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明日の4時44分には地球の終わりが訪れるというアホ設定。終末までの1日を描く。
そういう設定ならばSFやパニック映画的な面白さが入ってても良さそうなもんだが、派手な娯楽要素は全く無い。
終末を描いた『タイム・オブ・ザ・ウルフ』みたいな知的さも無い。
娯楽でも無く、知的でも無く。
観た人から、金返せと言われてもしょうがない内容。
(下のレビュアーさんが0.5点なのも至極当然と思う。)
環境問題や、古今東西のスピリチュアルなフッテージが差し込んであって、あたかも社会全体のことを考えた映画風にはなっているが、その部分の意味は浅い。
この映画を観てわかるのは、ただ一つ。
主人公(ウィレム・デフォー…変な役ばっかりやって、かわいそうだなあ)が、「グズグズしている」という事くらいだ。
恋人と同棲しているのに、前妻に「一番愛しているのはお前だ」と言ってみたり、長年やめていたクスリをまた始めてみたり。
終末を前に気が動転したというより、普段からグズグズなのがアラワになっただけという気もする。終末だからといって覚醒して急に立派な人間になる訳でもない。
街の様子も映し出される。終末を前に何をしたら良いか判らず酩酊する通行人。でも、このくらいの酩酊だったら、普段の歌舞伎町なんかにもいっぱい居るよねえ、と思う。
終末だろうが、普段だろうが、グズグズ。
最期の最期まで、悩み悔恨し懺悔し、また悩む。
悔恨と懺悔のループの果てに「救済」は訪れるのか。
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A.フェラーラ監督の映画は、その多くが「悔恨と懺悔のループ」な内容と思う。そして宗教が絡んでくる。
フェラーラにとっては、「悔恨と懺悔のループ」こそが、「救済」の過程であり、「信仰」そのものなのかも。
そう考えると、この映画、フェラーラの「最期までグズグズを貫きます」という宣言にも取れ。これからも「グズ人間」の絶望と救済を撮り続けるんだろうなあと思う。