蜘蛛の巣を払う女のレビュー・感想・評価
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サスペンスアクションとしてはまあまあの出来
リスベットは女優にとって難しいエキセントリックな役だ。虐待を受けた過去があり、ハッキングや記憶力で並外れた才能を発揮し、痩身でナイフのような鋭さをまとう。男相手に格闘するシーンもある。スウェーデンの三部作のノオミ・ラパス、デヴィッド・フィンチャー監督作のルーニー・マーラはそれぞれ闇を感じさせる鋭さがあり、ヌードも辞さずに熱演した。彼女らに比べると、クレア・フォイには微妙な違和感を禁じえない。「ファーストマン」の良妻のように比較的ノーマルな役の方が向く気がする。
フェデ・アルバレス監督はサスペンス演出に長けていて、リスベットがハッキングやハイテクを駆使して敵の裏をかいたり危機を脱したりする展開で楽しませるが、前作「ドント・ブリーズ」ほどの個性を発揮するまでには至らず。米国では興行も評価も振るわなかったので、続編があるとしても再び監督・キャスト入れ替えになるのではないか。
「ドラゴン・タトゥーの女」がどちらも出来が良かったからだと思う。 リスベットはどちらかというと黒が基調のパンクっぽい容姿で、 カミラはフェミニンな鮮やかな真っ赤な服に身を包んでいる。
動画配信で映画「蜘蛛の巣を払う女」を見た。
2018年製作/115分/PG12/イギリス・ドイツ・スウェーデン・カナダ・アメリカ合作
原題または英題:The Girl in the Spider's Web
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
劇場公開日:2019年1月11日
現代は「The Girl in the Spider's Web」
蜘蛛の巣にいる少女だが、
邦題は「蜘蛛の巣を払う女」となっている。
フェデ・アルバレス監督は知らない。
「エイリアン ロムルス」(2024)の監督らしい。
クレア・フォイも知らない。
「ファースト・マン」(2019)に出ていたらしいが記憶にない。
「ドラゴン・タトゥーの女」は見たことがある。
米国製の映画とスウェーデン製の映画、どちらも見たことがある。
映画の冒頭は双子の十代の姉妹がチェスをしている場面から始まる。
オレはチェスが趣味で毎日世界中の人とオンラインチェスで対戦しているので、
ちょっとわくわくした。
チェスをしている姉妹だったが、父親の部屋に行くように促される。
父親の前に来た姉妹。
リスベットは胸騒ぎがして、
カミラの手を取った。
父親はサディストだった。
リスベットは屋敷から雪が積もる屋外に逃げ出した。
そして、屋敷に戻ることはなかった。
カミラは逃げることができなかった。
成人したリスベットは世の中の傲慢な男たちを懲らしめていた。
虐げられている女性たちを救っていた。
リスベットは、AIの世界的権威バルデル教授から、
図らずも開発してしまった核攻撃プログラムをアメリカ国家安全保障局(NAS)
から取り戻してほしいと頼まれる。
リスベットはそこから、やがてカミラの存在にたどり着き、
カミラが仕かけた罠にはまってしまう。
今回、ミカエルは少し影が薄いと思った。
また各個人の内面をあまり掘り下げていなかった気がする。
「ドラゴン・タトゥーの女」がどちらも出来が良かったからだと思う。
リスベットは黒が基調のパンクっぽい容姿で、
カミラはフェミニンな鮮やかな真っ赤な服に身を包んでいる。
カミラがリスべットに言い放った、
「どうして醜い恰好をしているの?」
というセリフが印象的だった。
脚本ができすぎだとは感じたが、
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
こんな寒々しいところでのアクション◎
特殊な映像記憶能力を持つ天才ハッカーで、パンク風の特異な風貌、そして背中にドラゴンのタトゥーを入れた強烈な個性の持ち主リスベット(クレア・フォイ)は、天涯孤独で、壮絶な過去を持つ。その過去が、あるキーパーソンによって明らかにされていく。自らの裁きによって悪を正そうとするリスベットに対し、「皆を助けるのに、なぜあの時・・・私だけを助けてくれなかったの?」と意味深な言葉をリスベットに投げかける謎の女、カミラ(シルヴィア・フークス)。カミラもまた、凄惨な過去と秘密を背負った存在だった。二人の関係が紐解かれながら、リスベットはジャーナリストのミカエルと再びタッグを組み、新たなる犯罪組織の陰謀に迫る。
圧倒的強さではないリスベットにはある意味安心感と白けたストーリーにならない魅力があった。ベストセラーシリーズだけあって、ストーリーはしっかりしているし、見どころも各所にある。カミラの風貌がリスベットと対比的になっているのがわかりやすい善悪ものって感じで共感できた。
面白いのは、面白い
面白い作品ではあると思う。
ドラゴンタトゥーの女から始まったシリーズだが、今回の作品では登場人物たちの気持ちに配慮した作りとなっていた。
背景設定も悪くない。
まるで007のようなオープニングにもこの作品に対する力の入れようが伺える。
しかしながら、
やはりここに来て初めてリズベットに双子の姉妹がいたことにした是非は残ってしまう。
第2作3作で明かされたリズベットの父親、ここに妹がいなければならない。
さて、
ミレニアム誌
ミカエルの記事のタイトルが作品のタイトルとなっている。
ミカエルはジャーナリストとして事件の真相を記事にするのが仕事だ。
過去もそうだった。
しかしその記事はリズベットからすれば「モノとカネ」であり、心ではないと感じたのだろうか。
事件の解決とミカエルの記事によってリズベットの容疑が消えたように思うが、リズベットが唯一心を許した相手がミカエルだったのだろう。
同性愛というのはリズベットにとって、仮の自分の姿なのかもしれないし、彼女もまた自分探しをしているのかもしれない。
そして今回は、過去という過去を焼き尽くすところがフィナーレだったのは、リズベットとして生き抜いてきた原点に立ち、すべての清算を終え、その中にはおそらくミカエルも含まれたのだろう。
ミカエルは特ダネを記事にせずに消去する選択をしたのは、リズベットのチクリとした言葉と彼女の真実を知ったことで、彼女の本心に触れたからかもしれない。
それは決して他人に話して言いことじゃないというごく普通の感覚を覚えたのだろう。
それにしても今回のハッキングは凄すぎるというか、度を越えているように感じる。
ただ、
物語としては十分楽しめるし、クライアントの設定も良かった。
リズが、強制送還されそうになっているニーダムを逃がすあたりの先を読むセンスは凄いが、瞬間に計算ができるアウグスト少年はその先を行く。
しかし、死んだ父の携帯からの着信に出るというのは子供だからなのか?
若干疑問だった。
ランボルギーニも見た目は良いが、雪の降るストックホルムでの走行などできるのだろうか?
さて、、
ファイアーフォールというソフトを開発したバイデル
彼は依頼主であるUSAからシステムを奪還しようとした。
彼は最初からスパイダーズに狙われていた。
彼らがその情報を知り、システムに興味を持った。
そもそもとんでもないシステムだが、個人がそれを持っている方が怖い。
バイデルはNSAに騙されたと言った。
NSAからそれを盗み出してほしいという依頼でリズが動き始めた。
ここがすべてのスタートだが、バイデルの良心の呵責と実際にそれを盗み出したことはアメリカにとって一大事なわけで、ニーダム一人がのこのこスウェーデンに行くことなどありえない。
ここが若干苦しかったように思う。
スパイダーズという組織も、実際には何を目的にしているのかわからない。
そして、
物語は最初からリズの過去に焦点を合わせている。
第2作と3作で父とのことが描かれていたが、ソ連の元スパイの異常な父というだけでその人間像は理解しがたいものだった。
また、父を殺そうとしたという過去と、今作でベランダから落ちたシーンとは随分雰囲気に差がある。
その理由が監督が違うというものだろう。
第2作3作の監督だけが一緒で、あとはすべて違うことで視聴者には感覚として話の筋が違って感じるのだろう。
これは仕方のないことかもしれないが、納得しにくいことでもある。
また、作家は3部作を書いた後死亡し、他の作家が続編を書いたことも影響しているのだろう。
面白さと難しさが同居してしまうことが、なんとも言えない。
焦った💦
コブラ寺沢武一のゴクウを想う。
007やM.I.寄りの展開
ミレニアム的ではないが雰囲気は良かった
雪と氷に包まれた白銀のストックホルムで繰り広げられる黒と赤の攻防。
とても面白かったし、評価を星4にするつもりでこのレビューを書こうとしたら、頭の中を駆け巡るのは悪かった部分や不満点ばかり。いいこと書きたい、ほめたいのに、浮かばない。なぜか。
ショットやカットのカッコ良さやスリリングでダイナミックなアクションといった良かった部分が、とてもハリウッド的な単なるアクション映画のようであったからだと思う。
オリジナルのミレニアムは、バイオレンスとひりつくサスペンスと多角的に展開するミステリーが面白さだった。そのすべてを担うリスベットのキャラクターも魅力だった。それらが足りなかったのも原因だと思う。
本作のリスベットがダメだったとは言わないが、なんかちょっと違うんだよね。
暴力的な場面が絶対必要とは思わないけど、リスベットの過剰殺傷は彼女のキャラクターを形作る上であった方がいいし、見た目的にもトラウマを抱え精神に問題がある天才ハッカーのようではなかった。
つまり、ミレニアムシリーズの一篇としてはイマイチだったけれど、それを無視したハリウッドのアクションサスペンスだと考えればなかなか面白かったのだと思う。
ミレニアムシリーズを初めて観る人か、これはこれと割りきって観られる柔軟な人は楽しめると思う。
とりあえず、いつも放置プレイのドMなミカエルと武闘派の天才ハッカーは最強ってことだけはわかった。勝つのは常に天才と変態。
再会してみればいい女だった的な
初めて会ったおりにはさしたる印象がなかった女性に、数年後に再会してみると「えっ?こんなにいい女だったの?」みたいな作品でございました。
とにかく映像が素晴らしい。雪に覆われた荒野を人工的な舗装された道が切り裂くように延びてゆく、そこを高速で走る黒い車。エッジの効いた画面に緊張感と期待がみなぎります。
そのようなクールな空気感が全編を流れて飽きさせません。静と動のバランスもよく、とりわけアクションシーンが凝っていて嬉しくなりました。やはり悪役は強くないといけませんね。
公開時にも観ていましたし原作も読みましたが、再会して良かったと思わせる作品でございました。
ただひとつ、リスベットはやはりミスキャストではないでしょうか。頑張っているし、それが大きく作品を弱めるほどではありませんがね。
リスベットとカミラ
続編のつらさ
imdb6.1、RottenTomatoes38%と35%。
なぜこれが低いのかという話をしたい。
続編の公理に組み伏せられているというのはある。1というかThe Girl with the Dragon Tattoo(2011)は御大デヴィッドフィンチャーで予算も倍以上、興行成績はどの地域ベースでも本作の10倍だった。
ただしStieg Larssonの小説もノオミラパスのドラマもフィンチャーの1作目も知らずにこれを見たらそんなに悪い印象をもたないはずだ。よってcons側に立脚するのは原作と比較した場合──ということになると思う。
単純化した概説になるがミレニアムは猟奇クライムサスペンスである。セブンやゾディアックみたいな話だ。そもそもだからフィンチャーに気に入られたわけで。だが本作は猟奇の値が抜け落ちてミッションインポッシブル風のスパイアクションになっている。むろんミッションインポッシブル風のスパイアクションであること自体に問題はないが神髄は別物なので酷評に落ちた。
クレアフォイのリスベットはしびれるかっこよさだったがStieg Larssonが書いたリスベット像は“へんな女”or“変わった女”という風体だった。外観だけでなく心を病み社会に敵愾心を燃やしている。だからノオミラパスや眉なしのルーニーマーラを充てたのだったが、それが本作ではブラックウィドウみたいなアクションヒロインになってしまっている。再度言うが単発で見たらそれは悪くない。が、作家が創造したドラゴンタトゥーの女ではなかった。
リスベットは後見人の庇護下にある社会的弱者だったが、本作ではどこでも侵入でき、なんでも操れるハッカーでありマーシャルアーツの達人であり超絶ライディングテクニックのバイカーでもある。ほぼイーサンハントと言ってよかった。批評家たちもことごとくそういう差違に言及しているが、区別することで楽しめる。
監督はDon't Breatheで名を馳せたFede Álvarez。すごく重荷だったんじゃないかと思う。誰だってデヴィッドフィンチャーからバトンを渡されたくない。が、同時に武者震いも感じられた。
エイリアン好きならご存じと思うがエイリアンが2になったとき“こんどは戦争だ”になって別物に変わったが受け容れられ愛された。
英語で言うならブラッシュアップ、四字熟語で言うなら換骨奪胎、ゴジラがシンゴジラになったような、権威になっているものをいったん壊して作り変える創作理念である。
結果、かならずしも受け容れられたとは言えないが、この映画もオーソリティーであるフィンチャーとは別物にするけど俺は俺で頑張るよ──という意気込みは感じられた。
クレアフォイがよかった。服もいいし動きもいいし暗いものを背負っている暗い感じもいいし大きな目に哀感が宿るのもいいし髪を立ててもよかった。ふざけ倒すならアベンジャーズの一員へ組み入れてもいいと思った。
ここでなく前作The Girl with the Dragon Tattooで言うべきことかもしれないがついでにミレニアムが言っている性について話したい。
リスベットにはすごく性欲がありいつも酒場で相手を拾ってくるし前作でダニエルグレイグが演じたミカエルともあっさりやってしまうし、いわば奔放な両刀の“タチ”といえる。だけどリスベットは嫌いな人とはやりたくない。フィンチャーを見た人なら解ると思うが「人は嫌いな人とやりたくない」という根源的な提唱がミレニアムにはある。そのことと猟奇的な暴行への憎悪が同居していることでStieg Larssonの死後世界的ベストセラーになったのだ──と個人的にはみている。とうぜんそれだけじゃないだろうが、リスベットが自分自身の性欲を追求する自我と、悪意によって凌辱や惨殺される弱性の惨禍、それに対する憎悪がミレニアムを狂おしい物語にしているのは間違いない。
『Larssonは彼が15歳のときに起こったという事件について語った。3人の男がリスベットという知人を集団レイプするのを傍観していたのだ。数日後、彼女を助けることができなかった罪悪感にさいなまれた彼は、彼女に許しを請うたが、彼女はそれを認めなかった。この事件はその後何年も彼を苦しめ、レイプ被害者でもあるリスベットというキャラクターを創作するきっかけにもなったという。』
(Wikipedia「The Girl with the Dragon Tattoo」より)
(Stieg Larssonはこの話を3人の傍観者のひとりが自分自身であったかのように記憶していた──とのことだが、一般的にミレニアムに影響を与えたのは1984年に起きたMurder of Catrine da Costaだと言われている。(Stieg Larssonは2004年に亡くなっているために作品のバックグラウンド等に未解明なところがある。))
猟奇が抜け落ちている──とは言ったが本作ではリスベットの姉カミラと父親との不適切な関係が示唆されている。それはフリッツル事件のような禁忌ゆえにおぼろげな表現しかされないが、Stieg Larssonが言いたいのは力づくで人の嫌がることをすることへの憎悪でありその憎悪を龍の入れ墨をした女のキャラクターに託したのだと思う。
サスペンスがスパイアクションに…
フェデ・アルバレスが監督、製作総指揮の中に前監督フィンチャーを迎えた「ミレニアム」シリーズ三度目の劇場作品。
原作だと四作目にあたる映像化で、前三作とは原作者も違うんですね。
そういった意味ではキャスト一新は良かったと思います。
しかしながら、本作は最初から違和感がありました。
見所であったサスペンス性が薄れ、スパイアクションになってしまったのがまず残念。
クレア・フォイ版リスベットにも、やはり不思議な感じがして落ち着かないんですよね。
これ単体で観ればそんなに悪くないと思うのですが、「ミレニアム」シリーズとして観ると、どうしても気になってしまうんですよ。
逆にハリウッド版から初めて、次こっち観たらすんなり入れたのかもしれませんね。
あくまで個人的にですが、やはり違和感だけが残ってしまいました。
これは評価できない。
原作で言うと作者死後にか書かれたシリーズ4作目の映画化。スウェーデン版は全3部作でリスベットとミカエルの関係、距離感も絶妙に描かれていて非常に印象に残る作品です。
フィンチャーがリメイクした1作目はほぼスウェーデン版と変わらずの印象でしたが(それでもリスベットの描き方などスウェーデン版に劣ると思います)下敷きのない今作は間の2作を飛ばし且つ原作からの改変が多いおかげでとんでもなくチグハグで浮いた仕上がりになってしまいました。リスベットは決して肉体的に強い女性ではなくそのハンデを補うために時に自分を犠牲にしてでも知力と精神力で正義を貫き通す裏オタクヒローかつマイノリティへの共感指数の高い存在感が際立つ魅力的なキャラクターです。しかし今回はハリウッド映画らしくアクションに重きを置いた脚本のおかげで寡黙なだけで何でも出来るスーパーガールになってしまいました。結果姉妹対決が主軸となり本来描くべき人間関係やミステリアスな部分はほとんどなくなっています。そしてキャストもパワーダウン。なぜ作った??
褒めるところがない…
ハッカーって何技?オールマイティ!
スパイ映画色が強いが好き
リスベットが007に!
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