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◯作品全体
本作を見ていると、学校という空間は本当に異質で、特殊な空間だったんだなと感じる。それぞれのコミュニティの範囲外に行くことはほとんどなく、目線を向けたところで互いが互いに嘲笑するくらいしかしない。
そんな異質でありふれた学校生活が本作でもあるが、それが崩れた元凶である「桐島」を登場させず、空白を作ったまま展開される構成に惹き込まれた。
空白を作る桐島という存在は、ヒエラルキー上位の中心人物としてふさわしいキャラクターだ。クラスだけでなく部活でも一目置かれていて、その両方のコミュニティから「あいつには叶わない」と、思われている。それはつまり、周りの人間は「桐島」という壁を突き付けられているのも同じで、あいつを越えないと何であれトップにはなれないという現実を否応なく教えられてしまう。菊池たち帰宅部組はそうした潜在意識があって帰宅部を選んだのだ、と感じた。彼らには味わえない「なにかに没頭すること」を桐島は知っているところに、同じコミュニティでありながら違いがあって、「部活、恋人、ヒエラルキー」全てにおいて「持つもの」である桐島を中心とした「持つもの・持たざるもの」の構図の作り方に巧さを感じた。
ただ、菊池や野崎は恋人がいる「持つもの」でもある。映画部の前田や吹部の沢島とは「持つもの・持たざるもの」の構図になっていて、終盤までは校内恋愛を楽しむ人物が「持つもの」として肯定的に描かれる。しかし菊池たちは桐島を中心としたコミュニティであるため、霧島がいないことに翻弄されればされるほど熱中するものがない、「持たざる」弱さが露呈する。前田たちは熱中できる何かを持っていて、それを嘲笑する野崎に対してバレー部の小泉とバトミントン部の二人が言葉と行動で反論する。ヒエラルキーが主導権を握っていた立場の逆転が起きたのが、終盤の火曜日の屋上だった。様々な「持つもの・持たざるもの」がある登場人物が様々な感情を持って集う屋上での出来事は、今まで避けていたコミュニティの枠を超えてエネルギーをぶつけ合う模様がすごく印象に残った。
作品中盤までは学内ヒエラルキーを中心として青春の良し悪しを意識させられる。しかし、なにを持っているのが良いかという話ではなく、持っているなにかのエネルギーで語られるラストが、熱量の高さと自分の壁を知った高校生の本音を純度高く切り抜いていて、心に深く刺さった。
◯カメラワークとか
・菊池が外を眺めた時に沢島も外を眺めるカットがベタながらよかったな。あの時間だけは二人だけの空間にさせてくれる優しいカメラワーク。エンドテロップの順番もそうだけど、沢島というキャラクターだけ贔屓されてる感じするなあ。
・東原かすみに彼氏がいる現場を見てしまった前田の演出がすごく良かった。見てしまった後の前田の表情を映さず、早歩きで廊下を歩く後ろ姿だけを映す。登場人物に土足で踏み込まない、カメラワークの優しさがあった。
◯その他
・ラストの前田と菊池のシーンがすごく良かった。菊池にとって今まで眼中にもなかった前田が、菊池に刺さる言葉を持っていて、自分にはない前田の真っ直ぐな気持ちを「カメラを向けられる」と言う行為で突きつけられる。
・後輩が沢島に「サックス吹いてる先輩モテますよ」みたいなこと言うシーンが好き。そうだとしても、意識して見てくれないことを知ってるから無自覚に残酷な言葉なんだよね。沢島しかわからない感情。