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映画「デジモンアドベンチャー tri. 第6章「ぼくらの未来」」 デジモンアドベンチャー tri. 第6章「ぼくらの未来」
劇場公開日:2018年5月5日
解説
人気アニメ「デジモンアドベンチャー」の15周年記念作品として製作され、2015年から展開されてきた「デジモンアドベンチャー tri.」全6章の最終章。暴走したメイクーモンが変異した「ラグエルモン」と、八神ヒカリのパートナーデジモンであるテイルモンが暗黒進化した「オファニモン フォール ダウンモード」が合体した「オルディネモン」によって、世界の崩壊が始まった。その危機に立ち向かう選ばれし子どもたちとパートナーのデジモンたちは、力を合わせることを決意するが……。
2018年製作/98分/G/日本
配給:東映アニメーション、東映
スタッフ・キャスト
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2020年9月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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デジタルモンスターを知らない人が「きみとわたし」+「世界の危機」を題材にして作った作品です。こういった題材の作品は2000年代初めによく見かけましたが、だいたい「きみ」を犠牲にして世界を救い「わたし」が少し成長するという陳腐な結末になります。本作品もなんだかんだで「きみ(メイクーモン)」を犠牲にして世界を救うだけの話になってます。
そもそもデジモンは、アドベンチャーに限らず他の作品でも「諦めない心・信じる心」をテイマーとデジモンがお互いに持つことでこういった陳腐な結末を打破してきたし、それこそがデジモンの良さでした。
大人になるから子どものようにただ信じて行動するだけではダメだ・時には世界の圧力に屈しないといけないという世の中の理不尽さに従順になれと求める物語で結末を迎ようとするのは、物事の変革を成し遂げないただの逃げでしかないし、従来のデジモンでいえばそこからがスタート地点です。
第6章でオルディネモン(メイクーモン)を倒して平和になって完結しますが、なぜこの話を第4章でやらなかったのか謎です。第5章・第6章はデジタマで生まれ変わったメイクーモンの心情を深掘りして、イグドラシルに再利用されるメイクーモンを救う選ばれし子どもたちなど望月芽心やメイクーモンが救われる話を描いて欲しかったです。
メイクーモンは感染を拡大させたり、すべてのデジモンのデータを内包していたりする特性上、一度は倒されないといけない存在ではあると思います。ですが、それが救われてはいけない存在になっているのが謎です。
生まれながらにして殺されることが確定している無垢な存在をただ殺すだけの話でしかない本作品は、数多の物語の中でも二流だし、デジモンとしてはド三流でした。
2019年4月15日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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「デジモンアドベンチャー」劇場版シリーズ第8作。
「デジモンアドベンチャー<tri.>」六部作第6部。
レンタルDVDで鑑賞。
イグドラシルとホメオスタシスの思想戦争によって、世界は崩壊直前までいきましたが、選ばれし子供たちの苦渋の決断によってそれは回避されました。しかし、その決断とはとても世知辛くて切なくて…。この六部作は子供向けでは無かったんだなぁ、と云う印象を改めて強くしました。
子供時代に、所謂“無印”から一連のシリーズを観て来た人々が大人になり、現実世界の激動する時の流れの中で、様々な経験を経て来たからこそ、心に刺さって来るテーマを扱っているように感じました。デジモンの要素を除けば、現実と陸続きの世界観をつくり上げていたからこその芸当かと…。
思想戦争の発端が、そもそも両者の得手勝手に起因しているし、それに完全に振り回されてしまった子供たちですが、これらの出来事を通して一回りも二回りも成長出来たのではないかなと思いました。若干、急激な成長促進でしたが…。
世界は決して単純なものでは無く、楽しくて明るいことばかりが存在しているわけではない。良いことがあれば、それと同じくらい辛くて苦しいことも溢れている。しかし、嫌でもこの世界で生きていかなくてはならない。たとえ、十字架を背負うことになってしまったとしても…。
肯定したくない、でも否定は出来ない。二元論では片付けられない、ある意味理不尽過ぎる世界の真実に抗おうとした彼らの戦いを、心の底から称えたい心境に駆られました。
クライマックスのバトルは荘厳で、悲しみを湛えたエモーショナルなものでしたし、未来に向かって踏み出した子供たちに幸あらんことを願いたくなるラストも含めて、最後の最後でやっとまともな物語を観られたような気がして感無量でした。
最初から泣けた。
新宿に観に行くだけある。
次回作楽しみにしてます。
2018年5月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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メイクーモンの暴走する宿命が、設計ミスだったとして、
設計変更で修正できればよかったのに。
手持ちの情報は限られていて、世界がデジタルワールドに侵食され時間も限られていて、
暴走は止まらず、
答えが、メイクーモンを消去すること。
メイクーモンが消えるとき白い世界で美化されて
さよならするのが、
個人的に泣けた。
暴れたのは不良データを消去する能力を与えられた時点で設計ミスのせいで、
メイクーモンはどうにか自分の中でバランスをとろうとしてたはずで、
でも誰もそんな暗い宿命を負わされていないから、
分かり合えなかったはずで。
でも暴走しちゃったけど自我もなくなったけど
消去するしかない のか 消去したら救われるのか。
悪意集団ユグドラシルは侵食してきて、
調和をめざし再起動したがりのホメオスタシスも現実世界を再起動するとかいってて、
味方じゃなかった。
自分で消えることができなかったためか、メイクーモンその他すべての記憶がパスワードつきで保管されていて、メイクーモンの精一杯の抵抗がそれだったと思う。
開けたあとメイクーモンにも変化があったけど、
安定するには色々足りなかった。
記憶の種類も、人格の気の長さも、危険な能力の制御も、周りから受け入れられる姿形も。
メイクーモンの悲劇。
もう二度と同じ危険能力を持たせる設計でデジモンを生み出してはいけない。
選ばれた子供たちがデジモンを最善の進化に導くという定説が間違いだった。
もし危険な力を持たせるなら、トラブル発生時に力を捨てることができるように安全装置を多重に組み込んでおくべきだ。
ただの普通のデジモンになれることが、とっても遠かった。なんか悲しい。