野のなななのか : 映画評論・批評
2014年5月13日更新
2014年5月17日より有楽町スバル座ほかにてロードショー
生者と死者の交流から生まれる未来への願い
大林宣彦の作品には、もともと生と死の境界線をめぐるユニークな視点が見え隠れしていたが、「理由」(04)を転機として、より明確に作品を特徴づけるようになった。その最初の達成が「その日のまえに」(08)であり、ここでは生者と死者が時間や空間を超えて交流し、クライマックスでは「生と死のカーニバル」のごとき圧倒的な祝祭の光景として現出。その光景は一昨年の「この空の花 長岡花火物語」(12)において、さらにダイナミックなかたちで展開された。
本作「野のなななのか」も、やはり死から始まる。
北海道芦別で古物商を営む元病院長・鈴木光男(品川徹)が92歳で息を引き取り、血縁者たちが一堂に会する。そこに突如、清水信子(常盤貴子)と名乗る元看護師が現れ、光男の過去とその背後にある戦争の記憶が手繰り寄せられてゆく。
映画の冒頭で死んでしまう主人公は、しかし本作において最も雄弁な語り部となり、いまひとり(あるいはふたり)の死者を仲介者としながら、生者たちに死した歴史(記憶)との関係を結ばせる。その歴史は「震災以降の現在」に照射され、希望や絶望を超えた未来への願いとして結実してゆく。
戦争ジャーナリズムと演劇的表現の融合など、前作「この空の花 長岡花火物語」の姉妹篇ともいうべきつくりとなっているが(原作は前作の共同脚本を務めた劇作家の長谷川孝治)、過剰な情報密度で観客をたじろがせるほどの異様な迫力を放っていた前作よりも、物語の中心人物をめぐるミステリとしての側面に焦点を絞った分、映画としての凝縮度が増し、大林作品のいまひとつの特色であるロマンティシズムが寧ろ回復されている。
俳優陣では安達祐実が圧巻(大林監督による1993年の夏休み映画「水の旅人 侍KIDS」の対抗馬だった「REX 恐竜物語」でスクリーンデビューした彼女が念願の大林映画初出演を果たしているのが感慨深い)。昨今の「まちおこし」(あるいは「まちこわし」)の欺瞞性に対する批判など、ほかにも観るべき点は多い。
2014年、いや近年の日本映画のなかでも最も独創的かつ刺激的な傑作である。
(佐野亨)