龍三と七人の子分たち : 映画評論・批評
2015年4月21日更新
2015年4月25日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
北野武がコメディ映画作家としての才能を初めて全開させた、シンプルで笑える楽天的な老人賛歌
北野武には長年の自説で、漫才師を出自とするTVコメディアンと国際的なアート系映画作家の間を往還する<振り子理論>なるものがある。その両極の磁場があってこそ彼の旺盛な映画作りは保証されるというのだが、過去の北野映画では<笑い>がつねに奇妙な不全感をもたらす嫌いがあった。「みんな~やってるか!」(95)や「監督・ばんざい!」(07)にしてもナンセンスや不条理的ユーモアに執着するあまり、いっこうに笑いが弾けず、まるで映画作家としての北野武は喜劇というジャンルに対して過剰な恥らいがあるかのようだった。
「龍三と七人の子分たち」は、彼が初めてコメディ映画作家としての才能を全開させた作品である。まず、引退した元ヤクザの組長が、ジジイとなった昔の子分どもを招集し、オレオレ詐欺や悪徳訪問販売で老人を食いものしている暴走族上がりの集団「京浜連合」に一泡吹かせるというシンプルなストーリーがよい。
そして、なによりも龍三親分を演じる藤竜也がいい。藤竜也は、何度も刺青が入ったもろ肌を晒すのだが、その肉体には、往年の日活ニューアクション時代に演じたアナーキーな狂気と野獣のような殺気を孕んだアウトローの記憶が刻み込まれているのだ。本来、屈折したキャラクターが似合うはずの藤竜也が思い切った直球芝居で小気味よい笑いを醸し出しているのは嬉しい驚きである。近藤正臣は軽佻浮薄、中尾彬は悠揚迫らぬ、といったふうに、本来の持ち味に微妙な変更を加えた個々のキャラクター的造型も効いている。小津安二郎の「お早よう」(59)を想起させるようなおならギャグ、「らくだ」を彷彿とさせる落語的な笑いも交えて、大団円では、大がかりなアクション・シーンまで用意されている。もしかしたら、クリント・イーストウッドの「スペース・カウボーイ」(00)以来とも言える楽天的な老人讃歌である。
(高崎俊夫)