アイリッシュマン : 映画評論・批評
2019年11月26日更新
2019年11月15日よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほかにてロードショー
伝説の男たちが、映画の新時代と技術の力を借り到達したさらなる高み
こんな映画がもう一度観られるとは夢にも思わなかった。一時代を築き上げた錚々たる面々が、再び徒党を組んで目の前にいる。いまやマーティン・スコセッシ監督を始め、メインキャストの誰もが70代以上。にもかかわらず、ここには同窓会的な生ぬるさなど一切ない。これは鋭利な刃物だ。容赦なく撃ち込まれる銃弾だ。さらに言えば、3時間半に及ぶ本作の語り口は、同タイプの「グッドフェローズ」や「カジノ」よりもはるかに洗練され、迫力と重厚感を増している。
冒頭、流麗な長回しを経てたどり着く部屋で、カメラは24年ぶりのスコセッシ長編への主演となるロバート・デ・ニーロを捉える。この主人公フランクの一人語りによって追想されるのは、アイルランド系のトラック運転手だった彼がマフィアの下で“ペンキ屋(壁を血で染めるという意味)”として厚い信頼を勝ち取っていくクロニクルだ。
おびただしい数のキャストには、その登場時、後の死亡日時と死因が添えられる。つまり皆がろくな死に方をしないということだ。そんな中で、カエルのような眼光のジョー・ペシは小柄な体からは想像もできないほどの威圧感を放ち、眉間に皴を刻んだハーベイ・カイテルは登場シーンこそ少ないものの、相変わらずの鋭い視線で作品をキリリと引き締める。
そして、物語が中盤を過ぎゆく頃、ついに投入される最後のカードこそアル・パチーノ。これまでスコセッシと極めて近しいところにいながら一度もコラボする機会のなかった彼が、マフィアともつながりのあった超大物ホッファ役を怪演する。感情的にすぐ爆発するホッファが「攻め」ならば、そのすぐそばで問題調整に努める主人公フランクは「受け」。このパチーノとデ・ニーロの高度なキャッチボールに再度ジョー・ペシが絡みこむ三角関係を、これほどダイナミックに映し撮れる人はやはり彼らの全てを知り尽くすスコセッシを置いて他にいない。なんと贅沢なひと時かと溜息がこぼれるほどだ。
もちろん、名優たちが体ひとつで50年代から70年代までを表現する上では最新のCG技術が不可欠だった。が、技術は技術。ここではむしろ各年代を演じ分けた表現力と、あらゆる手段を使いこなし胸に迫る追想劇を描ききった巨匠の技を称えるべきだろう。そしてこの恐れ知らずの企画にゴーサインを出したNETFLIX。彼ら一個師団の妥協なき共闘あってこそ、我々はいま、過去ではなく現代の、アップデートされた「伝説」を万感の思いで見つめている。
(牛津厚信)