スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
全497件中、1~20件目を表示
負の連鎖とか赦しとかじゃなくって、その先にあるモノ。おっさんは本作にそれを観た!!
完璧。
完璧だ。
今年のアカデミーは、またかっこつけたせいで、この大傑作の監督、マーティン・マクドナーを候補から外すというイカレた結果。
まったく何考えてんだか。
その演出力は、前作「セブン・サイコパス」の収拾がつかなくなったタランティーノのバッタもののイメージから一転。本作を、タランティーノ以上に人が描け、デヴィッド・リンチ以上にわかりやすい映画に仕上げた。
それは、フォーマットが西部劇であり、田舎町での珍事、という「ツインピークス」を彷彿させることでも分かる。
うまい!!こりゃ映画オタクにはたまらない。
・
・
・
「スリー・ビルボード」
・
・
・
本作の登場人物は常に対比の関係を持っている。親子、夫婦、黒人。白人、小人、ホモ。イカレた元軍人。
すべて何らかの形で「異形の存在」である。
そう、それこそが、アメリカ。
「そもそも、お前ら自身が異形の存在じゃねえか、なにを国外で、国内で、街中で、身内でバカな争いをしてんだよ(笑←これ重要)」
これこそが、マクドナー監督のメッセージだろう。
それを皮肉たっぷりに、でも愛すべき「西部劇」のフォーマットに乗せて、「愛すべきキャラクター」として登場人物を描いているのだ。
怒るものは怒る。
どうせお前たちはそうなんだろ?だったら、いっそいくところまで行っちゃえよ。
本作は主人公二人の成長のストーリーでは決してない。彼らは行きつくところまで行き、足を止めたのに、最後の最期でも間違った行動を起こす。だが、ラスト、その道中の一言が本作の、最も重要なセリフなのだ。
「あんまり」
なんだか気乗りがしない。でもまあ、みちみち考えてみようか。
このすこし今までの執着と諦めの分岐点。
人は簡単に転ぶ。また人が転ぶのは、これまでそうと思っていなかった人物の言葉に寄ったりする。
身勝手に自殺した(これはあまりにずるい行為だし、実際そのようにコミカルに描かれていた)署長の手紙に、大好きな曲の影響もあり、簡単に転ぶディクソン。ちょうとその裏では、最も怒りがMAXにおよび明らかに常軌を逸した行為となったミルドレッド。
行き過ぎた感情の爆発による警察署の放火のなかで、改心している奴がいるというブラックな笑いの構図。
あんなに差別的なディクソンの母親もとてもいい。ディクソンがああ育ったのはこの女のせいだが、ディクソンの支えになっているのもこの女なのだ。ソファーで眠る母親に赤い照明は、リンチの映画のよう。だが、その感情はリンチとは違い、とても穏やかだ。
誰もが、自分勝手、だが誰もが愛され、大事にしている人がいる。でもつまんないことで転び、つまんないことに改心させられる。
これって実はオレたち、外から見たアメリカのことでもあるんだよね。
本作は常に、怒りと笑いが寄り添う。それすなわち、執着と諦めの関係と密接に関わっており、それが本作の味わいとなっている。
声高に負の連鎖とか、赦しとか、じゃなくって、その先にあるものがこの映画の在り方なんだと思う。
追記
映画で使われる楽曲が、字幕なしになったのは本当にイタイ。何とかしてほしい。最近の映画は本当に楽曲はセリフなのだ。
追記2
本作を観ると、「デトロイト」の今年のアカデミー完全無視の事情もよく分かる。やっぱり「デトロイト」が古臭いのは、何も手振れの撮影方法だけじゃないってのが分かるというもの。
追記3
署長、もと夫、広告屋。田舎の野郎はみんな若いキレイな奥さんを手にしているなあ。
と最後にくだらないことを言ってみる。
3つの看板広告で、ここまで広げられる発想力が凄い! 一方で2年経っても解けない謎も…
本作は、(2018年の)第90回アカデミー賞で作品賞を「シェイプ・オブ・ウォーター」と競っていた名作で、作品賞、脚本賞など7つノミネートされ、結果は(「ファーゴ」に続き)フランシス・マクドーマンドが主演女優賞、(遅咲きの)サム・ロックウェルが助演男優賞を受賞しました。
本作の面白さは、何と言っても脚本だと思います。たったの3つの看板を使って、よくここまで緻密で深い話に持っていくことができたと感心します。会話も(良い意味で)高度で、例えば聖職者らが注意しても、辛辣でロジカルな皮肉で返していくといった攻防も非常に痛快です。
何度も繰り返して見たい「映画史に残る名作」であることは間違いないでしょう。
(ちなみに、私は作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」よりも本作の方が好きでした)
ただ、脚本の進行が高度であるからこそ、こちらも注意深く見てしまうからか、どうしても私には解らない大きな2つの「疑問」が存在しています。
そこが少しだけ引っかかるため、評価は4.5としています。
【以下、ネタバレありで書きます】
1つ目の疑問は、悪徳警官を演じるサム・ロックウェルが広告マンを2階の窓から投げ飛ばし、ボコボコにした件ですが、いくらミズーリ州の架空の田舎町と言っても、さすがにこれは「訴訟大国アメリカ」なのでアウトでは? 時代設定なのかと思ってみても、携帯電話は登場しますし、新署長の会話から2000年代ではあるので、訴訟は日常的な時代です。しかも他のシーンでは法律案件の会話も複数あるので、ここは論理矛盾が出ないような「何か」が欲しかった気がしています。
2つ目の疑問は、警察署放火の件ですが、「人がいるかの確認」のために電話をしていますが、これは放火の決定的な証拠になってしまうのでは? そもそもDNA鑑定が当たり前にある時代で、不自然な電話の通話記録の確認など当然のはずで、しかも手袋をせずに電話をしているので指紋の証拠としても厳しい気がします。
この2点は試写の段階から「解けない謎」でしたが、やはり現時点でも変わらない結果でした。
実は、本作のマーティン・マクドナー監督は、これだけの名作なのに、なぜかアカデミー賞で監督賞にノミネートされなかったのですが、私には理解不能で、せいぜいこの2つの「疑問」くらいしか思い浮かびません。
本作で好きになったマーティン・マクドナー監督の次回作もオリジナルでサーチライト・ピクチャーズ作品のようなので、またアカデミー賞級の作品になると思われ今から期待してしまいます。
2018年の公開作で最重要と言っても過言ではない
18年の最重要作と言っても過言ではない。これは片田舎で起こった小さな物語ながら、おそらくこの舞台には世界中のあらゆる人々の生き様が集約されているのだろう。だから我々はこの数少ない主人公たち(ビルボードの数と同じく3人)がいかに無茶苦茶をやって、己の行為について後から悔いたりしたところで、単純に糾弾したり同情することなどできやしない。
3看板によって突きつけられる言葉は「汝は天に顔向けできる人間か?」というあらゆる人間に発せられた問いかけでもある。誰もが全うな人間でありたいと願いながら、そうであることは難しい。全うに生きているつもりでも、気付かぬ内に道を踏み外していることもある。だが人は俯瞰したり意識することで変われる。正反対の人と繋がることだってできる。そんな普遍的なテーマへいざなうにあたり、これほど複雑怪奇なストーリーテラーぶりで我々をとことん翻弄したマクドナー監督に心から脱帽である。
「悪い冗談」のような傑作
良い意味で言うのだが、悪い冗談のような作品だ。登場人物のやることなすこと、ほとんどすべてが上手くいかず、想定外の帰結を呼ぶ。結末もあさっての方向に着地していると言って良い。そんなことをしてなんになるのだというような感じだ。
にもかかわらず、救いを感じさせてしまう。確かに人間はそういうものだ、という深い納得がある。
フランシス・マクドーマンドが主演だからというのもあるが、コーエン兄弟の『ファーゴ』を思い出した。狂言誘拐で少し身代金を取ってやろうと思いきや、やることなすこと裏目に出て、とんでもない殺人事件に発展していく。
アメリカの田舎の閉塞的な人間関係の描写を本質と観てもよいが、それだけではない凄みがある。主人公が見かけたシカはなんだったのか、自殺する警察署長の傍らで悠然としている2頭の馬など、異様に人知を超えた何かを感じさせる。人の努力とは別のところで運命は決定づけられているような、そんな奇妙な白日夢を観た気分だ。
マーティン・マクドナーが試みた西部劇の再構築。
カールした髪を少しだけ後ろで束ねて、そこにバンダナを締め、ツナギで武装した怒り心頭の母親、ミルドレッドが、ギターの爪弾きに乗って、レイプされ、焼き殺された娘の敵を討ちに行く。さながら、現代のミズーリにカウボーイがワープしてきたかのようではないか!?ジョン・フォードと同じくアイルランドに故郷を持つ監督&脚本のマーティン・マクドナーは、偉大な先人に敬意を表し、西部劇の再構築を果敢に試みている。しかし当然、ここでは善対悪の構図はかつてのように単純ではなく、悪人に見えた人間には情状酌量の余地が大いにあり、さも善人面して登場する人物が巨大悪の手先だったりする。そんな時代に、ひたすらいがみ合い、傷つけ合うことなど無意味なのだ。互いに思いやりを持ち、理解する努力を怠らないことこそ、人としての知恵ではないのか?想定外に次ぐ想定外で観客をとことん混乱させる物語は、最後に心和む着地点を用意して、そこはかとない余韻を残して幕を閉じる。その余韻はしばらく消えることはない。オスカー云々に関係なく、今年まず観るべき1作だ。
評判にたがわぬ大傑作
伏線らしき情報をちりばめて、こうなるんだろうなと飛びつくとあっさり予想を外される、緻密に練られた脚本がまず見事。これはジャンルの定石に収まらない、オリジナルな展開に満ちたストーリーだ。
フランシス・マクドーマンドにとって『ファーゴ』に並ぶ代表作だ。ウッディ・ハレルソン、サム・ロックウェルも実にいい。とりわけロックウェルがずっと嫌われ警官かと思いきや、まさかの“成長”を見せて驚かせる。
レイプされ殺された娘、町で孤立する母親、ガンで余命わずかの警察署長。悲劇的な要素に満ちているが、どこか人間を信じているような温かみ、確かな力が映画に光をもたらす。体験してよかったと心から思える傑作だ。
シュールで話が転がる転がる!
娘を殺害した犯人を探してほしい…そんな愛情物語かと思いきや、話が転がり続けてとんでもない展開に。
全てが燃料投下となり、怒りが怒りを呼び、暴走する母親ミルドレッド。
イニシェリン島と同様にのどかな田舎町での日常が、狂気の沙汰に発展します。
人間紙一重の恐ろしさを味わいました。怖いけど面白かった!
(続きブログ)
脚本の巧みさ、役者の個性を活かした役割、作品の完成度
どれをとっても超一流。
娘をレイプして焼き殺された母親の怒りが3枚の広告看板・・・
ビルボードにしたことから、巻き起こる小さな町の騒動。
重苦しいテーマなのに、個性的な登場人物それぞれの超一流の演技が
化学反応を起こし忘れられぬ名作として心に残る。
人物造形・・・これが素晴らしい。
主役のフランシス・マクドーマンド、
彼女からボードの一枚に、
「なぜ?ウィロビー署長」と名指しされる
警察署長役のウディ・ハレルソン。
ミルドレッド(マクドーマンド)と対立する黒人差別主義者
の警官・ディクソン巡査(サム・ロックウェル)
広告を請け負う代理店のレッド。
彼はディクソン巡査から暴行を受けて大怪我をする。
小男のピーター・ディンクレイジ。
ミルドレッドの別れた夫。
それぞれ適所適材で役割を果たす。
《事件》
7ヶ月前、ミルドレッドの19歳の娘がレイプされ焼殺されてた。
なんの進展もない捜査に業を煮やしたミルドレッドは犯行現場の町外れに
3枚のビルボードを立てることを思いつく。
①枚目は「レイプされて死亡」
②枚目は「逮捕はまだ」
③枚目が、「なぜ?ウイロビー署長」
この看板は目立った。
土地のテレビ局が取材に来る。
このビルボードは波紋を呼ぶのだ。
一番面白くないと思ったのはディクソン巡査。
ミルドレッドの勤務先の店長を逮捕拘束する・・・に始まり、
広告代理店のレッドは店の窓をディクソンに割られ、
レッドは窓から投げ飛ばされ、靴で顔を踏ん付けられる。
更に激昂したミルドレッドは警察署を襲撃。
火炎瓶で放火するのだった。
そこに警察署を首になったディクソンが居たのだ。
膵臓がんで余命わずかな署長ウィロビーは拳銃自殺を図り
死んでしまう。
ディクソンはウイロビーの遺書を読んでいたのだ。
あれよ、あれよの展開!!
短気で抑制の効かないミルドレッド。
何も捜査してくれないように見えるウイロビー署長が
実は感慨深い人物。
彼の残す3通の遺書は実に筋が通っていて感動する。
レイシストのディクソン巡査のレッドへの暴行を目撃するのが、
次期警察署長として赴任した黒人署長。
実に人を喰ったストーリー展開で、こじれにこじれるのだ。
今になって分かる後付けの情報。
監督・脚本はマーティン・マクドナー。
劇作家で脚本家で映画監督。
2022年公開「イニシェリン島の精霊」の監督で脚本も書いている。
この映画は実に面白くて非常に好きな映画です。
友達だった2人の男の《凡人には理解し難い分断》が際立った。
逆に「スリー・ビルボード」では、全く分かり合えなかった
ミルドレッドとディクソン巡査が共犯者のように旅立つラスト。
ちょっとした雲行きで《同志になる不思議》も人間関係にはある事を
示唆して終わる。
怒りをたぎらせるミルドレッドだけれど、
広告料をカンパしてくれる匿名のメキシコ人や、
ミルドレッドの放火を庇うてくれ、
貼り直す看板の脚立をそっと支える小男ディンクレイジ、
何も責めずに母を見守る息子のルーカス・ヘッジス、
そして何より、遺書に小切手を忍ばせて事件の解決を望んでる
ウィロビー元署長。
ミルドレッドは優しい善意に守られている。
アイダホ行きの車中には、心地よい風が吹いている気がした。
復讐の連鎖物かと思いきや、、、!
娘を殺された母が
事件解決のために広告を出す話。
序盤の展開を真逆に覆す素晴らしい脚本でした。
序盤は警察含めた街の人々の醜い争いが
描かれており人間の汚い部分がたっぷりです。
復讐は新たな復讐を生む、因果応報、など
数々の映画で描かれていたものです。
今作も同様のものかと思いきや、
終盤からいきなり流れが変わります。
感情の動きとしては、
序盤、胸糞わるい!
中盤、スカッとジャパンみたい!
終盤、ふぁああ(穏やかな気持ちになってます)
でした。
人間の嫌なところ、いいところを
ギュッと詰め込んだ良作でした。
エンディングは人それぞれですかね...
音楽も含め、のどかな雰囲気の街で「突き止めてやる」と挑発的な看板を掲げた母。威勢のいい風貌で、これから戦うような気合が入ってていいです。
事を穏便にしようと周りが気を遣うのですが、悪いことしてないので聞く耳を持つ余裕なんてありません。母にとっちゃ世間体より死んだ娘の事件を解決したいと思うのは当然でしょう。
しかし怒ってる相手でもある警察署長が癌だったり、(自分も聴きますが)ニルヴァーナが好きでマリファナやってる娘だったり、事件は娘とケンカした後に起きた...どれも悩ます問題で心中おだやかになれるわけありません。
ただこの映画は主人公だけでなく、他の登場人物にも重み・問題があるため「しながら観」しているわけにはいかない魅力があります。
「え~、これで終わりなの?」と感じましたが、考えさせるラストの運転でした。
(二人の気持ちは)
・そう言われても可能性はゼロじゃない気がするから行く
・ここまでやってきたんだから、流れついでに行く
・ひょっとしてもう警察は関わりたくないのでは? じゃ自分達で確認する
・犯罪であることに変わりはない、違う人でも許せないから行く!
・行けば少しは気持ちが落ち着くかも
等々...それはもう色々な気持ちが入り混じってる。
スキのない素晴らしい映画でしたが、個人的には白黒ハッキリさせてほしい気持ちが多めに残ってしまいました。だって悪いことなんだから世の中のためにはその方がいいじゃん。上手くいかないもんなのかなと。。。
下衆の勘繰りかもしれないが。
アカデミー賞の部門賞を幾つも取った作品で、サム・ロックウェル、ウッディ・ハレルソンも出ているのだが、僕は余り楽しめなかった。一番の理由は主人公の生き方にかけらも共感出来ないこと。勿論娘さんを殺されたことには大いに同情するが、余りにも生き方が自分中心。なんでも自分以外の何か(他人とか、政治とか、世の中とか)のせいにする姿勢には共感できない。そもそもこの作品はやたら社会問題(人種問題、移民問題、銃のあり方、LGBTなど)を取り上げているが、製作陣がそうすることによって賞を取りに行ったのではないかと邪推してしまう。ほぼ同じ製作費で監督も同じ、出演者もやたら被っているセブン・サイコパスは商業的には全く成功しなかったが、僕はこちらの方が好き。サム・ロックウェル、ウッディ・ハレルソンの2人は今回もかっこいい。
ストーリー展開とともにキャラクターの人間性の裏面が浮かび上がる優れた群像劇
他のレビューにもあるが、本作はコーエン兄弟の『ファーゴ』に似ている。主演が同じというだけでなく、雰囲気が似ているのだ。
その類似感が何処から来るかと言えば、恐らく人物像の設定や会話が通常のドラマのイメージから若干ズレていることに由来する。
例えば『ファーゴ』の場合、田舎町のノンビリした間抜け揃いの警察官の中でただ一人、頭脳の回転が素晴らしく犯罪推理のキレが抜群な人物がいて、それがこともあろうに臨月も間近いオバちゃんだったというユニークさが際立っている。
田舎町のゆったりしてまどろっこしい口調の人々と犯罪者たちの神経質で緊張した口調との対比、人柄はいいが気が弱くてつまらない仕事の愚痴をこぼす肥満男と、彼を慰める妻であるオバちゃん警官とのアンバランスぶり等が全体のズレてユーモラスな雰囲気を醸し出していた。
本作の場合もそうしたキャラクターや会話のズレがいたるところに見られる。
例えばいかにもマッチョで、バカな若い娘のレイプ殺人事件など適当に処理してしまったと思われた警察署長は、実は家庭内では大変な愛妻家で子供思いのよきパパで、ガンにより余命も限られた境遇ながら部下の言動には愛情深く気を遣っている。そして主人公には事件の報告こそなかったものの、きちんと捜査をしたことがわかってくる。
差別主義者の警官は乱暴者でやたらに暴言を吐く威勢のよさと裏腹に、でっぷりと太った母親の言うがままのマザコンだが、一皮むくと根は犯罪捜査に熱意のある有能な人物である。
主人公の味方をしてくれる数少ない住民の一人、小人症の男性は、主人公に気に入られようとしているだけの弱者かと思えば、最後には自分をないがしろにする主人公に厳しい叱責を浴びせるしっかりした男だ。
『ファーゴ』と違うのは、映画の展開の中で人々が関わっていくうちに、多数のキャラクターの人間性の裏面が明らかになってくる群像劇というところだろう。
そしてストーリー自体についても、単に米国中西部の田舎町の保守的、排他的雰囲気を描くというようなものではなく、住民の中にもさまざまな意見があり、違う人々が関わり合っていくうちに、町のイメージも徐々に複雑な様相を見せ始めるといった面白さがある。
ラストで主人公とクビになった警官がレイプ男を制裁しに出掛けるところで、「奴を殺すかどうかは行く途中で考える」ことにしたのは、一種の救いと言えようか。
コーエン兄弟ぽい?
アメリカの田舎町で事件が起き…
って話だったので、
『ツイン・ピークス』っぽいのを期待してたら違ってて、困惑、ガッカリ…
脚本は練られてて、予想できない方に話は動いていきます。
途中まで、コーエン兄弟の映画ぽくてシニカルな感じを受けました。
評価が高い映画みたいだけど、
個人的には、まあまあ…
人の優しさにふれる
1時間55分もあったかなと思う。短く感じた。てことは内容が良かったからなのかも。
警官に暴行された広告店の若者と加害者が病院で遭遇して 若者の優しさに触れ 暴行した事を詫びると 若者は憤慨するがそれでもジュースにストローをつけて差し出してくれた。
その寛大さに心動かされた。
その警官が今度は主題の強姦殺人の犯人らしき男に遭遇し事態は急展開し始めるが……そこからあっさりと終わってしまい とても短く感じた。もっともっと先が長くても集中して見れたなと物足りなく感じた。でも内容が良かったので星4.5。フランシス・マクドーマンドが出てる映画はおもしろい(^_^)
魂が震える
9ヶ月前に娘を亡くしたミルドレッド
事件の進展がないことに対し、警察の怠慢を訴える看板を立てる
街の見る目は冷たく、警察に非はない
署長は人生の最後を最高の思い出にするために自殺する
自らを名指しで批判する看板の設置料を支払い、それぞれの主人公に手紙を送る
警察をクビになったディクソンは酒に浸るうちに犯人と思しき人物の話を聞く
この件の犯人ではなかったものの(軍の関係者と匂わせられているのでもみ消された可能性も)ディクソンとミルドレッドはこの男の元へ向かう
あまり気が向かないが、道々考えるという
ヴィロビー、ミルドレッド、ディクソンがメインで話は進む
3人共に行動に対して躊躇いがない
理不尽な犯罪や世間の偏見、病など問題を抱える中それぞれに対して行動する
上手くいかないことの方が多く決してスカッとする話ではない
世の中を呪い生きる2人か、希望をもって死んだ1人か
3つの誇大広告で終わらない!
フィクションの映画ですが、実際に起きた事件のようにリアリティがあります。
全体を通して、皮肉と悪いジョークが味付けではなくメインディッシュのようになっていて笑えました😂
娘を殺されてしまった母親が主人公ですが、街の関わりがある人々も人物像がしっかり描写されています。
すべての登場人物がとても重要な役割を果たしていて、母親の味方をしてくれる人に平等に感情移入してしまいました…
署長が自宅で亡くなってしまうシーン、病院のオレンジジュースのシーンがなんとも言えない悲しい気持ちになります😢
真犯人や犯人候補をのぞいたとして、本当に悪い人は登場しないので、私はあまり嫌な気持ちになりませんでした。
人は追い詰められたり、怒りでまえが見えなくても
誰かを助けてあげたい・誰かに支えてほしい
という本質的な優しさがあるので、支え合う事の大切さを実感した映画でした。
映画館で鑑賞後、終わり方がスッキリしませんでしたが、2度目を家でみたあとは意外と気になりませんでした!
心に残る名作!
とにかく素晴らしい作品で、アカデミー賞作品賞間違いなしと思っていたら、「シェイプ・オブ・ウォーター」に負けた。(翌年も「ROMA/ローマ」に間違いなしと思っていたら「グリーンブック」に負けた)(もちろん「シェイプ・オブ・ウォーター」も「グリーンブック」も素晴らしい作品です)
それまでアカデミー賞というのを単純にすごいもの(映画界での絶対的な権威)と認識していたが、(たくさん映画を見るようになって)、数ある映画祭の1つに過ぎず、選考も本当にその年最高の作品を選んでいるとは限らない、と私に認識させた作品。
「赦し」という意味で、深く心に残る。
まるでれんのパイロットを見るような
ここから話が繋がって展開していく連続ドラマのパイロット・エピソードを見ているような感じでした。「ブレイキングバッド」「ファーゴ」なんかが好きな人はハマるんじゃないでしょうか。
というのも、登場人物の一人一人が丁寧に描いてあり、ストーリーの中でちょっとずつ成長、変化していくからです。
そのきっかけが、3枚の看板であり、次が警察署長の手紙。で、とどめが、酔って居眠りしている時に隣のテーブルから聞こえる自慢話。
ディクソンがストーリーの中で変わっていくのが全部誰かからのメッセージなのが面白い。
あえて、焼き殺されながらレイプされる残忍な犯行の様子とか、犯人像の謎解きのようなドラマにしなかったのも、家族を破壊され再生していく母親にフォーカスすることで、感情の動きが盛り上がっていく様子が分かり、引き込まれます。なかなか面白いドラマでした。
2018.2.6
全497件中、1~20件目を表示