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作品をあまりにも懇切丁寧に説明しすぎるのは、鼻白むものだ。しかし、説明不足がすぎると、せっかくの「仕掛け」が意味不明になり、観客は困惑するだろう。
本作で、最も観客を困惑させるであろう設定は、ドテ子の性的奔放と、人間以外の動物(シマウマ)との性交を想像しないと感じないというものではないか。この謎は、坊や哲が「ママ」と慕う矢代ゆきとの肉体関係を拒絶されていることがヒントとなる。
推測だが、おそらくドテ子は幼少期から思春期にかけて、実父(or継父)から性的虐待を受けていたのではないか。そのトラウマにより、生身の男との性的関係を持てなくなった。
また、坊や哲は、父親との間に深刻な対立があったのではないか。その憎悪は、母親への強烈な思慕となって表れた。いわゆるエディプス・コンプレックスの強化だ。だが、母との性的関係はインセスト・タブーに触れる。
つまり、ドテ子は父からインセスト・タブーを侵され、一方、坊や哲はインセスト・タブーに拘束され、母との性的関係を断念せざるを得ず苦悩している。それが、片や性的奔放と性への嫌悪として、片や「ママ」を投影できる女への執着として表れている。
だから、坊や哲とドテ子の関係の成就は、インセスト・タブーをめぐる苦悩とトラウマの克服のドラマを通してなされる。坊や哲が元いた1945年に戻るクライマックスに、ドテ子が嘔吐を催さず哲とキスするシーンがあるのは、このモチーフの重要さを印象づける。
さて、アジア・太平洋戦争に続き、日本は再び戦争をし、敗北したという設定になっている。その影響で、2020年の東京オリンピックは中止された。この戦争の「敵国」はどこだったのか。クソ丸がヒントになるセリフを言っている。米軍基地が壊滅した、と。おそらくそれは中国だということだろう。にもかかわらず、麻雀五輪に湧く日本。徹底したケツなめぶりだ。
先の敗戦と占領により、日本はアメリカにレイプされた、というメタファーは可能だろうか。ならば、この新たな大戦で、再び中国になぶりものにされたと言えるだろう。そしてまた隷従がはじまったのだ。
ミクロで、坊や哲とドテ子のインセスト・タブーの克服のドラマを描き、マクロでレイプされた日本のどうしようもないダメさを見せつける。この対照をもう少しわかりやすく説明してくれれば、本作への「誤解」に基づく酷評も減るだろう。