ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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ライアン・ゴズリングはよかった
ライアン・ゴズリングの演技は素晴らしかった。
ジョイも壊され、ハリソンの子供でもなかったのに人間らしく死んで行くことを選んだKの最後はよかった。
が、それに到達するまでが長すぎる。
映像美と言われてるけど、そんなにきれいともならない。アクションシーンも特になく、、、。
もう少し削って短かったらよかったのになーって感じです。
映像美と世界観
IMAX3Dで鑑賞。
IMAX専用のオリジナルカウントダウンから冒頭のソーラーパネルの俯瞰シーンで一気に作品世界に引き込まれる。
前作の評価に囚われすぎることなく、よくここまでの世界観を構築し素晴らしい映像美を作り上げたものだと感心した。
ドゥニ監督とロジャー・ディーキンスの撮影ががっちりと噛み合った素晴らしいSF作品。
グリーンバックでの撮影を極力避けたという、セット主体の撮影は臨場感が抜群だし、VFXチームもすごくいい仕事をしている。前作では酸性雨が降り続けるロサンゼルスの街が舞台だったが、今回は汚染されたラスベガスや大波の防波堤等様々な場所のシーンがあったのでシーン毎に世界観を変える照明の作り込みは大変だったんじゃないだろうか。
ハンスジマーの音楽も良かったが、場面によってはもう少し王道の音を使っても良かった気がする。
役者勢も皆ハマり役というか、役をしっかりと掴んでいて良い。ライアン・ゴズリングは表情が乏しい役にも関わらずよくここまで感情を演技できるものだと感心した。
アナデアルマスはひたすらキュート!
AIホログラムというかなり特殊な役柄だが、それ故の哀しさやもどかしさをよく演じれていて、見た目だけの女優ではないところを分からせてくれた。
上映時間は少し長い気がしないでもないかな。
あと、終劇後にキャストのテロップが出て表題『ブレードランナー 2049』がバーンと出るのだが、凄くカッコいいその画面の端っこに【映倫】って出るのは何とかならないのか。
( ˘ω˘ )Kは幸せだったのだろうか?
全米でこけた?なんで?嘘でしょ?良質映画ですよ。
主人公Kの人生が幸せだったか?視聴者がどう考えるかで見方が変わるんでしょうね?
彼の満足げな顔を見て彼は人として最後を全う出来たんじゃないかと信じています。彼の人生は無駄ではなく大義のため、人との出会い、思い出、記憶を得ることができ明らかに幸せだったのでしょう。
誰かのために命をかけたのですから。
人形と人の差は?『イノセンス』『攻殻機動隊』などの映画でテーマになっていたと思いますが、本作もそうなのでしょう。記憶の位置が重要であるのですが、それは簡単に植えつけられるもので、だから人形と人の境目が曖昧になっているのでしょう。。誰かのための自己犠牲的な精神とその記憶は人と定義する一つの指標なのでしょうね。
いい映画でした。
難しい...
SF最高傑作
アナ・デ・アルマスの造形の美のみ
私たちがSFに見慣れてしまったのか?
完璧な続編。
「人間らしさ」とは
SF映画、傑作が続いた。ドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』に続くこの『2049』は、やはり文句なしの傑作だ。
本作は、前作のテーマでもある、「レプリカントがレプリカントたり得る要素とは何か」という深淵なる主題をより深く掘り下げている。ジョイがKに言った、「人間も所詮ATGCからなるデータだ」という言葉は、より人間とレプリカントの境界を曖昧にする。作られた人間には魂がないというが、果たして本当にそうだろうか。
人間は、単なる自然の一部でしかない、という消極的なアイデアがある。つまり、人間は我々が考えるほど崇高なものではない、というニヒリズム的思考である。我々が生きる目的など存在しないのだ。この観点を当然にしているのが科学である。
しかし、科学は、本当に我々が自己蔑視するに値する十分な根拠となり得るのか?それは、我々が持つ意志や人間とは何者なのかという疑いを隠し、理由をつけてただそこから逃げているのに過ぎないのではないだろうか。
ニーチェは、人間が人間たり得る要素は「力への意志」であるという。力への意志こそが、人間を動かす根源的な動機であり、できるだけ良いところに昇り詰めようとするのだという。そこに人間らしさが存在しているのだ。(しかし実際には、科学やキリスト教などは、より良い理想の欠如によって我々は「無を欲」したために所謂「禁欲主義的理想」となって永らく崇拝されてきたのであるが。)
『2049』では、ラヴとジョシのシーンが示唆的だ。ジョシは、レプリカントが繁殖したという事実を「無」かったことにしようと尽力する。ラヴはそんなジョシに、真実を理解しようとしない愚か者の人間であると罵り、殺害する。
Kを保護した反乱軍にしても、自ら「力への意志」を追求するレプリカントは人間よりもはるかに人間らしいだろう。他方の人間は、彼らから目を逸らし、自身の存在を正当化するように、レプリカントを排斥する。自らの存在を揺るがす恐怖を隠蔽し、逃避するため、「無力」へと力を使う「禁欲主義的理想主義者」の姿である。
そうして、人間とレプリカントの境界が揺らぎ、混濁したのだ。人間はATGCの配列によるデータでしかない。それはレプリカントも同様だ。両者のボーダーが崩れ去った時、あの荒廃した極ユートピアの世界に、真の理想は誕生するのだろうか。自らを神格化し、レプリカントの製造を進めるウォレス博士こそが、その理想が「視えている」のかもしれない。
両者の境界をぼかした上で、彼らの子供は果たしてどちらだと判別されるのか、そんなことは真のユートピアにおいてはもはや問題ではないのだ。
30年前ではあり得なかったが、30年後の現在だからこそよりリアリティと危機感を煽る、壮大な社会的テーマを扱った『2049』は、確かに「映画続編の最高傑作」と言われても納得できるほどだった。やはりドゥニ・ヴィルヌーヴらしく、脚本だけでなく、映像はどのシーンを切り取っても美しく、音楽も素晴らしい。彼の作品は一通り観たが、間違いなく現代映画界において最も力のある監督の1人であることは間違いない。
彼の作品にリアルタイムで出会えることが、本当に幸せである。
高評価の謎
アンドロイドは2次元嫁の夢を見るか?
命の意味
胸が締め付けられる
原作の題名は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」。生きたペットを飼うことが特別なことになった時代、人間は電気羊に偏愛を寄せる。果たしてアンドロイドは人間のように電気羊の夢を見るのか?
電気羊への偏愛が最も人間らしい要素だとすると、ジョイを愛するKは実に人間らしいわけだ。
「あなたは特別」って励ましてくれるジョイの可愛さと二人の繊細な愛情表現にグッとくる。
一度社会がシステム化されてしまうと、善良な市民はその枠組みの中で自分の役割を遂行して生きていく。悲喜こもごもあり、あらがいながらも「切ないよ」と嘆くのが関の山。システムに組み込まれることの恐ろしさを痛感する。
完璧なレプリカントとして生かされるKは、まさに現代人へのオマージュだと思った。
最後まで誰よりも人間らしいKの切なさはさることながら、普通の青年が戦争に行かされる現実や、カズオイシグロの「私を離さないで」の若者たちを連想して、胸が締め付けられた。
期待に答えた内容だった
う~ん…。
老体にムチ打っての水攻め!?
デッカードの登場はオリジナルが好きな方達への接待になっている。
後半から女ターミネーターみたいで気持ち冷めてしまう感覚に陥る。
D・ヴィルヌーヴってノーランみたいに過大評価されて持ち上げられ過ぎな気もするしエイリアンに執着してないでR・スコットが撮っていても。
R・ゴズリングは「ラ・ラ・ランド」同様にあまり魅力を発揮出来ていない。
オリジナルのレプリカント達の哀愁漂う怨念というかそういったモノを一挙に背負った姿を魅せてくれている感はある。
映画全体のLOOKにヴィジュアルとオリジナルには敵わないのは否めないしその分、ストーリーで魅せてくれる筈が間伸びしている感じも。
続編ではあるのだが素直に認められなくて全くの別物でも無いがそう思えてしまう。
この先に物語があるのならゴチャゴチャに「ターミネーター4」みたいに反乱起こしての戦争状態になってしまう目も当てられない顛末になりそう!?
H・フォードも「スター・ウォーズ」に「ブレードランナー」と過去を引きずらないと輝けない存在に次は「インディ・ジョーンズ」か!?
もしくはJ・ライアン!?
オリジナルからの続編でもありリブートでもありリメイクでもあり本作自体が単体のオリジナル作品とも取れる不思議な一作。
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