アスのレビュー・感想・評価
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☆☆☆★★★ 地下世界の反乱 自分が自分を殺しに来る よくRPGで...
☆☆☆★★★
地下世界の反乱
自分が自分を殺しに来る
よくRPGで。もう一つの世界が存在していたら?…と言った、世界観のゲームが多くある。
この作品は、そんな世界が実際に存在し。尚且つ、陽の当たらない場所にいる自分が。表社会にいる自分を《いつの日か殺したい!》と考え。ある日本当に実行しに来る…とゆうホラームービー。
とにかく気味が悪い事この上ない。
自分1人だけでなく、自分がファミリーを伴って自分自身を殺しに来るのだからヽ( ̄д ̄;)ノ
その殺しの道具として携えて来る道具が、ヒッチコックファンならばお馴染みの【アレ】
何しろ【アレ】ですから(@_@) その鋭さ・痛さを感覚的に知る人は多く。単なる拳銃と違い、観ていても怖さは倍増する。
金属○ッ○と併せて。この辺りの演出力で、観客に恐怖心を煽りグイグイと引っ張って行く。
ただ、反面作品中盤で。〝隣人〟側の人間に襲われたり。その〝隣人〟は、自分が真綿で首を絞められる如くにいたぶられるのに対して。一瞬で殺そうとしたり。また、集団で現れたり…と。この作品に於けるホラー的なルールからは果たしてどうなのか?…と、ほんのちょっとだけ疑問も感じた。
その辺りは。最後の最後に【自分】から説明がなされていて。子供時代のバ○エ経験が、突如挿入され。奇妙な映像と併せた恐怖感を醸し出してはいたが…。
それともう一つ。ラストの展開には一捻りあるのだが。
《恐怖を植え付けられた者》と《恐怖を与えた者》
その隔たりにはほんの小さな隙間しかなかったのだった。
だが…。
《与えた者》が、結果的に実は! …的だったのは反則と言うか、ちょっとおかしくない?…かなあ〜。
などとグダグダ言いつつ、とっても面白いホラームービーでした。
作品を盛り上げる、効果的な劇伴も良し。
2019年9月8日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン1
クローンとは直ぐに分かるし
クローンだとして、ひねりがない。
最後のどんでん返しは意味をなしていない。
クローンでも、夫と子供は、そして経験は、まぎれもなく自分のものだから。
復讐する方法がおかしいし。
クローンが同化するのと反乱するのとストーリーの体をなしていない。
ビジュアルだけに終始していて演出がおかしい。
予告編以上のものはなかった
家の前に佇み微動だにしない訪問者
赤いつなぎに不気味な表情で暖炉の前に座る主人公達と同じ顔をした襲撃者
燃える車の前に立つ不気味なマスクの少年etc...
予告編で使われてる印象的でとても気になる絵面ですが残念ながらそれら絵面のインパクトだけで肝心のお話がスカスカでした
終盤の問題点。
序盤中盤のゾワゾワ・ハラハラ・ドキドキ感はとっても楽しかった!!
加えて「コワいニヤニヤ感」も良かったし、それがいちばん良かった。
「コワいニヤニヤ感」っていうのは、ホラー映画のオバケなりモンスターなりが、「ちょっとヘンで、間抜けな感じでニヤニヤしちゃうけど、それがかえって不気味でコワいという感覚」っていう感じかな。
例えば『イット・フォローズ』で追いかけてくる奴は、全裸でどことなく間抜けなのが気味悪かったし、『へレディタリー継承』のヤマ場の諸々も、テンション高すぎなのがちょっと面白くて、それが異様なコワさだった。
死霊館シリーズに出てくるような「いかにも悪霊!」というオバケとか、数多のゾンビ映画とかに出てくるような「いかにもグログロ!」というコワさは、“慣れと工夫のイタチごっこ”なところもあるような気がするので、そういうショック演出やゴア描写のインフレでない方向での「異様なコワさ、不可思議な不気味さ」みたいのを追求するホラー映画は好感。
本作については↑このカットの異様さ、不気味さだけでもう充分満足。
夜、家の外で、自分たちにそっくりな家族連れが、無言で並んで立ってる。
イヤー!!コワいコワい!!!
いったん家の中に戻って、家族と対策を話す。お父さんはちょっと状況をナメてる。キツく注意すれば追い払えるだろうと思ってる。で、もう一回家の外に出る。そしたらその家族連れはまだ同じ体勢で、無言で並んで立ってる。
いやぁ、この感じ。この感じがいちばん不気味でコワくて、つまりこの映画のいちばん楽しいところだった。
ホラー映画って、敵役の目的や能力の「わからなさ」がいちばんコワいんだよね。
白ニョンゴ家族と赤ニョンゴ家族が対面して、本作の敵役「赤い人たち」の目的なりスペック(強さや残虐さ等)が理解できてくると、ホラー映画としてのコワさが減っていく代わりに、サバイバルアクションとか、バトル映画としての面白さに移行していくのはお約束。
赤ニョンゴのギョロ目でカクカクした動きの演技とか観てて楽しかったし、その他の「赤い人たち」も、そこはかとなく頭悪くて、白ニョンゴ家族からのヤラレっぷりが面白かったし、物悲しかったりもした。
明らかに笑っちゃうところもあるし、赤ニョンゴVS白ニョンゴの対決も、赤ニョンゴの動きが面白くて良かった。
終盤は、「赤い人たち」についての設定や説明が雑すぎて、それくらいだったら語らないでわからないままの方が不気味で良かったと思う。
ラストの大オチというか、「どんでん返し」としての仕掛けも、僕個人的には「びっくり」がなかった。
途中でだいたいわかっちゃうということとは別にしても、その「どんでん返し」が別にどんでん返しになってない気がする。
「実は白ニョンゴこそが、クローンなのでした!!」
ということなんだけど、そのことが別に不都合じゃない。
白ニョンゴは「生まれ」は荒んだ地下のクローンなんだけど、「育ち」は、ちゃんと人としての人生を生き、結婚をし、子を産み、育ててる。白ニョンゴ家族にとってはこれまでもこれからも実の母親だし、良き妻だ。自分がクローン生まれだと知ったことによって、今後「闇落ち」するなんて予感させる演出もなかった。
物語上、白ニョンゴに感情移入してきた観客が、白ニョンゴの「生まれ」がクローンだったからといって裏切られた気持ちにはならないと思うし、赤ニョンゴに対して「ホントはちゃんとした地上人の家庭に生まれてきたのに、人生を奪われて地下に閉じ込められてかわいそう!」と観客に思わせるほど赤ニョンゴを繊細に描写もしていない。
「もしかしたら地上人であるあなたの人生も、子供の頃クローンと入れ替わられているかもよ?」という怖い話だとしても、今この僕や観客は地上人として生きている側なので不都合がないし、
「もしかしたらいつかドッペルゲンガーが現れて、あなたの人生を奪われてしまうかもよ?」という怖い話だったとしても、だったらそれにしては「赤い人たち」が弱くて恐怖にならない。
ロジックだけがどんでん返っているに過ぎない。
そういう終盤だったように思う。
とはいえ、ホラーエンタメ映画としては充分楽しめた。
「赤い人たち」が現実社会に対して何を象徴しているのか?とか考える余地はありそうだけど、そこまで深堀りしたい気持ちにはならなかった。
圧倒的に面白い
家の前の4人の家族の影からですね、そこからやることなすこと冴え渡るジョーダンピール節。殺戮が続くが怖がらせようとしてるのか笑わせてようとしてるのか微妙なところが他にはないエンターテイメント。やっぱり細部か侮れない。とりあえずボートのところは大笑いした。
いまどきこんな意味ないホラーキャラクター作り得ない、というドッペルゲンガーホラーが続き、そしてその実態は、なるほど、、というわりかし無理のある設定だけども例えるならバタリアン的な面白さの横溢する作品で、やっぱりこの監督好きだなあ、と思った。
サイコホラーのニューエイジ
古典的な要素だけではなく、実験的な部分も多分に含まれる本作。ルピタニョンゴの表側と裏側の顔はまさに別人である。
ホラー=恐怖で支配する
という構図はオールドファッションになりつつある。
もはや現代の世相を映し出す、アンダーグラウンドに生きる人間が有産階級に立ち向かうリアリティショーにも見えてくる。
ラストシーンは非常に独創的で、コンテンポラリーホラーアートとも言うべき表現方法が実に魅力的だ。
冒頭の前振り、80年代のCM、原理主義者、エレミヤ書11章11節、謎のウサギたち、手品のライター。点と点が緩やかに線になっていく様子も面白い。
どんでん返しというほどの衝撃はないものの、
あらゆる要素を上手く取り入れた秀作ではなかろうか。
ホラーという非現実なジャンルにおいて、
設定が理解できないだの辻褄が合わないだの、安っぽい正論を振りかざすオーディエンスは無視して、その世界観を純粋に楽しんでほしい。
力み過ぎ。
「ゲット・アウト」が思わぬ面白さだったので、期待していたが今回は話を作りすぎ。あちこちで話が破綻しているので、力任せに次から次へと見せ場を連続させても映画的面白さに結び付かずゲップが出るだけ。残念でした。
ホラー映画なんだけど
ホラー映画なんだけど、ただ怖いとか、グロいとかじゃなく、色々と考察出来る作品です。
ちょっと無理やりだったり、なんじゃそりゃな部分も多くありますが、鑑賞した後も、あのシーンの意味はとか、これは社会問題の比喩なのではと、色々考えて楽しめる作品でした。
一歩間違うとトンデモ作品。
トンデモ作品連発のシャラマン監督のようになってきたけど、それ以上に緊迫感ある展開でラストまで楽しめた。ちょっとみえみえなラストもこじつけすぎな気もするが。最近こういう作品少ないからありがたい。
雰囲気で乗り切った
ジョーダンピールの好きそうな設定。これから窓の外見るとき勇気いるよね。ルピタの演技もうまいし、ちょっととぼけた旦那も◎ (ブラックパンサーチーム) ゲットアウトみたいに何度も見たら、あー!みたいな伏線があるのかも。実は他にもシャドーが⁈ 考えすぎ⁇
星が少ないのは、やはりゲットアウトと比べると…ってことで。
建前と本音の話?(自己解釈)
面白い映画でした。伝えたいこと、表現したいことなど様々なものが織り込まれているのだろうとも感じました。エレミヤ書といったキリスト教やアメリカの過去の貧困問題がでてきたり、それらに疎い日本人はどこまでこの映画について理解できるのでしょうか。
見ていて気になったところ、自分でかってに考えたことを箇条書で書きます。
長くなりました。一番書きたいのは最後の「建前と本音」なので、飛ばして読んで下さい。
■レッド(アデレードのドッペルゲンガー)の知能性
他の赤い服をきたドッペルゲンガーと比べて、言語になっていないうめき声だったり無口であるためかジェスチャーで行動を指示されていたのに対して、しっかりとした言語をレッドだけが話すことができていました。また、下の世界と上の世界の現状を比較できていたりなど、一人だけ高い知能を持っていたことがわかります。アデレードがレッドを追い詰めていく終盤の場面で、アデレードはまるで獣みたいな人間的でない動きになっていくが、レッドは、ロボットのような規正のとれた動きやたまにバレエのような動きをし続けているため、互いの役割が入れ違ったような印象をうけます。これらはオチを予想する手がかりにもなるし、実際オチを見れば、なぜ、他のドッペルゲンガと違うのか分かると思います。
■エレミヤ書11章11節
「それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。」というのが、内容らしく キリスト教徒でないわたしは映画を見終わっても何が言いたいのかよく分かりません。
■貧困
この映画は、貧困問題について描かれていると感じました。そもそも、下とか上とかいっている時点でヒエラルキーが存在していると考えることができます。映画内でも、貧困層を救済のための「ハンズ・アクロス・アメリカ」が序盤に流れ、嫌でもその考えになると思います。下の世界と上の世界を貧困層と富裕層に分けることができると思います。また、アデレードのいる世界でもヒエラルキーが存在していて友人のタイラー一家が上位でアデレードの家族が下位であることが分かります。簡単にまとめると上からタイラー一家、アデレードの家族、そしてレッド率いるドッペルゲンガーの順になり、アデレードは中間層にいることが分かります。
ここからは、偏見混じりになります。富裕層は、寄付やチャリティーなどは行うが実際の下層の現状を理解していない層だと思います。アグネス・チャンが寄付した時に撮られた豪邸の写真などがいい例だと思います。中間層は好んで貧困になろうとはせず、むしろより上位になりたいか同じ層にいても他人よりも上位にいたい層だと思います。貧困層について、日本の場合、声にならない声で救済を求めていたり、教育を受けていないから助けを求める方法を知らなかったり、そういう立場にいる人は障害者が多いというイメージが私自身勝手にあります。
アメリカでの貧困に対してのイメージがどのようなものか知りませんが、私自身のイメージが映画内では良くマッチされている表現になっていると思います。例えば、声にならない声で救済を求める行為をドッペルゲンガーの言語になっていないうめき声や無口で表現したり、障害者の一種である聴覚障害に対しては指示するジェスチャーを手話とも捉えることができます。また、教育を受けていないことについては、うめき声が言語になっていないことや、息子のドッペルゲンガーであるプルートが本能のまま生きる動物のような4足歩行であったり、炎による口元のやけど(炎は危ないと動物、人間ともに知っているが人間は自在に使うことができる)などで表現できていると感じました。
ここで、都合よくカイジの映画ででてきEカード(トランプゲームの大富豪でも可)を思い出してみましょう。登場するのは、王様、民衆、大貧民です。パワーバランスはそのままですが、大貧民は失うものがないから権力や富をもつ王様より強いというものです。「us」でもこのパワーバランスをうまいこと取り入れているように感じました。タイラー一家の奥さんは目を整形したことをアデレードに褒めてくれましたが、アデレードには整形は必要ないと本意なのか馬鹿にしているのかわかりませんが言いました。また、新車を見せてけてくるとアデレードの夫が言うなどタイラー一家があでアデレードの家族よりも上でしたがドッペルゲンガーに抵抗すらできずに殺されていました。アデレードの家族は、タイラー一家と仲良くしますがドッペルゲンガーに対して対抗し、最後にはレッドを殺しました。
■建て前と本音
もしかすると、この映画はアデレード対レッド、つまりは建て前と本音のようなものを描いた作品かもしれないとその対立だけでみるとそう感じました。よくある話で、自分の心の奥深くにはどす黒いもう一人の自分がいて、それと仲良くなり、パワーアップしたり成長したりなどいったものがあると思います。しかし、今回はこの映画では仲良く出来なかった話なのではないでしょうか。よくある話では、もう一人の自分は自分と瓜二つの姿(ドッペルゲンガー)が多いということは言うまでもないと思います。
では、その建て前と本音とはなにかになりますが、それはエゴと人を救おうとする心だと思います。アデレードはレッドを殺してしまいますが、先ほどの貧困に絡めて言い換えれば中間層による貧困層への誹謗中傷になると思います。私たちは建て前か本音かは知りませんが弱者を救うことが正しいことだとわかっています。しかし、私たちは手を差し伸べる側にいても、そうしないことがあるとおもいます。あなたは、ホームレス全員に対して食料や住居を提供することができますか?むしろ、その逆で、建て前は「かわいそうだな、助けないといけない」と感じていも、本音は「ホームレスじゃなくてよかった」と思っていませんか。そして、自分は弱者と思われたくないから弱者を無理やり見つけ出して誹謗中傷にしていませんか。レッド率いる貧困の人々を救う心をもつ本音側であるドッペルゲンガー集団は「ハンズ・アクロス・アメリカ」をします。
私は、クリスチャンでも人権について活動しているわけでもないですが、キング牧師の好きな言葉に「最大の悲劇は悪人の圧制や暴力ではなく、善人の沈黙である」があります。これをもとに言い換えると「最大の悲劇はエゴによる弱者への誹謗中傷ではなく、人を救おうとする心の沈黙である」になります。アデレードはレッドを殺しますが、それはエゴが本音を凌駕することを意味し、人々の助け合いによる美徳の崩壊という恐怖をも描いた映画だと過大解釈のしすぎかもしれませんが思いました。そして、現在ではそれが普遍化していると思います。エゴが本音を凌駕することを当たり前だと思っている集団こそが私達(us)であり、その恐怖を描こうとしたのではないでしょうか。
まだ、考えればまだまだ出てきそうですが長くなりそうなのでここで終わりたいと思います。今でも結構長いと思います。過大解釈がほとんどですが、読んで下さってありがとうございます。
「ハンズ・アクロス・アメリカ」という設定がすでにコメディーやん
「ゲット・アウト」があまりにも面白かったので観る前の期待値が高くなりすぎてしまった。本人が言うように決して大作を撮る監督ではないし、ちょっとしたアイデアのどちらかといえばB級テイストコメディホラーである。そして困ったことに「コメディ」という先入観が強すぎて「怖い部分」を正しく怖がることができなくなってしまっているのだ(あくまで私は)。しかしテーマはやはり「アンチトランプアメリカ」であり、格差社会と移民差別そして何より黒人差別社会への異議申し立てが前作にも増して鮮明に、ストレートに表出されている。それはそうだろうなと。「白人社会への怨みの深さ」は映画何本作っても言い足りないだろうなと想像出来る。いけ好かない白人上流一家を「悪役のそっくりさん」という設定(映画的大義名分)を借りて、やりたい放題打ちのめすシーンがおそらくは一番撮りたかったのではなかろうか。それはタランティーノが「正義」の名の下に自身の変態性を正当化しているのに似ている。
「Under the Santa Cruz」
「旧約聖書 エレミヤ書 11章11節」と書かれた段ボールを抱えた男が過去、現代の物語の随所に出てくる。
エレミヤ書って、ユダへの裁きのメッセージだったよな?と思いつつ鑑賞。
鑑賞後、調べると11節にはかなりショッキングな主の言葉が記されているので、それをモチーフとしたと思われる。
狂信的な部分も垣間見えたので、「Under the Silver Lake」のダークパターンに突っ込んでいくかと思ったが、植木鋏、赤い服が印象的な視覚恐怖の世界に引き釣り込まれた。
訳の分からないモノに支配されていく世界感や、ワンダーランドである遊園地が舞台だったり、惨劇の舞台がサンタ・クルスだし、不穏な雰囲気が増して行くジョーダンワールドは健在。
あの、印象的なラストは解釈分かれるだろうな。
どうしてこうなった??
予告編の内容から踏み出した瞬間がこの映画最大の山場。そこから先は、、、
補足的説明が散見されるこの作品。本人(ジョーダン ピール)も脚本の穴は自覚してるはず。
次回作は他人の脚本で、ホラーに拘らずに一級品の演出を観せて欲しい。
持たざる者は赤くなる
『ゲットアウト』が大ヒットを飛ばした
コメディアン出身の監督兼脚本家
ジョーダン・ピールの新作スリラー。
...
『ゲットアウト』は黒人差別がテーマと思わせて
実は……というスマートなスリラーだったが
(レビュー書いてないが個人判定3.5くらい)、
今回は前作よりスケールも不条理性もアップ。
ガリガリと壊れたように喋る“裏”主人公
(1人2役のルピタ・ニョンゴが見事)
と、色々と壊れた“裏”家族たちが不気味。
手を繋いだ顔の見えない4人の姿や、いたぶる
ように淡々と主人公一家を責め立てる様が怖い。
エリザベス・モスの、作り物のような笑顔
のまま自分の顔を切り裂く様も気味悪かった。
ジャンプスケア(突然の出現や音でビビらす演出)
に安直に頼らず、場違いな表情や姿勢で異様さを
与えることで観客を恐怖させようとする演出も好み。
密室型のミニマムなスリラーかと思いきや、
舞台を次々変えながら展開していき、後半からは
終末SFスリラーみたいなスケールの話にシフト。
そのため全体的にちょっと散漫な印象は受けたが、
終盤の無機質で広大な地下空間やたくさんのウサギ、
バレエなど、奇妙に組み合わせた舞台やアイテムに
よって最後まで不条理な怖さが持続する。
...
『ゲットアウト』がテーマ性の高いスリラーだった
こともあり、今回のタイトル『Us』も初めから
額面通りの“Us(我々自身)”では無さそうだと
踏んで鑑賞していたが、果たして多分に含みを
持たせた内容だったと思う。
幸せな主人公一家VS不遇な侵略者一家。
本質的に全く同じ人間だとしても、育つ環境が
違えば人間としての性質は変わってくるはずで、
特に最初から入れ替えられていた主人公2人は
『劣悪な環境に置かれ続ければ出自がどうあれ
心が壊れてしまう/元から心が壊れていても
恵まれた環境で育てば人間性を取り戻せる』
ということを分かり易く示したものだろう。
“持たざる者”が“持つ者”に敵愾心を抱くのは世の常で、
おまけに“持つ者”が自分と姿形の似た人間ならば、
「私はこんなに不幸なのにどうしてお前だけ」
と真っ赤な憎悪を抱くのはなお不思議ではない。
一方、劣悪な地下世界とそこにいる自分自身の存在
を知りつつもその事実を忘れることで逃げ続けた
“表”の主人公は、自分の幸せを守るため、他者の
不幸を見て見ぬふりし続けていたということになる。
貧困層が抱く憎悪。
富裕層・中流層の無関心あるいは逃避。
『US』とは『これがUS(United States)
の現状だ』という主張なのかと思ったが、
日本に住む自分にも無縁な話でないのが悲しい。
自分の今の生活を守るのに手一杯で、他人の不幸
から目を背けたいと考えてしまう後ろめたさ。
また、映画の中で象徴的に描かれていた、
米西海岸から東海岸までをつなぐ赤い侵略者だが、
冒頭のアトラクションにでかでかと描かれた先住民
との連想から、『他者から奪うことで繋がってきた
国家』としてのUS(United States)という
イメージが浮かぶのは短絡的過ぎるかしら。
...
不条理なスリラーとして楽しませつつ、
「“地下層”の人々は我々と本質的に同じ人間だ、
人間同士助け合うのが真のUSじゃないのか?」
というメッセージも感じ取れる作品でした。
ただ、メッセージ性先行で考えながら
観ちゃったせいか、どうもスマートに
作り込まれ過ぎた映画と感じてしまい、
今一歩物語に入り込みきれなかった自分も
いる……(レビューにあんまり熱がこもって
ないと感じられたなら多分その辺が理由です)。
観て損ナシの作品だとは思います。3.5判定で。
.
.
.
.
長い余談:
以下はレビュー後に見つけた、パンフレット
内の情報やその他関連しそうな情報の抜粋。
・映画冒頭で流れる『ハンズ・アクロス・アメリカ』
は、ホームレス等の社会的弱者を救済する目的で
実際に行われた慈善イベントだそうな。
15ドルを団体に支払って自分が立つ場所を指定
してもらい、集まった人々どうしで手を繋いで
米西海岸から東海岸までを繋ぐというもの。
結果的にラインは繋がらなかったそうだが、
『参加者が平均1.2m離れてルートに沿って広がって
いれば、48州で切れ目なくラインが完成したはず』
ともされているので結構な参加者はいたらしい。
集金額3400万ドル、運用コストを差っ引いて
実際に支給された額は1500万ドル。
映画の赤いラインは与える者ではなく奪う者が
形成したラインという皮肉になってた訳かしら。
・監督いわく、ウサギは『不思議の国のアリス』
からの地下のイメージとイースターエッグ
(救世主の復活=“裏”主人公)のイメージ
から来ているとのこと。
・監督いわく、ハサミは日常品/凶器の対比。
2つの部品で成り立つものという連想から。
・旧約聖書エレミヤ書11章11節は、
自分の信仰に背き続けたユダ王国の民に対して
「国を滅ぼすぞ」と激おこ状態の神様の言葉。
”それゆえ主はこう言われる
見よ、わたしは彼らに災いを下す
彼らはこれを逃れることはできない
わたしに助けを求めて叫んでも、
わたしはそれを聞き入れない”
エレミヤが広めようとしたその神の預言を
ユダ王国の人々は楽観視し続け、エレミヤを
非難したが、王国はその後、北方の国バビロニア
に征服され、多くの民がバビロニアに捕囚された
(バビロン捕囚)。
本作との関連は僕にはイマイチ読めないが、
『神の教えに従って善良に生きねばいずれ
国が滅ぶぞ』ということを言いたかったとかかね。
独特であり奥が深い
ゲットアウトの監督ジョーダン・ピールの最新作の映画という事で映画館まで見に行った。今回もまたやはり考えが独特な雰囲気が第一印象に。そして不気味で怖さもある。だが、最後のあれだけはなんかモヤモヤした感じで...なんか不思議な作品だったなぁと感じたと同時に好き嫌い別れる作品かもとも思った。
ごめんなさい。いまいち。
自分の中にもう一人別人格の自分がいて、眠っているときに、何かしてるんじゃないかとか、別に自分とそっくりな人間がいたらどうしようとか、考えて怖くなったことがある。
前者は、解離性同一障害への恐怖、後者は、パラレルワールドがあるのではないかとといったSFの読みすぎによるものだったりする。
なんかこの映画は、少し哲学的なところをターゲットにしつつ、登場する家族は、皆が独りよがりで、助言など聞く気のないとか、ありふれてて、バランスが非常に悪い。
なんか、妙なところが、ひねりすぎ。
US=アメリカ
前作ゲット・アウトと比較してしまうのは仕方ないのですが、今回はいかんせん、結末は予想できてしまいます。
ある程度映画を観ている方なら、序盤で何となく想像がつくかと。
つまり、この映画はどんでん返しを楽しむ映画ではないのです。
自分と同じように見た目でありながら、明らかに人間離れした行動をし、目的は分からないのにニタニタと笑いながらハサミを持って襲ってくる。
得体の知れない理不尽な恐怖は、不穏な音楽と相まって素晴らしかったです。
相変わらず、観客の神経を逆撫でするのが上手(誉めてます)
物語が進むにつれ、監督が伝えようとする違和感の正体が分かり、それにゾッとします。
ホラーではなく、人間の本質の怖さであったことに気づきます。
アメリカという国が見て見ぬふりをしてきた部分。
映画では◯◯ですが、現実には貧困です。貧困層は、声を持たない。伝える術がなく、教育も受けられずに追いやられている。
そして、持てる者は、自分が脅かされると、途端に善人の化けの皮が剥がれ、相手を全力で叩き潰す。自分たちが加害者(=侵略者)である事実には目を伏せて。(終盤にその場面があります)
善人のように振る舞っていても、それは自分たちが常に優位だから。
それが脅かされれば、どんな手段でも使う。
それが、アメリカだと。
監督の痛烈なメッセージが込められていると感じました。
奇跡の家族
1986年サンタクルーズの遊園地で不思議な体験をしトラウマを抱えた少女が大人になり、家族4人で訪れた同地で再び恐怖に見舞われる話。
突然現れた自分達家族とそっくりな人物達によるプレッシャーはスリリングだし、ミステリアスだし、ホラーだし、そこそこ盛り上がるのだけれど、そこにはなぜ?どういうこと?という疑問がついて回る内容になっている。
正体とか状況の説明がされるとその設定はまあ良いとして、ご都合主義というか支離滅裂というか、だとしてもこの結果にならないよね?と、ストーリーの筋が通っていない感じ。
大オチも予想を超えてくる程ではないし、やはりだとしたら言ってることに矛盾があるし。
もうちょい練って設定つくるか、グチャグチャに入り乱れさせる展開だったらね。
ちなみに、前半でエレミヤ書11章11節が強調されているけど良くわからず、鑑賞後調べてみたけどやっぱりこのストーリーとの関係は良くわからず…一般的な人間社会のこと言ってるのか?
全260件中、221~240件目を表示