宴
劇場公開日:1967年1月14日
解説
利根川裕原作の「宴」は最初、ペンネーム糸魚川浩で、雑誌『展望』に発表された。「かあちゃんと11人の子ども」のトリオ堀江英雄が脚色、五所平之助が監督。長岡博之が撮影した悲恋メロドラマ。
1967年製作/100分/日本
原題または英題:Rebellion of Japan
配給:松竹
劇場公開日:1967年1月14日
ストーリー
赤坂の料亭“綾羽”の長女白坂鈴子は、昭和十年十月、観世流謡曲の家元の次男観世扇之丞のもとへ嫁いだ。式服の帯にはさんだ懐剣をきつく握りしめ、兄の世紀から「仇討ちに行くのじゃないんだぞ」と言われたほど、それはある決意に身作られた嫁入りだった。ある決意とは、兄と陸士で同期の、館隆一郎中尉への求愛を彼から断わられた結果だった。鈴子の兄は陸士を病気退校後、左翼運動に傾斜していったが、館は帝国陸軍の将校となり、満州派遣か叛乱蹶起かの二筋道を進んでいた。どちらにしても近く死ぬ--という予感が館にはあり、鈴子の愛を受け入れることが出来なかったのだ。鈴子は夫との生活がうまくいくように努めた。しかしその努力が逆に夫に嫌われ、二人の生活は日を追って大きく食い違っていった。館の満州行きが決った時、鈴子は、これが最後と思い館に歌舞伎座の切符を送った。二人の観劇が終った頃、大雪で交通も電車もとまったが、館は、どうしても帰らなければならないと、その一念で降る雪の中を鈴子を抱くようにして、観世家へ急いだ。赤坂見付で鈴子の足が、とうとうこごえそうになった時、館は鈴子の足指に自分の吐息を何度も吹きかけ失なわれそうな感覚に刺激を与えようと、その足指を噛むのだった。この強烈な館の感触がこの後、鈴子の心と身体にいつまでも残った。錯乱し、疲れ果てた鈴子はやっとの思いで自宅にたどり着いた。やがて昭和十一年二月二十六日早暁、降りしきる雪をけたてて、館隆一郎は斎藤実内大臣邸に、まっしぐらに突撃して行った。これが青年将校による、日本近代史上最大のクーデター、二・二六事件のぼっ発であった。館らが叛乱軍と言われ、国賊の汚名を着せられた二月二十九日の夕方、鈴子は、毒薬の白い粉を口にふくんで、館との思出の地、青山墓地に静かに座していた。