たかが世界の終わり(2016)

劇場公開日:

たかが世界の終わり(2016)

解説・あらすじ

「Mommy マミー」「わたしはロランス」などで高い評価を受けるカナダの若手監督グザビエ・ドランが、「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のマリオン・コティヤール、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥ、「ハンニバル・ライジング」のギャスパー・ウリエルらフランス映画界を代表する実力派キャスト共演で撮りあげた人間ドラマ。劇作家ジャン=リュック・ラガルスの舞台劇「まさに世界の終わり」を原作に、自分の死期が近いことを伝えるため12年ぶりに帰郷した若手作家の苦悩と家族の葛藤や愛を描き、第69回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた。若手作家のルイは自分がもうすぐ死ぬことを知らせるため、長らく疎遠にしていた母や兄夫婦、妹が暮らす故郷へ帰ってくる。しかし家族と他愛のない会話を交わすうちに、告白するタイミングを失ってしまい……。

2016年製作/99分/PG12/カナダ・フランス合作
原題または英題:Juste la fin du monde
配給:ギャガ
劇場公開日:2017年2月11日

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第69回 カンヌ国際映画祭(2016年)

受賞

コンペティション部門
グランプリ グザビエ・ドラン

出品

コンペティション部門
出品作品 グザビエ・ドラン
詳細情報を表示

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画評論

フォトギャラリー

  • 画像1
  • 画像2
  • 画像3
  • 画像4
  • 画像5
  • 画像6

(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual

映画レビュー

4.0思い出ゲリラ

2025年2月26日
Androidアプリから投稿

私はドラン監督の作品を観る前に、毎回少し覚悟がいる。心のどこかにあるカサブタを剥がされる気がするからだ。上手に隠したはずのカサブタを見つけ出し、容赦なく掻きむしって剥がす。
作中に描かれるような家庭環境でも、人生でもない。でも、ドランは確実に私のカサブタを引っ剥がすのだ。

さて、私も出来るだけ実家には帰りたくない種族だ。特に関係が悪い訳でもないし、両親ともにドラン作品に出てくる親ほどエキセントリックではない。極一般的な家族とも言える。でも帰りたくない。「実家」という箱に記憶や良い思い出も悪い思い出も、心の古傷も置いてきたからかもしれない。(さして大したものでもないのだが)
「実家」を共有する家族たちは思いもかけない記憶を共有していたり、違う視点から記憶していたりする。そして不躾に思い出ゲリラのように、掘り返し披露する。血縁のある家族ほど無遠慮なものはない。掘り返された記憶はまた生傷となり、カサブタになるまで埋めて置かねばならない。大した傷ではないのだが、心は治りが遅い場所なのだ。
わかってほしい。ルイも私も実家が嫌いなのではない。実家を出るときに記憶や思い出、後悔を丁寧に葬ったはずなのに。生傷には手当てをしてでていったはずなのに。時に無邪気に時に必要以上に重々しく引っ張り出しかきむしられることに準備が必要なだけ。私も同じことをしたくないから、出来るだけ黙って端的に答え誰のカサブタも剥がさずに帰りたい。だから準備が必要なのだ。

このようにカサブタが剥がされてしまったのです。

ドラン作品はいろんな意味でカメラが近い。無遠慮ともいえる距離に寄ってくる。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
イズボペ

4.5演劇みたいな映画だった。うるさくした小津映画みたいでもあった。

2025年4月25日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

難しい

と思ったら、舞台劇が原作だった。ある日の午後、12年ぶりに家族に会いに戻ってきた次男ルイ、劇作家。兄のアントワーヌは弟に劣等感があるのかすかしたインテリ野郎と思っていて、自分の職業も弟からしたら粗野に見えるんだろうと勝手に思い込んでいる節がある。でも弟のかつての友達がガンで亡くなったことをルイに伝えた箇所で、兄は弟が何故12年ぶりに戻ってきたか本当はわかっていたのかも知れないと感じた。自分で自分に頭くる無器用な兄は右手の握り拳に赤い痣が沢山ある。妹のシュザンヌ(レア・セドゥ可愛い)は小さかったからルイのことは覚えていないが慕っている。少し大雑把で一方的に喋るのは母親似、激情して攻撃的に話すのは長兄似だろう。ママの化粧はなんだか濃すぎ、同じ話(ルイさえ知ってる)を繰り返して家族からウンザリされてハイテンション気味。でも子ども達の個性をよくわかっている。

殆ど話さなかったルイが唯一話せた相手は、初対面である兄嫁のカトリーヌ。アントワーヌに会話の邪魔をされながらもゆっくり話し続けるルイとカトリーヌ。このシーンにはたっぷりと時間がとられていて、二人の横顔とうなじが画面いっぱいに映し出される。どうってことない言葉のやりとりと沈黙のシーンは長く、穏やかで美しい映画の一場面だった。

グザビエは色彩、光、音楽、美術、カメラの扱いが上手い。キャスティングもいい!ルイはギャスパーだからこそだし(スキーで亡くなって本当に悲しかった)、カトリーヌはマリオン・コティヤール以外には考えられない。家族なのに家族とまともに言葉を交わせない立場に陥ったルイと話せて、最後は目と身振りで挨拶できたのは、血縁関係のないカトリーヌだけだった。兄も母親も誰よりルイを愛おしく思っているのにみんなの前で素直にルイの言葉に耳を傾ける勇気がない。ルイは孤独に押しやられ置いてきぼり、彼自身も家族に心からの共感を感じることはできなかった。

時計は容赦なく針を進める。ちょうど午後1時に到着したルイは、デザートが終わった後に家族に言うべきことを言ってその日のうちに帰る、と電話の向こうにいるパートナーに伝える。その午後4時に針が近づいていく。いつの間にか鳩時計の中に入り込んで床の上で死んだ小鳥はルイの身替わりだろうか?

ルイが家族と意志疎通ができなかったのは彼の12年もの不在(音信不通ではなかったのに!)が原因なんだろうか?ルイだけが家族の中で唯一知的な職業に就いているからなのか?それとも彼がゲイだからか?私は意志疎通ができなくなってしまっている家族は沢山いると思う、それぞれが誰かに劣等感や不信や苦手意識を持ったりするから。それはわかる。でも私は家族が連絡してくれれば長年不在であろうが、どんな仕事をしていようが、ゲイやレズであろうがいつでも受け入れて時間をかけて話を聞きたい。それから初めて自分も話す、自分ばかりが話しそうな恐れがあるから気をつける。

おまけ
原作者のジャン=リュック・ラグルスはゲイで、エイズで38才で亡くなったことを知った。映画の中で長男が家父長的な立場にならざるを得ないのを不満に思っている箇所があって、なんか古いなあ、いつの話なんだろう?と思い頭が少し混乱した。ルイのかつてのボーイフレンドが亡くなったと兄がルイに伝えた時、あえて「ガンで」と死因を言っていたが、それはエイズなのではと思った。ラグルスが生きていた時代、エイズは不治の病だった。だからこの劇(映画)でも兄のアントワーヌは弟のルイも遅かれ早かれ死ぬと感じたのではないか。

コメントする 5件)
共感した! 8件)
talisman

2.5付いていけない

2025年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

主人公が女々し過ぎてイライラする。
家族もキレやす過ぎて付いていけない。
全く感情移入できない。
フランス人って理解不能。
同じ劇作家族ものなら8月の家族たちの方が断然好き。

コメントする 1件)
共感した! 0件)
Sparks

3.0家族それぞれの噛み合わない思惑と会話の絡み合い

2024年5月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

「Mommy 」はそれほど好みではなかったが、やはりグザヴィエ・ドラン監督の作品には気になる何かがあり鑑賞。
オープニングの独特な音楽と、きれいでこれまた独特な雰囲気の車窓からの景色に、これはいいかもと期待値急上昇。特にさりげなく映った赤い風船なんかはとてもおしゃれ。
そしてそこからは、永遠主人公達のアップ中心の撮りで淡々とストーリーが進んでいく。と言うか、ストーリーらしいストーリーもないまま主人公達のあまり噛み合わない思惑と会話だけで進んでいく。
うーん、本作は豪華キャストだからまだ成り立つが、そうでなければ途中棄権してしまいそうになるほど退屈に感じる場面が多いように感じる。とにかく主人公達の想いが分かりにくく、観ていて誰とも共感できないし、ほとんどのシーンが薄暗い室内というのも退屈してしまう。そのあたりが本作の魅力なのかも知れないが、個人的にはもう少し皆の背景がわかるようにしてもらいたかったかな。
でも、本作のタイトルはとてもおしゃれで良いと思う。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
いけい