MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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ランボーを観た方がいい
これ日本で気が付いてるのオレだけだと思うけど、長澤まさみって主役できるタイプの女優じゃないから。
その長澤まさみがキャリアのためにこれまでとは違う役をやりましたというだけの映画。それだけ。ランボー見た方がいい。
あと主演で当てたかったら早く脱げ
肌すべすべ学生キャーキャー
こんなんで日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などとれるのだから、日本映画界はたかが知れている。
現実はもっと過酷だ。仕事でネグレクトの家に行ったことがあるが、醤油のビンの中にウジがわいていた。
メシを食わず酒を飲みタバコを吸い男とヤる家で寝てるだけ。そんな女が目にクマひとつつくらず、声もしゃがれず、髪も乱れない。リアリティが何かわかっているのか?バカとしか言いようがない。
時間を返してほしい。学園祭のクソ映画。
こうゆう人達が居るという事
映画公開の宣伝の時点でとても気になっていたが、私自身が妊娠中であったため観に行くことが出来ず、今回長澤まさみがアカデミー賞を取った事で思い出したのでNetflixにて鑑賞。
この世に正解がないように、誰かの正しいを押し付ける事は出来ないけれど、この母親は間違っていると感じた。
子供は母親の所有物ではなく、1人の人格として育てるべきだ。
それが出来ないなら産むべきではないし、それすら分からず産んでしまったのならば他人に頼るべきだ、と。子供は分身ではなく、あくまで他の人格なのだから。
大切に扱うべき命なのだから。
この母親は恐らく精神障害があるのだろう。サイコパスやアスペルガーなど詳しくは分からないが、勉強が出来なかったり、仕事が続かない理由がきっとあるのだと思う。
それに両親は気付かず(当時は精神障害という存在自体がメジャーではない)不出来な姉、優秀な妹という立ち位置で育ててしまったのではないだろうか。
いや、親自体は同じ様に愛情を注いでいたかもしれない。しかし本人はその様に感じていたのだ。
周りとは同じ様に勉強や仕事が出来ない苛立ち、それを受け入れられないプライド。妹ばかり可愛がる親。
この役が長澤まさみだったから、こんなに美人ならば女を武器に身体で稼げば良いのにと思ったけれど、きっとそれも出来なかったのではないかな。暴れたりして。ただ、ジャガイモは上手に剥けていたけれど。何故ジャガイモは上手に剥けたんだ。そこに違和感があった。もしかしたら障害ではなく、マイノリティとして勤労しないのか。
見た目では分からない障害は厄介だ。
そもそも障害とは何なんだ。その境界線は何だ。普通とは何なんだ。
自分自身の勤労でお金を生み出す。
それが出来ない人はどうしたら良いのだろう。
子供を産む事は出来る。しかし育てる事は出来ない。
そうゆう人はどうしたら良いのだろう。
いやむしろ、そうゆう子供が生まれたら、どの様に育てたら良いのだろう。
色んな人がいる。
まずは知る事。自分を、そして他人を。
その為に本を読んだり、勉強をする。
子供だって他人だ。分からないと投げ出さず理解する努力をしなければいけない。それが愛情なのかもしれない。
少なくとも秋子は愛情をあまり感じずに育ってしまったのだ。
秋子自身、自分の弱さ(もしも精神障害があったとしたならば)を知る機会があれば、それを受け入れられればきっともっと違う生き方が出来たはずだ。自分の弱さを知る事で大人になるのだ。
周平は、秋子を母親というよりも守るべき存在として扱っていた。
秋子の危うさは子供の危うさと似ていた。
幼いまま母親になってしまった秋子。
大人びた周平。
何故、祖父母を殺すまでに至ったのかが最後まで分からなかった。
周平ならば分かりそうなのに。母親を守る術はそれではないという事が。きっと、もっと学校に行って他人や本と関わっていれば実行しなかったはずだ。
それが残念だった。
身近にこうゆう人達が現れる可能性は幾らでもある。
人間がこの世で子育てを、いや生きていく事の難しさを考えさせられる映画だった。
これだけ考えさせてくれると言う事は、創り上げたスタッフの賜物だ。
俳優陣の演技も素晴らしかった。
良い演技
映画だけ見ると周平に同情の余地もある
モデルにとなった本人はどうだったんだろうか、疎遠だったかもしれないが血の繋がった祖父母を殺せるような恐ろしいやつ、二度と社会に出てきてほしくない
映画の中だけであってほしいお話しでした。
ひどい話だ
母親役の長澤まさみさんが、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞したニュースをきっかけに初見。俳優陣が素晴らしい演技だった。
女性から見たら、「こういう女の人ってなぜか男の人が途絶えない」と納得する、絶妙なだらしない感じ。
ストーリーは、実際に起こった事件として、記憶に新しい。
格差、貧困、共依存。胸が苦しい場面ばかり。
どこかで起こっている小さな負の積み重ねが、日々の生活に確実に存在していることを、淡々と捉えていた。
最後の手を握るシーンは、個人的に少し違和感。
実話ということが悲しい。
長澤まさみの演技が凄くてムカつきまくるし理解できない。こーゆー人いるよなを超えてくるけど実話なんだよな…街中で自分がこの親子を見かけて子ども達に救いの声を掛けれるのか?正直わからない。色々考えさせられる映画。
それでも子は親にあの言葉を言えるか…?
長澤まさみが日本アカデミー賞主演女優賞を受賞したばかり。その他、国内の同賞を多数受賞した話題作。
いい意味でも悪い意味でも噂には聞いていたが、これは…。
シングルマザーの秋子。まだ幼い息子・周平を抱えながら、無職。
働きもせず、お金は親族から借金してでも無心。断られれば声を荒上げて逆ギレ。
金はパチンコなどギャンブルへ。
男も取っ替え引っ替え。ホストの遼と出会い、家に連れ込む。息子をパシリに。
息子を置いたまま、男と旅行へ。家ではガスや電気が止められ、周平一人…。
ようやく帰って来たら、遼とグルになって留守中親切に息子の面倒見ていた知人を脅迫して金の無心…。
自堕落、育児放棄、果ては犯罪まで。
生き方も考え方も一切共感出来ない。
『世界の中心で、愛をさけぶ』で白血球と闘うあのピュアな女の子が、まさかこんな毒親/毒女になろうとは…。(←あくまで役柄です)
しかし、それだけ長澤まさみの演技が凄いという事。これは聞きしに勝る…いや、それ以上!
ムカつくくらいのふてぶてしさ。
凄みのある熱演。
これまでの印象を覆す!
役者とは良くも悪くも、外見も内面も含め、自分の全てをさらけ出す。
そう言った意味では、長澤まさみは持てる力を出しきり、間違いなくこれまで~今後のキャリアの代表作になったと言えよう。
コメディばかりじゃなく、阿部サダヲもシリアス作品でだらしない役を演じさせれば抜群の演技力を発揮。
『日日是好日』や『星の子』などの感動作、『まほろ駅前』シリーズや『セトウツミ』などのユルいコメディも手掛けているが、やはり大森立嗣と言ったらヘビーな作風。本作でもその手腕は遺憾なく。
何処までも何処までも、とことん堕ちていく。
遼との間の子の妊娠をきっかけに、破局。
家族からも完全絶縁。
5年が経ち、周平は青年に成長、妹・冬華も産まれたが、変わらぬその日暮らし。果てはホームレス…。
どん底もどん底。底辺も底辺。
国の生活支援の手が差し伸べられる。住む場所、食事、周平には学校。周平と交流を深める生活支援員役で夏帆が好演。
が、どんなに良くしてくれても秋子は反発。
そんな時遼が舞い戻って来て、再び波乱の中へ。
そしてこの母子の末路は、最悪の悲劇に…。
どんなオチを迎えるのか、ほとんど前情報ナシで見たので、衝撃的。
何でも2014年に埼玉県で起きた事件がベース。
哀しく救われない。あんまりだ。
このオチを巡って、賛否両論も分かる。
ここで存在が大きくなってくるのが、周平だ。
幼少期の郡司翔も見事な演技を見せてくれるが、すでに新人賞総ナメ。青年期の奥平大兼が長澤まさみに負けず劣らずの存在感と難しい役所を素晴らしく体現。
本作はタイトルこそは“母”となっているが、真の主役は息子の周平でなかろうか。
母・秋子は親失格なのは否定出来ない。家族からも周囲からも疎外され…。
そんな周りに対し、いつも毒付く母。だけど本当は、孤独…。
守ってくれる人は誰もいない。…いや、いる。僕が。
母もそうかもしれない。頼れるのは息子しかいない。
本作は、息子から見た孤独な母の物語…。
…と、ただセンチメンタルには終わらない。
クライマックスのあるシーンの秋子の台詞には戦慄した。
これが、親の言う言葉か…!
産まれたその瞬間から息子は苦労続き。その心労、計り知れない。
それは秋子も同じで、本当に苦楽を共にした親子。
頼れるのは他にいなかった。
しかし、それが駆り立ててしまった。
子供は私のもの。
それでもお母さんが好き。
これは、決して赦されない罪か、歪んだ究極の親子愛か。
まだ上映してたので 長澤まさみさんをもう一度観たくて2度目の鑑賞 ...
まだ上映してたので
長澤まさみさんをもう一度観たくて2度目の鑑賞
1度目は衝撃的過ぎてレビュー書く気になりませんでした
何処にも共感出来る場面は無く
親子関係の歪みによって出来た毒親を演じた長澤まさみさんにただただ感服する
勉強を嫌い、働く事もしない
女性を武器に何とか生きてるって感じ
よく親権を得られたと不自然に思う
市役所の人にも親権取れるように頑張ったのか·····
実際の事件をモデルにしてる作品と知りました
こんな親子を作ってしまったのは日本の社会で、
子供をここまで守れない事実が悲しかった
秋子の異様な母親への憎しみは
きっと子供の頃からの積み重ねで、
妹との比較は勘違いかもしれないけど、母親からの劣等感を理由にして自分に甘く、息子を自分の手を汚さない為の道具みたいに使う
こういう人は、そういう人としか付き合えない
まともな人とは共感し合えないから
同類同士で慰め合うしか出来ない
どんどんダメ人生のドロ沼にハマるしか出来ない
お金の無心と殺人させる親か。。
どんな親であっても周平にとっては秋子だけが拠り所で
世界の中心
好きな人の頼みなら殺人だってしてしまう
シャーリーズ・セロンの『Monster』を思いだしました
親子では無いけど、好きな人と一緒に居たいから
他人からお金を巻き上げたり殺人してしまったり·····
恋愛も頭では分かってても
ダメな相手に惹かれる事ってあるもんね
愛は理屈じゃないんだね(この話は極端だけど)
最後の面会シーンは捕まった2人の気持ちが真逆で
本当に虚しく切ない気持ちになりました
冬華ちゃんの無邪気な可愛さが
ほんの少しだけど劇中の救いでした
現実の話なんだよね、、冬華ちゃんが
いま心身共に健やかでありますように
毒母と子の、愛の方向性
Netflixで鑑賞。
原案は未読。
胸糞悪い。重たい。気分が悪くなりました。
大森立嗣監督節が炸裂した淡々とした話運び故に、実話ベースの物語のリアリティーが強調されていたからか、怒りとも悲しみとも形容し難い感情が心に残りました。
長澤まさみの演技の迫力がすご過ぎました。さすが演技派女優の面目躍如だなぁ、と…。初の母親役にして汚れ役。クソみたいな毒親になりきっていました。
奥平大兼も新人とは思えない演技力に舌を巻きました。デビュー時の柳楽優弥を彷彿とさせるような、非凡な雰囲気を醸し出している俳優さんだなと思いました。
親子の悲惨な生活。秋子は次々に寄生する男を変えつつ、時には川田(これもどうしようもねぇクソ野郎)とヨリを戻したりまた別れたりを繰り返し、ホームレス同然の暮らしとなったことで、ついに周平に殺人を命令するに至る。
秋子と周平の関係性は、劇中では共依存だと云われていました。お互いがお互いを必要として、相互に依存し合う。秋子は周平を"愛情"を持って支配し、周平もネグレクト同然の秋子を嫌わず、自分の主張を歪められても着いて行く。善悪を超越した親子愛と云う、ある意味不思議な関係性。
幼少期編のラストシーン、ふいに秋子が周平を抱き締めました。毒親が見せた突然の優しさ。これはずるい。だから周平は母親から離れることが出来ないんだろうなと思いました。
どれだけ悪態をつかれ、どれだけ自分の意思を踏みにじられても、周平は母親を愛し続け、秋子もまた息子を愛した。
その愛はどこか普通じゃない。でも普通ってなんだよ、と云う疑問も湧いて来る。同時に、この関係性を理解出来るような気もして来るんです。しかし結局のところ、歪んだ愛の果てには破滅しか無かったのかもしれません。
親子3人が路上にへたりこんでいるのを尻目に、目を背けると云うかそもそも見えてない感じでその前を素通りして行く通行人たち。この光景を観て、大森監督が突きつけたかったのはこれかもしれない、と思いました。
実際、こんな風に薄汚れた格好の親子がいたとして、路上に力無くへたりこんでいたとして、手を差し伸べられるかと言われれば、素直には頷けない。素通りして行く通行人を責めることは出来ない。同じ穴のムジナだから。
なんとかしなければならないと良心が囁く一方、手を差し伸べても、向こうからその手を払ってしまうのだから自業自得だろうと思う自分もいるんです。
[余談]
「周平何やってんだよ!」とか「おい周平、酒買って来い!」とか云うセリフが流れる度にビクついてしまいました。
なんせ僕もしゅうへいなもんで。
※修正(2024/03/13)
切ない物語でした
なんだか切ない物語でした。周平とふゆか(漢字分からないごめんなさい)の母親は間違いなく最低で処刑したいくらいの人間だった。周平もそれをわかってるはず。(ふゆかはとても小さいので母親が最低とかそういう感情がまだ分からないと思われる…)
周平は、自分の母親が最低だってことは十分すぎるほどに分かっているはずなのに、それでも母親への愛情の方が勝ってしまう。それは視聴者という第三者からすると「なんで…!?」という感情になった。でも、実際自分の母親がそのような人格の人だとしても案外周平のように受け入れてしまって結局母親を愛してしまうのかもしれないな、と思うと凄く怖くなりました。
感動する話では一切ないけれど第三者から見て辛いシーンが何個もあって結構泣いてしまった。
中でも私が印象深いシーンは前半、周平が元夫に会って「修学旅行に行きたいからお金を貸して欲しい」と母親に頼まれて言いに行くシーン。この映画に出てくる大人は正常な人もいたけど周平に対して心配して尽くしてくれた大人は元夫と施設のお姉さんだったのかな、思いました。元夫は少ししか出ていないけど、彼なりに心配してくれてたと思う。元夫は周平に「修学旅行のお金を貸して欲しい」と言われて少し考えたあと、「周平、お父さんの所来るか?」と優しく、心配した顔で問いかける。絶対に、100%、元夫について行った方が周平は生活も安定して充実した暮らしができるのに周平は「いや、お母さんの方が好きだから。」と真顔で答えた。そのシーンで号泣。第三者からしたら元夫が一緒にする提案をしたところで「周平、お願いだから元夫について行って!!その方がぜっったいに辛い思いしないよ?」とずっと心の中で願っていたが、お母さんを取ったシーンで周平、なんで……?という困惑とあんなに最低なのに、母への愛情が勝ってしまうのか…という驚き、そして元夫が思ったであろう、周平はそれでもあんな最低なあいつ(母親)を取るのか…という虚しい思いが重なってたくさん涙が出てきました。
胸糞悪いでもなく、ただただ切ない物語でした。
クソの足しにもならない映画NO.1!
時間の無駄でした。時間が有り余ってる人は観てもいいと思いますが、おすすめはできません。
好きな人もいるのかもしれませんが、正直言ってクソつまらなかったです。
キャストの無駄遣い、予算の無駄遣いですね。
残念です。
重い。。
実話が元だと考えるとゾッとする。
なぜこんなに歪んでしまったのか。そこの背景があまり伝わらなかった。決して育ての親は悪い人には見えなかったが。しゅうへいの父親も然り。まともな人間に見えたが。
冬ちゃんの父が唯一つながっていた男だった。それは自分と同じ心に穴が空いた人間だったからなのか。思えば他の男は別の部分で満たされていて、いわゆる普通に育って来た人間に思える。タダでやれるならラッキー的な。同じ種類の人間を常に探し求めているようにも見える。違うとわかった瞬間、また奴に気持ちが戻る。そして奴は借金と共に消えた。そう考えると自分の分身、と言った息子が唯一の拠り所だったのだろう。
彼女が何か障害があったと考えれば、合点がいくか。それなら周りの人間が早く然るべき手段を取るべきだった。しゅうへいの小学校、フリースクール、児相、どこかしらが歯止めをかけられたはずだ。周りの人間にも罪がある。
とにかく冬ちゃんがまともに育ってくれ。それを願うばかりだ。
共感するところが0
歪んだ母親の愛情を表現している映画。私も母親ですが、この母親には全く共感できない。気持ち悪くなる位曲がった愛情表現で子供たちに接します。これが実話だと思うと。。。虚無感です。曲がった愛情表現で、見終わった感想が万引き家族に似てます。
普通です
全体的に普通だと思った。親子の共依存は多かれ少なかれ私達が理解できるテーマだと思う。洗脳された子はいくら利用されているとわかっていても親を本当に嫌いにはなれないよねと。あるいは自ら進んで親をかばおうとする。しかし「こんな親子がいるなんてかわいそうでしょ?」感があった。共依存をテーマにするなら、もっとリアルな部分まで二人の依存を描いてもらわないと、観る方もへーそんな事があるんだなで終わってしまう。
また母親像に全く共感はしないが、終始男性視点で“クズな母親とはこういうものだ”を描いている感が否めなかった。特に二人目を妊娠したとき貧困状態で周囲の助けもないなかどうやって産んで4、5歳まで育てられたのかわからないし、赤子はすぐ病気になるし放っておくと死んでしまうのにその一番の難所をどう乗り切ったかはすべてカット。
もし周平に一任していたなら、すごく苦労しているだろうと思う。想像でしかないが、兄に育てられたならむしろ妹はもう少し兄を慕い、母親ではなく兄の後ろをついていくような関係になるのではないかと思う。
川口祖父母殺人事件に寄せて
モチーフと言うが、大筋でこの事件をなぞっており、映画よりも事実の方がもっと惨たらしいという点において寒気がする。
この事件については「誰もボクを見ていない」という
実際の事件を追った記者のノンフィクション手記もある。
この事件が起こった時に「こう言っちゃなんだが他人を無差別に殺害したよりは幾分かまし」と思った記憶があるが、実際はそんな簡単な話じゃなかった事を後で思い知る。
この映画をNETFLIX で何気に見始めた瞬間
(見ようか迷っていたら勝手に再生が始まった)
あ、これはもしかしたら実話ではないかと思いたち、まさにそうであったと判明したと言う映画知らず者の経緯だった。
このサイトにレビューする人には私のように家にいてちまちま感想を綴る人はあまりいらっしゃらないので甚だ恐縮しつついつも書いているのだが。
作中でも実際でも
この母親がこの殺人事件及び彼の人生を破壊した張本人であるのは間違いのないところ。
最近、誰だったか
子と言うのは親に対し、驚くほどの無償の愛情を持つと言う人がいた。
親とも思えないほど虐待する親に対してさえ、子は親を慕うという。
ネグレクトの場合ほぼ100%に近い子が親を慕い施設にあっても親が自分を迎えに来てくれるのを待つらしい。
そんなひどい親からは離れて暮らすべきだと誰もが思うような案件でさえ子は親を慕うと言うのだと。
実際のこの事件。
作中ではしてないとなっていたが 彼は、控訴している。
自分のような境遇の子が、自分のような目に合わないように
それを目的としての控訴だったと言う。
この事件を裁く大人たちは、みんな一様に彼の母親こそがこの事件の元凶であるという認識をし、なんとか彼の量刑を軽減し母親の主犯の立件に努めた。
だが裁判長は彼の量刑である懲役15年を改める事をしなかった。
それは一見 理不尽に見えて
私の中では、出所する時に30を超えた人間であるならば、彼は彼の意思で生きて行けるだろう、母親に対し、もっと違った対応をするようになるだろう、裁判官はそう考えたのだと思いたい。
法が人を裁く時
彼らの人生の徹底的な部分まで介入する事は出来ない。だとするなら、彼と彼の母親に対する冷却期間としての15年は必要だと私も考える。
長澤まさみの演技に関しては、もはや語るものもないし
息子の奥平君については、彼の演技をここまで引き出した監督にプロの仕事を見た思い。
奥平君は、先日最終回を迎えた 恋する母たち というドラマで 吉田羊さんと 矢作さんの息子役を好演していたのが記憶に新しい。
また事件の話をしてしまうと
この祖父母のように、我が娘がどうしようもないアホであった場合、その子(つまり孫)には罪がないわけで、
血の繋がりがあるならば、いかに迷惑であろうがとんでもない野郎であろうが、なんとか責任を持って更生に努める(例え無理でも)しかないのではないか。
子が親から虐待を受けているなら
その祖父母が、それを救う努力を怠るべきではない。
他人事のように 「可哀想に」
と言っているだけで済ませてはならない。
老年であろうが老体に鞭打って、その子を救い出すべきである。祖父母が虐待の元凶でないのならば、だけれど。
最後に作品の構成についての感想を。
出だしの親子描写は、その先の展開上 非常に有意義だ。
傷を舐める母。
監視員がなんと言おうと飛び込めといって飛び込ませる母。
しばしのネグレクト以降は実話だが、しょっぱなのこの2件の描写でのスタートは無くてはならないものに違いない。
うーん。気持ち悪い。
偏ってる母親の愛情なんだろうけど
ちょっとだけ気持ち悪いと感じた。
最後の母親が好きとは
どういう意味だったんだろうか???
他の男がみんな好きになったように
男として引かれたのかな?
それとも、母親だからっていう理由で
好きになるのかな?
胸糞悪い
実際の事件に着想を得たとの事。
実際、ああいうケースばあるのだろうか?
俺の目線からすると異次元の話だ。
どんな理屈ならば、自分の人生や行動を肯定できるのだろうか?
「母親」というタイトル。
当然ながら子供への影響力は計り知れない。
私の勝手でしょと母は言う。
まぁそうだ。勝手ではないけど一存はされてるように思う。シングルならば尚更だ。
つまりは母親のモラルに依存する。
子供は子供で「愛されたい本能」があるかのようだった。その本能が満たされない内は、ずっと縋り付き求め続けていくように思う。
「愛されていない」を本能が拒絶し「どうすれば愛してもらえるのか」を終始模索してるようだ。
あり得る事なのだろう…。
極端な拡大解釈であって欲しいけど、作品の流れを見るにそんな事を考えてしまう。
そう言えば、冒頭の秋子も言ってた。
「妹ばっかり可愛がるから!」みたいな事を。
自分勝手な言い草だと思ってたけど、連鎖の中にはいるようで…そんな整合性に青ざめる。
端から見てると歪んでるのはよく分かる。
でもそれは、歪んでないモノを知ってるからだろう。比較できるモノがあるから。
ソレを知らないのなら順応していくしかないのだと思う。
コレも俺の見識の範囲の話だけれど、誰に向けて作られた話なのだろうか?
テーマは重く、社会に一石を投じるにたる作品だ。
でも、当事者達はきっと見れない。
今どうこうする話ではないのだろう…。
正常な道徳感で、この母親を否定できる価値観がある内に見ておく話なのだろう。
どこかの施設でカウンセリングに使う事もあるかもしれない。
手遅れになる前の予防線だろうか?
なんせ俺なんかは、こんな目に子供を合わせずに良かったと胸を撫で下ろす。
子供もそうだけど孫がそんな目に合わないように努めてもいきたいと思う。
正常な人が金払って観るべきかどうかは甚だ疑問だけども、必要な作品だと思う。
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