散歩する侵略者 : インタビュー
長澤まさみが“世界の崩壊”の中で追求した女性のリアルな心情
突如訪れた世界の崩壊を、1人の女性の視点を中心に描く。「岸辺の旅」でカンヌ国際映画祭のある視点部門監督賞を受賞した黒沢清監督の最新作は、劇作家・演出家の前川知大氏率いる「イキウメ」の人気舞台作品の映画化プロジェクトだ。主役を演じるのは、黒沢組初参加となる長澤まさみ。「アイアムアヒーロー」や「銀魂」から、ミュージカル「キャバレー」、アニメ映画「君の名は。」「SING シング」では声優としての手腕をも発揮。30歳を迎え、より一層マルチに活躍する長澤は、妻役に挑戦した「散歩する侵略者」(9月9日公開)で何を吸収し、何を表現したのか。本人の口から飛び出したのは、「愛」と「怒り」という真逆の言葉だった。(取材・文/編集部 写真/堀弥生)
第70回カンヌ国際映画祭でお披露目され、世界25カ国での公開が決定している本作は、黒沢清監督史上最大規模のエンターテインメント大作だ。数日間の行方不明の後、夫・真治(松田龍平)が別人のようになった状態で帰宅し、変ぼうぶりに戸惑う妻・鳴海(長澤まさみ)。その日を境に、ちまたでは不可思議な現象や一家惨殺事件が頻発し、自らを「侵略者」と名乗る真治の不可解な言動も相まって、鳴海の日常は恐るべき早さで侵食されていく。長澤は、突如非日常に放り込まれた女性の混乱や不安をリアルに体現しつつ、たとえ別人のようになったとしても夫を思い続け、何が起こっても守ろうとする女性ならではのしなやかな愛をも演じきっている。
長澤は「私が演じたのは愛の物語のパートなので、本気で松田さんのことを好きになる、大切な人と思うということが、第1歩かなと思って演じていました。自分に今までなかった、乗り越えられなかったお芝居ができればなと思っていたので、そういう感情は大切にしなくちゃなと。自分が没頭する、集中することが課題でしたね」と“愛”の表現に腐心したと明かす。長澤の努力が集約されたのが、鳴海が真治にあるセリフを投げかける見せ場のシーン。鳴海の真治に向けた途方もなく深い愛情が、見る者を震わせる内容となっているが「女性の愛というのは大きいと感じました」と振り返る。
そのシーンに到達するために重要な要素となったのが、鳴海の中に渦巻く怒りの感情だ。長澤は「台本を読んで初めに思ったのが、(鳴海は)ずっと怒っているなということ。ただ相手に対して怒っているだけだったらとっても薄っぺらい人間に見えるし、いまいち自分の中で腑(ふ)に落ちなかったので、監督に『何に対してこの人は怒っているんですか』と質問したら、『自分の身の回りのことに怒っているのではなく、世の中に対して、目に見えない大きいものに対して怒っているんだ』と言われて、すごく納得できたんです」と黒沢監督との対話が、鳴海を演じる上で不可欠だったと語る。
怒りは、愛情の裏返し。黒沢監督に背中を押された長澤は、鳴海の感情が怒りから愛へとシフトしていくさまを見事に演じ分けた。「愛情のない人間じゃなければ、怒ることはしないですよね。どうでもいい人間には、自分の感情は動かない。女性らしさもあると思うのですが、強さだったり弱さだったり、怒りというものに含まれる要素はたくさんある。怒りの中に、いろんな表現が隠れているというのがすごく魅力的だったし、この役を演じる上で、大切にしなきゃいけないところだと感じたんです」。「黒沢監督と一緒に仕事ができて、また1つ夢がかなってうれしかった」と晴れやかに語る表情からも、長澤が得たものの大きさがうかがえる。
“パートナー”という概念についても、作品に参加したことで新たな考えにめぐり合ったといい「愛情表現は育むものだなと思いましたし、夫婦という関係性のなかには、平等という言葉はないのかなと感じましたね。男尊女卑とかではなく、2人いたら前と後ろという立ち位置になる。そうでないと多分関係性が崩れるし、うまくいかない。やっぱり平等というのはとても難しいし、それを成しえたいなら、臨機応変にそのときそのときで、入れ替わることができる夫婦は平等なのかもしれない。でもそれをできるほど人間はそう簡単に大人になれるものじゃないし、すごく幼稚な感情を持っている生き物。だけど幼稚さを出せるから一緒にいられるわけで、“愛”というものからすごく“関係性”を感じました」と述べた。
撮影に際しては「役者の知り合いから、監督は1発本番らしいと聞いていたので、とりあえずそれに対応できるように、心構えはしていました。自分に足りないものは自分でもわかってきているので、衣装合わせのときに、監督に『思うことがあったら言ってください』と初めにお願いしましたね」と振り返る。黒沢監督の現場を実際に体験した印象は「現場に入って、一連の流れを監督が口頭で説明してから、そこに芝居を当てはめていくという感じでした。感情的な表現としては、割とストレートに演じない」のが特徴だったという。
「『今日の晩御飯、何にする?』って言うシーンは特にわかりやすかったんですが、あの状況下(世界が崩壊に向かう真っ最中)において、もう後にも先にも引けなくなって、周りはすごい状態になっているのに急にぽつりと言う言葉には、世の中で起きていることに対してものすごくどうでもいい、というような感情が込められていて。何を食べたいか聞くっていう感情表現は、自分にはない感覚で。でもそれがリアルなんじゃないかっていうお芝居はとても勉強になりましたし、多分今までだったらもっとストレートに演じてしまっていたところが、また違う普遍性を持つシーンになって、面白いな監督の演出は、と感動しましたね。海外の映画祭に数多く作品を持って行かれている監督だからこそ知りえる感情の出し方、もちろん映画をたくさん知っているからこそでもあるんでしょうけど、面白かったです」と充実感を漂わせた。
本作に登場する侵略者は人々から“概念”を奪い、人間を理解しようとしていく。長澤もまた、出演したことで思考が深まり、表現者として歩みを進めたのだろう。「“人間とは”というのを感じられるし、メッセージをたくさん含んだ作品。それがこうやって、今までに見たことのないような新しいエンターテインメントとして映画になるのは、とても有意義ですよね」と参加した喜びを語った長澤は「でもあんまり深く掘り下げすぎても楽しめなくなっちゃうから、こんなことが起きているのかもしれないという、わくわく感をもって見てほしい。単純に、楽しんでもらいたいですね」と締めくくった。