望みのレビュー・感想・評価
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切なさを感じるとともに今の少年事件の報道の在り方を考えさせる良作
※ 10/11 20時16分 誤字脱字を修正
今年37本目。
tohoシネママイレージサービス使えました。使い方を教えてくださってありがとうございます。
※ ネタバレなしにしているので、表現をぼかしている部分(「推定有罪/無罪」の表現など)があります。
さて、こちらの作品。少年事件を扱った作品です。
ギリギリまで加害者か被害者か、あるいは第三者かわからず…最後までギリギリわからず、最後になるとわかりますが(ネタバレのため回避)、ヒントもいくつかあり、ヒントを手掛かりに自分なりに推測して観るのも良いなと思いました(そういう趣旨の映画ではないと思いますが)。
それよりも、この映画自体は仮想の物語と思いますが(実際の事件に着眼点を得ていない)、少年事件のあり方、とくに、マスコミの好き勝手報道や推定有罪/無罪の原則が事実上無実化していること、(および、そこから、推定有罪/無罪が働くのに、勝手に決めつけ、悲しみにくれる家族に追い打ちをかける人たち)など、少年事件の加害者の問題はさておき、それとは別に、少年事件に特に顕著の、報道の暴走や根拠のない情報のSNS(ツイッター、ラインなど)の拡散など、少年事件に限らず、「マスコミが勝手に特権階級を作り出して好き放題」「一般人の情報リテラシーが低下している」点も、伝えいたいことの一つなのでは…と強く感じました。
ああも、マスコミも一般の情報リテラシーも無茶苦茶になったのはここ10年くらい前からではないか…と思うのですが、身内(家族)に犯罪の疑義をかけられている人がいたら、「度を越して」生活(=生活の糧、家庭の崩壊etc)を破壊しにくる「困った人たち」に、「私なら」どう対応するのか…それも強く感じました。そういう意味で、非常に考えさせる部分があるな…と思い、良作と思います。
※ なので、「好き勝手に無責任に情報発信をする困った人たち」にはぜひ見てほしいなと思う一方、そういう人は「こういう」「都合の悪い」映画は見ないのでしょうね。
採点は下記の0.3で、4.5まで切り下げています(七捨八入による)。
0.3… 上記に書いたように「加害者か被害者か、はたまた第三者か(=無関係者か)」はギリギリまでわからず、最後の最後になってわかるのですが、いわゆる「3日前」等として(いわゆる「●日前」としてスリップするようなものですね。最近よくありますよね)、「ネタバレにならない範囲で」、主人公(この場合は、今回のトラブルを起こした、あの人ですね)の時を追う(ネタバレにならない範囲で)等すれば、わかりやすかったと思います。
(換言すれば、「少年事件を取り扱うが故に」、最後には真相が明らかになりますが、警察もマスコミも中途半端な説明しかしないため(これは、架空の設定の映画でも実世界でも、少年法が適用されているのでしょう)、取り方によっては「んんん?」ということになりそう。
犯罪被害者はかわいそうだと、誰もが自然に思います。しかしほんとうにかわいそうなのは……、
犯罪とか、交通事故の被害者の家族を擁護したいと思うのは人間の自然な気持ちの現れで、だから日本には、犯罪や事故の被害者を守る団体は、山ほど存在しているのですが、ほんとうに必要とされているのは、「加害者」の「家族を守る」団体ではないのかと、私は昔から考えていました。
家族は、犯罪を犯したわけではない。
事故を起こしたわけではない。
なのに加害者家族はどれほど孤立し、どれほど周囲から責められるか。
この映画は、自分の息子が「殺人犯として生きている」ほうが嬉しいか、それとも「無実で犯罪の犠牲者」であるほうが嬉しいのかという、究極の選択を観る側に突きつけ、人間として、親として、兄弟として、そのことをどう思うのか、どう感じるのかという点を詰めに詰めてくる作品です。
この大きなテーマを堤真一・石田ゆり子という名優が熱演しており、観るものの気持ちをグイグイ動かして来ます。
ただしストーリーから言うと、本件に関与した4人の人間のすべてに、かならず家族がいるはずだという観点が抜け落ちているのが、まったくもって残念な点でした。
最初から「悪い奴」と決めつけられている少年にだって、家族はいるのでしょうに。
あ、アイツは悪い奴だから、という突き放し方は、ちょっとナイんじゃないですか、と思わざるをえませんでした。
大きなヒューマニズムにもとづく観点が主人公たちに欠落していたため、最後の終わり方も薄っぺらいものに感じられ、これだけが残念なポイントでした。
それにしても、犯罪や交通事故の「加害者の家族」を援護しようとする団体って、日本にはどれほど存在するのでしょうかねぇ。
善良な小市民の善意による後援が期待できない、こういう団体こそ、政府によって後援すべき団体であると思うのですけどね。
家族写真
4人家族が仲良く微笑んで写っている様子が時系列に投影される。子供たちがどんどん逞しく大きくなっていくのが感じられる光景が積み重ねられていくが、あるショットを最後に3人家族に変わる。どの顔も笑顔ではあるが、そのショットから抜け落ちたひとつのピースがなぜかぽっかり心に穴を開けたように寂しく感じました。
いるべき人がいない寂しさは笑顔の裏側にひっそり纏わりついて離れない。
できうることなら、何も起こらなかったら良かったのに・・・・
それこそが望みであろう。
究極の選択
どちらに転んでも残酷で悲しい、究極の二者択一という視点から、先日鑑賞したばかりの「星の子」を思い出しました。
この作品のように小説でしか表現できない、文章だからこそ伝わる“心理描写”を演じきった役者陣はさぞかししんどかったと思います。
雫井修介の原作も良かったですが、この作品は映画としてきっちりエンターテイメントしていると感じました。
望みの意味は理解できたが?
ベストセラー小説ならどこが省略されたのかな堤の一家のみの焦点で感じんの事件の細部はラストのオチで簡略に紹介されただけでそもそも無免許の高校生に車を貸す奴がいるのか?息子はなぜ別の場所にどのように放置されてたのか 他の少年たちや周囲の背景や意見も取り込んだらもっと深みがあったと❗
(´・Д・)」ん〜ん究極の2択なんだろうが。
自分が犯罪者の家族になったら?
という事をすぐに考えるだろうし加害者として生きている事をのぞむのか?被害者として死んでいる事を望むのか?どちらを考えるか自分自身に置き換えるのでしょう。
この2択?無理があるよな気が?ん〜ん。。。
私だったら生きていてほしいが罪を償う意味で死んでほしい、死刑になってほしいと思います、、、、、。なんとなくだけど2択に持ち込まれてしまいハラハラしましたがそれ程単純でないのに後から気づくと冷めてしまいます。
【偽らざる気持ち、家族とは】
実は、よく咀嚼しないとレビューを書くのが大変な作品だった(因みに原作は読んだことはありません)。
理由は、少年犯罪という僕のちょっと苦手なテーマであること、
更に、まあ、ありがち…という感じのメディア、一般の人や母親の反応の演出にも実はイライラしてしまったからだ。
一度は、こういう感情に埋没しそうになって、レビューもやめそうになった。
以下ネタバレあり
↓
気になるセリフがあった。
雅の
「お母さんには言えないけど、お兄ちゃんが犯人じゃない方が良い」
つまり、犯人であるより、もう一方の死んでる方であることを望むというのだ。
父も息子は犯人ではないと、葛藤を抱えながらも思い込もうとしているが、実は、その気持ちがよぎったことは確かだ。
人様の命を殺めているより、死んでくれている方がマシ。
家族であるから、責任を感じて、そう思うのだろうか。
世間体、これからの生活、こうしたものをひっくるめて、身内から犯人が出てしまうことは家族をどん底に突き落とすから、そう思うのか。
恐らく全てだろう。
ただ、何かが欠如しているように思う。
犯罪者の家族が、別の暴力に晒されてしまうのは、想像に難くない。
ネットの世界では尚更だ。
世間にこれを防ぐ有効な出立ては見当たらない。
僕の友人の住む、とある田舎では、コロナ患者が出たことで、家族の住む家が投石にあったり、落書きされたりした家があったそうだ。
人々の暴力は恐ろしい、
そして、規士の死。
180度変わる世の中の規士家族への対応。
規士の死が炙り出したのは、これだけだったのだろうか。
家族の再出発。
しかし、母親の反応はどうだったのか。
息子がたとえ犯人であろうと、生きていて欲しい。
死を決して望みなどしない。
それこそが母としての「望み」なのだ。
お腹を痛めた母親としては至極当たり前のことのように思える。
しかし、雑誌記者との会話
「お母さんのインタビューは必要なくなりました。なぜなら、規士さんが犯人であれば良いと思っていたから…」
雑誌記者は告白する。
母親は、
「私もあの時は確かにそう思っていたけれど、その後のことを考えたら…」
この作品は、この最後の会話のために仕組まれていたのではないだろうか。
雑誌記者が望んでいたのは、世間の望んでいることとイコールだ。
つまり、僕達の生きる世界は、よりセンセーショナルである方を望むのだ。
母親の気持ちの変化はどうだろうか。
実は、生きていることを望みながらも、心の奥に隠していたのか。
世間体のことを考えて、斟酌した結果なのだろうか。
いずれにしても、やるせなさというか、無力感が残る。
なぜなら、規士が仮に犯人である可能性があった場合でも、そんなことをする理由があったのか、では、理由は何なのかを問う姿が欠如していたからだ。
よりセンセーショナルな方を望む僕達の世界。
それに翻弄されて、自分の「望み」が何か分からなくなってしまう家族。
もし、犯人がどうか分からなくても、なぜ、そのような事をしてしまったのか、理由を聞いたり、考えたり、理解しなくて良いか。
家族であればこそ、それを拠り所にするのが本来の姿ではないのか。
あなただったら、どうか。
規士の死は、実は、いろんなものを曖昧なままに僕達に突きつけているのだ。
この家族は何も明らかになっていない段階で、たとえ僅かでも規士の死を望んでしまった後ろめたさを心に抱えながら、それを隠して、これからも生きていくのだ。
※ この作品は、なんか特定の人の演技が突出していたせいか、チグハグ感は絶対あったと、素人ながら思う。
だから、ちょいマイナス。
これは切ない、演出が好き
予告通り、ポスター通り、
加害者なのか被害者なのかそれとも、、、
というストーリーです。
加害者であって欲しい
被害者であって欲しい
どちらも地獄で、どちらも理解でいるので、なんとも切ない。
どちらでも、救いがあって救いがない。
そして、少年犯罪の被害者家族と加害者家族の話でもあり、ネットやウワサにどれだけ流されるかという、人間のおぞましさを嫌になるほど見せつけられる。
「まだ望みがある、、、」といつセリフが切ない。
映像も音楽もテンポもとても見やすく、テレビドラマとは違った重厚さのようなものもあって、監督さんって誰なんだろう、、、エンドロールで納得した。
やっぱり、映画って監督さんのものなのだと思った。
堤真一と石田ゆり子はもちろんですが、清原果耶も良かったです。
途中までは泣けるほどではなかったのですが、真相が分かったあとに、泣けました。
余談ですが、三浦貴大が理学療法士、、、「栞」という映画も切なかったな、、と、思い出しました。
ヒューマンサスペンスというべき怖さ
自分の息子が殺人事件の加害者か?被害者か?
どちらにしてもバッドエンドという状況に追い込まれた家族の物語。関わる警察、マスコミ、家族の知人友人の行動がリアル故にホラーとは違う怖さを感じた。
人間は弱い
日本のどこかで毎日のように発生している事件の裏側では、関係者家族や近隣住民にはこのようなことが起こっているんだろうな。人間は怖いし弱い。こういうものを観ていると悪いことはできないな…と改めて思います。
感情が爆発・整理中・無 清原果耶ちゃんの涙の使い分けに感服!でも物語は…
予告編の時点で「息子が加害者か?被害者か?」と煽っているので、そういう映画だろうな…と想定した域からははみ出ることがない、2時間のテレビドラマ的な作品でした。
とにかく演者が良かったです。父親の堤真一と母親の石田ゆり子の、息子に対する想いが共通している部分と異なっている部分を「そこまでセリフで説明しなくても…」と思わせられるくらい素晴らしい演技をしていたと思います。特に前半は繊細な演出も相まって、「息子はどっちなんだろう?」とスリリングでした。
何と言っても清原果耶ちゃん。これまでも褒め続けてきて、このサイトのレビューでは「宇宙でいちばんあかるい屋根」で褒めまくっているのですが、今回もお見事でした。感情の表出の仕方に、ここまでバリエーションを付けられるのか…という感じ。今回も何回か涙を流すシーンがあるのですが、その設定に応じて「感情を爆発させる涙」「感情の整理に追い付いていない涙」「感情が無の涙」を巧みに使い分けているのが凄いと思いました。あと、ポニーテールが似合うので、引き続き取り入れて欲しいです。
あと、マネージャー役として出てくる女の子が、非常に志田未来さんに似ていて…(笑)物語の設定と相まって『誰も守ってくれない』を連想させました。
繰り返しますが、演者が非常に良くて最後まで楽しめましたが、脚本&演出はテレビの2時間ドラマ的で残念な部分も多くありました。
たとえば、すでに動画サイトでシーンが公開されていますが、建築士の父親が我が家をマイルームとして紹介するシーン。いくらなんでも、思春期の息子と娘の部屋にずけずけと他人を入れるのはどうなの?これがいわゆる普通の幸せな家族なの?と思ったり。
あんなにマスコミが家の前に張り付いている割には、家に落書きされまくってたり。
相変わらずこういう時の警察は感情が伴っていない悪のもので、ライターや雑誌の記者の方が誠実に向き合っているという「まだそんな設定やってるの?」ってとことか。
「はい!ここは泣くところです!泣いてください!!」とバカにされてるかのようにスローモーションや賑やかな音楽を多用するところとか。
まあこの演出家さんはパワーで理屈を押し退けて行くタイプなので少々の粗は目を瞑れということなんでしょうが、手放しで絶賛はできないですよねーって感じです。「○月○日」と毎回日が変わるごとに数秒の暗幕のあと表示されるので、じゃあそこにCM入れて2時間ドラマにしたらもっと良かったかもしれません。過剰な音楽も、ドラマのような集中しなくても見られる環境だからこそ活きるのであって、映像に集中できる映画館という環境だと過保護的に思えてしまいます。映像的にも映画である意味はあまり見出だせませんでした。
ただ、最終的に「実は主人公は被害者でもなく加害者でもなくただの家出として灰色決着」にしなかったのは良かったと思います。結末に合わせた森山直太朗の歌も良かったです。
相反する2つの可能性しかない前提で話は進むが・・・
①家族が殺されて2度と会えないよりは、犯罪者として再び現れることを望むか、
②人殺しの家族として社会的制裁を受けるよりはむしろ、殺されていることを望むか
なんか、極端に相反する可能性しかない前提で話が進むなあ、と見ていました。
これ以外の可能性もあるだろうに、そこらへんを潰していないので少し違和感が残った。
あとは、社会的制裁というか嫌がらせによって家族が精神的に追い込まれていく描写が少ないような。嫌がらせ場面自体はあったけど、妹さん割と薄情じゃないですかね。
ついでにいえば、マスコミをステレオタイプのクズ扱いするのはわかるとして、松田翔太演じるフリー記者を良い人に描きすぎ(良い人がフリーでは食っていけないでしょ)
出演の皆さん演技上手なので点数は少し甘めです
自分だったらどっちを望む...か
凄くつらく、感動した...自分が家族なら...どっちを望むのか...なんとも言えない...ただ凄く考えさせられ、引き込まれる内容だった。最後はこれで良かったと思える...辛いけど...
何に「望み」をかけるのか
昨今、少年犯罪を取り上げた映画が多いなか、あ〜、そういう?と予想をたてながらも、最後、観た人に答えを託すような終わり方でしたね。
親の願いって、何なのか?
信じるって、どういうことなのか。
親は本当に、子どもの姿を見ているのか。
いろんな角度から、事件を見ることで、何が真実かが、あぶり出されていきます。
それすら、真実なのかわからない。
何を信じるのか?
真実がどうであっても、受け入れることができるのか?
非常に決断を迫られるテーマです。
加害者であっても、被害者だとしても苦しみは変わらない。
ただ、その意味を自分たちがどう解釈するのかで、その後の家族の生き方に変化が出るのでしょうね。
「今までと、同じ生活はもうできないってことでしょ」
たしかに、そうなんだろうな。
どう、形が変わるのか。
そこを問いかけているようにも感じ。
家族の微妙なズレ
事件に巻き込まれて葛藤する家族の心情の描写。
加害者か被害者か、なんて選択不能なものに迷う親族の気持ちを踏みにじるマスコミの理不尽さが際立つ。
このテーマにはつきものの報道の自由との境界線が悩ましい。身勝手に押しかけるマスコミに「知る権利だとふざけるな」と恫喝したくなるのは私だけでしょうか?
名優揃いで見応え十分です。スッキリ感を得られないテーマでも?
是非映画館で🎦
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