アスのレビュー・感想・評価
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とにかくすごかった!
もしある日、自分と同じ顔をした人間が
ハサミを持って現れ自分に襲いかかってきたら
…。
自分が自分を殺しにきた。
「ゲット・アウト」のジョーダン・ピール監督
が放つ「Usアス」は最初から心を鷲掴みにされた。2019年の衝撃的な作品であることは間違いない!
夫と妻に娘と息子の4人。
それぞれ同じ顔をした4人に襲われます。
内容少しでも詳しく書いてしまうと
ネタバレになってしまう。 ラストの場面はあっと
驚かされた。
あの最初の場面から全ては始まったいた
とわかったときの衝撃はたまらなかった。
これが映画の醍醐味だなと思う。
全て俳優さんたちは「殺しにくる凶暴な役」と
「襲われて怯える役」の二役を演じている。
これがまた素晴らしい!
また音楽が不気味で雰囲気が出ている。
ハサミ・うさぎ・赤い服・バレエ…
色々な小物も重要なピースです。
ちょっと難しくて意味が
理解できない部分もあったけど
それを忘れさせてくれるドキドキ感がありました。
ホラーといってもサスペンス寄り(?)なので
ホラー苦手な人も楽しめるはず!
Usアス観た人と語りたい!
そんなUsアスは絶対観てほしい!
なんか懐かしい感じ
単純なホラー映画では無いと思っていたが、予想外のテイスト。設定はゾンビ映画の構成だけど、不条理感たっぷり。という内容なので、物語に納得感や爽快感は無いものの、雰囲気は楽しめた。
「なんでそうなの?」と言う疑問が沸きながらも、ストーリー自体はそれなりに完結していて「彼らはあなたの隣にいるかもしれない」とか「地球の害虫は我々かもしれない」などと言った意味深な言葉で煽って終わる系のあのパターン。ウルトラQとか、トワイライトゾーンとかを思い出していただければと思う。
深い意味はいろいろあるのかもしれないので、そこまで意味を見出すべく調べて楽しむのもよし、表面を捉えて映像や展開を楽しむもよしなのでしょう。
そういう話なので、エヴァンゲリオン的な楽しみ方は出来そうだが、自分としては宗教的な部分や米国の深層みたいなところに立ち入る興味までは湧かなかった。また、表面的な部分もあまり目新しいものもなく、入り込むだけのパワーも感じず、ちょっと中途半端な印象だったかな。悪い映画では無いと思うけど、皆に勧められるものでも無いですかね。
結果より過程を楽しむ
終盤あたりまで、
話のスケールがどんどん大きくなっていくのを「この不可解な現象に何かしらの決着がつくのだろう」とワクワクしっぱなしだった。
「目的は何か」みたいな台詞も何度もあったから、何か凄い目的があると思うじゃない。
そういう謎のひっぱり方とサスペンスの作り方が上手だから楽しく観ることができたんだと思う。
で、いろいろネタバラシがあると、
なんだかいろいろガバガバで目的もよく分からない。
最後のドンデン返しも、確かにドンデン返ってはいるが「だからアソコはあーだったのか!!」っていう爽快感が案外なくて、そういう意味で脚本がイマイチなのかなー。
と、観た後モヤモヤが凄い残るけど、こういう映画は嫌いではない。
こういう大ネタが最後にあるミステリーって、「予想通りだったからダメー」ってよく言われるし、そう言う人に限って予想が外れると「思ってたのと違うからダメー」とか言ったりして、結構評価が下がったりするけど、こういう映画もっと配給してほしいな。
得物はハサミ
キック・アスのアスではありません
不気味な演出は健在!
地下トンネルに潜む謎のクローン達 ネタは色々と良かったと思います。ただ前回の『ゲット・アウト』と比べると地下人間の行動など意味が解らない点(手つなぎによる人間鎖等)が多かったりストーリーのテンポが悪いのか、すごく観辛く感じました。
劇伴の音楽は今回も不気味さがよく出てて良かったです。
☆☆☆★★★ 地下世界の反乱 自分が自分を殺しに来る よくRPGで...
☆☆☆★★★
地下世界の反乱
自分が自分を殺しに来る
よくRPGで。もう一つの世界が存在していたら?…と言った、世界観のゲームが多くある。
この作品は、そんな世界が実際に存在し。尚且つ、陽の当たらない場所にいる自分が。表社会にいる自分を《いつの日か殺したい!》と考え。ある日本当に実行しに来る…とゆうホラームービー。
とにかく気味が悪い事この上ない。
自分1人だけでなく、自分がファミリーを伴って自分自身を殺しに来るのだからヽ( ̄д ̄;)ノ
その殺しの道具として携えて来る道具が、ヒッチコックファンならばお馴染みの【アレ】
何しろ【アレ】ですから(@_@) その鋭さ・痛さを感覚的に知る人は多く。単なる拳銃と違い、観ていても怖さは倍増する。
金属○ッ○と併せて。この辺りの演出力で、観客に恐怖心を煽りグイグイと引っ張って行く。
ただ、反面作品中盤で。〝隣人〟側の人間に襲われたり。その〝隣人〟は、自分が真綿で首を絞められる如くにいたぶられるのに対して。一瞬で殺そうとしたり。また、集団で現れたり…と。この作品に於けるホラー的なルールからは果たしてどうなのか?…と、ほんのちょっとだけ疑問も感じた。
その辺りは。最後の最後に【自分】から説明がなされていて。子供時代のバ○エ経験が、突如挿入され。奇妙な映像と併せた恐怖感を醸し出してはいたが…。
それともう一つ。ラストの展開には一捻りあるのだが。
《恐怖を植え付けられた者》と《恐怖を与えた者》
その隔たりにはほんの小さな隙間しかなかったのだった。
だが…。
《与えた者》が、結果的に実は! …的だったのは反則と言うか、ちょっとおかしくない?…かなあ〜。
などとグダグダ言いつつ、とっても面白いホラームービーでした。
作品を盛り上げる、効果的な劇伴も良し。
2019年9月8日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン1
クローンとは直ぐに分かるし
予告編以上のものはなかった
終盤の問題点。
序盤中盤のゾワゾワ・ハラハラ・ドキドキ感はとっても楽しかった!!
加えて「コワいニヤニヤ感」も良かったし、それがいちばん良かった。
「コワいニヤニヤ感」っていうのは、ホラー映画のオバケなりモンスターなりが、「ちょっとヘンで、間抜けな感じでニヤニヤしちゃうけど、それがかえって不気味でコワいという感覚」っていう感じかな。
例えば『イット・フォローズ』で追いかけてくる奴は、全裸でどことなく間抜けなのが気味悪かったし、『へレディタリー継承』のヤマ場の諸々も、テンション高すぎなのがちょっと面白くて、それが異様なコワさだった。
死霊館シリーズに出てくるような「いかにも悪霊!」というオバケとか、数多のゾンビ映画とかに出てくるような「いかにもグログロ!」というコワさは、“慣れと工夫のイタチごっこ”なところもあるような気がするので、そういうショック演出やゴア描写のインフレでない方向での「異様なコワさ、不可思議な不気味さ」みたいのを追求するホラー映画は好感。
本作については↑このカットの異様さ、不気味さだけでもう充分満足。
夜、家の外で、自分たちにそっくりな家族連れが、無言で並んで立ってる。
イヤー!!コワいコワい!!!
いったん家の中に戻って、家族と対策を話す。お父さんはちょっと状況をナメてる。キツく注意すれば追い払えるだろうと思ってる。で、もう一回家の外に出る。そしたらその家族連れはまだ同じ体勢で、無言で並んで立ってる。
いやぁ、この感じ。この感じがいちばん不気味でコワくて、つまりこの映画のいちばん楽しいところだった。
ホラー映画って、敵役の目的や能力の「わからなさ」がいちばんコワいんだよね。
白ニョンゴ家族と赤ニョンゴ家族が対面して、本作の敵役「赤い人たち」の目的なりスペック(強さや残虐さ等)が理解できてくると、ホラー映画としてのコワさが減っていく代わりに、サバイバルアクションとか、バトル映画としての面白さに移行していくのはお約束。
赤ニョンゴのギョロ目でカクカクした動きの演技とか観てて楽しかったし、その他の「赤い人たち」も、そこはかとなく頭悪くて、白ニョンゴ家族からのヤラレっぷりが面白かったし、物悲しかったりもした。
明らかに笑っちゃうところもあるし、赤ニョンゴVS白ニョンゴの対決も、赤ニョンゴの動きが面白くて良かった。
終盤は、「赤い人たち」についての設定や説明が雑すぎて、それくらいだったら語らないでわからないままの方が不気味で良かったと思う。
ラストの大オチというか、「どんでん返し」としての仕掛けも、僕個人的には「びっくり」がなかった。
途中でだいたいわかっちゃうということとは別にしても、その「どんでん返し」が別にどんでん返しになってない気がする。
「実は白ニョンゴこそが、クローンなのでした!!」
ということなんだけど、そのことが別に不都合じゃない。
白ニョンゴは「生まれ」は荒んだ地下のクローンなんだけど、「育ち」は、ちゃんと人としての人生を生き、結婚をし、子を産み、育ててる。白ニョンゴ家族にとってはこれまでもこれからも実の母親だし、良き妻だ。自分がクローン生まれだと知ったことによって、今後「闇落ち」するなんて予感させる演出もなかった。
物語上、白ニョンゴに感情移入してきた観客が、白ニョンゴの「生まれ」がクローンだったからといって裏切られた気持ちにはならないと思うし、赤ニョンゴに対して「ホントはちゃんとした地上人の家庭に生まれてきたのに、人生を奪われて地下に閉じ込められてかわいそう!」と観客に思わせるほど赤ニョンゴを繊細に描写もしていない。
「もしかしたら地上人であるあなたの人生も、子供の頃クローンと入れ替わられているかもよ?」という怖い話だとしても、今この僕や観客は地上人として生きている側なので不都合がないし、
「もしかしたらいつかドッペルゲンガーが現れて、あなたの人生を奪われてしまうかもよ?」という怖い話だったとしても、だったらそれにしては「赤い人たち」が弱くて恐怖にならない。
ロジックだけがどんでん返っているに過ぎない。
そういう終盤だったように思う。
とはいえ、ホラーエンタメ映画としては充分楽しめた。
「赤い人たち」が現実社会に対して何を象徴しているのか?とか考える余地はありそうだけど、そこまで深堀りしたい気持ちにはならなかった。
圧倒的に面白い
サイコホラーのニューエイジ
古典的な要素だけではなく、実験的な部分も多分に含まれる本作。ルピタニョンゴの表側と裏側の顔はまさに別人である。
ホラー=恐怖で支配する
という構図はオールドファッションになりつつある。
もはや現代の世相を映し出す、アンダーグラウンドに生きる人間が有産階級に立ち向かうリアリティショーにも見えてくる。
ラストシーンは非常に独創的で、コンテンポラリーホラーアートとも言うべき表現方法が実に魅力的だ。
冒頭の前振り、80年代のCM、原理主義者、エレミヤ書11章11節、謎のウサギたち、手品のライター。点と点が緩やかに線になっていく様子も面白い。
どんでん返しというほどの衝撃はないものの、
あらゆる要素を上手く取り入れた秀作ではなかろうか。
ホラーという非現実なジャンルにおいて、
設定が理解できないだの辻褄が合わないだの、安っぽい正論を振りかざすオーディエンスは無視して、その世界観を純粋に楽しんでほしい。
力み過ぎ。
ホラー映画なんだけど
雰囲気で乗り切った
ジョーダンピールの好きそうな設定。これから窓の外見るとき勇気いるよね。ルピタの演技もうまいし、ちょっととぼけた旦那も◎ (ブラックパンサーチーム) ゲットアウトみたいに何度も見たら、あー!みたいな伏線があるのかも。実は他にもシャドーが⁈ 考えすぎ⁇
星が少ないのは、やはりゲットアウトと比べると…ってことで。
建前と本音の話?(自己解釈)
面白い映画でした。伝えたいこと、表現したいことなど様々なものが織り込まれているのだろうとも感じました。エレミヤ書といったキリスト教やアメリカの過去の貧困問題がでてきたり、それらに疎い日本人はどこまでこの映画について理解できるのでしょうか。
見ていて気になったところ、自分でかってに考えたことを箇条書で書きます。
長くなりました。一番書きたいのは最後の「建前と本音」なので、飛ばして読んで下さい。
■レッド(アデレードのドッペルゲンガー)の知能性
他の赤い服をきたドッペルゲンガーと比べて、言語になっていないうめき声だったり無口であるためかジェスチャーで行動を指示されていたのに対して、しっかりとした言語をレッドだけが話すことができていました。また、下の世界と上の世界の現状を比較できていたりなど、一人だけ高い知能を持っていたことがわかります。アデレードがレッドを追い詰めていく終盤の場面で、アデレードはまるで獣みたいな人間的でない動きになっていくが、レッドは、ロボットのような規正のとれた動きやたまにバレエのような動きをし続けているため、互いの役割が入れ違ったような印象をうけます。これらはオチを予想する手がかりにもなるし、実際オチを見れば、なぜ、他のドッペルゲンガと違うのか分かると思います。
■エレミヤ書11章11節
「それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。」というのが、内容らしく キリスト教徒でないわたしは映画を見終わっても何が言いたいのかよく分かりません。
■貧困
この映画は、貧困問題について描かれていると感じました。そもそも、下とか上とかいっている時点でヒエラルキーが存在していると考えることができます。映画内でも、貧困層を救済のための「ハンズ・アクロス・アメリカ」が序盤に流れ、嫌でもその考えになると思います。下の世界と上の世界を貧困層と富裕層に分けることができると思います。また、アデレードのいる世界でもヒエラルキーが存在していて友人のタイラー一家が上位でアデレードの家族が下位であることが分かります。簡単にまとめると上からタイラー一家、アデレードの家族、そしてレッド率いるドッペルゲンガーの順になり、アデレードは中間層にいることが分かります。
ここからは、偏見混じりになります。富裕層は、寄付やチャリティーなどは行うが実際の下層の現状を理解していない層だと思います。アグネス・チャンが寄付した時に撮られた豪邸の写真などがいい例だと思います。中間層は好んで貧困になろうとはせず、むしろより上位になりたいか同じ層にいても他人よりも上位にいたい層だと思います。貧困層について、日本の場合、声にならない声で救済を求めていたり、教育を受けていないから助けを求める方法を知らなかったり、そういう立場にいる人は障害者が多いというイメージが私自身勝手にあります。
アメリカでの貧困に対してのイメージがどのようなものか知りませんが、私自身のイメージが映画内では良くマッチされている表現になっていると思います。例えば、声にならない声で救済を求める行為をドッペルゲンガーの言語になっていないうめき声や無口で表現したり、障害者の一種である聴覚障害に対しては指示するジェスチャーを手話とも捉えることができます。また、教育を受けていないことについては、うめき声が言語になっていないことや、息子のドッペルゲンガーであるプルートが本能のまま生きる動物のような4足歩行であったり、炎による口元のやけど(炎は危ないと動物、人間ともに知っているが人間は自在に使うことができる)などで表現できていると感じました。
ここで、都合よくカイジの映画ででてきEカード(トランプゲームの大富豪でも可)を思い出してみましょう。登場するのは、王様、民衆、大貧民です。パワーバランスはそのままですが、大貧民は失うものがないから権力や富をもつ王様より強いというものです。「us」でもこのパワーバランスをうまいこと取り入れているように感じました。タイラー一家の奥さんは目を整形したことをアデレードに褒めてくれましたが、アデレードには整形は必要ないと本意なのか馬鹿にしているのかわかりませんが言いました。また、新車を見せてけてくるとアデレードの夫が言うなどタイラー一家があでアデレードの家族よりも上でしたがドッペルゲンガーに抵抗すらできずに殺されていました。アデレードの家族は、タイラー一家と仲良くしますがドッペルゲンガーに対して対抗し、最後にはレッドを殺しました。
■建て前と本音
もしかすると、この映画はアデレード対レッド、つまりは建て前と本音のようなものを描いた作品かもしれないとその対立だけでみるとそう感じました。よくある話で、自分の心の奥深くにはどす黒いもう一人の自分がいて、それと仲良くなり、パワーアップしたり成長したりなどいったものがあると思います。しかし、今回はこの映画では仲良く出来なかった話なのではないでしょうか。よくある話では、もう一人の自分は自分と瓜二つの姿(ドッペルゲンガー)が多いということは言うまでもないと思います。
では、その建て前と本音とはなにかになりますが、それはエゴと人を救おうとする心だと思います。アデレードはレッドを殺してしまいますが、先ほどの貧困に絡めて言い換えれば中間層による貧困層への誹謗中傷になると思います。私たちは建て前か本音かは知りませんが弱者を救うことが正しいことだとわかっています。しかし、私たちは手を差し伸べる側にいても、そうしないことがあるとおもいます。あなたは、ホームレス全員に対して食料や住居を提供することができますか?むしろ、その逆で、建て前は「かわいそうだな、助けないといけない」と感じていも、本音は「ホームレスじゃなくてよかった」と思っていませんか。そして、自分は弱者と思われたくないから弱者を無理やり見つけ出して誹謗中傷にしていませんか。レッド率いる貧困の人々を救う心をもつ本音側であるドッペルゲンガー集団は「ハンズ・アクロス・アメリカ」をします。
私は、クリスチャンでも人権について活動しているわけでもないですが、キング牧師の好きな言葉に「最大の悲劇は悪人の圧制や暴力ではなく、善人の沈黙である」があります。これをもとに言い換えると「最大の悲劇はエゴによる弱者への誹謗中傷ではなく、人を救おうとする心の沈黙である」になります。アデレードはレッドを殺しますが、それはエゴが本音を凌駕することを意味し、人々の助け合いによる美徳の崩壊という恐怖をも描いた映画だと過大解釈のしすぎかもしれませんが思いました。そして、現在ではそれが普遍化していると思います。エゴが本音を凌駕することを当たり前だと思っている集団こそが私達(us)であり、その恐怖を描こうとしたのではないでしょうか。
まだ、考えればまだまだ出てきそうですが長くなりそうなのでここで終わりたいと思います。今でも結構長いと思います。過大解釈がほとんどですが、読んで下さってありがとうございます。
「ハンズ・アクロス・アメリカ」という設定がすでにコメディーやん
「ゲット・アウト」があまりにも面白かったので観る前の期待値が高くなりすぎてしまった。本人が言うように決して大作を撮る監督ではないし、ちょっとしたアイデアのどちらかといえばB級テイストコメディホラーである。そして困ったことに「コメディ」という先入観が強すぎて「怖い部分」を正しく怖がることができなくなってしまっているのだ(あくまで私は)。しかしテーマはやはり「アンチトランプアメリカ」であり、格差社会と移民差別そして何より黒人差別社会への異議申し立てが前作にも増して鮮明に、ストレートに表出されている。それはそうだろうなと。「白人社会への怨みの深さ」は映画何本作っても言い足りないだろうなと想像出来る。いけ好かない白人上流一家を「悪役のそっくりさん」という設定(映画的大義名分)を借りて、やりたい放題打ちのめすシーンがおそらくは一番撮りたかったのではなかろうか。それはタランティーノが「正義」の名の下に自身の変態性を正当化しているのに似ている。
全268件中、221~240件目を表示