チャンス
劇場公開日 1981年1月
解説
ワシントン郊外。主人が亡くなり、行き場のなくなった中年の庭師チャンスは町をさまようことに。彼は屋敷の外を知らず、草花をいじり続け、テレビだけを楽しみに生きてきた男だった。やがてチャンスは政治をも左右する財界の大物ベンジャミンと知り合う。無垢な心を持つチャンスはベンジャミンや彼の妻といった人々を次々と虜にしていくが……。天真爛漫な庭師を通じ、社会を風刺したコメディ。ピーター・セラーズが名演を見せる。
1979年製作/124分/アメリカ
原題:Being There
スタッフ・キャスト
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チャンスは素朴な善人だが、周囲の裕福な人々は彼の言葉のすべてを神の言葉のように礼賛する。反対に、彼がちょっと頭の弱いただの庭師だということを知る人々は、彼の言葉に悪意さえ見出す。
誰の見解が正しいとか間違ってるとかそういうことはどうでもいい。というか人によってバラつきがあることこそが本質だ。チャンスは多くを語らない。彼が大事にしているのは庭とテレビだけで、それ以外のことにはあまり関心がない。何を考えているのかよくわからない。だから誰もが彼を好きなように理解する。よくわからないからこそ、自分の好きなように編集することができる。
こうやって書くとなんだか悪いことのような気がするけど、誰もがやっていることだ。いくらひっくり返そうが顕微鏡で覗き込もうが人の本心なんてものは見えないから、限られた言葉や所作の節々を線で繋いで出来上がった虚構を、我々はとりあえず「あなた」とか「君」とか呼んでいる。
チャンスと出会うさまざまな登場人物に心境の変化が訪れるが、それはチャンスと向き合った結果というより、チャンスを通じて自分自身と向き合った結果という感じがする。
だからチャンスとの出会いによって必ずしも善の方向に上昇していった者ばかりではない。ラストシーンでベンの棺を運んでいた権力の亡者たちなどがいい例だ。
一方でベンはチャンスとの出会いによって自分の死を乗り越えることができた。ただしこれはベンが生来的にそういう精神的素地を有していたからだと思う。あと金持ちだったから。
おそらくベンはそういうことも薄々悟っていて、だからこそ彼の遺書の結びには「人生とは心の姿なり」という一節があったのだろう。たとえば微積分を知らない人がいたとして、その人が微積分を問いている人を見たところで「この人は微積分が解ける人だ」という所感を得ることはできない。
チャンスはある種の超越的存在だったから「彼をサンドバッグにして自己を知る」みたいなコミュニケーションの取り方がそこまでグロテスクに見えなかったけど、現実世界に彼はいない。ハナから「自分を知るために相手を利用しよう」みたいな魂胆で他者に臨むのはよくないなぁと思った。
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最初は重厚なストーリーかと思いきや、蓋を開けてみれば漫画ラッキーマンのようなストーリーであった。
ただし演技は本気で、そのシリアスさとストーリーのコミカルさが相まり非常にシュールな内容となっている。
恐らく予告だけ見て重厚な映画を期待して裏切られた人も多いかと思うが、私はこれはこれでコメディ映画として楽しかった。
2020年8月19日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
主人が亡くなって庭師として住み込みで働いていた家から初めて外に出たテレビ大好きおじさんの話。
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このおじさんテレビか庭関係のこと以外全く頭にない。だから周りの人が言うことなんて何一つ理解できてないし、テレビがあると何よりもテレビに夢中になってしまう。
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それを見て完全に私だと思ったね。この映画の時代はスマホなんてない時代だけど、今はテレビを持ち歩けてしまっているから主人公以上にテレビ人間。
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電車の移動時間、ドライヤーで髪の毛乾かしてる時間、化粧する時間、最近は在宅で仕事中すら何かしらのコンテンツを見てる。さすがに人といる時は見ないけど、ちょっとでも退屈だと思ったらすぐにドラマ見たくなっちゃう。
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客観的に自分の状態を見せられているみたいでちょっと反省した(笑).
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だからテレビに夢中になりすぎるおじさんに自分を重ねてどこか嫌悪感を抱きつつも、人との関係もおじさんのように、テレビついでにぐらいであしらうのが案外上手くいくのかもしれないと思った。
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死をきっかけに始まる心温まるコメディ映画
全ての真理は自然にあり我々人間が繰り広げる日常は
コメディでしかない。ということだろう。
映画「ブラジル」で出会ったピーターセラーズ繋がりで
行き着いた映画だったが、素敵で素晴らしい出会いだった◎
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