栄光のランナー 1936ベルリン

劇場公開日:

栄光のランナー 1936ベルリン

解説

1936年ナチス独裁政権下で開催されたベルリンオリンピックで史上初の4冠を達成したアメリカ人陸上競技選手ジェシー・オーエンスの半生を描く。貧しい家庭に生まれながら、陸上選手として中学時代から類いまれな才能を発揮していたジェシー・オーエンスは、オハイオ州立大学でコーチのラリー・スナイダーと出会い、オリンピックを目指して日々練習に励む。しかし、アメリカ国内では、ナチスに反対し、ベルリンオリンピックをボイコットする機運が高まっていた。そして黒人であるオーエンスにとって、ナチスによる人種差別政策は、当然容認できるものではなかった。オーエンス役を「グローリー 明日への行進」のステファン・ジェームス、コーチのスナイダー役を「モンスター上司」のジェイソン・サダイキスがそれぞれ演じ、オスカー俳優のジェレミー・アイアンズ、ウィリアム・ハートが脇を固める。監督は「プレデター2」のスティーブン・ホプキンス。

2016年製作/134分/G/フランス・ドイツ・カナダ合作
原題または英題:Race
配給:東北新社、STAR CHANNEL MOVIES
劇場公開日:2016年8月11日

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(C)2016 Trinity Race GmbH / Jesse Race Productions Quebec Inc. All Rights Reserved.

映画レビュー

3.0「民族の祭典(オリンピア第一部)」がどんな経緯で成立し得たのか、ますます分からなくなり…

2024年8月24日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

日本公開当時、キネマ旬報では
ほとんど評価されなかった作品でもあるし、
ジェシー・オーエンスのことも
ほとんど知らなかったので
観る予定にはしていなかった。
しかし、NHKの1936年オリンピック
関連ドキュメントを見ていたら、
走り幅跳びで彼に敗れたものの
ヒトラーの前で、
互いを讃え合うルッツ・ロングという
ドイツ人選手がいたことを知り、
彼がどう描かれているのかとの点にも
注目して初鑑賞した。

それにしても、とにかく全編、
反人種差別的視点で描かれた作品だった。
米国内での黒人差別、
ドイツでのユダヤ人差別、
そして、差別される同士の結束の主張から
オリンピック出場をボイコットすべきとする
全米黒人地位向上協会の存在も描かれた。

しかし、
前半のオーエンストの恋愛模様の冗長さや、
例えば、オーエンスが
オリンピック出場を決断する経緯、
また、オーエンスと寄宿舎で語り合った
ロングのヒトラー批判、
更には、リーフェンシュタールが命令に
反して200mの撮影に入るエピソード等々は
いかにも作為的に感じ、
そんなシーンの多さは勇み足的にも感じ、
更には、何ヶ所かの編集のぎこちなさが
気になる作品だった。

御承知のように、ヒトラーは
ゲルマン民族以外は劣等民族として
嫌悪していたとのことなので、
ジェシー・オーエンスの活躍は、彼の
神経をかなり刺激していたはずなのだが、
分からないのは、当時、
この大会の記録映画
「民族の祭典(オリンピア第一部)」を
監督したレニ・リーフェンシュタールが、
ジェシー・オーエンスの活躍を
詳しく映像に残して作品を完成させていた
と、ナチスと映画について書かれた書籍に
記載があったことだった。
ヒトラーやゲッペルス(あまりにも
似ていないので違和感ばかりだった)に、
対外的にナチス色を薄めるべく等の
国際戦略的政治判断が働いたものなのか、
リーペンシュタールがそんな映像を残せた
経緯がますます分からなくなった。

因みに、ルッツ・ロングは、
ヒトラーの逆鱗に触れて、
その後にイタリアの激戦地に送られて
戦死したとのスーパーが流れたが、
こちらの真相はどうだったのだろうか。

ただ、
祝賀会会場へ正面玄関から入れなかった
オーエンスに白人の子供がサインを求めた
ラストシーンは、
この反人種差別的テーマ作品としての
希望のエピソードとして
上手い締めに感じた。

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KENZO一級建築士事務所

3.5色々考えさせられた作品

2024年7月27日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

難しい

BSで録画視聴。
色々と考えさせられた作品。
パリオリンピックがいよいよ開幕ということで
オリンピックがテーマ。
1936年ベルリンオリンピックの陸上競技に出場したアメリカの黒人選手J・オーエンスに関する伝記映画だが、昔も今も人種差別はつきもの。色々と考えさせられた。

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ナベウーロンティー

2.0元々、親ナチで、反ユダヤ的だったブランデージとヒトラーに取り入って...

2024年7月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

元々、親ナチで、反ユダヤ的だったブランデージとヒトラーに取り入って、映画監督の職を得た、バリバリナチの元女優リーフェンシュタールの遠回しなプロモーション、ヨイショ?のためにオーエンスの偉業を利用した映画???

ps 1968年のメキシコオリンピック表彰式で黒人差別に抗議した、アメリカの男子200mの2人のメダリストを追放したのもブランデージ。

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J417

3.5オリンピックは誰のものなのか?

2023年9月3日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

知的

難しい

「参加することに意義がある」と言われながらも、個人の意志とは無関係に様々な思惑に翻弄されているオリンピック。
 日本で言うならばモスクワオリンピック。今に比べて、昔は選手の旬って短かったように思う。「次のオリンピックで」が叶わなかった選手が何人いたことだろう。そんな記事を読んだような。先日ブダペストで開催された世界陸上競技選手権大会では日本人が”快挙”というニュースに沸いたが、この映画の時代は今みたいに世界レベルの選手権はあったのか?「次の大会で」もなかったような。素人目には今以上にオリンピックは大きな意味を持っていた。世界ランキングと言う言葉もあまり聞かなかった。オリンピックでメダルをとるかどうかが素人に名を売るチャンスだった。ロング氏のような”その後”をたどった選手も多かったであろう。この映画のような情勢じゃなくとも、人生、何が起こるかわからない。
 そして今はロシア。まだやっていたのか、そんなことと驚きながらも、結局責任をとらされるのは選手。ドーピングは公正さを揺るがすものであると同時に、選手の体に害をなす。だから厳しい処置は必要。けれどロシアの選手が皆積極的にドーピングしたのか?メダルをめぐるその後の待遇の差とか、国ぐるみのドーピングに選手がどう巻き込まれたのか解明しなければ改善はしない。
 ”人”としての、能力を謳いあげ、競うはずの舞台。
 なのに、”国”の威信が絡み、
 ”人種”の優劣を示そうとしたナチス・オリンピック。

 そんなオリンピックを巡るあれこれを詰め込んだ映画。
 宣伝を観て『42』と同じテーマの映画なのかなとも思った。けれど、もっと多義にわたっている。
 予告編の中にある「特別映像」で語られるように、原題は『レース(競争)』と『人種』かけているのだそうな。
 ナチスが目指した人種政策。
 USAでの状況。「出場してもしなくても何も変わらない」というジェシー氏のお父様の言葉が、全てを見通していて、唸る。
 そんなテーマに、”人種を超えた”、師弟愛、夫婦・家族愛、オリンピックでのスポーツマンシップ、友情、メダルをとったか、オリンピックに参加したかでの待遇差、”人種”がらみの逸話等いろいろ詰め込んだ映画。
 『42』のようなスカッとしたカタルシスは得られない。
 ”映画”としては、今一つだが、たくさんの人に見ていただいて、考えて、話し合いたい映画。

オーエンス氏が、満員のオリンピック会場に入場した時は興奮した。
オリンピックに出場する選手はこんな状況で競技するのかと、追体験した気になる。
確かに、”応援”は力になる。反対の場合は…。

そういう印象に残るシーンはあるものの、
実話物の映画化は難しい。クライマックスの後も日常は続くから。
 興奮したシーンの後に、後日談がだらだらと続く感じで終盤が惜しい。
 否、メダルを取った選手に対するUSAでの対応は、この映画で描きたかったエピソードの一つのはず。だが、カタルシスを得た後の蛇足の後日談にも見えてしまって惜しい。
 興奮したシーンの前だって、終盤のエピソードだって、とても感情を揺さぶるシーンになるはず。なのに、惜しい。
 選手を送るかどうかのせめぎ合い、ユダヤ人選手の出場を巡る葛藤。
 メダルをとった選手に対する対応。ドアマンの苦しそうな表情が嬉しい。
 もっとじっくり描いてほしかった。
 演出や編集の問題?取捨選択がうまくいっていない?
 すべてが表面をさらうだけでスル―。
 コーチがユダヤ狩りを目撃してもそのまま。コーチの頭はメダルのことしかない。違和感を感じさせて中途半端。”師弟愛”としては美しいのだが、反面、それでいいのかと思ってしまう。そういう違和感を持たせるための、あえての演出なのか?
 オリンピック参加選手からは、ユダヤ狩りは見えない仕組みになっている。
 パラリンピックはまだ存在しない。
 「ヒトラーを怒らせた」とチラシにあるけど、そういう場面はないし…。総じてナチスの緊迫感がなく、ぬるい。
 「競技場で生まれた友情こそが、真の金メダルである。~」と言うオーエンス氏の言葉が、チラシに取り上げられているのだけど、そこを中心に描いているわけでもない。ロング氏の置かれた立場…。えぐい。
 過剰に演出すれば事実と離れる。事実を淡々と描くには、中途半端に”物語”にしてしまっている。たくさんのエピソードが散りばめられているけど、全てが中途半端。
 映画として観るなら、そこの葛藤もう少し掘り下げて欲しい。監督としての意味づけがほしい。と歯がゆいのだけれど、そうするとオーエンス氏の伝記等とかけ離れてしまうので、踏み込めなかったのだろうか。

ドキュメンタリーも公開されているとチラシで知ったが、それを見た方がいいのじゃないかとも思ってしまう。

でも、オーエンス氏を演じたジェイムス氏の立ち振る舞い・笑顔を観ているだけで、オーエンス氏が愛おしくなり癒される。
 ゲッぺルズを演じた方も過度な神経質さが印象に残った。ただ、ナチスの脅威を体現するには線が細すぎる。
 ロング氏を演じられた俳優。さわやか青年。この映画鑑賞時には、見たことあるような気がするけれど、誰だっけ?だった。後で調べて『愛を読む人』のあの子と知る。

しかし、映画のできとは別に、
オーエンス氏の業績には、限りなく賛辞を贈りたい。
 ただ、アスリートとしての才能があるだけではない。
 オリンピック派遣も僅差で決まったくらい、反対も多い。
 アメリカ黒人地位向上委員会にも、「黒人のために出ないでほしい」と頼まれる。
 そんな中、出場することになれば、「ヒトラーの鼻を明かせ」との期待。
 幾重にも背負うことになってしまうプレッシャー。
 映画にも出てくる競技場。すべて”敵”。ブーイングの嵐。
 家族が、コーチが、ロング氏が応援してくれたって…。
 そんな中でのあの結果。
 なんという精神力なのだ。
 そして、オーエンス氏と並んで、2位につける黒人は『42』のロビンソン氏の兄だとか。
そんな彼らの、その決断が、その力が、未来へと続いている。
 オーエンス氏のお父様の「出場してもしなくても何も変わらない」は短期的には的を得ていたが、長期的にみると、少しずつ、少しずつ…。過渡期ではあるが。

なんのための競技なのか、そこに何を求めるのか。
「走っている間は自由だ」というけれど、オーエンス氏の思惑を超え、いろいろなことがくっついてくる。
ただ、走ればいいわけじゃない。難しい。

アスリートの祭典・オリンピック。
 ベルリンのこの状況で、私だったら選手派遣と、とりやめ、どちらに一票を投じるのか。
 当時、ドイツの同盟国だった日本は、当然参加している。
 かの有名な「前畑、頑張れ!」のレースもベルリン・オリンピックでの出来事。参加しなければ、感動も生まれない。
 でも、ナチスのこんなひどい政策に賛同したくない。この企画をぶっつぶしたい、無視したい衝動も否定できない。
 自分と関係のない遠くにあるような政治も、実はとっても身近なものなのだと思った。

難民として参加した選手の活躍を思い、後に続く子ども達のことを思うと、ブランデージ氏の演説が心に残る。されどオリンピック、やっぱりオリンピック。
 オリンピックの持つ力は大きい。

試写会で鑑賞。初めてぴあの試写会に当りました。
たくさん考えてしまう要素満載の映画に出会わせていただいて、感謝致します。

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とみいじょん