作品であり、内容もそれがメインである。
正直、私は本作品を謎解き物だと思い、伏線を見逃さないよう冒頭からチェックしていたが、それは無駄な努力に終わったようで、ストーリーとしてはひねりも無くすごくシンプルでした。
一方、役者の演技は迫真の演技で良かったと思いました。
蛇足ですが劇中の竜雷太が何となく上皇陛下に見えてしまったのは私だけでしょうか?
それから不愛想な女刑事役の方、一体誰なんでしょう?
いかにも女刑事って感じで存在感がありました。
究極の選択ならぬ究極の望み
昔、究極の選択ゲームみたいなのが流行った事があるが、これは選択はできないが、自分の息子が加害者になるか被害者になるか、どちらを望むのか、非常に見応えのある映画でした。
私が親なら「被害者を望む」、最初は当たり前のようにそう思ってみていました。でも、石田ゆり子の演じる姿を見ていて考えるものがありました。私とは全く逆に見ていて堤真一の演じる姿に考えた人もいるでしょう。また、そんなのどちらを望む事もできない人もいるでしょう。(最終的にはどちらも望む事はできないと思いましたが)
ストーリーもとても良くできていたと思います。息子が生きていて、被害者でも加害者でもなかったなんて無理矢理なエンドだったら星1つでした。(それを「望んで」観てましたけど)
家族の誰にでも感情移入できる秀作
先週観た「浅田家!」も家族の物語であったが、何という切り口の違いであろうか。家族に向き合う真剣さという点においては甲乙付けがたいが、こちらは終始張り詰めた緊張感が素晴らしかった。子供を育てるというのは、ここまで辛いものなのかと、自分の覚悟を問われているかのような気がした。
子供を信じるという点において、この家の父と母はやや立場を異にしている。我が子は絶対に他人に危害を加えたりしないと信じる父と、例え加害者であろうと全てを受け止めようとする母である。この父性と母性の違いは、実に見事な描き分けであったと感心した。仮に子供が加害者だった場合、父の立場では救われないが、この母の覚悟であれば、子供は救われるのである。
娘の言うことも尤もであり、息子が加害者であろうとも受け入れると覚悟した母親は、娘より息子を優先したということに他ならない。いつ私が子供たちを差別したかという問いには、「今」と言えば母親は答えようがなかったはずである。それぞれの立場は非常にリアルであり、どの立場にも容易に感情移入ができてしまう。見事な脚本と演技であった。
どうすればこの映画の結末と違う結果に導けただろうか、と考えてみるが、息子が事実をそのまま話して相談してくれていれば、両親は大人の解決法を考えてくれたはずである。金がいくらかかっても、子供の人生には代えられないはずなのである。親に心配をかけたくないという真面目な子供ほど事態をこじらせてしまうというのは本当に困ったものである。
役者はいずれも好演であった。堤と石田の気持ちはどちらもどの場面でも痛いほど分かって、見ていて辛かった。清原果耶は高校受験する中学生の役であったが、確かに中学生に見えた。「なつぞら」で子供のいる役まで違和感なくこなした人が、ここまであどけなさを出せるのかと非常に感心した。とんでもない逸材である。
音楽は、物語の雰囲気をなぞるように、解決しないもどかしさを見事に描き出しており、さらに非常に重要なシーンで流されたバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番の終曲・シャコンヌを弦楽四重奏版に編曲したものが素晴らしかった。あの場面の両親の気持ちを表すのに、あれ以上相応しい曲があるとは思えなかった。
演出は、堤監督らしく、不安をいや増すようなカメラワークが見事であった。冒頭のシーンで上空から家族の暮らす家に徐々に近付き、エンドロールでは逆に家から上空に昇って行くシーンがあたかも魂が昇って行くようで非常に印象的であった。非常に切ない映画であった。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。
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