すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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晴れやかな空のすばらしき世界は全然よくない
笑いとシリアスな部分の緩急が絶妙でした。
社会福祉的な支援は存在しているはずなのに、そこからこぼれ落ちてしまう様子が見事に描かれていてすごい。また誰しもが、自分のできる範囲でやっているにも関わらず摩擦が生じたりするのがとても悲しいが、現実なのである。みんな社会システムに組み込まれて、疎外されてしまうのである。
あと思ったのが、ちゃんと三上を映画的に殺すこと。元妻と“デート”の約束を交わすシーンで終わってもいいと思った。だが、嵐が吹いて洗濯物を急いでしまうがために持病が重症化して亡くなるまで描く、つまり三上の社会復帰を絶やすことと支援の届かなさをちゃんとみせるのは映画として素晴らしいと思った。
嵐が起こるからコスモスなどの花を気遣う人がいる。誰の責任でもない嵐の中、些細な出来事で死ぬ人がいる。そんな人々を蔑み、笑い、いなかったことにする人また気づいても支援が届かなかった人は生きる。映像として消費する人は快適に生活する。そんな晴れやかな空のすばらしき世界に私たちがいることを暗示しているように思えてならない。
太賀の存在が光る!
映画化を知って、原作を読みながら公開を待っていた本作。なかなかの長編、かつ、携帯電話等々とは縁遠い昭和の時代に書かれたもので、これがどのように映画になるのか、期待と不安があった。蓋を開けてみれば、まさに「今、ここ」の物語。単純な原作ものとは一線を画す、のびやかな映画になっていた。
長い刑期を終え、13年ぶりに社会に出た三上。身寄りのない彼のつてはごく僅かだが、弱者に甘んじることを嫌い、手を差し伸べる者とも衝突してしまう。生活に行き詰まり、ルーツをたどるように東京から地方に流れていくが、そこにも彼の居場所はない。とぼけた笑いも織り交ぜられているが、それ以上に息苦しく、救いのなさがひしひしと迫ってきた。
一昔前より、今はよっぽど生きにくい。日頃ぼんやり感じていたことを、本作はくっきりと描く。社会とかみ合わない、かみ合おうとしない三上を演じる役所広司のうまさは、言うまでもない。ここで声を大にして言いたいのは、三上に接近していく駆出しのテレビマン、津乃田を演じる仲野太賀の存在感だ。様々な作品で若きバイプレーヤーぶりを発揮しながらも、振れ幅(当たり外れ)が大きい彼。今回はどちらなのか…なんていう野暮な思いは、中盤から吹き飛んだ。太賀あっての本作、まさしく彼の代表作になる!と、観るほどにわくわく、ぞくぞくした。
津乃田は、原作には登場しない。(片鱗を感じさせる若者は登場するが、すぐに三上から逃げ出してしまう。)津乃田が他の人々と決定的に異なるのは、戸惑い迷いながらも、最後まで三上に伴走していく点だ。三上を引き受ける弁護士夫婦、福祉課の職員、スーパーの店長たちは、それぞれに彼を温かく受け入れ励ますが、それは彼の立ち直り、つまり、自分たちの場所に無害に加わることを求めているからだ。一方津乃田には、そういった欲はない。長澤まさみ演じるやり手のキレイな上司に言われるままに取材を始め、自分を曲げない三上の扱いに右往左往する。仲違いしたはずの二人が再び出会い、三上の辛い過去との訣別に津乃田が寄り添うくだりには、思いのほか心揺さぶられた。こんな世の中を生きていくには、導きよりも、分かち合いの方がよっぽど大切なのかもしれない。
後半、映画は原作の枠を超え、再出発も束の間、息を呑むラストシーンになだれ込む。放心しながらチラシやポスターが頭をよぎり、既にそこに物語が示されていたのかと、衝撃を受けた。
映画を観終えた今は、メインビジュアルを直視するのは少し辛い。けれども、見開きチラシ(コメント集)の、子どもたちとサッカーに興じる二人は、ひときわ輝いて見える。自分も、背伸びせず、欲張らず、大切な存在に伴走していきたいと思う。
小さな悪意と小さなやさしさの混在する社会の中で
13年ぶりに出所した元ヤクザの三上が、堅気としての地道な自立を手に入れようと精神的にもがく様が、淡々と描かれる。
三上は私生児として産まれ、母親は施設に彼を置いて失踪したため、親の愛を知らず育った。劇的な展開のある物語ではないが、直情的な彼が感情の制御に苦しみながら一進一退で歩んで行こうとする様をつぶさに見せられているうちに、その不器用さにはらはらしながらもいつの間にか応援していた。
今公開中の「ヤクザと家族」は視点がヤクザの世界の中にあるが、この作品の視点はあくまで巷間にあり、元ヤクザという出自はあくまで背景のひとつだ。描こうとするテーマも違う。比較されることもあるようだが、それぞれに違う味わいの佳作だ。(両方に出ている北村有起哉の豹変ぶりにはびっくりした。さすが!)
原案となる小説を書いた佐木隆三は、この物語の実在のモデル田村明義と、創作の対象以上の関わりを持っていた。田村のアパート入居の保証人になったり、時に彼のために厳しい言葉を投げたり、とある件では関係者として警察の事情聴取を受けたりもしている。
映画の中で三上と関わる人々には、そんな佐木のまなざしがにじんでいるようにも思えた。TVディレクター津乃田の変化が印象的だ。三上を取材する立場という点は佐木にも通じている。当初は仕事だからとプロデューサーにどやされながら主体性のない関わり方をしていた彼の心の変遷に胸が熱くなった。
一見冷たく見えたり、立場上厳しいことを言うような人でも、一歩進んで関わってみれば実はやさしい、時にはそんなこともある。そんなやさしさはとても得難く眩しいものに見える。
逆に、関わってみると相手の心の汚さが見えてしまうこともある。そんな汚さをひとつひとつ正そうとしていたら、清濁渾然としたこの世界で生きることは一層難しくなってしまう。
三上の無邪気とも言える心根は間違っていないのに、その生い立ちのくびきから逃れる機会を見失ったために、彼は何かを拒否したり他者の間違いを否定するにあたり暴力しか手段を知らない。また、私たちが日頃ちょっと引っ掛かりつつも目を反らし流してゆくような些末な悪意を流すことが出来ない。だから、社会で大人しく生活してゆくには己の価値観を根っこから抑えつけるしかなかった。それが何だか切なかった。
彼の手段は間違っているが、自分の心の弱さに向き合ったことがある人ならば、突き放して見ることは出来ないだろう。
垣間見える人々のやさしさに言葉通りの「すばらしき世界」が見え、堅気に生きようとする三上の心を倫理的におかしな堅気の人間たちが波立たせてゆく様に、皮肉としての「すばらしき世界」が見えた。
役者の使い方が的確かつ贅沢で、出番の少ない役柄も皆リアルな存在感が際立っている。役所広司はもう言わずもがな。安心して実力派俳優たちを堪能出来る。
西川監督は、三上をあたたかい視線で描きつつ、贖罪と更正の美談に仕立てることもしない。静かなラストシーンにまでその姿勢が感じられて、不思議な清々しさが余韻として残った。
元ヤクザの目をとおして描かれる、今の時代の生きづらさと微かにある希望
長い刑務所生活を終えた元ヤクザの三上(役所広司)が、浦島太郎状態になって戸惑いながらも何とか社会に適応しようともがく姿を描くことで、今の時代の生きづらさと微かにある希望を描いているように感じました。窓にはじまり窓に終わるところも気が利いていて、後半のあるポイントで三上が嘘をつなかければならない一連のシーンは役所氏の演技も相まって大変な凄みがありました。
西川美和監督はエッセイも面白くて、本作のメイキングがつづられた書籍「スクリーンが待っている」を読むと、さらに本作が楽しめます。特に、役所氏のリクエストで西川監督が書いたセリフの細かい言い回しなどを変えていくやりとりは、ユーモアもありつつ、西川監督から見た役所氏の役者としての凄さが書かれていて、とても興味深かったです。
役所広司がチャーミングだ。ヤクザをこんなにチャーミングに描いた作品...
役所広司がチャーミングだ。ヤクザをこんなにチャーミングに描いた作品は今までにどれくらいあったんだろうか。
長い刑期を終えて、出所した男を待っていたのは厳しい社会の現実だった。すっかり世相は変わり、暴力団に対して厳しい世の中になっている。短気な性格の主人公もなんとか自分を抑えながら生きているが、時に暴発する。路上で絡んできたヤンキー連中をボコボコにした時に役所広司の無邪気さがすごい。衝動的に(ある意味でそれは自分らしく振舞っているということでもある)暴力をふるう主人公がどこか子どもっぽく、かわいく見えるように西川監督は撮っている。なかなかすごい発想である。性根は真っすぐで、仁義に厚いとかそういう面もあるにはあるが、それにしても暴力衝動に駆られた時にその無邪気が最大限に発揮されているというのがすごい。
2020年代は、この映画の主人公のような人物が、自分らしく生きられる時代ではなくなった。それでも人は生きていかねばならない。いい奴もいれば悪い役も相変わらずいる。時代に居場所を奪われた人はどうすればいいのか。自分を殺して社会に合わせることが良いことなのか。本作を観た人がそれぞれの人生で考えねばならないことだ。
これは「役所広司を楽しむ映画」
殺人罪で13年の刑期を終え、出所して来たのは、時代の変化に対応できず、何事にもすぐにキレてしまう三上なる男。しかし、見た目は荒くれ者でも、彼は他人の不幸を見逃せない実直で正義感に溢れる人物であった。だから、身元引受人の弁護士夫婦や、TVプロデューサーの指示で三上の出所後の動向を撮影しようとする小説家志望の青年や、三上を万引き犯と勘違いしたことをきっかけに親しくなるスーパーマーケットの店長等、周囲の人々を自然に巻き込み、そして、魅了していく。やがて、気付くのは、なぜ、三上のような人間が犯罪を犯し、人生の時間を奪われ、社会復帰に苦労しなければならないのか?という疑問だ。それは同時に、今の日本社会を構築している我々への問いかけでもある。30年以上前に出版された佐木隆三の原作を現代に置き換えた物語は、細部に変更を加えて、2021年の日本人に向けて痛烈なメッセージになっている。「果たしてここは、すばらしい世界なのか?」という。秀逸な社会派人間ドラマであることは間違いない。でも実のところ、三上を演じる役所広司を見ているだけで、知らないうちに時間が過ぎ去ってしまう、言うなれば、「役所広司を楽しむ映画」でもある。ここ何十年もの間、高い頻度で日本映画に貢献してきた稀代の演技派が、それでもまだ、物凄く面白くて新鮮でさえあるという事実の方が、映画そのものより衝撃的なくらいだ。
タイムスリップしたような主人公の境遇が現代社会の生きづらさを巧く表す。役所広司ありきの作品!
「ゆれる」(2006年)で❝期待できる監督❞となり、「ディア・ドクター」(2009年)でこれは凄い監督が現れたと思った西川美和監督の最新作。
実は、残念ながら私は「ディア・ドクター」以降の2作についてはあまり響かなかったのが本音でした。
オリジナル脚本にも限界はあるので、本作では長編映画で初の原作物の作品となりました。原作の主人公は「実在の元殺人犯」で、本作では舞台を約35年後の「現代」に置き換えるなどしています。
その結果、「今のヤクザ」には、様々な法律で縛られている背景があるため、生きづらさを、より見せやすくすることに成功していました。
生活保護の現実や、住まい、仕事など様々なシーンでの生きづらさを描いています。
とは言え、本作は不思議と❝湿っぽい❞感じの作品ではなく、常に❝面白み❞が存在しています。これは主人公のキャラクターが大きく、役所広司でなければ、ここまでの面白さや凄みなどのある人物像を作り上げることができなかったと思います。
そして、長澤まさみがテレビのプロデューサー役で登場し、そんな13年の刑期を終え「社会に適応しようとあがく主人公」を追った番組を作ろうとします。
最初は、企画を立てた長澤まさみと、フリーディレクター役の仲野太賀が2人で追いかけていきますが、プロデューサーである長澤まさみは比較的早く仲野太賀に押し付けるなど、こんなところでも現実社会を投影しています。
主人公が終盤で行きついた仕事先は介護施設でしたが、ここでもやはり生きづらさは多くあります。ただ、一方で❝あたたかさ❞もあり、最初は意味不明な映画タイトルですが、ラストで意味が分かると思います。
西川美和監督の新たな挑戦となった本作を、私は成功だと感じました。
心がえぐられる「すばらしき世界」
西川美和監督が、実在の男を描いた昭和の原作(身分帳)に惚れ込み、時代を「今」に置き換えた本作の主人公(三上)は、役所広司。西川美和監督が描きたかった「生きづらくて、優しい」社会を生き抜く三上という人となりがストレートに伝わり、彼の「優しさ、時々狂気さ」が見え隠れする言動は見る側の心に突き刺さる。
三上は、困っている人を放っておけず、「これはいけないことだ」と思うと、つい当事者のために罵声や暴力を正当化してしまう元殺人犯。しかし、ベースは「優しさ」から起こっていることが作品を通して感じられるため、厳しい描写よりも人間の温かみを感じるところが本作の見どころの一つとなっている。
三上の行動を軸に、「社会に対する疎外感」を伝える西川美和監督(脚本)の視点がリアルで、ユーモアもあり泣けてくるうえに、改めて「社会」と「人間」を考える架け橋のような映画に仕上がっている。
年配で身体も想定以上に弱っているのに、見る側がドキドキしてしまう三上の二面性を、役所広司が期待を上回るほど見事に演じ切っていた。彼のストーリーに関わる人物も豪華なキャスト。皆それぞれ人間味あふれる役柄で、重要なポジションとなっていて、個性豊かな登場人物全員が「社会の厳しさ」を痛感しているので、誰かしらに共感できるはず。
私は見終わった後、爽やかな風に揺られる秋桜が愛おしくなった。
幸福の定義を問いかける西川美和の傑作
西川美和監督はオリジナル脚本にこだわり続け、これまで活動してきたが、今作は長編映画としては初めて手掛ける原作もの。
佐木隆三が実在の人物をモデルにつづった小説「身分帳」が原案だが、舞台を現代へと移している。人生の大半を裏社会と刑務所で過ごした男にとっては、現代ほど生きにくい世の中はないのではないだろうか。本編でも不寛容な社会が描かれており、正義感が強く直情的な主人公・三上(役所広司)は、いたるところで壁にぶち当たる。劇中であっても珍しい、役所が声を荒げる光景を目の当たりにすることができる。シリアスなだけではなく、くすりと笑える描写も多々ちりばめられている。散々な状態のときにこそ、思わぬ人から温かい言葉をかけられた経験は、誰にだってあるはず。行きにくい世の中にあって、三上は幸福を探し出すことが出来たんだろうか……。とにかく劇場でご覧いただきたい作品。
役所広司の役者魂と人間力を焼き付けた西川美和監督の新たな代表作
3年ほどの間隔で傑作、力作を発表してきた西川美和監督。小説家でもあることからオリジナルの物語を創作して映像化することへの人一倍のこだわりは明らかだが、今作で初めて他の作家の小説を原案に長編映画を撮った(短編では夏目漱石原作のオムニバス映画「ユメ十夜」の第九夜を担当)。
佐木隆三の「身分帳」は、人生の大半を獄中で暮らした男の刑務所内の個人記録を基に、その人物の生き様をたどったノンフィクション小説。1990年の刊行だが、映画では舞台を現代に置き換え、携帯電話などのアイテムをストーリーに活かしている。
元殺人犯の三上は出所後に自立を目指すが、前科者ゆえに働き口が見つからず、さらに体の不調もあってままならない。人懐っこい面と、筋が通らないことには“瞬間湯沸かし器”のようにすぐカッとなる暴力的な面を併せ持つ複雑な人物像を、役所広司が実に人間味豊かに体現している。真摯な役作りの賜物であるのはもちろんだが、さらに演技を超えた“人間力”が映像に焼き付いているように思えた。
共演陣も皆素晴らしいが、特にテレビディレクター役の仲野太賀と役所の風呂場でのシーンが泣ける。あと、アイヌのムックリのような民族楽器のビヨンビヨンという音色とホーミーの不吉な感じが絶妙だった。
人間の生きづらさと人情
何の前知識なくなんとなく見ました。
刑務所出所してからの
社会での生きづらさを、
わかりやすく伝えていました。
刑期終えて社会にでても
再犯率が多いのは
帰る場所がないこと
支えてくれる人、環境がないこと…
が問題視されている。
しかし
映画の中では
素敵な人達との出会いで
しっかりと生きていく術をつかんだのに…
場面は異なりますが
精神的に
追い込まれた時
少し回復期にも
にているような…
にげてこそ次へチャレンジできるのよ
わたしたち
てきとうにいきているのよ
のセリフが
ふっと心に染みました
真面目すぎて
まっすぐすぎるあまり
こんなに生きづらい世界が
共感できたからです。
素晴らしき世界
の価値は人それぞれで
映画の中の
主人公も
素晴らしき世界をみることが
できたのかな?と思います
役所広司の真髄
西川美和監督の作品が好きでよく鑑賞する為映画館で見たかったのですが、タイミングを逃してやっと鑑賞。
役所広司が出所してからの話というのは知っており、孤狼の血でも凄まじい演技で圧倒されていたのでドキドキしながら見ました。
出所前は非常に真面目で規律正しい印象だったが、言われた事や見た事にすぐカッとなり手を出してしまう三上。生活保護を受けるも資格を取ったり仕事を探すのも一苦労で途方に暮れるが、周りの人達の助けにより更生していく。
カッとなった後に我に返り後悔する表情や、突っ伏したり自分の顔をぶつ姿。本当にリアルでした。
レール通りに生きていても皆幸せではない、だからはみ出た人を批判する。というセリフや出所後の人間が適切な支援を受けられず孤独になり再び犯罪を犯すというナレーションも常々感じていたので、改めてこうして作品の中で問題提起される事で1人でも多くの人が考えるきっかけとなるといいなと思います。
それでも終始重くなりすぎず、景色や音楽が美しく軽やかにまとめられているのが流石です。
最初は撮れ高を求めるマスコミの人間なイメージだった仲野太賀くんがとても素敵な演技でした。三上と少しずつ仲が深まり、背中を流すシーンから最後にかけて、三上を見つめる視線の優しさや絆に涙が出ました。
最後の青空にタイトルが出て、すばらしき世界とは何か。本当は皆一人一人が生きているだけですばらしいはずなのに、そうはいかない。しがらみやもどかしさ、闇の部分もしっかり捉えながら、私達にそう問いかけられているような作品です。
あまりにも残酷で…余韻半端ない。だからプラスに考えてみた
映画評論家でもなく、なんなら読書感想文が大の苦手だった自分がいうのもなんだが、胸が苦しいほど残酷な結末だと思ってしまった…
観終わって丸一日経った今でも、思い出しては苦しく、ずっとモヤモヤしていた。
こうして、レビューを書くことで精神保とうとしているのかもしれない。
色んな箇所で感情移入。数えきれない。
施設で涙する三上にも、背中を流すシーンも。
喧嘩して動揺して逃げてしまった津乃田にも。
他にも色々と。
とにかく純粋でまっすぐな性格で。
就職祝いで皆に言われた“受け流す、聞かない、逃げる”などの掟を、己を殺して守り抜いた真面目さ。皆の顔に泥を塗るような事は本当にしなかった三上。
どんどん成長していく。
同じアパートの外国人とも挨拶交わしてうまくやっており、仕事も順調、教習所でも実技が上達していき、元嫁から連絡が来たり食事の約束も。
順風満帆になってきた矢先に…
スタート地点に立ち、ようやく“普通”になってきたというのに。
嵐の中、洗濯物を混んで姿が見えなくなって「えっ、やだまじかーーーーーーーーつらーーーー」と、つい声を出してしまった。
そもそも持病ありながらチャリ通勤も心配だったが、階段急いで駆け上がって血圧上がってしまったのかな。(そうであって欲しい)
こういう結末だから面白いとか、ありきたりじゃないから評価が良いのかもしれないが。
ハッピーエンドが好きな自分としては、もうありきたりでもいいから、マジであのタイミングで死なないで欲しかったわ〜。辛すぎる。
お花持ち帰って部屋に飾って欲しかった。
阿部ともう一度お話しするシーンも欲しかった。
免許も無事に取得して、送迎の仕事もやって欲しかった。
津乃田も小説を書き終えて出版して欲しかった。
三上の母親、見つかって欲しかった。
リリーのように息子を迎えに行く、というようにせめて三上の母親も本当は迎えに行く予定だったがその前に病気で他界…みたいな展開であって欲しかった。
最後、アパートの外で全員が落胆していて、カメラは空を向ける…
えっこれでおしまい?!呆気ない!
観てるこちらも落胆よ。
せめてさ、置き手紙とか日記が見つかったりとかさ、その後のみんなのストーリーがあってもよくない?!津乃田と三上の思い出シーンとかさ。
まぁその後はご想像にお任せします、ってのが、映画鑑賞プロの方たちにはたまらないのかもしれないけど、素人(笑)の自分には、ちょいときつすぎました。
えっと、とにかく辛すぎるので、
考え方を少し変えてみようと思います。
(映画鑑賞プロはこれが簡単にできるのかとしれない…だとしたら尊敬でしかない)
あの場で息を引き取ったおかげで、誰の顔にも泥を塗らずにすんだ。
もし、三上が次の日に出勤してから、また同じような虐めの現場を見てしまったら、今度こそ本当にモップで殴りかかってしまっていたかもしれない。
ある意味、美しく息を引き取る良いタイミングだったのだと思う。
再び刑務所の中や、ヤクザとして死ぬのではなく、優しさで摘まれた花の香りをかぎ、最後に愛する人の声を聞いて空に旅立ったのだから、三上にとってこれ以上の幸せは他ないであろう。
実際は、残酷な現実・世界だが、三上は純粋でまっすぐな心を持っているからこそ、純粋に、“すばらしき世界”と想いながら、最期を迎えることができた。
そう感じて、悔いはないと息を引き取ったのであろう。
みんな、まっすぐ生きよう。
組には絶対入っちゃだめだよ。
世の中色んな人がいるから、まだまだ諦めないで。
まだまだ這い上がれるよ、大丈夫!
と、伝えてくれているのかもなあ。
最後に一つ言えることは、
仲野太賀さん演技うますぎるし、
役所広司さんが、とにかく凄い!!!!!
素晴らし過ぎる演技力。
世界の役所広司さんなだけある!
あ〜、文章化して気持ちがだいぶ落ち着いたわぁ(笑)
こういう映画観たあと、テレビとかでその俳優さん(役で死んじゃったとか)見ると安心するのは自分だけ?(笑)
因果応報は世の常て話
世の中で生きていけない人間が頑張って世の中で生きていこうとする姿には熱くなるものがある。
てのは側から見た感想で
世の中には因果応報てのがあって
良き行いも悪い行いもバランス良く返ってくるものである。
社会不適合と言ってしまってはそれまでだが、至極当然の結末を迎える内容
役所広司さん本当に演技が素晴らしい。
分からないなあ
殺人を起こした暴力団に入っていた経験を持つ一人の男の物語。その男が刑務所から出所して社会復帰をしていく中での人々との出会いが物語られている映画。出所した人の約5割が再び犯罪を犯して刑務所に戻るという統計がある通り、出所した人を迎え入れる社会の土壌というか理解は程遠い事が描かれている。ある程度の割り切りが必要。見て見ぬふりをしないと自分の社会的立場が追いやられてしまう。人に対してムカついたり傷つけられてしまう人を見過ごすわけにはいかない。見て見ぬ振りが出来ずについカッとなって(「カッとなって」という言葉は好きではないが)、たとえ誰かを助けるためであっても暴力をもってその場を解決すれば社会的制裁を受けるのは当たり前の事であり、でも誰かが傷つけられることを見過ごしたり自分の正当性を表に表すために強い気持ちで意見を発したりを抑えたり、社会的地位を確立する事には我慢が必要というか、何だか生きにくい世の中だなあとも思うが、純粋に当人の力で問題を解決しようとすればそりゃ暴力が手っ取り早い時もあるだろうし、じゃあ問題解決にあたって暴力やはっきりとした正当性を示すための意見を周りを憚らず言うこと無しにどうにかしようにも、前科者として生きる協力者や理解者が限られている状態では苦汁をなめざるを得ない事ばかりで映画を見ていて強く胸が締め付けられた。どうする事も出来ない事に対して周囲に説明しても耳を貸してくれないのかもしれない。でも何かしら強気で出ないと、意見も行動も無しに世間の言う通りというか「偉い子」を演じるように社会が求める自分を演じても、自分を押し殺しても、なかったことというか当人の問題が明るみに出ずに世間のシステムで何となく処理されて終わり、的な事になりかねないから、そんな暴力というか行動というか意見というか何だか、よく分からないなあと思った。自分の意志を貫きつつもでもそれが過剰になり過ぎないように社会に合わせていかないと誰にも耳を貸してもらえないそんな世界の冷たさの中に、それでも自分が生きたいように生きる生きざまに共感してくれた(少なくとも理解を示そうとしてくれた)人々と、結局はどこか隔たりを感じてしまうのは、社会での居場所がある人が誰か弱い者とは一線を画す生き方、それこそがこの日本において(日本以外の事は詳しくないが)の推奨される生き方なのだと、僕も不器用な人間側なので何だかモヤモヤしている。でもたとえ結末がどうであろうがその結末までのストーリーの躍動感というか人間模様というか、凡庸な言い方ではあるが、当事者の何とか社会に適応しようとした中での瞬間瞬間のドラマの熱量は、やはり純粋に生きようとしている、社会で生きにくい人だからこそ見せられる景色なのかもしれない。僕はそう思いました。
少しドラマ仕立て過ぎる印象だが、役者陣の演技は大いに観ごたえあり
役所広司さんは言わずもがな、配役が完璧 方言もすばらしかった
ヒューマンドラマ好きの私にっては、心から「観てよかった」と思える作品でした。
どんなに素晴らしい作品であるかは、たくさんの方がレビューしてらっしゃるので、ここでは省略するとして、違う視点から…
配役が絶妙でした!
主人公の役所広司さんは言わずもがな、
フリーのディレクターの仲野大賀さん、
役所の北村有起哉さん、
スーパーの店長の六角精児さん、
橋爪功さん、梶芽衣子さん、キムラ緑子さん、白竜さん…
なんといっても、長澤まさみさんと三浦透子さんのなんてぜいたくな使い方!
でも、そんな名優のおふたりだからこそ出せる、
“撮れ高”のことしか考えてないプロデューサー(ディレクターかな?)の身勝手な感じや、障害のあるアルバイトの陰口に加わる介護士の、加わってるクセに「私言い出しっぺじゃないし」感というか、“余計なパス”出す感じとか…
ストーリーの中の重要なスパイスを演じられるのだと思います。
いったい、事務所にどんな感じでキャスティング依頼をしたのだろう…
ほんのちょこっとだけキャスティングに関わる仕事をしたことがあるだけに、そこがとても気になりました。
もう一つ、私が着目したのは、役所広司さんの方言。
福岡弁うまいなー、と思ってみてたら、長崎のご出身なんですね。
北部九州の県は方言が似通っているので、役所さんにとって福岡弁は、他の地方の方よりかは習得しやすかったかもしれないですね。
どの映画やドラマにも、方言指導の方はいるけど、どうしても出身地以外の方言を使ったセリフって、わざとらしくてウソくさくて、その地方出身者じゃなくても「あ、なんかイントネーション変だな」「違和感あるな」って分かるじゃないですか?
そういうのを見るたびに興ざめするのですが、役所広司さんの福岡弁は、ほぼ完ぺきだったんじゃないかと思います(福岡出身者が言うから間違いない)。
なんなら、福岡出身の橋本環奈ちゃんでさえ、福岡弁が台詞になると変にわざとらしさがでちゃってた(NHK『おむすび』)のに、
方言習得も含めた、役所さんの演技力のすごさを目の当たりにした気がしました。
改めて、本当にみてよかった映画でした。
原作も読んでみようかな、と思ってます。
えー!ラスト無理だわー
ラストこれだとあんまりだよ。
これからだったのに。
最後で懐疑的になって、思い起こすと結構不運も作為的だったなと。
東京住んでて街中でカツアゲされている人なんて見たことないし。
そもそも拘置所なんて食事制限と労働させられているところで血圧上がるのかって言う。
う~ん、個人的にはラストのせいで全体の作風に疑問を持ってしまったので3.5になってしまいました。
支援する人の仕事だけではない付き合い方だったり、自制を覚えた主人公の成長だったり
良いところもたくさんありましたが、最後が本当に残念。
はぁ~、なんだかな~
すばらしき世界ならPERFECT DAYSでいいや。
タイトルなし(ネタバレ)
無邪気で純粋で優しくて、でもすぐカッとなってキレてしまう、不安定で、時々イライラしながら…でも応援したくて、心配になって…
もっとカタギとして生きて欲しかった、反面、再犯することなく死んで良かったとも…
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