間違いなくサイコスリラー
複雑で難解で、精神的なタイムリミットと嵐の孤島という条件が入り混じることで、このサイコスリラー感という緊張感がマックスまで昂る。
この作品はかなり複雑なのでその顛末を理解するのが難しいものの、パートパートのサスペンスによって、酒を飲みながら見ても面白いだろう。わからなくても面白い。
この複雑さと詰め込み感は、はっきり言えばやりすぎ。
ただ、個別の動機やそこから派生した別の出来事の設定は練りこまれていて文句を言うことはできない。
最後に何者かがインゴルフの背後に迫ってきたかのような映像から、突如ヘリの中の死体が動き始めるあたりの見せ方も恐れ入る。
この作品が徹底的に視聴者の裏をかいていることが伺える。
そして主人公ポールがヘリから落ちそうになっているエリックを、一瞬救うべきと思いつつ、これまでの彼の仕業と親友の無念を鑑み、エリックの指を切断(カットオフ)して終了する。
ポールのこの意思こそタイトルにつながるもので、それは文字通り切断だが、現在の法治社会に対する明確な異論反論を唱えている。
この「法と司法制度」こそが、この作品の最大のテーマであり、現代社会に置いて再検討しなければならないことだと伝えている。
もちろんそれはドイツだけにとどまらない。
この作品は、この法なるものが如何に人々の常識から外れてしまっているかを表現している。
特に女性裁判官の死は明らかなメッセージを投げかけている。ドイツ国民の怒りだ。
日本においてはこの表現はなかなかされない。
どうしても視聴者への考慮と日本人特有の善悪の基準がそのまま監督の視点につながり、監督の考え方として決め付けられるからだ。
少し前にあった、憎まれ役を演じた俳優へのバッシングと同じだ。
このさじ加減が日本における作品作りを空回りさせている。
そして、
異常者という刑法における責任能力の有無の問題は、先進国ではどこもほとんど同じ解釈を持っている。
肉体の傷は明確な傷として写真に残るが、心の傷を指し示すものはない。
被害者等の心の傷の主観を、法的根拠、つまり覊束裁量のみでしか納めないのは日本も同じだ。
さて、
法的根拠を理由に、死体検査員のポールは友人の事件に対する検視報告を偽造できないと断った。
検察が犯人へ出した5年の求刑に対する裁判官の判断は3年5ヶ月
このあまりにもひどい判決に愕然とするイェニス
出所後のエリックを追いかける途中、居眠りで見失い、新たな犠牲者が誘拐されてしまう。
ここの前後のストーリーは時系列が途中で挿し仕込まれながら進むことで非常にややこしく、2回以上見なければわからない。
私も1回しか見なかったので書きながらわかっていない箇所もあるが、イェニスと誘拐されてしまったシェウィトスキーの娘レベッカの行方を追いかける二人だったが、結果間に合わなかった。
同じようにして死亡した二人の娘
この二人の父が怒りを覚えたのが犯人に加え、「法」と「裁判」だった。
二人はエリックを捕まえ、舌を切断し、脅してポールの娘を誘拐し監禁させた。
そして裁判官を殺せば娘を好きにしろと言った。
しかしシェウィトスキーはエリックを殺害すべく、海岸で首を絞めるも彼は生きていた。
さて、、
拳銃自殺したイェニスの口から取り出したSDカードの映像
これがエリックを始末したと思っていたシュウェイスキーの最期の映像と、その後のエリックの登場。
ややこし過ぎて訳がわからなくなる。
最大の問題が、謎解きをしながら走るポールとインゴルフの冴え方。
彼らの頭の中の登場人物たちの相関図が、日本人にわかりにくくて仕方ない。
異常者エリックの頭が良すぎる設定も問題だ。
しかし、
最大の問題が、このエリックによる他人を自殺へと陥れる術があるという設定だ。
全ての発端であるイェニスの娘リリー
シェウィトスキーの娘レベッカ
彼女の母(最初の検視)
シェウィトスキー
イェニス
これらはすべてエリックによって自殺させられたという設定のようだ。
ハンナが助け出された時見せられていたビデオこそ、自殺への誘導手法と思われるが、物語の流れからではそれは読み解けない。
仮にそうであれば、最後にヘリで帰る際、ハンナにはまだ相当の後遺症があるはずだ。
設定が詰め込まれているのは良いが、その効果に関する疑問は拭えない。
息を呑むサスペンス
どうなるのかというドキドキ感
すべて解決することと最後の行為と直結するタイトル
最高傑作の名にふさわしいかもしれないが、どうにもやり過ぎている。
やり過ぎついでに、
シェウィトスキーとイェニスの自殺理由として考えられる一般的なものは、自己正当化と自己満足のために犯してしまった殺人に対する自責の念だが、これが如何にすればエリックの成した行為となるのかを教えてほしかった。