この作品にもタイトルに隠されたテーマがある。
オープニングのタイトルの「コンマ」が赤く色づけられる。
カラオケ店であった老人ヤスオの言葉
「赤は血の色 生きろと言う色」
作中に何人かの老人との出会いと各々のストーリーが展開されるが、すべて往年のスターたちを揃えている。
往年のスターたち、つまり老人たちはまだ「私たちと一緒に生きている」
「お互いちょっとだけ歩み寄って、心で理解しよう」 これがこの作品のテーマだろう。
さて、
主人公山岸サワとは何者だろうか?
住み込みで介護の会社に雇われていた彼女は、訪問先の片岡家の奥さんユキコからとんでもない依頼を受ける。
それは添い寝だったが、この家族には大きな謎があると想像させるところが多い。
結婚後、早々に家を出た夫 ユキコは実家に戻り、父と2人で暮らすようになった。
しかし、娘のマコトは誰の子なのだろうか?
もしマコトが生まれてから父が蒸発したのであれば、父は子供の性別くらい覚えているはずだ。
また、添い寝を依頼した夜に、なぜユキコは首つり自殺したのだろう?
ここは隠し扉がいくつもある場所 流して見れば済むが、考えれば由々しき問題であり、いささかややこしいのではないかと想像する。
ユキコが自殺した理由は、自分自身の罪深さゆえなのではないだろうか?
マコトはユキコと実父の間の子で、彼は女に見境がなく、自分の娘ユキコまでも犯してしまう輩だったのではないかと思われる。
それ故ユキコは、マコトを男として育てたのだろう。
マコトは強制的にLGBTにされたのだ。
身寄りのなくなったマコトは父佐々木タケシと一緒に生活する。名前も佐々木真
また、
ユキコはなぜあの赤い服をサワに着させたのだろう?
「母の形見 お父さんがこれ好きだったのよ 私も昔着てたの」
「もともとは白だったんだけど、シミが目立つようになったから染めたの」
マコトは当時の光景を生理で汚れたパンツを洗いながら回想している。
ユキコはシミのついた白い服を赤く染めることで、それでも「生きる」決心をしたのではないだろうか?
介護のみならず、精神的にも寄り添ってくれているサワに対しあり得ない「依頼」をしたことは、ユキコにとってはそれでも「父」だからだろう。
またもしユキコが添い寝したら、間違ってもまことに見られるわけにはいかない。出生を疑うことさえ許されないからだ。
また父もマコトが自分の子だとは知らない可能性がある。
しかし、その犠牲となったのはユキコよりもマコトだったことにユキコは気づいたのだろう。
ユキコはなぜマコトを男にしたのかという理由をマコトにも話さなかったのかもしれない。
マコトが祖父の部屋を覗いたときのユキコの激昂は異常だった。
それは確かにマコトに害がないようにしたことだったが、結果的にマコトは引きこもりになった。
誰とも会話しなくなった。
娘に対する罪深さが、ユキコを自殺へと進ませたのかもしれない。
マコトは父と生活しながらも男として生きなければならないと思い込んでいた。
しかし、サワに実態を知られたことで、「私は女で生きていいんだ」と思ったに違いない。
祖母、母の形見の赤い服を着て泣くシーンでそれを表現している。
マコトは「ママー」と泣く。
母のことが恋しくなったのだろうか?
あの服はそもそもマコトに着させるために染めたのかもしれない。
幼いマコトはその様子を見ていた。
その意味をまことは「いま」知ったのだろう。
しかし、その「意味」がよく伝わってこない。
さて、
火災と警察での調書を終え、現金を引き出しキャスターバッグを買った後、ごみ箱に赤い服を捨てるが、それを拾うシーンがある。
これは伏線になっているものの、いいプロットとは言えない。
なぜならその前後に何もないので、サワの心境が描かれていないからだ。取って付けた感が否めない。
謎の主人公山岸サワ
コートのポケットに入れた現金を電車に忘れ、カラオケボックスで老人を見つけるとたかる決心をする。
しかしそれは一方的なものではなく、老人の心に寄り添うものだ。
息子夫婦に疎ましく思われていたヤスオは、娘ほどの年齢のサワとのカラオケに大満足だった。お礼に1万円とコートをもらったくらいだ。
老人に共通する「寂しさ」
それはやはり「必要とされなくなった」ことだろう。
黒崎しげるもまた、
一人暮らしの寂しさと、世間に対する怒りを持っていた。
挨拶しても、挨拶を返してくれない「寂しさ」が怒りになって「いたずら」をするようになった。
しかし押しかけ家政婦のサワによって、少しは人を信用できるようになった。
信用していた投資会社のサイトウ 詐欺師
どんな人物でもいい 自分によくしてくれる人を信じる 黒崎はそこまで人に「必要とされなく」なっていたのだろう。
しかしおそらく彼は、心の奥では「人を信用したい」という強い思いがあったのだろう。
その裏返しがサイトウであり、思わず転がり込んできたサワだったのだろう。
このことで黒崎はホームに入る決心がついたのだと思われる。
「人を信じて間違いはない」きっとそう思ったのだろう。
しかし、
黒崎からもらった車のトランクから100万円が用意されていたのを知ったサワはうれしさのあまり嗚咽するが、これは、そこにいたマコトが「ママー」と叫ぶ姿と呼応する。
この呼応にどこか違和感が残ってしまう。
またサワは、
エロ老人真壁ヨシオ宅に転がり込むが、真壁もまた謎の多い人物だ。
最後に彼は妻と同じく認知症のようになるが、彼はヘルパーが来る週3日が「勉強会」だと偽って外出している。
エロ写真集を万引きしようとする。
「重要書類」の入ったカバンの中はスクラップブック
しかし真壁はなぜ急にサワと映画に行ったのだろう?
映画「少女」は奥田英二さん監督作品だ。
サワの笑いは、この作品の監督である安藤桃子さんの父である奥田英二さんに向けて演出しただけなのだろうか?
笑いが止まらなくなるサワに指で口をふさごうとした真壁の指を噛み、外へ出ていったサワの心境はどんなものなのか?
座ったまま立とうとしないサワ
その晩真壁は夢を見る。妻の口をふさいで殺す夢だ。
それは彼の心の闇
やがて妻の介護をするサワと妻の歌声が聞こえてくる。
真壁は泣きながらその歌を口ずさむ。
その後真壁は妻の部屋に行くと彼女を車いすに乗せるが、妻はずっと真壁を見ている。
真壁もまた妻を見ている。
おそらく二人だけの会話がそこでなされたのだろう。
特に真壁が妻をしっかりと抱きかかえるシーンは印象的だ。
その後も妻は視線を真壁から離さない。
「私の好きな人」
しかしサワが去る際、妻シズエは「早くあの世に行って、シンイチロウさんに抱かれたいわ」という。
シンイチロウとは、おそらく戦争で亡くなったのだろう。
その後シズエは真壁と結婚した。
彼女の人生の中で最後まで記憶に残ったのがシンイチロウなのだろう。
人生の皮肉とも取れるが、認知症というのはそういうものなのだろう。
真壁もまた、認知症の発症とともに戦時中へと誘われる。
彼は思想家だ。
「一部の人たちが勝手に決めた戦争で、数えきれない人々が亡くなった」
「何のためにやっているのかわからない 答えがない」
そう、一番つらいことを一番よく覚えているのだ。
「戦争とは、一部の人によって行われた『悪』」
そんなくだらないことよりも、世の中を良くしようと一致決断すれば、山をも動かす力になり得る。
「動くはずのない山も、0.5ミリくらい動かせる力になる」
山とは例えだ。
ここにタイトルのひとつの意味がある。
また、
サワはマコトとうどん屋でうどんを食べるシーンがある。
「いま一緒の世界に生きている人の中には戦争を経験した人がいる。今日生まれた赤ちゃんもいる。みな一緒に生きている。お互いにちょっとだけ目に見えない距離を歩み寄って。心で理解できることってあるんだ」
これもまたタイトルの意味を描写しているシーンだろう。
最大の謎が山岸サワだろう。
彼女には身寄りがない。
介護というより人の心に寄り添うことができる稀有な人物。
「みな一緒に生きている」この世界
0.5ミリでいいから、お互い歩み寄ろう。
そうすれば到底無理なことも0.5ミリ位は動かせるだろう。
そんな世界を実現するには、たった0.5ミリだけでいい。
この素晴らしいテーマと一緒に今でも生きている往年のスターたち
安藤サクラさんの素晴らしい演技。
素晴らしい作品だった。