レディ・バードのレビュー・感想・評価
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いっぱいの感謝を胸に、羽ばたけ、少女!
最初はなかなか入り込めなかった。住んでる世界も違うし、性別も違うし、人生観も価値観も。
でも見てたら段々と面白くなってきて、終わる頃にはこの作品がすっかり好きになっていた。
確かに言われてる通り、これは普遍的な“青春あるある”。
誰もが身に覚えある“あの頃の自分”を思い出させてくれる。
2002年。米カリフォルニア州の田舎町、サクラメント。
カトリック系の高校に通う17歳のクリスティン。
彼女の高校最後の一年。
冒頭、母親と口喧嘩して、走る車から突然飛び降りる…!
性格はかなり個性的。
思春期真っ只中。
夢見がちで、我も強い。
自分はイケてると思ってる、少々イタイ女の子。
時々、しょーもない嘘をつき、見栄を張る。
違う自分になりたい。
普通に染まるのがイヤ。
都会に憧れ、地元以外の大学に通いたい。
死ぬほど退屈なこの田舎町が嫌い。
そして、“クリスティン”という名前も嫌い。
アタシは、“レディ・バード”。
自分でそう名付け、周りにもそう呼ばせている。
そんな“レディ・バード”(そう呼ばないと注意されるので)は学校では…
一番の親友は、ぽっちゃりのジュリー。
他愛ないガールズトークをしたり、周りをチクチク皮肉ったり、悩みや相談事を打ち明けたり…。
ある時ジュリーとミュージカルのオーディションを受け、合格。
そこで出会った素朴な青年ダニーと付き合う事に。
心ウキウキ! 「あ~~~ッ!!」と嬉しさのあまり叫ぶ姿が可愛らしい。
ところが! 彼の思わぬ現場を目撃しまてしまう。ショック!
レディ・バードは所謂校内ヒエラルキーで言うと、目立たないグループ。
ある時、目立つグループのバンドをやってるクールな青年カイルと知り合う。再び、恋の予感!
彼に近付こうと、目立つ女子グループに仲間入り。
それがきっかけで、ジュリーと喧嘩に。
カイルと付き合う事になり、夢にまで見ていた初体験も!
…でも、またまたショックな事が。
以来、カイルとはギクシャク。目立つ女子グループともやっぱりソリが合わず。
楽しみにしていたプロム。
土壇場で一人になってしまった彼女が誘った相手は、一番の親友と言える存在…。
恋愛、失恋、親友との喧嘩や仲直り、背伸びしたくなる気持ちも分からんではない。
青春の甘酸っぱさ、いっぱい!
レディ・バードを語る上で欠かせないのが、家族。
優しいがリストラされたうつ症の父、養子の兄ミゲル(と一緒に暮らしてる恋人)。
そしてレディ・バードを含め、そんな家族を支えているのが、看護師として働いている逞しい母。
家計は苦しい。住んでる場所も“線路の向こう(スラム)”。地元のリッチな住宅街に憧れている。
家族の中でも、母親とは色々と。
別に険悪って訳じゃない。よく話すし、初体験のアドバイスして貰ったり、ショッピングや物件巡りも一緒にしたり。
そんな風に普通に仲が良いかと思ったら、途端に口喧嘩になる。
衝突はもはや日常茶飯事。
娘に地元で身の丈に合った生き方を望む母と、都会に行きたい娘。
母の心、子知らず。
子の心、初知らず。
我が強い所はそっくりの母娘。
そんな時、母に内緒で受けた州外の大学に合格!
それがバレてしまい、母がろくに口も聞いてくれないまま、旅立ちの時がやって来て…。
主にインディーズ映画で活躍する女優、グレタ・ガーウィグの単独監督デビュー作。
地元愛、少女の心の機微や成長を、コミカルかつ繊細に、共感たっぷりに描いた手腕は、只者ではない。
オスカー監督賞ノミネートはハリウッドの例の騒動を受けてのおこぼれ…と思ってて、ゴメンナサイ!
監督の自伝的要素もあるという本作。
不器用で思うようにいかないけど、所々胸を鷲掴みさせる。
各々のエピソードもそれがベースになっているのがひしひしと伝わってくる。
今や無双状態! シアーシャ・ローナンに外れナシ!
監督の分身とも言うべき役柄を、完璧に自分のものにしている。
魅力、キュートさ、快演は文句の付けようナシ!
母親役のローリー・メトカーフがまた好助演。
年頃の娘にはちと鬱陶しいけど、厳しさの裏に娘を思う母の愛情を巧みに演じている。
ルーカス・ヘッジスやティモシー・シャラメなど注目の若手を揃えたキャスティングも贅沢。
地元を離れてから知る。
死ぬほど退屈だった地元や鬱陶しかった家族がどれほど自分にとって欠けがえないものだったか。
別にこの新天地での生活も嫌いじゃない。
でも…
ふと、思い出す。
見慣れた地元を初めての運転で見た時の素晴らしさ。
母がこっそり忍び込ませた手紙…。
ラスト、電話で感謝を伝える。
地元に。
家族に。
“レディ・バード”ではなく、“クリスティン”という本名も好き。
それらいっぱいの感謝を胸に、羽ばたいてゆけ!
くるおしいくらい、そこに私も、あなたも居た。
アカデミー賞やら何やらあれだけ話題になってたのに半年経って漸く拝見したら、もっと早く観たらよかった…と心から思った。
アメリカの高校生活と日本の高校生活は全然違うと思うので、正直あまりイベント事などには共感できなかったし、アメリカの高校生リア充すぎない???と思ってびっくりしたけれど、
精神的な面や人間同士の交流や絆に関しては万国共通なのだと強く思った。「これは私だー!」と思う瞬間ばかり。
例えば、「レディ・バード」という名前がその象徴だけれど、自分を特別だと思う気持ちと、そうなれない現実に苛立ちつまづく気持ちは、身に覚えがありすぎて最早怖かった。
教室の隅で、誰よりも音楽に詳しくなりたいとイヤホンに耳傾けて、海の向こうの音楽を沢山聴いた私や、大学でやりたいことがぼんやりしながら模試の結果で親と喧嘩する私は、たぶんクリスティンみたいにめちゃくちゃダサくて格好悪かったと思う。
また、親友のジュリーとの関係性や、シスターの雰囲気。
私事ですがキリスト教系の女子校の中学高校に進学していて、男子こそ完全にいなかったので色恋沙汰は皆無だったけど(笑)、毎朝の礼拝はコソコソやりたい放題タイムだったし、クリスチャンの先生の方が意外と寛容で面白いことを言ったりするし、そこで得たジュリーみたいな友達を思い出した。
いつも一緒に居てなんでも明け透けに話せて、時には耳の痛いことも直球で言ってくれる。自分の「名前」を呼んでくれる人。
自分の名前も覚えてもらえてなくて、「カイルの彼女」だなんて呼んでくるようなイケイケのあの子は友達なんかじゃない。
後半で、私はプロムに行きたい、私はこの音楽好き、ジュリーは私の親友と言えたクリスティンの成長に目を見張りつつ、ジュリーと一緒にプロムを満喫する姿が本当にまぶしかった…
「おとなになる」ことは、自分は何者です、私はこれが好きです、こう思います、って言えることなのかな。私もまだ模索しているけれど、クリスティンより少し長く生きて、そうで在りたいな、少しはそうなりたいなと改めて思い返した。
あと、最初に付き合ったダニーくんとの関係性も素敵だった。彼がゲイであることに最初はショックを受けても、彼の秘密を守って受け入れて良き友人になって…彼が誰にも相談できない状況に15年ほど前の時代や、サクラメントの保守性を仄めかすのは見事だなあと思ったし、クリスティンがまた一つおとなになるのに不可欠な存在として、彼が居てくれて良かったなあと。
そして、なにより母親との会話がもう既視感ありすぎて、いつウチを覗かれたんだろう?と思うくらい笑。
お互い自我が強く、ちょっとしたことで口喧嘩になるのに、カワイイ服を見つけるとテンション上がって「サイコー!」みたいなノリになったり、その逆も然り。
今思えば、私も自分を認めてもらいたい、期待してもらいたいと何だかんだで伝えたかっただけだった(今もあまり進歩はしてないが…)のかなあとぼんやり彼女を見て思い出したし、同じようなことを言っていてハッとした瞬間も多々あった。
「愛情とは、注意を払うことである。」
母親、恋人、親友、そして育った街…それぞれに無意識のうちに向けるまなざしや想いの細やかさが、彼女の人となりやそれぞれへの愛情を私たちにしっかりと感じさせ、魅力的で近い存在に感じさせてくれていた。
もちろん母から娘に対しての不器用な愛情も。
ニューヨークに行った彼女は、自分から本名を名乗り、ふらっと入った教会で自分の原点に想いを馳せる。
「神は親からもらった名前を受け入れてくれない」けれど、かつて自分の望んだ名前を呼んでくれた人たちがいて、自分の本当の名前を受け入れられたクリスティンは、まさに "The very best version of yourself you can be"=最高のあなたになりかけている。
普通の人々 普通の話し
自我と対峙しながらの成長
ダサいけど何か?って平気で言いたくなる映画。
いい映画でした。
ずっと観たくて見逃して、アップリンクにまたも救われました。
まずシアーシャ・ローナン。この女優さん、ほんとに好き。大きな瞳、上品なたたずまい。鈍臭くて垢抜けない役ばかり。でもそんな子が成長していくところを見せる。うますぎるな。でもなんだか熱いものをもって生きてる感じが好き。
この作品、途中までアメリカの病んだ部分から少女が抜け出す的な、ありきたりな映画かと思っていました。
でも違った。母は理想の母像を最後の最後、苦しみながらもがきながら乗り越える。運転をしながらさびしさで涙するシーン、素晴らしかった。母とか親とかそんなものを越えて、娘と向き合ったんだろう。
ダサいけど何か?
娘は最後、全てを再獲得する。育った町、家族、友人、自分を。その上で旅立つ。
素敵、ほんとに素敵な物語。
いい映画でした。
可愛い
愛しい少女たち
足元は固いほど高く跳べる
野郎メンタルな意地っ張り娘があっという間に丸くなる話。
意地っ張りな男女の話くらい腹の立つものはない。シャイな男女の場合、好きなだけやってろよと思い、機会損失を祈ることも忘れない。そんな具合なので、恋愛映画は見ないことにしてる。
こいつは親子、家族のお話なのでセーフ!
スクリーンの前で、おとな達は自分の過去を重ねて思う。その心境の変化、早過ぎじゃない?
イヤ、早いでしよ。悪かないが。
渡せなかった手紙。生まれた街の景色を心に彫み込むためのドライブ。父親との秘密の共有。付き合ったことは人生の汚点レベルのボーイフレンド達。何物にも代え難いともだちと過ごした時間と別れ。
泣いて、笑って、悪態ついて、悩んで、切れて、また口論。愛し、愛され、抱いて、抱かれて、もー大変。野郎メンタルが、更に行動を暴風化させるので、観てる方としては、面白いったらありゃしません。
面白かった。押さえるべきツボをちゃんと押してくれるし。
大外れも覚悟しての鑑賞でしたが、大外れ野郎はスクリーンの中にいて笑わせて頂きましたーー!
レディ・バードの一人勝ち
大学を卒業する目前の今、みてよかった
「描き切っている」の一言
恋愛した相手がゲイだったり、
はじめての経験に期待したり、
友達を作りなおしたり、
母親と喧嘩したり、でもデートしたり、
父親に甘えて、兄を馬鹿にして、
しっかり生きてて自分の道なんて自分で
決めるからと息巻いてみるけど
結局足元しか見れてない
自分のことレディ・バードって呼んでみたり
呼ばせてみたり…思い出したくないけど
高校生って毎日がたしかに映画みたいだった
ティーンってこうやってレディになるのか
シアーシャの演技と散りばめられた
可愛い服、装飾品、家具にもうっとりした
詩人の移動比呂美がエッセイの中で、父を看とり葬った時のことをこんな...
たかが日常、されど日常。
他の誰にもつくれない、独特な面白さがある。
レディバードなんてイタい名前つけたり、カースト上位の女の子に混じってみたり、友だちと下世話な話したり、母親と喧嘩したり、自分の日常は退屈だと思ってる。
でも、そんなこともあったなぁって結局は"普通"になってしまう女の子のリアルな日常。
その"普通"の中に、唯一無二の個性と過去が隠れていることに気付ける人は極わずか。自分ですら、ふとした拍子にやっと気付く。そして自嘲する。
ない勇気を出して背伸びしてみて、やっと、そのままがいちばんだって気付ける。
冴えない地元、幼なじみ、口うるさい母親、すべてが愛おしい。
イタいことはすぐに黒歴史になるし、ちょっと冒険してみてもすぐに飽きるし、わたしの日常は驚くほどでもないくらいに平凡だけど、振り返ってみると悪くない。
ちょうど同じ時期に観れてよかった。
この映画は今まで観たどの映画よりも、わたしの映画だって思えた。
還るところ
シスターがシャーロットのレポートを評した言葉が印象深い。
「注意を払っているということは、愛していることと同じ」
シャーロットの母親も、大切に思うあまり、注意を払いすぎているのだな、とその時合点がいった。
愛情が過ぎると、こうあるべき、こうあって欲しいという願いが先に立ってしまいがちだ。
だから、プロムの衣装を試着しながら、シャーロットは懸命にメッセージを送る。「(ママは私に常にベストであって欲しいって言うけど)もし今がそうだったら?」
そんないたいけさを垣間見せつつも、親友を袖にしてみたり、成績をごまかすための結構大胆な行動もしてみたり…。
でもそれが彼女にできるベストなのだ。
ベストを尽くそうと、どんどん色々なものから離れたり、脱ぎ捨てたりしたはずが、結局シャーロットの心に還ってきたのは、無二の親友や、母の愛情や、美しいサクラメントの情景だった。
その自覚ができた時、レディ・バードなどという仮面はもはや必要なくなっていた。大量の嘔吐と一緒に、重くて無駄な心の鎧を吐き捨てたのだ。
人間は還るところがあると知った時に強くなる。優しくなる。豊かになる。
館内はたった4人だったのだけれど、もっとたくさんの人に観てもらいたい映画だと、心から感じた。
子供の巣立ちと母の愛の物語
突き抜ける10代、親の愛。
ママお疲れさま、な気分。
カリフォルニア州は大きいので、ロスやらシスコのような大都市だけじゃないみたいです。
州都であるがサクラメントは割と郊外な感じ、平たく言えば田舎です。
そんなサクラメントに住むクリスティンことレディ・バードは高校生です。
2002年が舞台だとか。グレタガーヴィグが高校生だった頃でしょう。
わたしよりみっつよっつ年下の田舎娘のハイスクールダイアリーです。
レディ・バードって、自称が「てんとう虫」ってどうゆう趣味よと思っていましたが、
クリスティンの意図したところは「鳥婦人」らしいです。
どっちにしてもどうゆう趣味よ、なんですが、思春期女子のやることですから、苦笑交じりに見守るしかありません。
もう、自分勝手でどうにもしゃあないけれど、かわいい女の子でした。
母親とぶつかりまくり、性欲に踊らされまくり、田舎をでて東海岸の大学へ行きたいけど家計の都合上は州立大学へ行けと言われている。
1年で2回恋をします。恋というか、恋という名の前戯&性交体験に見えました。
もっと毒っけの強い母親からの脱却物語かと思いきや、心配症だけどすごくまっとうなお母さんとのお話でした。
母が娘にあてて書いたけど、書きあがらないし渡せなくって、こっそり捨てた手紙を父が娘に渡すんですね。それで母のことが少しだけわかるんです。
そのくだりが良かったです。
永らく妊娠しなくて(だから長男を養子で迎えた/なんで兄だけアジアかヒスパニックに見えんのかなってゆう疑問が解けた)、あきらめかけた後に授かったのがクリスティンだったようです。
母は手紙の有無にかかわらず、クリスティンを愛しています。明らかに。
だけど母は神ではないので、反抗的な娘を毎日毎日朗らかに接せない。
しかも母は、休職中でうつ病の夫をも支えなくてはならないので、余裕はない。
態度を軟化させたら母は毎日のエネルギーを前進にではなく、悲しみに注いでしまいそうで、多分ギンギンぷんぷんしていないとやっていけない。
だから娘にやさしくできない。
それがクリスティンには自分を嫌っているように見える、ということかなあと思いました。
進学先で揉める部分は、どちらが悪いとかじゃないなと思いました。
近くにいてくれという母の気持ちも分からなくはないし、
娘のニューヨークへ行きたい!という狂おしい衝動はもっとわかるし。
この場合、どんなに母が悲しく傷つくとしても娘の希望を押し切るしかないです。
少なくともわたしはそう思います。
むくれたまんまの母に対して、せつなく同情しました。
あなた十分頑張った。気持ちのやり場がないのはわかるから、気がすむまでむくれてていいと思う。
それで後悔することも多少あるだろうけど、今は気持ちが自然に凪ぐまで、自分を優先したらいい。そう思いました。
必要なときに言葉やしぐさや体で、ポジティブで愛情あふれるやりとりができる親子よりも、
どうしてもぶつかりまくってコミュニケーションが不全気味になる親子だけど、
愛情は確かにある、ってほうが、ほんとうっぽくていとおしく思います。
絵に描いたように美しいっていうのは、ありえないってこととほとんど同義だと思うもの。
レディバードの彼氏①はマンチェスターバイザシーのリーの甥っ子くんの中の人で、彼氏②は君の名前で僕を呼んでのエリオの中の人でした。
旬で素敵なキャスティングでした。
親友を捨てて人気者にすり寄って、お金持ちのふりして彼氏①のおばあちゃんのおうちが自分ちって嘘ついて、金持ちのモテ系女子にばれるとか、
童貞と信じて処女を捧げたらそうじゃなかったからショック!!!とかバカみたいなレディバードもよかったですよ。
追記
ママ役の人は、ビッグバンセオリーのシェルドンのママ役の人だった!!2018年にはまだビッグバンセオリーを見てなかったー。あたしあのシェルドンのママに泣かされてたんか!
若い諸君にぜひ見て欲しい。年寄りは、感動必須。
いいなぁ、こういう感性の映画って好きだなあ。
そして、女の子達が明け透けに、親に
その時の行為をいつしたら良いのかと尋ねる場面や、自身のオナニーや初体験についてごく自然に話す場面。びっくりしたけど、人間として当たり前の事、と捉えている社会なんだと思った。そう言う点で、私自身も、日本の社会も遅れているんだと思った。
本名クリスティンを嫌って 自身を符号の様にレディバードと言う18歳。この年頃は、自分の興味でいっぱい、他人を思う気持ちがない。ちょっと過干渉過ぎる母と進学のことで意見が合わない。そこで生じる軋轢。
アメリカの中産階級の話なんだろうか、父親のリストラや、養子らしい兄との関わり、カトリック系の学校の様子、吸うたばこの種類など、細かな点が色々あり、黒人が出ない映画だった。サクラメントってそうなの?興味深いなぁ。
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