母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。のレビュー・感想・評価
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感動的なストーリー、ではあるが
「君の膵臓をたべたい」という青春小説の映画化作品があったが、こちらは宮川サトシが実体験をつづった漫画に基づく家族劇。最愛の母の遺骨を体内に取り込み、自身の一部として存在を一生感じ続けたいという気持ちは、共感できるかどうはともかく理屈としてわかる。ただ、感動的なのはその部分より、むしろ母の強く深い愛。病弱でたびたび試練を迎える息子に、遠い先まで幸せに生きてほしいとの願いから、できることは何だってやる絶対の愛だ。愛をたっぷり注がれ育った息子も、やはり情緒豊かな大人になるということか。
ただ、大森立嗣監督の映画としては物足りなかったのも正直なところ。原作の細かなエピソードまで拾おうとしたせいか、やけに台詞やナレーションで説明されるだけの話や過去の出来事が多いのだ。監督自身が書いた脚本、練り込みが足りなかったのでは。ストーリーが良いだけに惜しい。浜辺の男たちのシーンも素晴らしかったし。
若松孝二監督の映画に〇骨を食べる話があったが、ちょっと、人物設定が...
若松孝二監督の映画に〇骨を食べる話があったが、ちょっと、人物設定が違う。マザーコンプレックスを通り越して、カニバリズムかインセストもどきになっている。親の死ぐらいで、アドレナリン出しまくっていては疲れる話だ。
『お袋』って表現。なんか生々しいと感じるが、僕の『お袋』がそんな話をしていた。と言うよりも『お袋ってなんだい?』って我が母から聞かれた事がある。
また、孫が出来た亡父に『爺さん』って呼びかけたら『俺はお前の祖父でない』って言われた。
昭和六年生まれの叔父が良く言っていた。
『ちっとした事で泣き喚くのは、本当の悲しい出来事に対処出来なくなるし、切れやすい日本人が淘汰すべき習慣』だと言っていた。“僕も同感である“
昭和6年の叔父も昭和5年の亡父も戦争による死を沢山見てきた。不謹慎な表現になるかもしれないが、個別に悲しんでいられなかった。と彼らは語っていた。
小名木川や上野地下道には無縁仏が沢山あったらしい。
冥福をお祈りする。
死にはエネルギーがある
久しぶりに映画鑑賞したら、賠償さんと安田顕さんの演技に泣かされた。
死のイメージって、悲しい、寂しい、空虚感など、ひたすらネガティブなものしか無かったけれど、映画の中でサトシが未だ見ぬ我が子への手紙に、死にはエネルギーがあると書いたのを見て、新しい!!と感じた。
本作は、宮川サトシさん御本人の実話を原作に作られているが、大好きな母親がある日癌になり、その闘病生活〜亡くなる瞬間までをしっかりと描く。
サトシさんは二人兄弟の下。甘えん坊で泣き虫で、お調子者。The末っ子なサトシくんが私には可愛く思えた。
賠償さん演じる母、明子はそんな末っ子サトシを心から愛し、死ぬまでも、死んでからもその愛はサトシだけでなく、夫、兄、サトシの妻、みんなへと注がれていることがよく分かる。
大好きなお母さんが病気になる、治らない、死を受け入れる準備をする、死んでしまう。どのステージにもその都度心の葛藤が描かれ、その度にギュッと心がつかまれる。
泣き虫なサトシの泣き顔が、情けないんだけど、そりゃそうよね、お母さんが死んじゃうかもしれないんだもんねってものすごく共感。
ただ、この映画、サトシのお調子者具合いもちょいちょいあって。シリアスな場面でもお笑い要素が。がん細胞が脳に転移したのも、「移転」って言っちゃうし。妻をなくした夫(石橋蓮司)が寂しさのあまり、酒浸りになって庭で肉を持って寝転ぶし(案の定、庭は荒れ放題)、父と末っ子がよく似てて泣き虫だし、兄貴がお母さんに似てドンとしてるかと思いきや、やっぱりこちらも父さん似だとか(笑)
タイトルは、君の膵臓をたべたいのパクリみたいだけど、まぁ、そこは敢えておいておいて。亡くなって形はそこに無いとしても、その人からもらった愛情、命、絆などなど、大切なものは自分が生きているだけでこの世にあるんだってこと。
登場人物の女性陣が凛としてるからか、余計に男性の弱さが引き立つ。
そんなところも私はこの作品の好きなところ。
死に向かって生きている人たちを描くと、同じようなテイストになってしまうんだと思う。 それは残された人たちはそのことに対して何もできないからだと思う。
動画配信で映画「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」を見た。
劇場公開日 2019年2月22日
2019年製作/108分/G/日本
配給:アスミック・エース
安田顕46才
松下奈緒34才
村上淳46才
石橋蓮司78才
倍賞美津子73才
倍賞美津子はステージ4の癌で余命数年と宣告された。
安田顕はそのマザコンの息子。
松下奈緒は安田顕の恋人。
序盤は安田顕の生い立ちが描かれる。
中盤は倍賞美津子の闘病生活に関する描写。
終盤は倍賞美津子が亡くなった後の家族に関して。
人間の余命に関する映画は少なくない。
「象の背中」
「死ぬまでにしたい10のこと」
「ボクは坊さん。」
「泣くな赤鬼」
オレはこの2カ月半で人間の余命に関する映画を4本見ていた。
死に向かって生きている人たちを描くと、同じようなテイストになってしまうんだと思う。
それは残された人たちはそのことに対して何もできないからだと思う。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
男にとって母の存在は
主人公(安田顕)は独身で、塾の講師をしながら漫画家を志している。
母(倍賞美津子)がガン宣告を受け、主人公は大きなショックを受ける。
主人公にとっては絶対的ともいえる母の存在が、突然消えるのは辛いが仕方がない。
WOWOWシネマにて。 何度泣いたか分からない。 親の死に向き合う...
WOWOWシネマにて。
何度泣いたか分からない。
親の死に向き合うこと、受け入れること。
相手の気持ちを考える。伝えたいことは伝える。
当人だって死にたくはない。
しかし衰えていく身体に自分の死を受け入れていかねばならない。
そうなった時、家族はどう向き合い支えていったらよいか。
誰にでもやってくる親の死に対して色々考えさせられた。
自分がその時を迎え寂しさにやり切れなくなった時は、必ずこの映画を観たいと思った。
お母さんの息子への愛の贈り物が本当に素敵で最後の最後まで号泣。
さっさん(サトシ)を懸命に支える恋人の真里さんも素敵。
寂しさの感情を爆発させる家族3人のシーンもよかった。
終盤でサトシが手紙に綴った言葉がとても素敵です。
また ふと思い出した時に観たい映画です。
何故かちょっと涙が出てしまう!
ず〜っと元気だと思っていた母親!
いつまでも親に甘えていて、迷惑をかけ続けていた40代の息子...
それがいきなり母親が、この世からいなくなることを知って動揺する!
そして現実を受け入れられない哀しい中年男の悲哀を描いた、泣かせる映画!
ぜひ見てください。
ここまで母親べったりの男って大丈夫か?と思ったが、徐々に引きずり込まれた作品
倍賞美津子さん演じるサトシ(安田顕)の母親・明子のキャラクターが鬱陶しいほど、濃い。
又、その母親に頭が上がらないサトシとこんな情けない奴のどこが良いの?と思った恋人(後、妻)のマスミ(松下奈緒)の姿に違和感を抱きつつ、観進める。
明子が亡くなった後、残された家族で海辺(舞台の場所が大垣なので湖?)に入るシーンも良く分からない。
大森監督、又錯綜しているなあと思ったら、亡き母が息子の事を想い遺しておいたモノが明らかになったシーンにはやられた。
<2019年3月4日 劇場にて鑑賞>
ウチのカレーが一番なんだからッ!!
《まだ見ぬ我が子へ》宛てた手紙は
子供の頃の自分自身にも宛てたものであると同時に
今まで母に甘えていた自分と決別して前を向いて
生きていこうという決意表明である…
と、わたしは受け止めました。
そもそも、ヤスケンさん演じるサトシのモノローグが
一体誰に向けられて語られているか?受け止め方で
作品に対する印象が変わるかもしれません。
さて本作『母を亡くした時、
僕は遺骨を食べたいと思った。』は、
このタイトルが “ 過去形 ” であるように
母が亡くなってからが本題!
そして、わたしの知っている大森監督らしさが
出てくるのも後半以降。
父、兄、そして主人公である弟、
残された三人〈男たち〉のやり取りが
家族の絆と、亡き母の愛をより明確に映し出す。
家族なら必ず訪れる出来事を通過儀礼として受け入れ
悲しいけれど決して後ろ向きで居続けず
故人から注がれた愛情だったり
向けられた眼差しの奥に込められた想いを
ちゃんと受け止め、そして次の世代に繋げる。
連綿と続く生命のバトン…
生き物は皆、病の種を身に潜ませて生きている。
生の中には、必ず死が潜んでいる。
それでも、そうして生きるしかない。
か細い命の糸を切られてしまわぬように、
懸命に糸を繋ぎ直しながら…
生まれて、消えるまでの間を、
哀しみと喜びで満たしながら…
時に、他者に手をさしのべ、そして、
また、自分も他者の温かい手で救われて、
命の糸を紡いでいくのだ。
──上橋 菜穂子 著 『鹿の王』より抜粋引用
順番通りじゃなくても
早かれ遅かれ生き物はこの世からいなくなる…
でも、“個”が亡くなっても
“集団”であるその種は存続するだろう。
しかし、“個”の繋がりが“集団”である以上
個人(故人)が遺したものはきっと、ほんのわずかでも
種に反映されていると、わたしは信じています。
近年におけるわたしの映画好きを
再燃させてくれた作品、大森 立嗣 監督作品『光』
世間一般、皆さんの評価はイマイチですが
前衛的なその映像、その音楽が
わたしの感性に、どストライク!
ですが前作『日日是好日』も良いお話しでしたが
取り扱ったテーマからして淡々とした印象でした。
そして次回作『タロウのバカ』は
大森 監督が長年暖めてきた作品だそうです。
ぜひとも!評価を気にせず、
意欲的でぶっ飛んだ演出を期待します!
マカロニほうれん荘とハイスクール奇面組
火葬場、通夜、33年前と、目まぐるしく時を逆回転させて、サトシはいつしか万引き少年(推定5歳)となっていた。コンビニ店員が彼を叱りながらも、「あと15分でお母さんが来るからね」と言った途端に到着していた母明子(倍賞美津子)。この田んぼのあぜ道を走る姿が終盤に生きてくるのだ。また、中学生の時に白血病だとわかり、兄の骨髄を移植するエピソードも重要なファクターだ。
あとから生きてくる伏線のために作られたかのような前半のエピソード。正直言って、この前半部分は笑えないし、どこにでもあるような家族の死にまつわる話がメインなためにつまらなく感じた。考えてみれば、イチゴやカレーライスの伏線も引っ張れるだけ引っ張ったあざとさまであったのだ。
そんな自分なりの低評価が徐々に上昇していく後半。なんといっても安田顕の演技力のおかげだ。彼の垂らした鼻水は本物か?CGか?などとも考えてみましたが、ただただその泣きの演技に泣けた。母を亡くすこと、家族を亡くすことで大事なこと。病院で死ぬということは、ある意味幸せなのかもしれない。死ぬ直前までに伝えたい思いを伝えられるのだから。ただ、この作品には死後しばらく経ってから泣かせるエピソードが用意してあり、サトシがお百度参りしたメモ、白血病骨髄移植前の採取など、がつんと泣かされる。
泣き虫というDNAは受け継がれていくものなのか。父も兄もそれほど登場シーンは多くないのですが、海(湖?)でのシーンではやはり泣き虫DNAはあったのだと確信した。父の時は自分が!と、申し出た兄の気持ち。それがサトシを東京に送り出すことで実現しそうな予感。やっぱり兄弟っていいなと思えるエピソードでした。
等身大な主人公
普段は見ないようなジャンルだったけど、安田さんが主演なので、見に行きました。
世代的もの他人事とは思えないストーリーだった。親子の関係を子供のときから別れの時までずっとなぞっていくストーリーは引き込まれた。サトルは決して好きな性格ではないけど、それがまたよかったりした。
「いなくなってしまう前に、思ってることは、ちゃんと伝えないと」っていう言葉を、とても刺さる言葉でした。
ところどころあった滝行や脱ぎっぷりは、普段の安田さんが出ててちょっと笑ってしまった。
倍賞さん安田さん演技力のなせる技
大好きなお母さん、最後の最後にビッグプレゼント、母は偉大です。このようなショッキングな題にしなかった方が良かったのでは。母と男の子からの歴史。男はやはり永遠のマザコンなのでしょうね。食べたいのくだりが良く理解出来ませんでした。
尻上がりに良く思えた映画。
終盤の海のシーン。
兄役の村上淳さんの気持ちがよく理解できます。
両親を失ったとき、ほとんどの方が負うのは、ああいう気持ちではないでしょうか。
共感できました。
そして、ラスト。
子どもの誕生は、親に生きる力を与え、親の死は、子どもに生きる力を与える。
とても良い言葉に出会えました。
誰かの子であること、誰かの親であること
タイトルだけで内容が分かる。
そう、母が死んでしまうお話。
皆がいずれ経験、または既に経験している“悲しい”出来事なんだけれど、鑑賞後はBEGINの心地よい歌とともに少し前向きになれる作品。
過度に演出してるのではなくて、我らが北海道のスター安田顕を中心に実力派俳優陣が醸し出す“自然感““日常感“が、このストーリーを観客皆の“自分ごと”にさせる。倍賞美智子さんが皆んなのお母さんになるのだ。
母と息子の関係って、やっぱり少し特別で。マザコンとかって揶揄される事も多いけれど、個人的には母親を大事にする事って生きるうえで重要な事ベスト3には入ると思っている。
誰かの子どもであること、誰かの親であることは他の誰にも代わりがいない。自分が生まれてきた意味、生かされてる意味を最も強く感じることができる瞬間であるはずだ。
社会人として生きていれば、夢敗れること、思い通りにならないことだらけだ。幼い頃は自分は大人になれば特別な存在になると信じて疑わなかったけれど、現実ではごく普通の社会の一員で、会社の駒となりあくせく働く姿に嫌気がさすことも多いだろう。
時に自分の存在価値や意義を失いそうになるけれど、そんな僕らには必ず親がいる。自分の家族が理想の家族であろうとなかろうと、れっきとした家族だ。家族を大事に生きていくこと、それを全うすることはとても尊いことであり、人生に生きる意味を与えてくれる。
母さんの葬式の時に、笑顔で送り出せるような息子でありたい。
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