翔んで埼玉のレビュー・感想・評価
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埼玉県人じゃなくても感動した!面白かった!
面白いと噂だったので映画館ではありませんがサブスクリプションで見ました.
感想としては面白くて感動できて最近の邦画で1番よかったと思いました!
自分は埼玉県民ではなく神奈川の田舎の町に住んでいるのですが,通行手形のネタやZ組の下りなどとても面白かったです.埼玉デューク,エンペラー千葉など設定もくだらなくて最高でした!
また,埼玉県の各地区の支部の人たちがまとまるシーンなどは感動しました.
神奈川県は卑怯な立ち位置で東京に媚びを売っていて悲しくなりました.恥ずかしい限りです笑,埼玉県民がうらやましいです.
関東の東京以外に住んでいる人には是非勧めたい作品です!
海の音を聞けぇ!(笑)
こう来たかー!
と、鑑賞後、監督&脚本に感心する事、しきりでした。
原作は雑誌掲載時にリアルタイムで読んでます。(とゆーか、翔んで埼玉の為に、小遣いはたいて別冊花ゆめ冬・春・夏の号を買ったw)
コミックス(やおい君の日常的でない生活)も初版で持ってます。
魔夜峰央ファンを自覚した事はありませんが、一応、魔夜先生のコミックスはマイナーなものまですべて、全巻持ってます。
全魔夜作品の中でも「翔んで埼玉」はベスト3に入る大好きな作品です。
まさか40年近い年月を経て、こんなドがつくほどマイナーな作品がブレイクしようとは・・・。
お釈迦様でも気がつくめぇ(by 仕事人)です。
魔夜先生ご自身が1番驚かれているでしょうけれど、読者だってビックリですよ(笑)
さてさて、それが映画化までしちゃうってんですから
「当時の空気や時代背景を知らない世代へのジェネレーションギャップはどうするのか?」
「そもそも、魔夜作品自体がかなり読者を選ぶ個性的な作風だが、一般受けするのか?」
というのが、愛読者としての一抹の心配でした。
しかして、本作は?
結論を言えば「非ッ常に!面白かった」です。
「超!ガッチガチの原作ファン」の視点で見ても、非常に嬉しいアレンジでした。
こう来たかー!
上手くまとめたなー。
「現代と過去」の2パートを交錯させる事で、あらゆる世代に対応。
原作にはない「千葉との対立」を盛り込む事で、GACKT(主人公)vs 伊勢谷友介(ライバル)を柱とした王道ストーリー構成を実現。これなら常識的な感性の観客が来館しちゃってもきっと大丈夫w
「東京テイスティング」や「浦和vs大宮(与野〜w)」「横浜→崎陽軒→ひょうちゃん」なども、原作にはないが、トリビアな小ネタ満載なところはいかにも魔夜流そのもの。こういう「原作者理解」に満ちた改変ならば大いに歓迎。
某事情により未完に終わると諦めていた原作。まさか今、こんな形で完結させて貰える日が来たことも喜ばしいです。
埼玉デューク、京本かぁー!
これまた、大歓迎のキャスティング。
サブカルが市民権を得てはいなかった時代、「翔んで埼玉」の頃にはちょうど「必殺仕事人Ⅳ〜Ⅴ」をやっていました。
当時の村上弘明氏は、デビュー作が仮面ライダーである事を嫌がり隠そうとする印象が強かったけれど、京本政樹氏は「ウルトラマン、仮面ライダー、大好き!機会があれば是非出演させて欲しい!」という姿勢が「こちら側の人間(どっちだ!)だと思わせてくれました。
「子供番組」は、真っ当なエンタメではないと低く見られていた時代ですからねぇ。
そんな京本が埼玉デュークとは・・・。非常に嬉しいです。
大根気味だった組紐屋の竜も立派になったねぇ、と感慨を禁じ得ません。
(京本のデビューアルバム「ラブレーの15分」とシングル「哀しみ色の・・・」はテープw持ってますし、全曲歌えるwもう磁気ヤバいかな?レコードにしときゃ良かったw)
高見沢さんも、ALFEEのオールナイトニッポンで「埼玉の白系ロシア」とか、よく言ってたなー(笑)
今回のブレイクを通して、アニメ版パタリロは東京よりも大阪で高視聴率だったと知りました。なるほど、東京では見ている子の方が少なかったけれど、大阪では「じゃりんこチエとパタリロ」は当時の子供なら大抵見ていたらしいですね。
アニメ版パタリロは原作の雰囲気をまったく表現出来ていない「別物」ですが、アニメ版のスラップスティックな雰囲気は大阪の方が親和性が高かったのは、なんとなく納得です。
日本埼玉化計画の為、本当に通天閣のてっぺんに2週間「◯さ」の旗が掲揚されていたそうだが、見に行けば良かったー。やるな、大阪w
邦画や日本のドラマはあまり観ないのでGACKT、伊勢谷友介、二階堂ふみもあまりよくは知らなかったが、すっかりお気に入りになりました。
こんな馬鹿な映画の出演を引き受け、体当たりで面白真面目に演じてくれて本当にありがたいです。
彼らが出演する作品は、今後も応援していこうと思います。
面白かった 笑う所が多数あった
あらすじと感想
1=①現実世界の、菅原夫妻+娘の3人の会話
→ 娘は、埼玉が嫌で東京に住みたがるが、
婚約者の意向で、春日部居住になりそう
②ラジオで、埼玉をディスる都市伝説の放送、が並行する映画
2=ここまで埼玉をディスると面白い、 埼玉ポーズも面白い
3=なお、埼玉だけでなく、千葉、茨城、群馬もディスられている
4=途中から、少しクドイ気もしたが、1つ1つのエピソードが面白い
→ 何度も笑った
5=残念な点は、
壇ノ浦百美(二階堂ふみ)は、女の生徒会長役として欲しかった
→ 麻美麗に惚れると、ホモの扱いになってしまう
6=全体としては、面白くて楽しい映画だった
→ たくさん笑えたので、2019年映画興行収入9位や
日本アカデミー賞で12部門受賞も納得
ぶっ飛んで埼玉
入りからぶっ飛んでいてよかった。原作への忠実度はわからないけど、日本のコメディの中ではベスト3に入ると個人的には思う。
二階堂ふみはさすがの演技力なのに対し、GACKTはただの素のGACKTなのがおもしろい。そしてやはり格付けチェック全問正解中の彼に格付けを挑むのは間違い。しかし実は2人とも沖縄出身と都会指数が低いのもまたおもしろい。
エンペラー千葉がジャガーさんだったりと細かいネタまでおもしろい。はなわの歌も頭に残る。
埼玉をディスっているのかと思いきや、もはや途中から誰をディスっているのかもわからない。結論みんなちがってみんないい。東京・横浜に住んでることをステータスだと思っている全国の方々に、百美のことを見習ってほしいと思う。北の大地北海道より。
くだらなく何処か切実。だから微かに泣いた。
外界無視、狭域関東圏内輪ネタに絞る英断で成功。
オトナ帝国ケンとチャコ誕生譚にも見える。
春日部、か。
荒唐無稽な2時間をもたせる主要3役者の艶。
20年振りに出る量が正しく力み無き竹中直人も良し。
くだらなく何処か切実ゆえ笑いつつ微かに泣いた。
私的年テン入り。
真剣にアホなことしてる。
みんな真剣にアホなことしてます。
YOSHIKIの写真出てきたところは本当に笑いました。
性別が一瞬わからなくなりますがそんなことはきっとどうでも良いのだと思います。
私は北海道に住んでいて千葉とか埼玉、茨城の関係性は実はよく分かっていないのですがそれでも面白かったです。
エンディングの塙さんの曲でも笑いました。
翔んで埼玉
なんも考えないで気軽に見れる作品。
特産品とか出身有名人で対決するのは、あるある。それをうまく作品に落とし込めた。
終盤はめちゃくちゃな世界観に慣れてしまう不思議さ。
シリアスなシーンでも突如として笑いを誘ってくる。
コメディ映画
埼玉県民では無い&関東地方にゆかりがない。という私が鑑賞したところ、他の方のレビューをみるからに、半分も楽しめてないんじゃないかと、若干悔しくなるくらい、面白い!と評価されてるようですね。
故郷を大切に思う気持ち。
勝手にライバルだと思って、ケンカ売ってるところ。
各々の特産物、出身有名人の出し合いなど、故郷ネタが面白い。
西日本ver.でもぜひ見てみたいと思う。
エキストラの数がヤバかったのと、原作がパタリロ書いている方ということを知り、宝塚調メイクに納得。
GACKTがでていたけど、彼は稀有な人だ。
彼がいるだけで画面が華やかになり、独特の雰囲気をかもしだしていた。GACKTもっといろんな映画で見てみたいと思ってしまった。
京本政樹は大阪出身やでー
埼玉をディスっているが、細かく聞いてると結構良い街という印象(貧乳率以外)。今や関西人も住む住み良い街になってるのでこういう映画も楽しく受け入れられるのだろう。原作当時の80年代だとちょい厳しかったかも。本気でサイタマ.チバラギ出身を隠してる奴がいたからなあ。
ライバル意識はコンパネタでしょ
千葉から通っていた学生時代、西武や東武で来ていた埼玉のサークル仲間とコンパで「東京・神奈川の次はどこさ」とそれなりに盛り上がったかも。「海がないくせにサーファーが多い」というのはその時代でも飲み話であり漫画テーマではありだと思う。
一方、映画化には疑問、さらに日本アカデミー賞は僕的には??? 最近は、興行結果が優先で、人気投票のような印象が強い。二階堂ふみ、GACKT、その他の役者もみんなまじめに演じているのが妙に笑える、ただそれだけの映画。「分かる」はあっても、絶賛するほどでもないんじゃないの。
これは!真新しいジャンルの映画かも
はちゃめちゃな荒唐無稽の様なストーリー。
とは言え、埼玉県住民であった自分の中にも確かにあった、東京に対する潜在的な劣等感や自虐感、県全体への愛着や誇りの無さが、あぶりだされる。
もう少し言うと、港区が最高?らしく、住所や家柄等で分け隔てる日本人の中にある差別や特権意識の根強さを、笑いに包みながら糾弾している様にも思えてくる。歴代の都知事の不正、それを暴くのが可愛い息子、そこにボーイズラブを噛ませるという設定も、GACKTと二階堂ふみ主演だけに悪くない。
外国映画ではもしかして有った様な気もするが、邦画としては見たことが無いチャレンジングな面白く、弾けた映画と、思えた。
やっぱ、本場で観る映画は違いますねぇ……。
サイタマ県民には、そこらへんの草でも喰わせとけィ!!
という、キャッチーなコピーに誘われて、わざわざご当地サイタマ県の映画館まで行って鑑賞してきました。
(都内の映画館が、都合の良い時間にすべて満席だったというのも大きな理由ですが……)
ご当地まで行っただけの価値は充分にありましたよ。
地元のオバちゃんたちがワサワサと押しかけ、満員になった映画館。
映画が始まっても延々とオセンベをバリバリ食べながら鑑賞しているなんて、やっぱ草加煎餅のふるさと埼玉県のマナーは違うなって感じでした。
周囲のいたるところから、バリボリ、ムシャムシャ喰う飲む音がサラウンドで続くなか、埼玉県をこれでもかとdisるギャグに対して遠慮会釈ない大爆笑の渦。
思う存分、笑い転げて、ストレス発散。最高でした。
冒頭の「ピタゴラスイッチ」みたいなツカミといい、いやよくぞ、これだけのアイディアを絞り出したなと感心しました。
ダレることなく最後までギャグの連発で突っ走り抜いたこの映画。スタッフ全員がワイワイ楽しみながら仕事をしたことの証でしょう。
というわけで、シロガネーゼの奥様も、田園調布のお嬢様も、ヨコハマのお洒落なアニキも、電車でちょっと寝過ごせば、すでにそこは埼玉県なんですから、映画ファンたるもの、現地で「ご当地映画」を楽しむことこそ大正解だと思うのでした。
いやいや、映画館でこれだけ大爆笑したのって、ほんと久しぶり。
ものすごく面白いことしてますの空気感
田舎者をばかにするのは有史以来あったことだけど、80年代に新しい待遇になった。よくわかってないかもしれないが、魔夜峰央や江口寿史は田舎者に自虐というしのぎ方をもたらしたんじゃなかろうか。
それまでは、1930年の榎本健一の歌にあるように、おれは村中でいちばん、モボだと言われた男、うぬぼれのぼせて得意顔、東京は銀座へときた──ただ、ひたすら都会人の嘲弄の対象だったのが「おれって埼玉だからダサいんだよね」と、予め宣言してしまうことで、ばかにされるのを回避できるようになった──わけである。
すなわち、これらの作者の初動には、千葉や茨城や埼玉や群馬をダサいところであるとおちょくると同時に、自嘲をまじえて、都会人の嘲弄をかわす目的があった──と思う。
東京でなければ、どこだってぜんぶ田舎なのに、やり玉になる県が東京近隣に限局されていることで、その裏付けができる。
通勤圏なら、日々そのカーストを被る。
かれらは、東京人たちの目を、もっと生産的なことに向けさせたかった──と見ることができるはずである。
ただし、80年代のシフトから、これらは耳にタコができるような常套ネタになった。嶽本野ばらみたいに、楽しいのもあったけれど、もういいんじゃなかろうか。個人的には下妻物語で卒業した昔のネタである。そして、これも事実上2020年の現在から見ると魔夜峰央の38年前のネタである。
そこに若い人々が突き抜けたフレッシュさを感じているのなら、もくろみが当たっているし、大多数の高評価に対して、イキって低評価を下している少数派意見には、はぎしり感が醸されてしまうわけで、もし自分が、そんな映画に遭っても、くれぐれも冷静さを失ってはいけない──と、つねづね思ってきた。
しかし、もうこの手の話は、ボディイメージを提供しているに過ぎない──とは思う。ようするに虐めを助長するような、卑下をもたらしているに過ぎない。
きょうび虐めがおこるのはメディアやSNS等が、イメージを形づくってしまうことが少なからず影響している──と思う。インスタとかで、おまえはこんな奴だぜとか、じぶんはこんなボディイメージなんだとか、繰り返しインプットされた人が、それを現実に反映させている。
だいたい、日々、ダサいところに住んでいるダサいじぶん、を念頭している人間が、いったいどんな人間になれるっていうんだろうか。
おちゃらけている映画に、律儀な持論を展開してしまうレビューは、柔軟性の欠如を露呈してしまうのであって、つねづね映画の温度に適応しなきゃいけないと思ってきたが、これはできなかった。
きょうび、あるあるを採ってくる──身につまされることを狙っている創作物がやたら多い。地方の風物や、会社の人間関係や、合コンの言動や、公共のパターンについて、定型に陥ってしまいがちな様式を笑うやつだ。笑えても、笑いがひきつる。魔夜峰央の漫画には、そんな意図はぜんぜんなかった。
人をばかにできる定型を山ほど提供していながら、それが観衆の無意識に取り込まれることを予測していながら、ばかにしているわけではない──とは、日常わたしたちが忌避している官吏の態度そのものではなかろうか。
映画は人の寛容をはかっていて、観衆は、受け容れることのできる自分の度量に満足しているわけだが、こういうのって、ぜんぶ面と向かって言われてみろよ。
いや、それ以前に、ほかの地域がぜんぶ関係ない。九州や北海道や四国やその他数多の人々がこの映画に頭がはてなマークだらけになっているとき、それを驕りというんじゃなかろうか。
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