ドクター・スリープ : 映画評論・批評
2019年11月26日更新
2019年11月29日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
映画版「シャイニング」のソースを受け継ぎ、かつ原作の幹をむき出しにした超能力大戦
「IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」を筆頭に、今年だけで4本もの映画が米公開(+配信)され、まさに“何度目だナウシカ”状態のスティーヴン・キング原作である。しかしこの「ドクター・スリープ」は、その中でも構えが異様だ。というのも氏のサイキックホラー小説「シャイニング」の続編にあたる本作は、スタンリー・キューブリックが監督した映画版(80)のソースとも結合するという、ユニークなスタイルがとられている。映画版は原作と比べ、途中ごとのテイストや結末を異にするが、今回の監督・脚本を担当したマイク・フラナガンはそうした齟齬を巧みに調整。「ドクター・スリープ」を小説のみならず、映画「シャイニング」の続編としても機能するよう、挑戦的な技芸をほどこしている。
とはいえ「豪華だがエンジンのない高級車」と映画版を嫌っていたキングにとって、この折衷案は屈辱的なものだっただろう。そんな心情をはかってか、今回はキング原作の道筋に沿うようドラマが進行していく。かつてコロラドの展望ホテルで恐怖の体験をしたダニー(ユアン・マクレガー)のもと、同じシャイン(かがやき=超能力)を持つ少女アブラ(カイリー・カラン)が姿をあらわす。彼女は自分たちの能力を奪う邪悪集団トゥルー・ノットの存在を示唆し、やがてダニーは彼女と一緒に、連中との全面対決へと向かうことになるのだ。
原作は成人したダニーが父ジャックの暗黒面を受け継ぎ、重度のアルコール依存症や、特殊能力の扱いに苦悩する姿が克明に描かれている。しかしフラナガンはそんな枝葉を削ぎ、正義VS悪の「ザ・超能力大戦」ともいえる幹をむき出しにした。こうしたキャッチーさも、それを好むキングへの配慮がうかがえるし、トゥルー・ノットの女ボス・ローズ(レベッカ・ファーガソン)の脅威的な存在も、対決モノとしての性質をより濃厚にしていく。
だがやはり本作の注目点は、映画版「シャイニング」とのリンクがもたらす、悪夢的な舞台の再現だ。過去に我々が目撃した、展望ホテルや惨劇の幕開けとなったメインラウンジ、そして映画が独自に設定した巨大迷路などにふたたび足を踏み入れ、巨匠が創造した世界へとアクセスしていく。似たような試みは奇しくも「レディ・プレイヤー1」(18)が先行したが、あちらはCGだったのに対し、こっちは実際のセットを多用し、キューブリックの方法論を踏襲している。
なにより観る者に能動的に映画を解読させていくキューブリックに対し、娯楽とサスペンスに準じた今回の続編は、あの「2001年宇宙の旅」(68)における「2010年」(84)のような存在といえるかもしれない。言っておくが、筆者は「2010年」に肯定的だ。
(尾﨑一男)