異端の鳥のレビュー・感想・評価
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新たな黙示録
タルベーラのような映像美といえば、通じる人には通じるだろう。
3時間近くの映画だが、全編、素晴らしい。エンターテイメント性も保たれており、スリリングである。
次はどんな目にあうのか?と、ワクワクする。
間違いなく今年度No. 1。
映像美、脚本。すごすぎる。
役者もすごい。美男美女を集めなくては映画ではないと思っている間抜けなアメリカや日本のmovie industries にこういう撮り方を教えてあげたい。
映画を「エンターテイメント」として理解している人には辛い映画だと思う。そういう人は見ない方がよい。
「面白く」はないから。
映画を芸術、映像美学として理解する人には最高の映画だと思う。
人権的にはひどい映画だが、ついこの前まで、この世界はそんなものだったのだから。驚くまでもない。平気で人は、人を殺していたのだから。ほんのつい最近の話である。
残酷。残酷?
人間は今の時代も残酷だ。暴力に対する考え方は多少変わったとはいえ。今でも暴力に加担する人間などうようよいる。
ユダヤ人に対する虐殺はなかっただの、従軍慰安婦はデマだのと言っているような人には向かない映画。
その意味では極めて知的で、訴えかけるものが多い。これだけセリフが少ないのに。
日本映画は、テレビの延長にあって、セリフが多すぎる。セリフがないと意味がわからないという、文脈や映像の意味が分からない人向けに。
この映画こそ、映画らしく、リアリティがある。
美しい映像で描かれた地獄絵図
映像は美しい。森、麦畑、村、雪景色…どの場面でも透明感のある美しさに心は打たれる。しかし、ストーリーはエグくて、悲惨極まりない。一人のユダヤ人の少年が、人が想像出来る限りの辛酸を舐めさせられ、ボロクソにいじめられ、殺されこそしないが、激しい虐待が続く。それが3時間近く場面が変わろうが、いつ果てる事なく続く。流石にゲンナリして来る。エンディングで微かな灯が差しては来るが、何故かハッピーエンドとは思えない。少年のトラウマが鑑賞者にも伝染したかのようにとても疲れる映画だった。唯一の仄かな救いはハーベイ・カイテルとウド・キアの演出か…
よかった
ロシアの映画だと思って見ていたのだけど、チェコだった。ロクな大人が出てこなくて、みんながみんな性に旺盛で、やばい。ずっと農村ばかりだったため、途中まで時代もよく分からない。軍人が出て、銃が映って、町が映ってやっと電気とかある時代なのかと思う。
うちにも男の子がおり、絶対にあんなふうにはならないで欲しい、文明社会はありがたいと思う。
「ヴェネチアで絶賛、しかし退場者続出」という逸話がその性質を言い表している作品。
モノクロームの映像は、ファインアートの白黒プリントを鑑賞しているような美しさで、間違いなく近年公開された映画の中でも最上位に含まれるでしょう。その一方で、ヴァーツラフ・マルホウル監督は主人公の少年を取り囲む暴力の描写に映像的な妥協を許さず、そのため観客は約3時間の長い上映時間の間に、数々の目を覆いたくなるような映像を目の当たりにすることになります。「ヴェネツィア国際映画祭で高い評価を受けたにもかかわらず、上映中は退場する観客が続出した」という本作にかかわる逸話は、仮に誇張が含まれるとしても、容赦ない暴力と信じられないような美、という二つの普遍性を描く本作の特質をよく表現しています。
観客は、どこに辿り着いても邪悪な者として迫害の対象となる少年の苦しみを、すさまじい実感と共に体験することになります。ドイツ軍やソ連軍の軍人、収容所に送られるユダヤ人が登場することから、本作の舞台が第二次世界大戦中のヨーロッパ、それも東ヨーロッパのどこかであると理解できます。一方で、本作で多くの登場人物が話す言語は「インタースラヴィック」というスラヴ語圏で用いられている人工言語であることからも、明らかにこの物語は現実感がありながらもあくまで架空の物語である事が強調されています。
そのため鑑賞する側は、迫害される少年の痛みや苦しみを通じて得た感覚を、どのように理解すれば良いのか悩むことになります。例えば『サウルの息子』のように、戦争の悲劇を追体験する作品として?あるいは暴力の普遍性を描く優れた物語として?もちろん創作であることが感動の質を落とすことはありません。しかし画面上で展開する凄惨な暴力を見続ける必然性は果たしてどこにあるのか、鑑賞しながら疑問に思わざるを得ませんでした。こうした疑問は、イェジー・コシンスキの原作に対しても起きていたようで、ポーランドでは出版禁止となったという経緯があります。さらに経歴詐称疑惑や盗作疑惑など、原作者自身の素性にも疑いの目が向けられ、コシンスキは57歳で自殺してしまいます。
前知識なく鑑賞すると、上映開始5分後には相当な衝撃を受けることになるので、本作は理不尽な暴力を直接的に(露悪趣味的な意味ではなく)描写している場面が多々あること、原作も賛否両論を巻き起こした、程度の前知識があった方が、心構えができると思います。
10年以上の製作期間と、約2年にわたる撮影期間の末に本作を完成させたマルホウル監督の執念には脱帽する他ありません。前述の通り撮影監督のウラジミール・スムットニーの映像も素晴らしい。そしてもちろん、主人公の少年役を演じたペトル・コラールは絶賛すべき演技を見せています。ただ幼い彼が二年間にわたって過酷な場面に身を置いていたかと思うと、今後心身に影響が出ないか心配…。
昨年の東京国際映画祭での鑑賞を逃し、公開を待ちわびていた作品。 上...
昨年の東京国際映画祭での鑑賞を逃し、公開を待ちわびていた作品。
上映時間169分。
主人公の少年が行く先々で様々な大人達に出合い、様々な試練ともいえる出来事に遭遇するわけですが、物語の構成がよく出来ていることと、様々な大人達を演じる役者さんが次々と出てくるので169分はそれほど長くは感じませんでした。
バリー・ペッパー
ハーヴェイ・カイテル
ステラン・スカルスガルド
ジュリアン・サンズ
ウド・キア
名前を見ただけで曲者感が漂う人ばかり
この名優達の中で、主人公を演じたペトル・コトラールくんの演技が素晴らしかった。
様々な試練の描写にはきつい描写もありましたが、モノクロの映像美がうまく中和してくれた感があり個人的には想像していたほどの辛さは感じませんでした。
残酷なこと行う裏側にある人間臭さ、その中でいかに生きて行くか、主人公の少年の強さを感じられた作品でした。
地獄巡りのような…
疎開してたユダヤ人の少年か、保護者を失い路頭に迷い、流れていく。行く先々で、少しの安寧、様々な暴力。長いけどあっという間。台詞は少なく場所も説明されないが、モノクロながら映像が饒舌に説明してくれる。
見事な映画だけれど、二回目はご勘弁。辛すぎ。原作は大昔に読んだけど再読してない。「悪童日記」のような爽快さは皆無。
_φ(・_・狂気の果て
人間とりわけ一般ピープルの差別からくる狂気と暴力は悪虐の限りを尽くしたナチスやソビエト共産党をも凌ぐってことでしょう。戦争の殺戮の原因は決してイデオロギーではないってことでしょう。
主人公は大戦最中彷徨う中人間がするあらゆる差別と狂気、暴力に合うがまともに助けられたのは戦場で人殺しの限りを尽くすナチスやソビエト共産党の兵士。人々を救済する宗教ですら主人公を打ちのめします。
つまり人殺しの兵隊の方がマシってことでしょう。若い淫乱な女性に性的虐待を受けるが主人公はヤギの首を切って投げつけ逃げ出す。とても象徴的。お前ら悪魔以下だろが!!っていうメッセージでしょう。
最後父親が出てきちゃって少し拍子抜けだったが名前を取り戻すこと自体は印象的です。
個の確固たる確立の重要性を説いているのでしょうかねぇ?
人間の残虐性の証明
最近目の衰えが顕著でたまりません。この作品もずっと“島”だと思っていて、パンフ購入の際も「いたんのしまのパンフください」と言ってしまった(恥)。だから、最初の章で「マルタ」と出てきたのでマルタ島かと思ってたよ・・・(恥恥)
構成はマルタ、オルガ、ミレル、レッフとルドミラ、ハンス、司祭とガルボス、ラビーナ、ミートカ、ニコデムとヨスカという9章立てになっていて、イジメに遭ったり、悪魔の子とされたり、残酷なグロシーンと遭遇したり、一人のアバズレ女や自殺のシーンに遭遇したり、とにかく波乱万丈な逃亡劇。ユダヤ人家族がナチスから逃れるために少年ヨスカだけを叔母の元へと疎開させたが、叔母の死によってあちこち彷徨う展開なのです。
単純にユダヤ人迫害の作品だと思ってたのですが、ナチだけではなく、東欧のどこか(ポーランド近辺)の地元住民にも迫害され、忌み嫌われるヨスカ。ドイツ軍駐留、ソ連軍野戦、そして暴徒化したコサック兵たちの襲撃。どう見ても、戦争による残虐性は全ての国の軍隊、そして民衆にまで及んでいた。
虐待につぐ虐待、残酷・エログロを経験した少年が辿り着くところはどこなのか?意外にも助けてくれたドイツ兵(ステラン・スカルスガルド)や司祭(ハーヴェイ・カイテル)の優しさによって、キリスト教に改宗し、さらに聖人と化すのではなかろうか?と想像力を掻き立てる。しかし、その可能性はことごとく粉砕されてしまいます。ついに性的虐待まで受けてしまったヨスカはその男をネズミが蠢く穴倉へと突き落としてしまうのだ。
ついに暴力性が備わってしまった少年ヨスカ。やはり悪魔に魅入られたのだろうか、それとも戦争による暗雲垂れ込めた殺伐さの中の必然だったのか。性の目覚めも加わり、人を殺すことが無味乾燥になる世界を体験し、人間性悪説さえもうかがわせる。そして戦争に正義なんてない!という主張さえも見え隠れするのだ。
“鳥”を表しているのは地中に埋められた少年がカラスにつつかれるイメージ以外にも、ペンキを塗った鳥が仲間から疎外されたり、軍服の鷲にだって共通性がある気がする。そして色を塗られたことも、東欧人の中のユダヤ人のメタファーだったり、キリスト教やナチスやソ連共産党の色に染まらない少年の逆説的な意味にも感じ取れたりする。
言葉がスラヴィック・エスペラント語という風変わりな言語だったり、ずっと白黒映像がリアルすぎると感じていたのがデジタル撮影ではなくフィルム撮影のシネマスコープだったりするからだとパンフで教えてもらった。フレーム内の人物の構図も斬新。ちょっと夢に出てきそう・・・
少年の境遇が過酷過ぎて涙が出そう
ホロコーストから逃れる為に田舎に疎開してた少年が、そこのおばさんが亡くなり、その後は見るに耐えれない程の苦難の連続。ポスターになってる土に埋められカラスに頭を突かれ血を流すシーン、逆さ吊りの拷問を受けるシーン、などなど暴力シーン満載。
雪の中で池に落ちてずぶ濡れになるシーンなど過酷過ぎ。
戦争中で娯楽もないからか、セックスシーンもたくさんあり、おかま掘られるシーンまである。
3時間近い長編だけど目が離せなかった。
少年役のペトル・コラールは過酷な境遇に耐える演技が素晴らしかった。
残虐なる者
原作はイエールジ・コジンスキーの”Painted Bird”で、1965年の著書。調べてみると”Being There”、後にピーター・セラーズ主演で映画化される「チャンス」の原作の著者でもありました。やっぱり「奇譚的なんだ」と、ここで納得。
観ていて、何時頃の話?場所はどこやねん?と疑問だらけになって来ます。ドイツ軍の偵察機はFi156でWWⅡ。ソ連軍の戦車はT-34。狙撃に使った銃はM-1891、短機関銃はM-31と思われ。ドイツ・ソ連戦が展開されているし、ホロコーストもあるが故、WWⅡの東欧であることは間違いないんですが、野盗化したコサックが闊歩してるってのが。WWⅡ時点では、ほぼ壊滅していたはずのコサックは、ドイツ軍と共にソ連軍との戦闘に参加した歴史はありますが、単独で村々を襲うのは時代的にも説得力無いし、場所的にも東欧では。ちょっとねぇ。
「本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている」との解説もWikiで見つけました。少年が彷徨う道程で巡り合う、禄でも無い人々も体験も奇譚的であり、リアリズムと言うより生々しさを強調した描写も現代的ではないとの印象。
局面での残虐な場面も、原作が1965年に書かれたものであることを思えば、特に突出した感も特異性も感じられませんが、「人々と世間の残虐性」に対して、ドイツ・ソ連両軍の兵士が見せる「個人レベルでの優しさ」と言う対比の中で進んで行く「時代物のロードムービー」の指摘するものには共感を覚えます。
Painted Bird
軍やコサックの暴力に虐げられた人々が、更に「異物」である少年を虐げる。軍人は、個人レベルでは優しさを見せたりする訳で。「異物とみなされた少年の身に降りかかる残虐な扱い」って、主題は、それじゃない。
「色を塗る=異物にしてしまうのは誰か」
もっと言うと。
「一番酷いのはお前だよ」
そんな映画でした。
世界を放浪してアメリカに辿りついたイエールジ・コジンスキーの内心の呟き、だったんでしょうかね。って事で。
自然の中の人間、コミュニティの中の人間の姿
本作を“地獄巡り”だと評する声を耳にする。確かに主人公の少年はひたすら酷い目に遭う。肉体的な暴力も受ければ、言葉の暴力も受ける。精神的な暴力も受ければ、性的な暴力も受ける。しかし、これが地獄なのか?という疑問が湧いてくる。それらは地獄というにはあまりにも現実味があり、シーンによっては既視感さえあるからだ。
3時間弱の上映時間、この少年も観客も、ただひたすら耐えるしかない。だが、これほど酷い目にあっているのに、不思議と私はこの少年に何の感情も感じなかった。いや、彼に感情があるように見えなかったというのが正しいかもしれない。映画は少年の目を通して描かれるが、むしろ彼の目に映る人間たちの言動にこそ嫌悪感を抱いてしまう。そして、途中でこれは下界に降りてきた神の使いから見た人間の姿を描いているのではないかというように思えてきた。
そう考えると、俄然この作品の凄さが理解できる。他人を傷つける、他者を排除する、気に入らない人間を力でねじ伏せる、あるいは自分の思い通りにコントロールしようとする。客観的に見れば最低な行為でも、それらは全て人間のどこかにある感情であり、生き物として備わっている本質的な部分でもある。マジョリティーがマイノリティーを排除することは自然であることを“異端の鳥(Painted Bird)”のシーンが象徴する。
そして、途中で少年にも変化が起きる。少年自身も暴力を振るい、盗みをはたらく。生きる上で暴力は必要なのか?という疑問は芥川龍之介の『羅生門』とも通ずるが、同時にこの世では神の使いも暴力に堕ちるのだとも感じさせる。それでも映画は人間のその最低な部分を否定も肯定もしない。ただひたすらに、淡々と自然、あるいはコミュニティの中にある人間の姿として映し出す。
人工言語を用い、ナチス統治下の異国の地を描いた作品であるようだが、差別や分断が進む一方で、過剰すぎるポリティカル・コレクトネスが目に付く今では、これは歴史のメタファーとも現代のメタファーとも捉えることができる。最後に少年が曇ったバスの窓ガラスにある文字を記して映画は終わる。そして、我々は思う。我々は他人の何を知っているのだろうかと。他者の何を恐れているのだろうかと。そして、なぜ異端の者を排除しようとするのかと。
東欧発の作品の力強さを感じた
夜と霧、シンドラーのリスト、戦場のピアニスト、ライフ・イズ・ビューティフル等、ナチス迫害を逃れる市政の人々を描いた作品は古くから多くあります。
本作の原作小説である「異端の鳥」は、60年代に発表されており、戦争の名残がまだ深く、戦争の惨禍を記録する意義が求められていた時代に生まれたものと想像します。
こうした時代における記録小説や映像の意義を踏まえると、もはや何度も語り継がれてきた物語をあえて2019年に映像化することに新鮮さを感じました。また、このようなリアルで骨太な映画を製作し受け入れられる東欧の受容力の高さや映画に対するリスペクトを感じました。
一方で、戦争の記憶は薄れていても差別や分断が拡大する現代において、人間が生来的にもつ他者に対する残虐さ、冷淡さを描いていることはとても普遍的な作品だと思います。
加えて、アゴタ・クリストフ原作「悪童日記」で描かれる、生まれ育ちとは別の文化、暮らしを強要され順応しなければ生き残れない、という世界観に本作と通じるものを感じました。
生き抜く
なんの知識も入れずに見に行きました。次から次へとひたすら重たい展開が続くので「一体これはなんの映画なんだろう?」と疑問ばかり。ちょっと「ミッドサマー」を思い出したり...。ようやく途中でユダヤ人迫害がテーマだと気づき...
ちょうどスターリンの「国葬」を見たばかりだったので、余計に戦争によって傷つけあう人間の愚かさを感じました。祖国を失い、帰る場所がなくなるという体験は、日本人である自分には想像するしか出来ませんが、ユダヤ人迫害をテーマにした映画がこれだけ世の中に多くあるということは、それだけ根深い、忘れてはいけないことなのかと。
全編モノクロの映像、東欧でのロケがより映画に深みを持たせていると感じました。
ストーリーらしき物皆無なイジメ動画
ただただ退屈。
今の時代にわざわざ白黒映像使い、いかにも芸術性やら意味やらがある様に見せかける薄っぺらい手法。
某映画も今年公開日から半年経たずに改めてモノクロ版公開したら、そちらの方が映画.com評価上がってるようだが、そのやり方もどうかと思うし、観る側も見せかけでは無く内容で見極める必要があるのではないか。
冒頭から動物虐待〜子供虐待〜家族虐待。
いや別に暴力シーンが苦手な訳じゃないし、むしろ一昨日観た「ザ・ハント」のように、その手の映画は積極的に観るし面白ければ評価もするが、これは糞つまらん。
個人的には熊井啓監督「海と毒薬」に衝撃受けて以降、この手の手法で見応えある作品に出会ったことがない。
突然のナチス兵登場で主人公がユダヤ人だと解ったが解放後、一般人にまた虐待受け、結果ナチスの方がマシだった…という所でちょうど2時間で一番オチらしかったのに、まだ終わらない。
直後に動きらしい動きがあったが、結局は大したオチも無く終了。
全くムダな3時間弱。
先日観た日本のインディーズ映画「VIDEOPHOBIA」と同じ白黒映像、アフレコ採用、ロクなストーリー無いまま暴力とSEXで押し切る雑な脚本。
白黒採用している時点で、やっぱ力量の無さを疑ってかからないとダメだね…
少年の目を通して描かれる悪意の寓話
パンフレットを読むと、原作は作者の実体験に忠実なものではないらしい。
それを知って少し安堵した。一人の人間がこれほどまで完璧な悪意の数々に出くわすだろうか?と訝しんでいたから。
この映画は少年に向けられた悪意というより(もちろんその場合もあるが)、少年の目を通して人間の獣性を露わにしていくもので、モノクロの画(え)はどこかおとぎ話のような凄惨な美しさを秘めている。
使用人との浮気を疑い妻に暴力をふるう夫、売春婦と息子が姦通したことに腹をたて、売春婦の膣にボトルを差し込み殺してしまう主婦たち、敬虔なクリスチャンのふりをして少年を手籠めにする農夫。
閉鎖的な空間で自分が優位に立ちたいという生理的な欲求と虐げられる弱者。
一番心に堪えたのは、小鳥を逃がすふりをして、実は仲間から攻撃されるようにしむけた鳥飼のエピソード。
自分よりも弱い動物を守り、涙する心を持っていた優しき少年は、次第に感情を失っていく。しまいには失恋の腹いせに、恋した女性の家畜の首を切り落とし、部屋に投げ入れるほどの攻撃性を見せる(ゴッドファーザー2を思いだした人は私だけではあるまい)。
少年の旅する世界は架空の世界で、言語はスラブ語をベースにした、これまた架空のものだという。
ラマや、コサック、ロシア兵などの実在の名詞は出てくるが、地域を限定しないことでより抽象的に描いたのだろう。
戦時下の人間は自分本位になりがちだが、兵士以外の一般人においては、この映画のようなむき出しの攻撃性は見せないのではないだろうか。
それよりも、「積極的な消極性」が際立つのではないかと、個人的には思う。要するに「苦しむ人を助け〈なかった〉」「捕虜に水をあげ〈なかった〉」「病気の人を防空壕にいれ〈なかった〉」「みなしごを見殺しにした」などなど…。
何が言いたいのかというと、登場人物の行動は残虐と非道という点で、あまりにステレオタイプで芝居がかっているということ。
ただ、自分も戦争のような極限状態になったら、描かれた人間たちと同じように底知れぬ悪意を見せるのだろうか…と、潜在的な恐怖を感じた。時代が狂っていると、自分が狂っていることには気がつかない…そんな気がする。
まさに「地獄めぐり」
「途中退室多数」の噂を聞き、また3時間弱の長尺という事で、かなり悩んで観に行ったが、思ったほどはグロではなかった。しかし、女性には女性ならではのキツいシーンが多いかも。ただ、映像は綺麗で、ラストシーンも良かった。なんとなく寓話的で「ブリキの太鼓」に似た感じもあるかな。
今年一番の作品
色々な意味で今年1番の作品だった。
モノクロの冷たい空気感の世界の中の冷たい人々。
ひとつのエピソードだけでも、現代日本に生きている我々が一生に一度あるかないかというほど強烈な出来事だがそれが矢継ぎ早にやってくる地獄。
ただこれは遠い世界の出来事ではなく、特にコロナ禍で一層同調圧力の高まった我が国においても同じような迫害や疎外、分断により苦しんでいる人は沢山いる。
生きにくい世の中になったと思うが、強く生きること、冷たい世界にも微かに救いの糸を差し伸べてくれる人もいることもまた事実。
自分は果たして彼のような存在が身近にいたらやはり排除しようとするのだろうか…。それとも司祭やソ連兵のように彼の存在を認めることができるだろうか…。
モノクローム3時間で送る、悪夢の傑作
この映画は少年が家族を探すために生きていこうとする姿を描いた映画である。
少年が行った先々にはいじめや恐怖、虐待などが待っており、少年に幸福はない。むしろ不幸が続く。そんな作品だ。
誰もがもう二度と見たくないと思うだろう。カンヌ国際映画祭では、観客の半数が途中退却したが、そのモノクロームの世界に魅了された人々が、上映後、たくさんの拍手を送った。かなり過激なシーンが多い本作だが、傑作だと言う人は少なくはない。
少年が生き延びようとする姿を過激なシーンと共に描く傑作映画なのだ。
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