COLD WAR あの歌、2つの心 : 映画評論・批評
2019年6月18日更新
2019年6月28日よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋⾕ほかにてロードショー
〝くされ縁〟の物語がポーランドの現代史と重ね合わされる、スリリングな語り口
鮮烈なモノクロの映像美が忘れがたい「イーダ」(13)のパヴェウ・パヴリコフスキ監督の待望の新作である。冷戦下のポーランドで、若い歌手ズーラ(ヨアンナ・クーリグ)とピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)が激しい恋に落ちる。映画は、十五年もの長きにわたって幾度も別離と再会を繰り返す、このふたりを時には憂愁に満ちたメロドラマのように、時には突き放すような、仮借ないハードボイルド・タッチで描き出す。
ヴィクトルはソ連のスターリニズムが苛烈な強制力を帯びてきた時代から遁走するようにパリへと亡命する。女流詩人ジュリエット(ジャンヌ・バリバール)と同棲し、パリのナイトクラブでジャズを弾いているシーンは、戦後のある時期、サルトルやボリス・ヴィアンら実存主義者たちがジャズに熱狂していたサンジェルマン・デ・プレ界隈の喧騒を否応なく想起させる。「イーダ」と同様に、光と影のコントラストが強調された、深いノワールな哀調をたたえたモノクロの画面がすばらしいが、逢瀬を重ねるごとに、光の中でズーラは官能的な魅力を生き生きと浮かび上がらせる。パリのクラブのカウンターで「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に合わせて彼女が踊り狂うシーンの躍動感は圧倒的だ。
いっぽうで、ヴィクトルは、次第に自らの影に脅かされるように、虚ろさ失意にとらわれ、疲弊を深めてゆく。そこには、晩年のタルコフスキーが「ノスタルジア」(83)で描いたメランコリックな喪失感にも似た、ある痛ましさが感じられるのだ。「イーダ」のラストで、「惑星ソラリス」(72)で印象的に使われたバッハのコラール前奏曲が流れていたことが思い出される。
やはりバッハの「コルドベルク変奏曲」が流れる、名状しがたい、深い余韻を残す「COLD WAR あの歌、2つの心」のラストシーンには、越境者である監督自身の祖国ポーランドへのアンビバレントな心情が色濃く反映されているのは間違いない。一見、成瀬巳喜男の「浮雲」(55)を思わせる〝くされ縁〟の物語が、そのままポーランドの現代史と重ね合わされる、スリリングな〈語り口〉には、ただ感嘆あるのみである。
(高崎俊夫)
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